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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
42/103

謀略の使徒5


 扉を叩く音にヘリオンは、書類から顔を上げた。

「失礼します」

 上品な紅茶の香りとともに、扉を潜ったのは侍女の姿をしたシュセだった。

「そろそろ休憩になさってお茶などいかがでしょう?」

 部下のどよめきを他所に、一度書類に視線を落としてから。

「ありがたい。では頂くとしましょう……各人しばし休憩とする」

 部下に指示を出すと、手元の書類にサインと捺印を押しペンを机に置いた。

 肩を鳴らしながら出て行くヘリオンの部下達を見送ると、シュセはヘリオンに紅茶を淹れる。

「彼らはいかがでしょう?」

 カルがスカルディアの領内から選んだ推官候補者達。十代の後半の彼らを自身の部下としてヘリオンは実施指導を行いながら、スカルディア領内の統括を行っていた。

「少し頭の固い所はありますが、なかなか見込みがある者が揃っているようです……まぁ、なにぶん若いために斑がありますが」

 苦笑に近い笑みを漏らして、ヘリオンは紅茶を口に含む。

「ヘリオン殿がいらしてから、ずいぶん領内も落ち着いたと殿下もお喜びでした」

 ヘリオンがカルの招きに応じてスカルディア家の内政を預かることになって既に十日。

「やるべきことをやっているだけです」

 謙虚な言葉とは裏腹に、彼の手腕で確実にスカルディアの地盤は整い始めていた。

「あの、不躾な質問をしてよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 困ったように眉を潜めて質問するシュセに、ヘリオンは軽く頷いた。

「殿下の施政と、ヘリオン殿の施政はどこが違ったのでしょう? わたくしには殿下も、真面目に取り組んでいたように思われたのですが……」

「ふむ……」

 少し考え込んだヘリオンは、一枚の書類をシュセにかざして見せた。

「失礼ながら、殿下の施策には血肉が通っていないと思われます」

「血肉ですか……?」

「書物から得た知識と、実地ではやはり違うということです」

「そう、ですか……」

「恐らく、殿下には施政を受ける側と自身との差異に気づいていないのでしょう」

「違い?」

「殿下は……この法案を見れば分かりますが、理想を追いかけすぎなのです。民と協力することができればそれは素晴らしい統治が叶いましょう。ですが人間は、皆矮小なものです。力のある者にはおもねり、力のないものには威張り散らす……誰だって損はしたくない」

 紅茶の波紋を見ながら、ヘリオンは言葉を切る。

「結果不正は蔓延り、正直に生きる者は損ばかりする……と?」

 言葉を切ったヘリオンの後を継いだシュセの言葉に、苦笑しながら頷く。

「そういうことです、民は縛り付けるものです。信じてはいけない」

 ヘリオンの言葉に、シュセはしばらく黙りヘリオンが紅茶を飲み干すのを待った。戻されるティーカップを受け取りながら彼女は戸惑いながらも口を開く。

「わたくしは……カル様の、いえ殿下の民を信じる心をとても尊いと思います。貴方をお招きになったのも、スカルディアの領民、ひいてはこの国の民の為になされたことなのだと思います。殿下も自身の施策にどこかしらの、欠陥があるとは分かっていたのでしょう」

「その穴を埋めるために、私を招いたと?」

「はい」

「施政に理想は要りません。あるのは唯支配するものとされる者。甘さをもって臨めば手痛いしっぺ返しを食らうことになる」

 椅子に腰掛け見上げる姿勢のヘリオンの目を見返し、シュセは胸を張って続ける。

「わたくしは、理想を目指す殿下を誇りに思います」

 にこりと、シュセは微笑む。

「わたくしは、そういう殿下だからこそ付いて行きたいのです。ヘリオン殿は違うのですか?」

「……給金を払ってくれる者には相応の忠誠を誓ってしまうのが、私の悪癖です。我がことながら困ったものですな」

 苦笑して弱弱しく首を振るヘリオン。

「さて、そろそろ休憩も終わりとしましょう」

 椅子から腰を上げて、部下を呼びに立ち上がる。その拍子に、便箋が手元から零れ落ちた。気づかず立ち去ろうとするヘリオンに、シュセは便箋を拾いながら声をかけた。

「落ちましたよ」

 ふと、便箋に視線を落とせばレイング家の文字が目に入る。

「ありがとうございます」

 受け取ったヘリオンは懐に便箋をしまうと部下を呼びに部屋を立ち去った。



 ロクサーヌの中央広場。北に向かえば閑静な貴族街、南に向かえば喧騒の平民街。その二つに挟まれた中央広場は平民と下級の貴族達の憩いの場となっていた。温暖なロクサーヌの四季を反映して、常緑の木々が彩りを添える。石畳の整備された広場の中央には、飛沫を吹き上げる噴水が陽光を浴びて虹色に光り、子供のはしゃぐ声が夏に向かう陽気を盛り上げていた。

「くそ……やってられるか!」

 絵に描いたような不機嫌さで、噴水の縁を蹴り付ける少女がいた。派手な色の服を着崩し、伸びた髪は無造作に束ねてある。

「また今日も荒れてるのかよ」

 その少女を取り巻くように、同じような派手な色の服を着ている少年少女が数人。時折跳ねる水飛沫を楽しみながら、たむろしていた。

「そう気にするなよ、アンネリー。親なんてのは、家を残すことにしか興味がねえのさ」

「後は大貴族のご機嫌取り!」

 嘲笑に沸く少年少女とは裏腹に、最初に噴水の縁を蹴付けた少女──アンネリーは眉間にしわを寄せ、黙りこくったままだった。

「それより、今日はどうするよ。また平民区の方で遊ぶか?」

「裏道を馬でかっ飛ばすなんてどうだ?」

「いや、それよりも貴族区の方をからかいにいかねえか? 前にラストゥーヌの屋敷に腐った卵投げた時なんか胸がスカッとしたしよ」

「もうちょっと、お金になるようなことしようよー」

 わいわいと盛り上がる彼らは、下級貴族の子弟達だった。好奇心旺盛で考えが浅く品行が悪い。概して大人の設けた規範からは著しく遠い。いわゆる不良たちだった。

 周りの雑談に入らず、むっつりと黙り込むアンネリー。その不穏な気配に気づいたのか、取り巻きの一人が声をかけた。

「そういえば、アンネリーの叔父さん牢から出たんだってな。親父が言ってたぜ」

 アンネリーの不穏な空気を和らげようとした少年の言葉は、彼女の鋭い三白眼に睨み付けられた。

「その事で父さんと喧嘩したんだよ!」

 言うなり、また噴水の縁を蹴り付ける。

「アンネリーの叔父さんって少し前まですっごい出世してたじゃない? アンネリー叔父さんにべったりだったもんねぇ」

「それで? なんで親と喧嘩になるのさ」

「知らないよ! 叔父さんにお祝いを届けようって言ったら絶対ダメだって言うから喧嘩になったんだ」

「ああ、愛しのヘリオン叔父様! どうしてあなたに会えないの!」

 アンネリーの取り巻きの少女の一人が、噴水の縁に上ると泣き真似をしながら体をくねらせる。

 途端に起こる笑い声。アンネリーは一層不機嫌そうに眉をひそめた。

「あーおもしれえ。それでそのアンネリーの思い人は今どこに仕えてんだよ」

 下品な笑いを収めた少年がアンネリーに尋ねる。

「スカルディア家だってさ」

 面白くもなさそうに言ったアンネリーの一言に、先程までの彼らの笑い声が一斉に消える。

「スカルディアって……そりゃやばいだろ」

「何が?」

 平然と返すアンネリーに取り巻き達は顔を見合わせた。

「何がって……あそこお家騒動の真っ最中じゃないか。知らないのか?」

「だから?」

「お前んちヘルシオ家の派閥だろ? スカルディア家とヘルシオ家って前の当主が死んでから犬猿の仲って有名になってるぜ」

「私も聞いたことある。スカルディアのカル様が婚約者のルク様を殺されたのを恨みに思って、戦場で一突き! やっちゃたんでしょ?」

 ぐさり、と槍を突き刺す動作をする真似をする少女。その演技に、周囲の少年からは、おお~、と感嘆の声が漏れる。

「父親の野望の為に、引き裂かれた恋人同士! その敵を討つためにじっと耐え忍んでたって言うんだから泣かせるね。しかも! 驚く無かれスカルディアの当主と言えばロクサーヌ一の絶世の美男子! ま、そこらへんがアンタ達と違う所だね」

 舞台に立つ役者のように、くるくると回り観客の少年達に軽く微笑む少女。野次を飛ばす少年達を横目にスッと、アンネリーのそばに降り立つ。

「ね、アンネリー! おじさんのところ行こうよ! 私がカル様をお慰めしたら、玉の輿も夢じゃないかも! きゃー!」

 想像力豊かな少女に、辟易しながらアンネリーは眉間に皺を寄せる。

「それ全部噂でしょ? 実際には敵将に討たれそうになった父親を助けなかったってだけじゃないの?」

 少女とは対照的に、冷たい反応を返すアンネリー。

「もう~噂なんてのは、面白ければ面白いほど良いのに! それじゃ現実的過ぎるじゃない!」

「そうそう、大体スカルディア負けそうだって皆言ってるぜ」

 横合いから口を挟んだ少年にアンネリーは顔を向ける。

「ヘリオン叔父さんが負けるわけないだろ!」

 ギロリと睨み付けるアンネリーに、少年はたじろぎながら言い訳をする。

「俺が言ったんじゃねえよ。親父達さ、なんでも十貴族のラストゥーヌ家と、ケミリオ家がヘルシオ家のウェンディ様に肩入れしてるって話だしよぉ」

 逃げるようなその口調に、鋭い舌打ちを返すとアンネリーは彼らに背を向けた。

「おい、アンネリーどうしたよ!?」

 背後から聞こえる声に。

「帰る!」

 苛立ちをぶつけて、アンネリーは貴族区に向かって歩き出した。

 不愉快な気分は癒える所かいっそう膨らみ、目つきが凶悪になっていく。

 アンネリーは父と母が嫌いだった。まじめだが、風采の上がらぬ父。その父親に従うことが正しいことだと疑いもしない母。そんな中、叔父のヘリオンだけが異質な存在として見えていた。

 父では一生掛かっても追いつけないほどの栄達を僅か数年で達成していた叔父。物静かな風貌に、アンネリーが尋ねた時だけは、優しく微笑む叔父の姿。

 許されないことだとは思うが、ヘリオンは幼い頃のアンネリーの初恋の相手だった。いや、恋と呼ぶには未熟すぎる。憧れの対象と言った方が良いかも知れない。

 ──スカルディア負けるって皆が言ってるぜ。

 その叔父が仕える負けるわけ無い。

 いつの間にか、家の前まで足が勝手に歩いてきてしまった。

「くそっ!」

 そんな自分が情けなくて、アンネリーは再び家に背を向ける。

 何もかもが気に入らない。イライラとした気分を抱えたまま、彼女は広場を回りこむようにして、平民区の裏道を突っ切っていた。


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