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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
41/103

謀略の使徒4

 ロクサーヌ郊外に広がるスカルディア領の整理、不正代官の摘発などカルには片付けなければいけない書類が山のようにあった。一日の大半はこの手の業務に費やされ、それが終わってからは体の鈍らない程度に槍を扱う。

 新米の当主は仕事が多いのが当然だが、カルの場合はそれがさらに酷かった。元々ヘェルキオスが死ぬまではスカルディア領の管理は推官(すいかん)と呼ばれた官僚によって行われていた。

 彼らは、ヘェルキオスのヘルシオ家から選ばれてその役職に就いていたのだ。元々カルに不信感を抱いていたヘェルキオスはスカルディアの推官を一人も選ばなかった。それだけでなく、カルが推官を組織することさえも禁じていたのだ。

 ゆえに、普通の上級貴族の家には必ずいるはずの官僚集団をカルは持っていないことになる。小さな領地しか持たない下級貴族ならまだしも、上級貴族であるスカルディアの領地はあまりに広かった。

 自然カルの仕事量は膨大なものとなる。

 十貴族や、ウェンディを相手に戦うには分が悪すぎた。




 薄暗い牢屋、響く足音が自分の鉄格子の前で止まったのを認めると、男は眉をひそめた。

「客の多いことだ」

 きっとあのスカルディアの当主のせいだと考え、誰にも聞こえないように一人ごちして、寝たふりを決め込む。

「おい、ヘリオン! 起きねえか!」

 いつものように怒鳴る牢番の声に辟易しつつ、振り返る。

「貴様が、ヘリオンか」

 若い貴族と、中年の貴族の二人連れ。

「いかにも」

 ヘリオンは不機嫌な声を隠そうともしない。

「こちらにおわすは、ラストゥーヌ家のバトゥ様と──」

 中年の貴族が鼻を鳴らす。

「ケミリオ家のティザル様だ。知ってるだろう? ロクサーヌを治める十貴族様だ。てめえなんかとは違う本物の貴族様よ。さあ、挨拶しねえか!」

 若い貴族は鼻にハンカチを当てたまま、不躾な視線だけをよこす。

「何用で?」

 端的な問いにバトゥの目尻は釣り上がり、ティザルは汚物を見るような嫌悪感をむき出しにした視線を向けてくる。

「あの小僧……カル・スカルディアとは何を話した!? 言わねばただでは済まさぬぞ!」

 怒りに顔を歪めたまま、バトゥは怒鳴り散らす。

「特に何も」

「牢番っ!」

 いっそ冷淡ともいえるヘリオンの言葉が、バトゥの怒りに火を注ぐ。バトゥの荒げた声に牢番の背中に電気が走る。

「は、はいっ!」

「この罪人に、俺自ら処罰を下すっ! 鞭を持てい!」

 ちらりとヘリオンを見、それからティザルに視線を向けると、牢番は拷問道具をとりに走り出す。

「全くいかに会議の結果とはいえ、なぜこんな臭い場所に来なくてはならぬのだ、忌々しい!」

 地団駄を踏むバトゥを横目に、ティザルは隠した口元に歪めた笑みを浮かべる。

「素直に話した方が良いと思うが?」

 忠告の言葉には嘲笑の色がある。明らかに面白がっているティザルに、ヘリオンは口元を歪めただけの嘲笑を返した。

「きさま……」

 途端にティザルの声音が変わる。嘲笑から一転して、怒りに染まるティザルの表情。

「牢番め、何をしておるか!」

 がつん、と鉄格子を蹴り付けながらバトゥは犬のように吠えた。

「バトゥ様! ティザル様!」

「おお、やっときたか」

 目の前の獲物を嬲る(なぶる)愉しみに、牢番の声が上ずっていることにも気づかないバトゥ。対してティザルはそれでもまだ冷静だった。

「なんだか様子がおかしくはありませんか?」

 怪訝な視線を向けながら、走りよってくる牢番を伺う。

「ス、スカルディアの当主さまが!」

「なにっ!?」

 目をむいたのバトゥ、かろうじて取り乱した様子を押さえ込むティザル。互いに目配せして頷くと、二人は牢番に言い渡す。

「ここで出会うのはいかにもまずい。我らはこれで退散する。後は貴様がなんとかしろ」

「へ? へえ!」

 頭を低く下げる牢番を尻目に、バトゥとティザルは入ってきたのとは反対側の出口へ向かって走っていく。足音が聞こえなくなるまで頭を下げ続けていた牢番の背に、今度は別の靴音が響いてくる。

「おいでなすった。ヘリオン、てめえも余計なことは言うんじゃねえぜ!」

 肩をすくめるヘリオンを一瞥して、牢番はカルの出迎えのために駆け出した。

「これはこれは、スカルディア家のカル様、このような所によくおいでくださいました」

 必要以上に丁寧な言葉使い、だがその言葉に含まれる感情が昨日とは異なっていることに、カルは気がついた。

「誰か、来ていたのか?」

「え、いえいえ滅相もありません」

 カルは目を細めて、脂汗を流す牢番の表情を見守る。獄に繋がれた者の家族だろうと、見当を付けてそれ以上の追求はしなかった。

「ヘリオンに用がある。通るぞ」

 牢番の返事も聞かずに、かがり火の照らす牢の中を歩を進めていく。

「あ、お待ちを!」

 追いすがるようについてくる牢番をつれて、カルは再びヘリオンと面会をした。

「外せ」

「しかし……」

 食い下がろうとする牢番はカルの氷点下の視線に耐えかね、牢番はすごすごと席を外す。

「ふむ……複雑なものだ」

 鉄格子越しにカルを見上げるとヘリオンは一人嘆息した。

「何がだ」

「お前のせいで十貴族の馬鹿どもに絡まれたが、あいつらを見た後でお前を見れば、お前のほうが上等に見えてしまう。全く困ったものだよ」

 苦笑いを浮かべるヘリオンに、だがカルは眉根を寄せただけだった。

「私の動きは監視されている、ということか」

「当然だろう、お前だってしているはずだ」

「それはそうだが……」

「相手には自分ほどに優秀なものは居ない、とでも思っていたか?」

 からかいの言葉に、ぐっと奥歯をかみ締めてカルは耐える。

「ああ……自惚れていた」

「ほぅ、他人の意見を聞くか。昨日の今日でどうした心境の変化だ?」

 意地の悪い笑みを浮かべるヘリオンに、カルは鋭い視線だけを向ける。

「今日は、お前……いや、ヘリオン・レイング殿に頼みがあってきた」

 汚い廊下に片膝を折り、頭を下げる。

「私は未だ若く、未熟なところも多々ある。だが必ずこの地に未だ誰も見たことの無い巨大な国を築く。その為に力を貸してほしい」 カルとヘリオンの間に降りる沈黙。その間カルは頭を下げたまま、ヘリオンはカルをじっと見つめていた。

「誰の入れ知恵だ? お前がそんな殊勝な人間でないのはわかってるつもりだが」

 カッと胸のうちから湧き上がる怒りを押し殺し、震えそうになる手を硬く握り締める。

「是非にお願いする」

 てこでも動かない様子を見せるカルに、ヘリオンはため息をついて問いかけた。

「別に断ってるわけではない。私はただ、誰の入れ知恵をお前が素直に聞き入れたのか聞きたかっただけだ」

「……護衛の騎士」

「噂に聞く、白き戦乙女か」

 カルの沈黙を答えとみなして、ヘリオンはため息をついた。

「そういう人間は大切にしなければいけないな」

 ヘリオン自身にも思うところがあるらしく、その声音は沈んでいた。

「なぜ私を召抱えたいと思ったのだ?」

「我がスカルディアには、推官が居ない。推官は他家からもらうわけにもいかず、もしもらえたとしても、今の私の状況を鑑みれば他家から貰い受けるのは危険に過ぎる」

「当然だな、自分の家の管理を任せてる奴を他所になどやれるわけがない……そこで牢に繋がれている私というわけか」

「そうだ」

 再度ため息をついて、ヘリオンはカルを見た。

「その騎士によく感謝しておけよ」

「では……」

「手続きは任せる、ここから出た後は主従ということになるな」

 スッと立ち上がるカルに背を向けて、ヘリオンは藁を敷いただけの寝台に寝転んだ。




 煌々と部屋を照らすのは、ランプの光。ロクサーヌではまだ珍しい灯油を使っていた。外では既に夜の帳が降りている。窓から漏れる光につられた虫達が、窓ガラスにぶつかり僅かな音をたてていた。

「ヘリオン・レイングか、確かに優秀な推官じゃったが、どうにも肝が座り過ぎていてな」

 しわくちゃな顔をにんまりと笑いの形にして、古い記憶を引き出すように、オウカ翁は首を傾げた。

「その者を家臣に引き入れようとしているのだな?」

 年配の貴族の質問にバドゥが意気込んで立ち上がる。

「そのようなのです、ヘリオンという男聞けば優秀な推官だったとのこと急いで始末しなければ、小僧が力をつけるやもしれません」

 まくしたてるバドゥとは対照的に、ティザルは沈黙を守ったままだった。

「ティザル殿のご意見は?」

 年配の男が話を向けると、ティザルはゆっくりと立ち上がり口を開いた。

「まず、排除するならレイング家からでありましょう。当主ではないとはいえ、あの男も誇りある貴族の端くれ。悲嘆にくれた後に、虫けらのごとく殺してこそ我らの力を示せるというもの」

 しゃべるうち、熱に浮かされたように興奮しだすティザル。顔は紅潮し、身を乗り出してしゃべり続ける。いかに自分達上級貴族が誇り高く、いかにそれ以外が堕落しているか、その話を滔々と説き続ける。

 十貴族達には幼い頃より聞き慣れた話だったが、それゆえを受け入れてしまう。

 身分高きゆえに貴族。生まれが全てを決める。

 そのうち、ティザルの熱が伝わったのかレイング家を排し、ヘリオンを殺すべきとの声が高くなっていった。

「さあ、オウカ翁評決を採りましょう!」

 その声が高くなったのを確認し、ティザルはオウカに詰め寄る。

「ホッホッホ、若いものは元気があって良いことじゃ」

 しわくちゃな顔を歪めて笑うオウカ。

「では、お許しくださいますか!?」

 更に詰め寄るティザルに、オウカは笑みを湛えたまま首を振る。

「面白い意見ではある……故に半分だけじゃな」

 ティザルと共にオウカに詰め寄っていた者達が、互いに顔を見合わせる。

「ヘリオンと言う男の弱みを探り出し、我らの為に働いてもらおうではないか」

「間者、ですか」

 年配の男の呟きに、どよめきが貴族達に広がる。

「その方が、より強く屈辱を感じるじゃろうて」

 朗らかに笑うオウカに気付かれないようティザルは歯噛みした。




「流石に、一筋縄ではいかないわね」

 ティザルにふくらはぎを舐め上げられる感触にぞくり、と身を震わせながらウェンディは妖艶に微笑んだ。ティザルをけしかけ評議会の主導権を取ろうとしたのだが、オウカ翁はやはり厄介だった。

「まぁ、いいわ。新しい人も来たしね」

 隣の部屋から聞こえるのは、泣き喚く少女の声と獣のような男のうなり声。

「あの場所バトゥとか言う男もすぐに堕ちる」

 妖しく笑うウェンディが見下ろすのは、はしたなく涎を垂れ流しながら彼女の足を舐める奴隷の姿だった。



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