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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
40/103

謀略の使徒3

 薄暗い地下道に、篝火が影を作る。

 その密閉された強烈な臭気にカルは顔をしかめた。

「臭うな」

 その言葉に案内をしていた牢番があせった声を出す。

「も、申し訳もございません……なにせ貴族の方々が訪れるような場所ではないため」

「いや、良い」

 どこまで続きそうな言い訳をその一言で断ち切ってカルは黙々と歩を進める。

「こちらでございます」

 背の低い牢番に案内されてきたのは、終獄の刑に処せられた者が入れられる区画。鉄格子越しに、ひょろりとした男がカルから背を向けて正座をしていた。

「おい、ヘリオン! 貴様に面会だ、粗相の無いようにな!」

 牢番はヘリオンを怒鳴りつけると、カルに振り向き愛想笑いを振りまく。

「どうぞ、ごゆるりと」

 そのあからさまな態度の違いに眉根を潜めながら、カルはヘリオンと呼ばれた男に視線を向ける。

「お前がヘリオンか?」

 ゆっくりと振りむく男の、瞳は刃を思わせる銀の色。長い獄中での生活に、体中の肉が削げ落ちているにもかかわらず、吊り上がった切れ長の瞳だけは爛々と輝く。

「そういうお前は、スカルディアの新しい当主か」

 言い当てられたカルは目を見開く。その様子をヘリオンは僅かに口元を歪めただけで笑った。

「不思議がることは無い。牢の中と言えども耳があれば噂話ぐらいは聞こえる」

 静かな声音、獄中の空気とはかけ離れた整然とした物言いにカルはヘリオンという男の認識を改めた。

「有能な官吏だったそうだな」

 シュセに命じて揃えたヘリオンの履歴。ヘェルキオスに牢に入れられるまでは、官吏の中でも異例に若い出世を遂げていた。下級貴族であるレイング家では家門の力で出世するわけにはいかない。家の力ではないとすれば、この目の前の男が優秀であることの証明と言えた。

「昔のことだ」

 さしてそのことに拘る風も見せず、ヘリオンは言葉を切る。

「単刀直入に言おう」

 威儀を正し、カルはヘリオンに向き直る。

「牢から出たいか?」

 終獄の刑に処せられた者には、あまりに魅力的なその提案を。

「いや」

 だが牢の中の男は拒絶した。

「なに?」

「牢から出た所で、お前に使われるのだろう? どこから私のことを聞き込んで来たのかは知らないが沈む船に便乗するつもりは無いのでね」

「なにっ」

 受け入れられて当然と思っていた提案を拒否されカルに、僅かに声を漏らした。

 ヘリオンの侮蔑も露な言葉に、カルは胸の内に燃える炎を何とか抑え込む。今までこうもあからさまに侮蔑の言葉を投げられたのはヘェルキオスだけだった。

「なぜ私が、負けると分かる」

 怒りを押し殺した声は低く牢の薄い闇を震わせた。カルの内心を知ってか知らずか、ヘリオンはその問いを鼻で笑う。

「分からないか、それも仕方あるまい。お前は早晩殺される。いや、殺されはしなくても、奴隷の身分に落ちるだろう……十貴族とお前の義理の母によってな」

 ぎりっと奥歯をかみ締めていたカルが吼える。

「その程度のこと、私がわからないと思っているのか!」

 だが牢の中の囚人から返って来たのは笑いを押し殺した声。

「では聞くが、どうやってお前はその闘争に勝ち残るつもりだ? 兵を使えば戦の後間もないロクサーヌは自由都市郡に干渉を受ける。よしんば自由都市郡からの干渉を防げたとして、東のガドリア、西のヴェルガンディは王都の味方ではないぞ」

「……くっ、自由都市郡には既に手を打っている。東のガドリアと西のヴェルガンディにも手は打つつもりだ」

 ふん、と鼻を鳴らしたヘリオンは口元を歪めただけの微笑を返す。

「なら、私は必要あるまい。お前の手は足りている、話がそれだけなら早々にお引取り願おうか」

 くるりと、カルに背を向ける。

 その背を睨みながら、無言でカルはきびすを返す。

 カルの荒い足音が牢屋の向こうに消えてから、ヘリオンは誰にも聞こえないように一言呟いた。

「スカルディアの新しい当主、か」



「ふぅ~ん……あの坊やがヘェルキオス様を、ね」

 暗い部屋いに満ちるのは、魔性の香と淫靡(いんび)な水音。

「は、はい……戦場より帰還した貴族から、の報告によれば」

 足元に跪き、愛撫を待つ(しもべ)に向かって、ウェンディは続きを促すように顎をしゃくる。

「なるほどなるほど、意図的に情報を隠しているのは、(わらわ)が勝ちすぎるのを防ぐ為……違うかしら」

「はい……仰るとおり、でございます」

 日頃の横柄な態度の反動のように、必要以上に卑屈に振舞うティザル。ウェンディの白いふくらはぎに頬を擦り付けながら、微笑むウェンディを見上げる。

「悪いけど、ご老人の思惑に乗るつもりはないわ……それに父親殺しなんて、そんな面白そうなこと黙っていられそうにないし」

 扇で口元を隠すウェンディに、ティザルは濁った瞳を向ける。

「ウェンディ様……」

 上ずった声をあげるティザル。

「そうね、そろそろ踏んであげる」

 にんまりと笑うウェンディに、ティザルの興奮の声が重なった。


 翌日から、ロクサーヌの貴族の間にはカルがヘェルキオスを殺したのだという噂が広まった。もちろん噂を広めたのはウェンディである。家人達を使い、出入りの業者にそれとなくこんな噂がある、という風に囁いたのだ。

 人は噂好きである。とかく自分達にはあまりかかわりの無い身分の高い者の話は好物と言っても良い。

 それを聞いて苦い顔をしたのは十貴族達もカルも同じだった。街を取り仕切るものとしては、不用意な噂で折角カルからヘルシオ家とツラド家、あわよくばスカルディア家を奪い取る機会を逸してしまうのを恐れた。

 カルの方は、ヘェルキオスを殺したのは事実だったが出来ればばれずに済ませたいことだった。カル自身後悔はしていない。だが外聞が良いこととは言えないからだ。下手をすればスカルディアの家督を奪われそれを防ぐ為に兵を起こさざるを得なくなる。いくらスカルディアの私兵が精強を誇ると言っても、それを行えばロクサーヌを戦火で燃やすことになろう。

 ルクを失ったあの日のように。


 硬質な扉を叩く音。

「入れ」

 開いた扉から入ってきたのは、例の少年の格好をしたシュセだった。

「失礼します」

 軽く頭を下げたシュセにカルは頷きだけで答える。

「やはり噂の出所はウェンディ様のようです」

 スカルディアの私兵では目立ちすぎるため、以前助けた他家の兵士を使ってカルは噂の出所を探った。

「それと、ウェンディ様の邸宅に最近頻繁にケリミオ家のティザル様が出入りされている様子。恐らく、ウェンディ様に良からぬ事を吹き込んだのは彼ではないかと」

「十貴族か」

 シュセの報告に、呟いたカルの声は苦い。

 脳裏によぎるのはヘリオンの言葉。

「くそ」

 小さく舌打ちしたカルにシュセが目を見開く。

「何かお心に障ることでも?」

 カルが彼女の前で露骨に悪態をつくのは珍しい。余裕があるときなら、皮肉を言うこともあるが直情を露わにすることはなかった。それだけ余裕がないのだろう。

「いや……」

 シュセにその感情を見せたことを恥じるように顔を背けた。

「カル様、お命じくだされば兵を率いて十貴族諸共、ウェンディ様を葬ることは可能ですが」

 彼らが兵を起こす間もなく全員を捕らえられれば、あるいは自由都市群の干渉を受けないのではないだろうか、と悪魔の誘惑にも似た考えが浮かんでは消える。

「いずれは彼らを葬り去るつもりだが、なるべくなら兵は使いたくない」

「そう、ですか……」

 俯く彼女を励ますようにカルは彼女に声を掛けた。

「白き戦乙女の出番はまだ先になるな、今のうちに怪我を治しておいてくれ」

「御意」

 くすり、と笑いシュセは頭を垂れる。

「そういえば」

 下げた頭を上げて、シュセは問いかけた。

「ヘリオン殿はいかがでした?」

 その質問に露骨に眉をひそめてカルはそっぽを向く。

「バカにされただけだったよ」

 子供っぽいその仕草にシュセは、噴きだす。

「それはようございました」

「なにがだ!?」

 自分の口からでた語調の強さにカル自身がハッとなる。

「カル様、あなた様は確かに同年代の貴族達とは、比べられないほど優れておいでです」

 シュセは優しい笑みを浮かべながら、カルに話しかける。

「わたくし自身、誇りに思います。ですが、全てにおいて他人より優れる必要は必ずしもないのではありませんか?」

「それは……」

「カル様が何をなされようと、わたくしがお守りします。至高の座までの道は、必ずわたくしが……ですから自信をお持ちください」

 慈母のように優しく諭すシュセの言葉に、カルは一度俯いて腕を組んだ。

「ヘリオンに頭を下げよ、と言うのか」

「優れた者に頭を垂れるのは恥ではありませんよ、ましてやカル様自身が認めたものならば、なおさらです」

 すぅっと息を吸い込むと、カルは大きく息を吐いた。

「……わかった」

「はい、ではわたくしはこれで」

 退出するシュセの背中に、カルは言葉をかけようとして思いとどまった。

 彼女の気配が部屋の外から消えると、ため息をついて窓の外を眺める。

「教え諭されているようでは、また振られてしまいそうだな……」

 窓の外に広がる夜の闇に向かって皮肉を言った後、カルは再び書類に向き合った。

 先の戦から、胸のうちで彼女の占める割合がいや増している。その感情を恋と呼ぶのか、家族に感じる愛情なのかカルには判断がつきかねた。

 だが、どちらにしてもシュセがカルにとって大切なのだということに変わりはない。

「ルク……」

 かつての最愛の人。彼女が残した心の傷跡に、ゆっくりとだがシュセを思う気持ちが入り込んでくる。それが許されざることのような気がしてカルは仕事に没頭した。





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