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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦524年 覇を統べる王2章
4/103

器に絡む蔦

悲劇から数年後……


 大人がゆうに五人は縦に並ばねば届かぬ天井、それを支える巨大な円柱が館の主が鎮座する椅子に向かって整然と左右に並ぶ。沁み一つない赤い絨毯が敷き詰められた床、主の側に並ぶは鉄靴の先まで完璧に磨き上げられた屈強な私兵達。その眼光に油断の色は無く、主と対面する者を無遠慮に睨みつける。

 主の名をヘェルキオスと言う。広大な館は彼の威勢を物語る。街では一応十人の貴族の合議制を採っているが、内実ヘェルキオスともう一人、ツラド家の当主が実権を握っている。

 その彼に来訪者があった。


「御機嫌麗しゅうなによりです父上」


 肩にかかるほど伸ばした金色の髪を一つに束ね、目鼻立ちは恐ろしい程に整っている。彼が一声かけて微笑んだなら年頃の花々は彼に全てを捧げてしまうような、妖艶な雰囲気を持つ少年だった。歳相応の声から紡がれるのは、ヘェルキオスが苛立つ程の落ち着きよう。私兵達の視線をせせら笑うように優雅に一礼して膝を付き、ヘェルキオスを見上げる。湖水色の凍りついたような視線がヘェルキオスの姿を映す。

 全体に豪華な刺繍を施した椅子に居座るのは、巨躯の男だった。顔半分を覆う顎髭、落ちくぼんだ眼窩は猜疑心の塊のように、細く視線は実の息子を見るようなものではない。肥えた体は窮屈そうに椅子の骨格を圧迫する。


「久しいな、カル。いくつになった?」


「16になりました」


 視線をヘェルキオスから外し、穏やかにカルは口にする。カルとヘェルキオスはかれこれ一年近く会っていない。ヘェルキオス自身が避けていたからだ。


「そうか、今日呼んだのは他でもない」


 ヘェルキオスの低音の声がカルにかかる。


「近頃お前は私兵を養っていると聞いたが、まことか?」


「はい」


 俯いたまま、カルは答える。


「その数は300を数えると聞いたが、些か集め過ぎであろう、まるで軍ではないか。即刻解散させよ、お前にはまだ早い」


 カルはゆっくりと伏せていた視線を上げた。


「お言葉ですが、父上。私兵を養うは成人した貴族の嗜み、それに加え私は先年母を賊の襲撃により失っております。もしあのとき300の私兵が側に居たならば、母は未だ父上の傍らで微笑んでいらっしゃったでしょう。300ですら少ないと感じております」


 カルの言葉に、ヘェルキオスは唸った。


「貴族の成人は17からであろう、それに以前より治安は安定しておる。やはり300は多すぎる」


 眉間に皺を寄せ、ヘェルキオスは語気を強めた。


「父上、成人ともなれば私は戦に赴くことになりましょう。その家名を賭けた戦場に昨日今日雇った者共を連れて行くなど、私はそこまで無謀ではありません。私兵は日頃から目をかけ、手懐けておかねば役には立ちません」


 ですが、と言い置いてカルは再び口を開いた。


「父上のご威光を持ちまして、確かに治安は安定しております、私兵を解散とは参りませんが数は100程度にまで減らしましょう」


 苦々しくカルを見るヘェルキオスに対して、カルは無表情に見上げた。


「ご用件がお済みでしたら、私は失礼させて頂きます。雇った私兵の半数以上を解散させねばなりませんので」


 立ち上がって再び優雅に一礼するとカルは父に背を向けて歩き出した。その背が細部まで彫刻を施した豪華な扉の向こうに消えてから、ヘェルキオスは舌打ちする。




 父の居間から出て、待たせてあった馬車へと向かう。


「無駄に豪勢な館だ……」


 一人毒づいて、玄関まで歩を進めるとカルにとって見慣れた人影がある。


「お帰りなさいませ」


 まず目立つのはその髪の色だった。翡翠の色、町ではあまり見ない辺境の貴族達にまれに現れるという稀有な存在。そして少女から女へと成長する過程においての過渡期、その時期特有の美しさを持っている。意志の強そうな切れ長の瞳はそのままに、整って入るが少し低い鼻、愛らしい口元は固く引き結ばれている。

 だが何よりも彼女を特色付けているのは、その身に纏う純白の鎧だった。プレートは彼女の体に合わせて優美な線を描き、手首を守るガンレットから足を守る鉄靴のソールレットにいたるまで縁を銀色で補うほかは、白で統一されていた。腰に帯びるは銀細工も見事な細剣。


「ご苦労、シュセ」


 カルは彼女が開けた馬車の扉の中へ悠然と入り、続いて彼女も周囲を一瞥した後に入る。

 馬車の中は思ったよりも広い。


「お父上との久々のご対面はいかがでしたか?」


「ふん……あのようなもの、父ではない」


 穏やかに問いかけたシュセの言葉を、カルは一蹴する。シュセの表情が曇るのを見て取ったのか、カルが言い足した。


「息子の年すら覚えていないのだからな」


 小さくシュセの溜息が聞こえたカルは、顔を窓の外に向けたまま、視線だけをシュセに向ける。


「私に失望したか? そのようなことに拘る小さな器だと」


 自信に満ちた、拒否されることなど考えもしない傲慢な微笑。カルの妖艶に整った表情とあいまって、普通の少女なら頬を染めるところだ。


「まさか、わたくしはカル様にもまだ子供っぽさが残っていて、安心しております」


 くすりと上品に笑うシュセに、暗に子供だと言われて、カルは憮然として視線を外に戻す。

 太刀をとっても、勉強をさせてみても同輩に並ぶものは居なかった。恵まれた体格と、努力を惜しまぬ心の強さ、加えて天賦の才。並ぶべき者は居なかったのだ。


 ──ただ一人、決して自分の前に出ようとしない彼女を除いては。


 たった一度だけ、本気で立ち会った勝負では彼女に完膚なきまでに叩きのめされた。その後何度、立会いを望んでも彼女は応じなかった。


「カル様、この後はルク様のお屋敷に向かいますが、よろしいですか?」


「ああ……」


 気の無い返事を寄越すカルに、シュセは微笑んだ。


「早くご婚約が整うとよろしゅうございますね」


「うん」


 カルは思う。ルクのことは好きなのだ、母の死で取り乱す自分を曲りなりにも立ち直らせてくれたのは彼女の優しさだった。だが……。


「シュセ、お前は慕う男は居ないのか?」


 ふと、常に傍らにいるこの女性が気になった。自分と共に絶望を味わい、苦しみを味わい、そして力を手にしたその女性のことを。


「……今はこの仕事こそが私の恋人ですよ」


 一通り驚いた後、彼女が口に出した言葉にカルは寂しさを覚えた。


「なぁ、シュセ。もしルクとの婚約がなり、私が王になったら」


 カルはこちらを向いて彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「はい?」


「側室にならないか?」


 その答えにシュセは噴出した。カルはやさしい。だが、育ちのせいか少々人と違う考え方をしてしまうようだ。半ば彼は本気でそんなことを考えている。自分を心配していることが嬉しくもあり、可愛くもあった。


「わたくしを剣で倒せたら、考えましょう。弱い者に嫁ぐなどわたくしの騎士としての誇りが許しませんわ」


 カルは眉間に皺を寄せると、シュセに向けていた顔を再び窓の外に向ける。


「戦いたくとも、シュセが試合を受けないのでは、どうしようもないではないか」


「ふふ、ならば側室のお誘いはご遠慮いたします」


  卑怯な、といって拗ねるカルをシュセは愛しげに見つめていた。


「ああ、そうだ。それとな」


 今思い出したという風に、カルは再び向き直る。


「父から私兵の数を減らせといわれてな」


 シュセの中から固い鎧を着た武人の顔が現れる。


「いかほどまでに?」


「100だそうだ」


 悠然と言い放つカル。


「随分と寛容なご処置でしたね」


 50以下にまで、減らされることを覚悟していただけにその安堵は大きい。


「私としては、現状の半分程度は残したかったんだがな」


 ふん、と面白くなさそうにカルは鼻を鳴らした。


「母の話をしたからな、あの男も思うところがあったのだろうさ」


 母の話。その話をした時のカルはどんな気持ちだっただろう。やはりカルは強い、シュセは改めて自分の主を眩しいものでも見るように、目を細めてみた。





 カルが去った後間もなく、ヘェルキオスの元に一人の訪問客があった。


「オウカ翁が?」


 客の名前を聞いて、ヘェルキオスは落ち窪んだ眼窩を驚きに見開く。


「ご老体、わしに何か御用ですかな?」


 権威と権力を集めて、その傲慢さを隠さないヘェルキオスにしては、この老人への接し方は異常な程に丁寧であった。招き入れた部屋さえも、カルと会う時に使った上下関係を知らしめるよなものではなく、まるで自分の年長の親族を敬うように、お互いに広いテーブルを挟んで向かい合う。

 客の名はオウカ・ジェルノ。街を支配する貴族の家のひとつジェルノ家の当主だった。齢76を数え、過去に美しい金色だった髪は既に白くなっていた。皺くちゃな顔に温和な笑顔、小柄な体つき、一見して好々爺に見えるその老人の恐ろしさをヘェルキオスはよく知っているつもりだった。

 先々代、つまり彼の父の代からこの街に根を張る巨大な老木のような男だ。そしてこの男が動くと、なにかが起こるのだ。


「ひとつ、買って頂きたいものがございましてな」


 しわがれた声で老人は、ヘェルキオスと向き合った。


「……ほう?」


 ほんの一瞬だけ、戸惑ったような声を出すヘェルキオスにオウカは人の良い笑みを向けた。


「なに、我々は過去において良い商談相手だった。これからもそうありたいと願っているだけですよ」


 もって回った言い回しにヘェルキオスは、この”商談”が自分にとっても、オウカにとっても利益のあるものだと考えた。そしてそれ相応に危険なことも同時に見て取ることができていた。彼には、オウカの笑みがこれ以上無く残忍に見えていた。


「買いましょう。その品物とやらを」


 買うと決めたら、決して躊躇はしない。それがこの老人と商談をうまく運ぶコツだった。年老いて尚巧妙に造った笑顔の仮面の奥に、確かに燃える野心の火を見取ってヘェルキオスは即断した。





「カル、また服が汚れてしまうわ」


 よいしょっ、と言ってカルの隣に腰を下ろすのは可愛らしい少女だった。背中の辺りまである赤い髪が、吹き抜ける風に揺れる。被った帽子に手を当て、深い青をした瞳は悲しみと優しさを内包して寝転がるカルに向けられる。高く通った鼻筋に、少しだけ垂れている大きな目、口元は二つの閉じた小さな貝殻のように愛らしい。落ち着いた色の若草色のドレスを纏い、心地よく吹く風に揺れる草花を視界の隅に収めながら優しい口調でカルをたしなめる。


「カル、眠ってしまったの?」


 ルクの声に、カルは目を瞑ったまま答える。


「ああ、眠った。だからもう少しこのままにしておいてくれ」


 カルはルクの家の庭園が好きだった。花咲く庭園、かつて母の殺される前包んでくれていた幸せの残照が、まだここにはあったからだ。太陽の光が降り注ぐこの場所。目を閉じて瞼の裏からでも、その光を感じることができる。

 ふとその光が翳った。薄目を開けたカルの目に入ってきたのはすぐ側にまで近寄っていたルクの可愛らしい顔だった。一瞬たじろぐ彼を、ルクが笑って見下ろす。


「カル、嫌なことあったでしょ?」


「……ない」


「ふふふ、判り易いわね」


 ルクはそっとカルの頭の下に両手を当てて、自らの膝の上に導く。


「嫌なことがあったときには、いつも庭園で寝転がるんだもの」


 微笑と共に彼女の手が優しく包むように、カルの頬を撫でる。


「カル知ってる? 社交界では貴方有名人なのよ」


「どうせろくでもないことで有名なんだろう?」


 瞑った目はそのままに、薄っすらと微笑する。


「本当、ろくでもないわ。スカルディアの貴公子、その妖艶なる瞳は年頃の花々を魅了し、その蜜を吸い取ってしまうんですって、ですから社交界には滅多に出てこない」


 クスクスと楽しそうに笑うルクに、カルも苦笑する。


「勇壮なその心は千里を駆け、その瞳は深遠なる智謀の色をたたえる。剣を取れば敵う者なく、美しきそのご尊顔は社交界の花々を魅了する」


「参ったな、そんな奴がいたら是非お目にかかりたい」


 目を開けて笑うカル。


「本当、わたしの目の前にいるのは昔から変わらない甘えん坊のカルなのにね」


「甘えん坊はないだろう。私のほうが年上なのだから、私は今年で15ルクは今年で14のはずだ」


 見詰め合ったまま、二人は語り合う。


「あら、わたしの膝の上で気持ち良さそうに寝転んでいるのは、一体どこのどなたさまでしたかしら?」

「きっとその噂のろくでもない貴公子様だろう」


 どちらとも無く笑いあう。


「あら、カルお迎えの方が来たみたいよ」


 カルが視線を巡らせれば白銀の鎧姿のシュセが、ルクに深々と礼をしている。


「凛々しくて綺麗な方ね、浮気しないでよ?」


 悪戯っぽく微笑むルク。カルは立ち上がりながら、体についた汚れを払う。


「残念ながら、振られたよ」


「あら、ろくでもない貴公子さんにも靡かせられない人がいるのね」


「そのろくでもない貴公子だから、靡かないんじゃないかな」


 立ち上がったカルとルクの視線が絡み合う。


「カル……約束してくれる? 私を一人にしないって」


 今までの笑顔が嘘の様に、俯いてしまうルク。


「あと一年すれば正式にルクを妻に迎えられる。そうしたら一緒に住もう。この屋敷で……私がルクを幸せにしてみせる」


 どちらともなく体を寄せ合い、口付けを交わす。


「約束だ」


「うん」


 そういって微笑み、分かれる二人を、一人の騎士と庭園の花々が無言で見詰めていた。





 街で政変が起こったのは、その翌日の夜のことだった。それはあまりにも急激に、あまりにも隠密に進められた闘争。

 すなわち、街の権力を二分していたスカルディア家とツラド家の闘争、いや闘争と呼ぶにはツラド家の抵抗はあまりに微弱だった。完全な不意打ちだといって良い、結果は目に見えている。スカルディアが勝ち、ツラドは滅亡に追い込まれた。

 カルが事態を知って、着の身着のままルクの屋敷へ向かった時その屋敷は既に、紅蓮の炎が支配する場所と成り果てていた。

 屋敷の主は行方知れず。だがこの炎では……。


「なぜだ。……なぜ、私の大切なものばかりを!」


 壊れないように、優しく手にしたものばかりが、指の間をすり抜けて零れ落ちていく。火炎が踊る、花咲く庭園を睨みながら、カルは毒を吐き出すように呟いた。

 刻まれた右腕の力が疼く。


「シュセ、屋敷に戻るぞ」


 わずかばかり、付いてきた供を引きつただけで屋敷を出てきた彼は、ルクの屋敷が炎で崩れ落ちる音を背中で聞いた。溢れる感情を押し殺した声。わずかに震えたその語尾を追って、シュセはカルに従った。

 馬にまたがり全速力で屋敷へ戻る。


 ──あの男を殺そう。最早、父とは思うまい。


 屋敷へ戻ったカルは、真っ先に屋敷の中にある武器庫へ走った。武器庫の番人を怒鳴りつけ、自分用の槍を掴み取る。荒々しく自分の部屋へ戻り、服を着替えていた所へシュセが顔色を変えて入ってくる。


「槍など出して、戦にでも向かわれるおつもりか!?」


「あの男を殺す! 兵を集めろ」


 他には何も考えられなかった。


「できません」


「……なに?」


「できないと、申し上げたのです」


 怒りに歪むカルの顔と、いつもより幾分強張ってはいるが冷静なシュセ。


「シュセ、主の命が聞けないのか!」


「今の貴方は怒りに狂っておられる。みすみす死にに行く主を止めるのは臣下の勤めと心得ます」

 身に着けようとしていた上着を投げ捨てて、カルが槍を振るう。風を切る音が夜の部屋に響く。主の部屋だけあって天井は高く、部屋は広い。余計な調度品も、ほとんどない。室内での戦いといえど、槍が不利になる要素は微塵も無い。

 対するシュセは腰に帯びた細剣をすらりと抜く。胸の前で騎士の礼を取り、カルと相対する。


「もう一度言うぞ、シュセ。兵を集めろ、ヘェルキオスの首を獲る!」


 槍を右の脇に抱え、低く怒りに満ちた声で、婚約者を失った男は告げた。


「できません」


 礼をとっていた姿勢から、細剣を真横に振りぬき、忠実なる騎士は答えた。

 そこから先、言葉は無かった。豪風を上げて、右から左へなぎ払われる槍が、シュセに襲い掛かる。まともに受ければ、シュセの体重など軽く吹き飛ばすほどの一撃を、シュセは紙一重ですり抜けカルに迫る。

 鎧を着けているとはとても思えぬ俊敏な動き、だがすり抜けた側から再びカルの振るう槍が戻ってくる。槍の重さをまったく感じさせぬ、恐ろしいほどの槍捌き。先ほどは紙一重で交わせた一撃が、今度はシュセの体を吹き飛ばす。だが、それでもシュセの体勢を崩すまでには至らない、鉄靴と、床が擦りあい跡ができる。


「どけ、シュセ。これ以上邪魔をするなら、貴様も殺すぞ」


「くどい!」


 細剣でその提案を斬るように、二度縦横に振る。

 カルの腕に刻まれた剥き出しの印が、黒く光る。母を殺され、絶望の中で気づけばいつの間にか右腕に刻まれていた印。かつて邪悪なる神の僕達がつけていたと言われる印だ。

 印から黒い雷がほとばしり、指先を通じて右手に抱えた槍を包む。黒き雷に包まれたその槍は、獲物を貫く為に空を翔る。


「三叉の黒槍トリシュラですか……」


 シュセはそれを見てあわてる様子も無く、細剣を真っ直ぐ飛翔する三叉の黒槍に向けた。シュセの右腕にも、印がある。発症したのは、カルと同時期、なぜかはわからない。だがシュセには理由などどうでも良かった、力がほしいという願いがかなったのだから。

 細剣の先がチラリと光ったと思った瞬間、トリシュラは何かにぶつかり、爆散した。続いて、カルに向けられた細剣は、カルの体を吹き飛ばす。少ない調度品を壊しながら、吹き飛び転がるカルの方へシュセが歩み寄る。

 武器を失い、散々床に打ちつけられながらもカルは立ち上がる。口の中に溜まった血を吐き捨てるとシュセが彼の目の前に来るのとは同時だった。


「どけ……シュセ」


 尚も己の父を殺そうとするカルを、シュセは細剣を持たない左手で殴った。呆気に取られるカルに向かって、シュセは想いをぶつける。


「しっかりしないか、カル・スカルディア! 貴方は私の主なのだ。何を怯える、何を恐れる! 怒りを納めろ、貴方ならできるはずだ」


 シュセは持っていた細剣を、逆手に持ち替えるとカルの目の前に突き出した。


「貴方から、貴方の母の形見の細剣を頂いた時私は誓った! 貴方を必ず至高の座まで押し上げて見せると、こんな所で貴方を失ったら、私はどうすればいい!? あの時味わった絶望を、悲しみを、一緒に拭い去るのだろう? 忘れたのか、カル!」


 シュセは唇をかみ締め目尻に涙を浮かべ、必死にカルの瞳を見つめた。やがて、カルは彼女の前から離れ、ベットに腰掛け下を向く。


「私は、約束したのだ。幸せにすると、一人になど、しないと……ルクを、私は」


 頭を抱え、自らの無力をかみ締める。果たされなかった約束。シュセは何も言わなかった。


「すまなかった……」


 震える唇から、聞こえるか聞こえないかギリギリの声を出すと、俯く。シュセは目尻に浮かんだ涙を払い、細剣を鞘に収める。腰から鞘ごとそれを抜くと、ベットに腰掛けて俯くカルの前に片膝をつき両手で捧げ持つ。


「いくら火急の事と言えども、主に手を上げたのは騎士にあるまじき行為。どうか処罰を……」


「そうだな、お前は私の騎士だ」


「はい」


 カルは、左手で細剣を受け取ると処罰を待つシュセに歩み寄り、鞘を払い抜き身を彼女の肩に当てる。


「私は必ず、王となる。この街を治め、周辺の蛮族どもを平らげ、国を作る。以後片時も私の側を離れるな。そして、私より先に死ぬことは、許さぬ。お前は私の死を看取るまで生きることを命ずる」


 これが罰だ。そう言い置いてカルは細剣を鞘に戻した。


「受け取れシュセ」


「……はい」


 細剣を受け取ったシュセは立ち上がる。


「……お部屋を片付けねばなりません。誰か人を呼んで参ります」


 立ち去ろうとする彼女の手を、カルの左手が掴む。


「お前は、私を抱きしめてはくれないのだな」


 シュセの握り締めた拳が震える。唇をかみ締め、きつく目を瞑る。


「わたくしは、貴方の騎士です」


「そうか」


 力なく離れるカルの手の感触を振り切るように、早足で部屋を出るとシュセは扉を閉めた。中からは主の慟哭の声が聞こえる。

 その声に、全身の力が抜ける。立ち上がることが出来ないほどに、打ちのめされた。

 自分は正しい判断をしたはずだ。今動きを見せれば反逆者として即刻討伐の対象となる。

 刻印の宿る右手を、思い切り床に叩き付けた。

 力がほしいと願った。得たはずの力。だと言うのに、大切な人を悲しみから守ることも出来ない。

 そして一瞬、だが確かに胸を掠める黒い想い。

 これであの人の傍には、自分一人。

 その想いを自覚したシュセは、浅ましさに顔をゆがめる。


「私は……最低だ」



十貴族による合議制=寡頭政治という政治形態ですね。

ロクサーヌの人口は概ね20万人前後を想定しています。


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