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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
39/103

謀略の使徒2

 後に、その地の名前を取ってポルフロントの敗北と呼ばれる戦いから十日が過ぎた。

 カルがロクサーヌに帰還し、落ち着きを取り戻しつつあったある日。

 ここ数日の日課となっている負傷兵の慰問へ向かおうとしたシュセは、スカルディアの屋敷から出てきた所を一人の男に呼び止められた。

「失礼だが、ここの屋敷に縁のある方だろうか?」

 ぎこちない言葉遣いに、シュセは眉根を潜めながら男を観察した。

 日に焼けた肌、赤銅色の髪を無造作に束ね目には猛禽類のような鋭さがある。背丈は見上げるほど高く、胸板は厚く引き締っていた。見るからに歴然の戦士といったような風情を漂わせたその男は、引きつりそうな愛想笑いを浮かべつつ、シュセを見る。

「そうですが……何か?」

 拒絶の意味をこめた低い声で、シュセは応じるが男は全く無頓着だった。

「いや、怪しいものではないのだが」

 そう言われても十分に怪しい。服は富裕な商人か下位の貴族が着るような物だが、それを着ているのが貴族よりはゴロツキに近い人相だ。よく見れば精悍と見れなくも無いが、引きつりそうな愛想笑いが全て台無しにしている。

 例えるなら、獲物を狙う盗賊の頭目……そのようなことを心中で考えながらまじまじと男を観察するシュセに男は困ったように切り出した。

「カル・スカルディア殿下に面会を申し込みたいのだ。なにぶん君のような少年に頼むのは気が引けるのだが、大貴族に伝などないもので」

 少年、という言葉にピクリとシュセの柳眉が跳ねる。今日のシュセは鎧姿ではない。髪を束ね、腰に細剣を帯び、それを扱うために貴族の少年のような格好をしていた。だが彼女の表情の変化などお構いなしに、男はひたすら喋る。

「……であるからして、おっとどこへ行く!?」

 無言で立ち去ろうとしたシュセの前に、大男が回りこむ。

「用事がありますので、失礼します」

 冷然と告げて歩き出そうとするシュセの腕を男の巌のような腕が掴んだ。

「こっちも遊びでやってるんじゃねえんだ」

 愛想笑いから肉食獣のような笑みへ、男の笑いが変化する。こちらが本性かと、腕を捕まれたまま男を睨みつける。

「力づくで言うことを聞かせるって手もあるんだぜ?」

 野卑な言葉使いが妙に似合う。やはり盗賊の類かと、シュセは一つため息をついて男に向き直る。街の治安を預かる巡回の衛士が通りかかるのを視界に納め。

「そうそう、大人しく言うことを聞いてくれれば──」

「きゃー!」

 シュセは自分が思う最大限の女らしく叫び声を上げた。

「どうなさいました!?」

「な、なにぃ!?」

 駆け寄る二人組みの衛士に、狼狽する男。

「痴漢です!」

 びしりと指差して男を衛士に突き出す。

「な、違う俺は!」

 途端に背を向ける男に衛士が駆け寄る。

「まて、貴様! そこの卑劣漢!」

「婦女子に乱暴を働くなど、男の風上にもおけぬ!」

 それぞれ正義を背にした衛士二人が、男を捕縛しようと駆け寄る。

「ち、くそう! うわっ!」

 シュセの腕を放し駆け出そうとする男の足元に、スッと彼女のブーツが伸びた。体勢を崩し、ころぶ男に衛士の二人が素早く縄を掛ける。

 これでもかと言わんばかりに幾重にも撒かれた捕縛用のロープ。その縄に締め上げられながら恨めしげな視線を向ける男に、シュセは冷たい微笑を向けた。

「おお、シュセ殿ではありませんか!」

 男を捕縛した衛士達は、スカルディアの家門に属する者達だった。

「シュセ殿に痴漢を働くなど、万死に値しますな!」

 立派な髭を蓄えた衛士の丁寧な言葉使いに、男は目を丸くしてシュセを見つめる。

「ええ、女の敵ですね」

 軽く答えるシュセに、ふむふむと頷きながら衛士は男の処遇を聞く。

「してこの卑劣漢をどのように致しましょう? シュセ殿に卑劣な行為に及ぼうとしたのです。裸に剥いて外壁の上から逆さ吊りにして今後の見せしめにしましょうか?」

 冷や汗を掻く男を一瞥して、シュセは頭を振った。

「そこまでしては可哀想です。スカルディアの屋敷の地下牢に、とりあえずは拘留ということで」

「おお、さすがシュセ殿は慈悲の心を知っておられる!」

「貴様もシュセ殿に礼を言わぬか!」

 感嘆する衛士達は、男を小突きながらシュセに礼をして立ち去った。




「この男がシュセを襲った犯人か?」

 スカルディア家の地下牢。

 私兵の慰問から戻ったシュセは、カルに呼ばれる。男のことなど忘れかけていた彼女は半ば強引に地下牢まで連れて行かれた。

「ええ、間違いはありません」

 しゅん、と悲しげな顔をするシュセ。

「だから違うんだって!」

 鉄格子越しに、未だ幾重にも縄を掛けられた男は、必至の抗弁をする。

「我が家の者を襲うとは、言語道断。本来ならば外壁の上から首を吊らせる所だが、シュセのたっての願いにより──」

「だから俺の話を聞けっ! 俺はグスノウ家のエルシド! カル・スカルディアに会いに来ただけだ!」

 カルの言葉を遮り、男が叫ぶ。

「カル・スカルディアに会ってどうするつもりだ?」

 湖水色の瞳を面白そうに細めながら、カルは問いかけた。

「陳情ってやつだよ。牢に繋がれた友人を助けたい」

 ほぅ、と呟いてカルは考えるときの癖で腕を組む。

 グスノウ家といえば、何年も前に没落した貴族の家だ。

「ふむ、良かったな念願かなったぞ」

「なに?」

 心底意地の悪い笑みを浮かべて、カルは笑った。

「お前の目の前にいるのが、カル・スカルディアだ」

 その後、一刻(二時間)に渡る取調べを経て、エルシドはやっと牢から開放された。



 グスノウ家に関する資料をシュセから受け取り目を通したカルは、エルシドを風通しの良い部屋に案内させた。十数年前に没落した貴族の家で、確かにエルシドという名の三男が存在していた。年齢は28歳、家が没落の後は家の再興を目指すわけでもなく傭兵をして現在に到る。

 金次第で自由都市郡に雇われることもあり、ロクサーヌよりは自由都市郡での知名度の方が高かった。

「それで、誰を助けたいのだ? エルシド・グスノウ」

 風通りのよい部屋に通されたエルシドに、カルはいきなり本題を切り出した。

 柔らかいソファーに姿勢を正したエルシドが座り、その正面にカルが座る。真剣なエルシドの眼差しに、カルとシュセは視線を交わした。

「友の名はヘリオン、ヘリオン・レイング」

「レイング家と言えば下級貴族の家柄で、ヘルシオ家の派閥ですね」

 無表情にエルシドを睨みつけ、シュセはカルに耳打ちする。

 彼女に軽く頷いてカルはエルシドに視線を戻した。

「なぜ、私なのかな? 傭兵隊長ともなればそれなりに伝手はあろう」

「俺の正体を知っていたのか」

 顔に不快感を浮かべながら、エルシドは視線を逸らす。

「色々話は聞いている」

 その揶揄に、眉根を寄せる大男。粗雑な行いとその武勇で有名な男だった。ガリガリと首筋を掻くと座っていたソファーに脱力したように体を沈める。

「ならこの堅苦しい口調も止めさせてもらうぜ」

 その余りの変わりように、シュセは柳眉を吊り上げるがカルは意に介さずエルシドを見守った。

「あんたの噂を兵士達の間で聞いたからさ。慈悲深い若君だってな」

 にやりと、野性的な笑みを浮かべて背もたれから体を起こす。

「ヘリオンはヘェルキオスに意見して投獄された。救い出せそうなのは、スカルディア家のあんただけだ」

「罪状は?」

「終獄」

 終身刑。ぶつかるカルとエルシドの視線が刃で切り結ぶ。

「私にヘルシオ家の派閥と争えと? 私がこれからヘルシオの家督を継ぐことを承知の上で言っているのか?」

 終身刑以上の罪の決定には、十貴族もしくは、その代理が立ち会うことになっている。ヘリオンを牢から解き放つ為には、彼の罪を取り消さねばならない。それはつまり、案件を担当した貴族の顔に泥を塗ることと同義だ。

 これから取り込む派閥の中に不穏分子は抱えたくはない。少なくとも、普通はそう考える。

「このままじゃ、お前さんはヘルシオの家を継ぐ前に、あちこちから伸びたハイエナの牙でなぶり殺しにされると思うがね、その為にもヘリオンの奴は助けた方が良いはずだ」

「ヘリオンを牢から出すことで、彼の協力を得るのは当然として……」

 一度瞼を伏せ、再びあげる。

「頼みに来た、お前は私のためになにをしてくれる?」

 カルの冷たく光る青の瞳がエルシドを見据える。その強欲ぶりに、エルシドは苦笑した。

「あんたは戦が下手だからな、この腕でどうだ」

 二の腕を軽く叩くエルシド。

「兵を任せよ、と?」

「ああ、そうだ」

「面白いことを言う」

 軽く笑うカルに、エルシドは野性的な笑みを返す。

「では自慢のその腕、試させてもらって良いかな?」

 笑みを絶やさず、カルはエルシドを見る。その笑顔の中で目だけが笑っていないことにエルシドは気がついてた。

「ああ、なんなりと」

 だが不敵に笑って応じる。部屋の空気が軋みを上げて重たくなった気がした。

「ポーレを攻略できるか?」

 言葉を発したそばからカルの顔に笑顔はない。

 ポーレは自由都市群側の都市国家。ロクサーヌからもっとも近い要の都市だ。

「殿下!」

 シュセの声を、カルは片手をあげて遮った。

「どうだ?」

 エルシドはカルの整った顔を凝視した。年齢を感じさせない迫力がカルにはある。もしかしたらそれが、民を率いる者と、兵を率いる者との違いなのかとエルシドは思った。

「できる」

「もし、それが叶ったならお前の友は必ず助けよう」

 その言葉を聞いてエルシドは立ち去った。

 彼が居なくなった後、シュセは書類に向かい合うカルに問い掛けた。

「ヘリオンと言う男の資料を集めてくれるか?」

「本当に、できるとお思いなのですか?」

 眉間にしわを寄せ、困惑気味にシュセは聞いてくる。

「さあ……だがヘリオンと言う男に多少興味が湧いたのは事実だ。それが狙いなら、あれは大した男だが」

 苦笑して再びカルは書類に顔を向けた。





 既に夜の帳が降りて久しい。

 部屋に焚きこめるは、魔性の香。この部屋の主は貴族の夫人達の間で流行の髪型に、体の線を強調するようなすらりとした服を着こなしている女性。喪に服すためか、その顔は黒いヴェールで覆われていた。

 指には大きな宝石のついた指輪、胸元を飾るのは真珠のネックレス。自身を飾り立てることを無上の喜びであるかのように、彼女は至る所に宝石を散りばめていた。

 その姿に、初めて彼女を訪ねた貴族の優男は息を呑む。優雅な立ち振る舞い、だがその隅々から立ち上る退廃的な雰囲気は彼女を喪中の妻よりは娼婦のように見せていた。

「ウェンディ様」

 その姿に見惚れながら、客人は何かしら危険なものを感じていた。例えるなら、底なし沼のように、一度近付いたら逃れられないような。

 客人は座っていた椅子から立ち上がる。

 要件だけ済まして帰ろう、そう思い彼女の前にひざを突く。

「我ら十貴族は、あなた様への支援を惜しみません。ヘェルキオス様の仇を討ち、カリオン様をヘルシオ家の跡継ぎに」

 つっと、椅子に腰掛けていたウェンディは目の前にひざを突く貴族に靴を脱いだつま先を差し出す。

「ティザル、そなたの舌はそのような戯れ言を言うためにあるの?」

 ティザルの目の前に差し出された足は、妖しく白い。その白い足にティザルの意識は吸い寄せられ、次第にぼやけていく。名前を呼ばれた瞬間、背骨を怪しい快感が走り抜けた。

「違うであろう? そなたの舌は、妾を悦ばせる為にある……そうではなくて?」

 ぞくり、とティザルの背を撫でたのは快楽か、それとも妖婦と呼ばれる目の前の女への警鐘だったのか。

 だが、ぼんやりと霞む思考ではそれ以上考えられない。目の前にある白い足に全ての意識が吸い寄せられる。

「欲しい?」

 唐突に降ってきた声に、ティザルは意識せず激しく頷いた。血走る目に映るのは、ウェンディの艶やかなつま先。いくらあふれ出る唾を飲み込んでみても、渇きは酷くなる。

「ハァ、ハァ……ッハァ」

 犬のような荒い息づかい。誰かと思えば、ティザル自身の口から溢れ出ていた。

「可愛いこと」

 ウェンディの声に鼓動は早鐘を打ち、手足が震える。

 早く、ハヤク、ハヤク! 欲しい、欲しい、欲しい!

 思考を支配する言葉。何故、これほどまでに乱されそして我慢しているねか、既にティザル自身ですらもわからない。

「お舐め」

 氷よりも冷たいウェンディの言葉と同時に、ティザルはウェンディの足にむしゃぶりついた。

 欲しい、もう何も考えられない。

 ――ぺちゃ、ぺちゃ。

 涎を垂れ流しながら、丁寧にウェンディの足の指を舌でなぞる。指の間はもちろんのこと、整った爪の合間にまでも舌先をのばす。

「ハァ、ハァ……ぅ、ハァハァ」

 ぺちゃ、ぺちゃ。

 指を口に含み、舌の上で丁寧に転がしながら味わう。ベトベトになったウェンディの足を、その自身の粘液ごと舐め回す。

 ティザルの舐め回すままに任せていた足をウェンディはついっと引いた。

「フフフ、あなた達の目的は妾とあの坊やのつぶし合いでしょう?」

「あっ、あっ」

 まるで子供のように、その足を追うティザル。

「答えなさい、企てたのはジェルノ家のご隠居ね?」

 激しくティザルの顔が上下する。

「困ったものね、でも……」

 ルージュを塗った唇を自身の舌でなぞる。

「カルの坊やは、欲しいわね」

 カルが自身の足に舌を這わせる姿を想像して、ウェンディはうっとりと微笑んだ。

「ねえ、ティザル。今度は十貴族の別の殿方も連れてきてね」

 ウェンディの足を舐める下僕に向かって、彼女は妖艶に微笑んだ。




「ほぅ」

 シュセの差し出す書類に目を通したカルは、感心したような溜め息を吐いた。

「ヘリオン・レイング、なかなか見所のある方のようですね」

 最近書類を見る度に眉間のシワが寄るばかりのカルが、珍しく眉間にシワを寄せない。

「会ってみるか……」

 未だヘリオンの経歴を書した羊紙を見ながら、カルが呟いた。

「会うなら、明後日以降になりますね」

 今日と明日の予定を確認しながら、シュセは優しく微笑んだ。

 今日ばかりは、シュセの笑顔が憎たらしいと思いつつカルは書類と再び戦い始めた。


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