謀略の使徒1
カル、シュセをメインに据えて物語が進みます。
舞台は王都ロクサーヌ、時間軸的には賊都の少し後の物語です。
戦を終えてロクサーヌに帰還するカルとシュセを待っている者は……。
では、お楽しみください。
歩む足取りは重く、うつむき歩く様は葬列に似ていた。いや、事実その退却は葬列といった方がよいかもしれない。盟主たるヘェルキオスを失い、その他の諸将を失った敗残兵の群れ。
その中にあって、他の兵士よりは幾分マシな状態を保っていたのはカルの私兵達だった。傷付いた他の貴族の私兵達に手を貸し、整然とはいかないまでもカルの指揮下にまとまりを見せていた。
「て、敵だ!」
その列の後方、砂塵が見えた。挙がった声は、瞬く間に兵士の間に動揺となって広がっていく。
「落ち着け!」
一喝したのは、怪我人に肩を貸していた若者だった。
「あれは味方だ!」
「てめえみたいな若造に何が分かる!?」
年長の兵士の声に怯むことなく、若者は言い返した。
「先頭を見ろ!」
戦々恐々としている兵士達の後方から濛々たる砂塵を上げて迫ってくる騎馬隊。その先頭には白亜の鎧を身にまとった騎士の姿があった。
「白き戦乙女だ!」
カルの私兵達の中から歓声があがる。戦場で不可思議な力に護られた彼女は兵士達の間で古の女神になぞらえてそう呼ばれていた。
彼女が行軍の最後尾に追い付く。と、同時に不安そうな兵士達を見渡して一人の若者に目を留める。一瞬驚いたように柳眉を跳ね上げるが、直ぐに平静を取り戻し彼の前まで駒を進める。
兵士達が平伏する中、若者は立ったままだ。彼の袖を無言で引っ張る者も居たが、若者は意にかえさない。
兵士達の誰もが無礼者と斬り捨てられると身構えた時、白き戦乙女と呼ばれた彼女が駒からひらりと降りて、若者の前にひざを突く。
「殿下、シュセ・ノイスター只今戻りました」
「ご苦労、後方の様子は?」
その様子に、その場の兵士達は言葉を無くし瞠目した。
「あ、あんた……一体」
辛うじて若者に肩を貸してもらっている兵士が声をかけた。
「このお方は、カル・スカルディア殿下だ」
答えたのは、シュセ。鋭い視線と共に言葉を掛けた。
「なんで、そんな人がこんな所に……」
馬を持つ多くの貴族は既にロクサーヌに帰り着いているだろう。城壁を頼りに枕を高くして眠っているはずだ。
「私は」
湖水のように輝く青き瞳に、一瞬翳りが走りそれを振り払うかのように決然とカルは言い切った。
「お前たちを見捨てはせぬ! お前たち全員を生きて王都までつれて帰る」
膝を付いていたシュセが立ち上がり、率いて来た騎馬隊に命じる。
「馬に負傷者を乗せてやれ、無事な者は全員下馬して後、徒歩にてロクサーヌに向かう!」
彼女自身も馬を下りて、負傷者に手を貸す。その様子に、兵士達の群れの中から啜り泣く声が聞こえる。
私兵は負け戦なら見捨てられて当然。カルとシュセの行動の方が異端なのだ。だが、だからと言って見捨てられた者が納得できようはずもない。
「さあ、頑張れ! 敵の追撃はない。私達のロクサーヌまでは後少しだ!」
よく通るカルの声に、敗残者達の群れは顔を上げた。歩む足取りは遅くとも確かなものになっていた。
王都ロクサーヌでは先に帰還した貴族達により自由都市群との戦に敗れ、盟主たるヘェルキオスの戦死も告げられていた。
だが、カルがヘェルキオスを討ち取ったと言うことは一部の者の間にのみ伝えられた。その知らせを聞いたのは、ロクサーヌを仕切る十貴族達。戦死したヘェルキオスも政変に敗れたアトリウスも十貴族であった。
窓にはカーテンが引かれ、部屋を照らすは煌々とした蝋燭の火。円卓に居並ぶは老獪を絵に描いたような海千山千の貴族達だった。
「小僧の罪は明らか! 即刻首をはねるべく衛士を派遣すべきだ」
憤る貴族の一人の言葉に、他の貴族達も頷く。
元々が華よ蝶よと育てられた貴族達だ。ヘェルキオスの時代に抑えつけられてきた分だけ、その憎悪は激しい。
「この機会に、ヘルシオ家、スカルディア家から政治の主導権を取り戻し、元来の共和制に戻すべきだ」
建て前はともかく、実際に街を仕切っていたのはヘルシオ家のヘェルキオス。ヘェルキオスと姻戚関係を結んだスカルディア家、そして存命中はツラド家のアトリウスであった。
スカルディアの当主であったカルの母が死んで後、実権を握ったのはヘェルキオス。カルがまだ未熟ということで、スカルディアの家を仕切っていた。つまり、ヘェルキオスの一人勝ち状態だったのだ。それを苦々しい思っているのは、十貴族達全員の思いだった。
そしてカルはスカルディアとヘルシオの血を引いていた。貴族達にすれば当然面白くない。
「即刻処刑と言うのは、いかがなものか」
カル殺すべしの空気の中、口を開いたのは現在は八人に減った彼らの長老格ジェルノ家のオウカ翁。しわくちゃな顔の中に温和な笑顔を浮かべ話を切り出す。
「ヘェルキオス殿には二人の庶子がある、そこをよく考えねばのう」
ざわり、と貴族達がざわめいた。
「なるほど……」
何人かが納得したように頷く。
「では、そのように」
オウカの一声に会議は閉会となる。
彼の指示の下その知らせには直ちに箝口令が敷かれた。
表向きは、勝利の余勢を駆った自由都市群に付け入られるのを防ぐためと言う名目だった。だがその実、彼らの目的はスカルディア家と政変の後なし崩し的にヘェルキオスのものになっていたツラド家の財産だった。
ヘェルキオスにはカルの他に二人の庶子がいた。側室のウェンディのニ子カリオンとアクサスの兄弟だ。だが共に10歳と9歳のまだ幼い兄弟である。側室のウェンディは、カルのスカルディア家のように名門の出ではない。
そこに、彼らの思惑が入り込む余地がある。カルと彼らを争い合わせ漁夫の利を狙ったのだ。カルが倒れるなら、協力の見返りにツラド家か、スカルディア家の財産を要求出来る。もっと良いのは、共倒れになってくれることだ。
主なき家など、老獪な貴族達にはハイエナの目の前に差し出された肉に過ぎない。ウェンディを焚き付けカルに敵対させることなど彼らにとっては、赤子の手をひねるようなものだと考えていた。
遠く見える白い城壁に歓声が上がる。誰も彼もが疲れ切っていた。武器と呼べるものはほとんどない。ここ数日、食うや食わず、全員で少ない食糧を分け合ってここまできたのだ。
「ロクサーヌだ! 帰ってきたぞ!」
涙の混じるその声は、全員の思いを代弁していた。愛しき王都ロクサーヌ、愛する家族の待つ都。砂漠でオアシスを見つけたような感動が全員を包んだ。街に着くまで、そこまでの苦労が嘘のように彼らの表情は明るかった。街に着けば、この奇特な貴族と会うことなど出来ない兵士達は、積極的に彼に話し掛けた。
またカルにしても、普段の貴族達に向ける仮面のような表情は捨てて、彼らと冗談を言い合い、笑い合った。その様子をシュセは一歩引いて優しく見守っていた。
街に着くと、兵士達は目に涙さえ浮かべて別れを惜しんだ。
「殿下、俺達が帰ってこれたのはあんたのお陰だ。もし、俺達で役に立つことがあればなんなりと言ってくれ」
年かさの兵士が代表して別れの言葉を掛けた。
「そうだな、是非役に立ってもらおう」
人によっては恩着せがましい言葉なのだろう。だが、それを感じさせない若さ故の爽やかさがカルにはあった。
「おうよ!」
笑って兵士達は別れていく。その後ろ姿を見送ってカルは自らの私兵達にも解散を命じた。
「ご苦労だった、しばらくは戦もない。ゆっくり休んでくれ」
カルの言葉に、私兵達はざわめき歓声を上げた。
「各々重い負傷者は明後日以降に申し出よ! スカルディア家より一時金を支給する」
後を受けたシュセの言葉に、私兵達の歓声はより高くなった。それを背にカルとシュセは屋敷へ戻る。
「お前にも、苦労をかけた。今日はこのまま休んでかまわないぞ」
出迎えの使用人たちに武具を渡したカルはシュセに優しい声を掛ける。
「お言葉に甘えます」
戦の後、シュセは努めて彼と距離を取ってきた。自室として与えられている部屋に戻って鏡を見れば、目の下に隈を作った汚らしい女が映っていた。
「醜いな……間違えるなよ、シュセ・ノイスター。お前はカル様の忠実な騎士だ」
自嘲気味に口の端を歪めて、鏡の中の自分を罵った。鏡から目をそらし、自分の手のひらに視線を落とす。
カルに掴まったあの温もりが、未だ残っているような気がして、彼女は強く拳を握った。
一方、自室に戻ったカルは柔らかい寝台に身を横たえた。
「お前たちを見捨てはせぬ、か」
自嘲気味に口の端を歪めて、顔を右手で覆う。
「あのものたちを窮地に追い詰めておいてよく言う……」
ヘェルキオスを討たねばならなかった。それに後悔はない。
だが、自分の復讐の為にどれだけの血が流れたのか。罪のないロクサーヌの民を何人犠牲にしたのか。
「……とても、許せぬ」
ならば、せめて彼らの死が無駄死にでなかったことの証を建てねばならない。でなければ、自分自身を赦せそうにない。
「この手で、国を」
遠く自由都市群の果てまでも続く巨大な国を。誰もが安心して、平和を享受できる国を。
「この腕で……」
伸ばされた腕に掴むのは、今はまだ虚空のみ。
カルの右腕に刻まれた刻印が、僅かに疼いた気がした。