賊都24
「あんな所で何してやがる!?」
呟いて、狭い路地から覗く先にはサギリの姿があった。
波のごとく押し寄せる白刃の合間を縫ってサギリの短剣が銀の軌道を描く。
血飛沫さえも彩りに添えて、荒地の魔女の舞いが死を誘う。断末魔を上げることすらも許さない圧倒的な剣舞。見惚れるほどの華麗な剣捌きが、死に神の鎌となって幾多の命を奪い去る。
遠目から眺める彼女の姿は花のように美しかった。
血を浴びて輝く、飛び切りの徒花ではあったが。
柄にもない、とジンは首を振り、必要なことだけを考えようと努めた。シロキアの姿は既に見えない。領主軍に呑まれたのか、逃げ出したか。彼にとってシロキアは大した問題ではない。
領主軍の要はついさっき斬り倒した。命に関わるかどうかは分からなかったが、傷は与えたのだ。
後は一刻も早く彼自身が囮となって領主軍を重なる大岩まで引き付ければ良いはずだった。
「チッ……勝手に動きやがって!」
繰り出される槍の合間を縫ってサギリの下へ駆ける。彼女を幾重にも囲む敵を切り伏せ、打ち倒し、背を蹴りつけやっと辿り着く。
「遅いじゃないか」
ようやくサギリの間近に近付けば、掛けられたのは気安い軽口。だが、ジンは一瞬その横顔に見惚れた。顔には不敵な笑みを浮かべてはいるが、見た目ほど余裕があるわけではないのだろう。額に浮かぶのは玉の汗。周囲にわからない程度に乱れた息使い。
その全てに目を奪われる。汗の浮かぶ白い首筋に牙を突き立てて赤く滴る血を――。
「ジン!」
名前を呼ばれた瞬間、ジンは我に返る。同時に思い切り頭を下げて、サギリの放つ小剣をかわす。
「危ねえだろうが!」
周囲の敵から繰り出される白刃を左の双刀で受け、右で跳ね返す。
「あぁん? ぼけっとしてるほうが悪いんだよ」
「なんでここにいる!? 予定が狂っちまうだろうが!」
背中合わせになりながら声を掛けた。
「野暮用さ」
つまらなそうに答える彼女に、ジンは小さく怒りの声を上げた。
「今の状況分かってんのか!?」
「敵とも呼べないような雑魚どもに囲まれてるだけだろ?」
その言葉にピクリとジンの口元が歪む。
「その雑魚どもに囲まれて、進退窮まっているのはどこのどいつだ!?」
「さて、そんな奴がいたかねぇ?」
ジンの怒りはサギリの上を通り抜け、向かってきた敵に当たる。
「とにかく逃げるぞ、路地へ向かう」
「待ちなよ、逃げるならもっと良い道があンだろ?」
振り返ったジンが目にしたのは、爛々と光る瞳を敵に向け口元に不敵な笑いを張り付かせた魔女だった。
「バーンが負傷しただと?」
部下の報告に、ヘルベルは眉間に皺を作り次いで舌打ちした。
「役立たずめ。良い、僕が前線に出て指揮を執る」
青くなり思いとどまらせようとする部下を払いのけヘルベルが前線に立つ。
馬上から見下ろす戦の風景に、彼は眉をひそめた。見下ろす広場では、半ばまで領主軍が押し込んでいる。だがその勢いはあまり強くない。
贔屓目に見て五分五分、悪くすれば押されているのではないだろうか。
「後軍を前に出すぞ!」 たかが、賊徒相手に何を苦戦などしているのか。これからさらには中央を攻めなければならないのに。
「前中軍後退!」
張り上げる声に、前軍と中軍の兵士達がじりじりと下がり出す。変わりに、ヘルベルのそば近くを守っていた兵士達が進み出る。
「後軍、前へ!」
ヘルベルの号令の下、兵士達が動き出す。だがちょうど交代する直前、最も混乱が起きやすい時期を狙ったかのように兵士達が乱れた。
その合間を縫うようにして、二つの黒い影が疾風のように兵士の群れを突き抜ける。
「敵だっ!」
「抜けられた!」
兵士の叫び声が事態を把握していない他の兵士達に混乱をもたらす。
「くっ……静まれ! 静まらぬか!」
ヒステリックに叫ぶヘルベルの声も、一度混乱に火をつけられた兵士達には届かない。
領主軍は若く体力のある兵士からなる前軍、ヘルベルの代になって抱えられた兵士からなる中軍、近衛を中心とした後軍、そして先代、先々代からの年配兵からなる予備軍からなっていた。
軍の編成を組織したバーンでさえ兵力として期待していたのは前から後軍であった。ヘルベルが前線に行き、その後ろを固めることになった予備軍、人数にすれば50人程が混乱を極める領主軍の中にあって最も冷静に行動した。
元々、先代、先々代から仕えていた兵士達である。領主に対する忠誠心は他の軍よりも高い。
尚且つ、先代や先々代の時代に培われた経験がものを言った。
「領主様の馬を下がらせろ! 槍構え!」
予備軍の隊長の号令の下に、一糸乱れぬ行動をとる。
「なにをする!? 主は僕だっ! 勝手なまねをするな!」
鞭を振り上げるヘルベル、だがそれに動じず彼の馬の轡を捕まえて強引に後方に押しやる。
「列を乱すな……突撃ぃ!」
黒い疾風となって迫る魔女と狼に向かって、隙間なく並べられた槍襖が一斉に前にでた。
「ちぃ!」
軽い舌打ちと共に、サギリとジンは左右に飛び退く。驚くほど隙のない密集隊形。そこから延びる槍は今まで突破してきたものとは全く違っていた。まるで丸楯の合間から覗くハリネズミのようなそれに、正面からの突破は無理だと悟る。
「ジン!」
掛けられた声に頷き、ジンは側面に回る。相手の得物は長槍、正面からの攻撃には強くとも、小回りは効かないはずだった。
だが、まるでジンの行動を読んでいたかのようにそのハリネズミが二つに割れる。未だジンの動きを追尾するが薄くなった槍衾に、ジンはいけると判断する。
槍と槍の合間を目指して全身のバネを使って一気に加速。流れる風景を置き去りにして槍の合間に体を滑り込ませた瞬間、ジンは全身の毛が総毛立った。
「くっ……」
何もかもかなぐり捨てて首をひねる、その直後ジン目掛けて楯の合間から槍が突き出された。頬を掠めた槍の穂先。そのまま、楯に体ごとジンはぶつかった。
痛みにかみ締める奥歯が鳴る。肺の中の空気は吐き出され、体と楯に挟まれた腕は重りを付けられたかのように痛む。
痛む腕を無理やり振るって槍の柄を叩き切り、楯を斬り付ける。
だが楯を斬り付けた瞬間絶妙に角度をずらされてしまう。それでは断ち切れない。
小さく舌打ちしたジンは、槍の柄を叩き斬ろうとすばやく目配せし、槍の穂先が全て天を指していることに気が付いた。
「なっ……」
ジンが頭上を仰ぐと同時に、楯を持った兵士達はその場にしゃがみこむ。
「せいっ!」
呼吸の合った声が聞こえたと同時、振り上げられた槍が隙間なく振り下ろされた。
振り下ろされる槍の柄を見上げ、瞬時にジンは腹を括る。
退くのは間に合わない。
──迎え撃つ!
頭上から降ってくる槍の柄に狙いを定めて双刀の小太刀を振りぬく。だがそれとて、全てを断ち切れるわけではない。
ジンの肩を、振り切った腕を、勢いがついた槍の柄が襲う。木の棒で思い切り殴られるのと同程度の衝撃が幾重にもなってジンに襲い掛かった。
振り下ろされた槍が一段落すれば、今度はしゃがんでいた楯達が再びジンを襲う。視界を奪うその楯の合間に槍が吸い込まれたと思えば、彼を狙って二本同時、三本同時に繰り出される。
ジンと言えども、避けるのが精一杯。
だが、ここで退けば勝機はない。
「退くぞ……ジン!」
いつの間にか、ジンの背後に回りこんでいたサギリが声をかける。
「くそっ!」
同時にジンは槍の間合いから、遠く飛びのく。
目の前には敵の頭がいる。それを目前にしての退却。
溢れ出す憎悪を瞳に宿らせ、ジンは眼前に広がる槍衾を見据えた。
「急げ!」
その声に促されるように、敵の頭とその防壁に背を向けた。気が付けば、抜いたはずの敵の軍勢がすぐそこにまで迫って来ている。
「なに、グズグズしてンだい! さっさと路地に入りな!」
二人の襲撃者は路地の闇の中に消えた。
振り下ろされる鞭の音、風を切るそれが老兵士の背を打つ。
「貴様っ! 一体何様のつもりだ!」
ヘルベルは先ほどサギリとジンを退けた予備軍の隊長を衆目の前で打ち据えた。
「申し訳……ございません」
身を縮める老隊長に、ヘルベルはなおも興奮が収まらない。
「くっ……この戦が終われば覚えておれよ!」
余りの仕打ちに、兵士の中では目を背ける者が多々いた。
「良いか! 僕に逆らうということは自ら望んで罰を受けるということだ。よく覚えておくが良い!」
吐き捨てるようにそう言うと、馬に跨る。
「シロキア一家と、蛇の行方は!?」
「この通りを北に向かった由にございます」
答えたのは中軍の隊長。
「よし、進軍するぞ! 今度こそ生かして帰すな!」
血の滴る鞭を指揮杖代わりに、北を指し示す。その背後、予備軍は老隊長を初めとする負傷者の看護を続けていた。
「閣下……よろしいのですか?」
中軍の隊長が振り返りながら、そっとヘルベルに耳打ちする。
「構うものか! 父上の配した軍など必要ないことを示す絶好の機会ではないか。やつらにはここで負傷者の看病でもさせておけ! さあ、進軍だ!」
「はっ……」
ヘルベルは己の毒殺した父親の軍に守られていたことが許せなかった。
まるで……殺したにもかかわらず、未だに無能だといわれ続けているようで父を憎む感情そのままに、老兵を憎んだ。
八つ当たりにも近いその感情は、予備軍全体を憎むことに変わる。
動ける300の兵を率いてヘルベルは、重なる大岩に向けて進軍を開始した。
ガドリアの住民からは『重なる大岩』と呼ばれるその場所は東都ガドリアの北門をまっすぐ進めば見えてくる。そこは石の墓場というにふさわしい場所だった。
天に向かって並び立つ石の木々。至る所で崩れかけ、または倒壊している古の彫像。
その中心に折り重なった巨大な岩が二つ存在する。岩に彫りこまれた階段は、岩の頂上にまで達する。はるか昔の祈りの場には、今二つの影がある。
その地域は平坦ではなく、小高い丘状になっていた。それがより一層、その二つの岩の神秘性を高めていたのだろう。丘の斜面には林立する石の木々。まるで、決して天に届かない石達の悲痛な叫びのように石くれたちは天に向かって立っていた。
「やっと、おいでなすったねぇ」
眼下に広がるのは石の林を進む領主軍、その全景を見渡して荒地の魔女は口元を歪めた。
「油断しすぎて足元すくわれなきゃ良いけどな」
その隣で、同じく領主軍を睥睨するのは魔女の狼。
「獲物逃がしたからって拗ねるなよ、ジン」
「そんなんじゃねぇ」
ジンの眉間に刻まれた皺が深くなる。それを見たサギリは分かりやすい反応に苦笑する。
「随分回り道を食っちまったが、予定通りさ」
「……さっき遣り合った相手」
視線は眼下の、領主軍に据えたままジンは問いかける。
「あン?」
「サギリならどうやって倒した?」
一糸の乱れもない統率された軍隊。個人で戦うにはあまりに分の悪い相手だった。
「この状況が答えさ。陣形が厄介なら組ませなきゃ良い、人数が厄介なら一人一人殺せる位置まで誘き出せば良い……不満かい?」
「状況を作り出す……」
考え込むように眉間に皺を寄せるジン。
「アンタはどうしたいんだい?」
口元に漂うのは歪んだ微笑。だが、問いかける声そのものは春の日差しを思わせるほど優しい声音だった。
「……さぁ、少し考えてみる」
「じっくり考えな。自分のやりたいことだしね……けど今は」
よいしょ、と腰を上げると階段を下る。
「魔女の釜に飛び込んできた獲物を料理しなきゃねえ」
吹き抜けるガドリアの風のような激しさを内包した声でサギリは哂った。
重なる大岩から降りたサギリを出迎えたのは、双頭の蛇の手下たち。未だ十台の少年達を率いて双頭の蛇はここまでのし上がってきた。
飢えた獣のようなぎらつく視線を受け流し、サギリは彼らの先頭に立つ。
「さあ、魔女の宴の始まりだ!」
ジンを筆頭に、狼たちが丘を駆け下りる魔女に続いて行った。
圧倒的な戦力差、にも拘らず領主軍は後退を繰り返していた。追撃の途中シロキア一家のほとんどは追い散らして戦力と呼べるものは残っていない。
最後までしぶとく残った双頭の蛇に鉄槌を下し、名実ともにヘルベルがガドリアを支配するまで後一歩。だが、双頭の蛇を重なる大岩に追い詰めたと思っていたのは領主軍だけであった。
彼らは誘い込まれていたのだ。
「何をしている……押し返せ!」
ヘルベルの苛立つ声も、むなしく響くだけだった。
地の利という点で、双頭の蛇は圧倒的な有利に立つ。林立する石の彫像に、満足な陣形は組めず更に上から攻めてくる双頭の蛇を止めるのは容易なことではなかった。組織の力が使えないのなら後は個人の力量に掛かってくる。
その点でも双頭の蛇は郡を抜いていた。
サギリとジンを先頭に二つの頭が競い合うように領主軍を侵食していく。
切り取られ、囲まれ、殺される。
その繰り返しが、数に勝る領主軍を双頭の蛇が追い詰めていた原因だった。
より狭い場所へ領主軍は追い込まれていく。倒れた石の木を盾にしてなんとか双頭の蛇の侵入を防ぐのが精一杯。とても押し返す力は残っていない。
そして領主軍はある一点に追い込まれていく。
丘の中腹にある窪地、他よりは一段低いその場所へ領主軍は追い詰められていった。
「くそっくそっ! なぜこうなるのだ!」
怒りに任せて怒鳴るヘルベルを、中軍の隊長達が何とかなだめる。
「閣下、ここは一旦お引きになって……」
「あの賊どもに背を見せて逃げろというのか!」
彼らの混乱が、一般の兵士達にも動揺を生んでいた。もともと彼らとて、街で暮らす住人であることには違いがない。四役が仕切り、領主がまとめるという形になれているのだ。城で暮らすごく一部の兵士を除けばこの戦いは領主の専横と映った。
彼らが頼みとするバーンは負傷して遥かに後方にいる。
「聞けぇ!」
そんな彼らの頭上から、雷のような声が落ちてきた。
「今からアタシが10数える間に、武器を捨てろ! 捨てる奴は助けてやる!」
窪地にざわりと広がる動揺。姿の見えないその声に、窪地にいる兵士達は互いの顔を見合わせた。
「降伏勧告だと?」
姿の見えないその声に、ヘルベルは歯噛みする。
「10!」
がちゃん、という音がして減らされる数に耐え切れなくなった兵士の一人が武器を捨てた。
それを待っていたかのように、一人一人武器を捨てていく。
「貴様ら武器を拾え! 戦うのだ!」
隊長やヘルベルがいくら声を叫んでも、武器を捨てる者の数は一向に減らなかった。それどころか、露骨に反抗するものまで現れ彼らは孤立していく。
「0……武器を捨てた奴らは、窪地の奥に集まりな」
ヘルベルと隊長達は窪地の前へと追いやられていた。その数30程度。ほとんどの者が武器を捨て、窪地の奥で大いなる怒りから身を潜めるようににして固まっていた。
それを見届けてから荒地の魔女は姿を見せる。後ろに従えるのは、ほとんど例外なく血を浴びた獣達。
「領主以外は殺して構わない、行け!」
放たれた狼たちは獲物に向かって丘を駆け下りる。窪地の奥で固まった投降兵達に見せ付けるように虐殺が始まった。
これまで数を頼んで戦ってきた彼らに、ほとんど抵抗らしい抵抗など出来るわけもない。立ち向かってきたものは真っ先に血祭りに上げられ、逃げようとしたものは僅かにその時が遅れたに過ぎなかった。
「ひぃっ……!」
逃げようとしたヘルベルは、窪地を塞ぐ投降兵達の壁にぶつかる。
「どけ! どかぬか!」
喚き散らすヘルベルの胸を、投降兵が押し返す。
やがて、部下達の流した血だまりの中に領主一人が取り残された。
「お前が領主か」
その血だまりの中を悠然と、荒地の魔女が歩を進める。顔に残酷な笑みを張り付かせ、ヘルベルの全てを軽蔑しきったかのような棘のある視線を向けていた。
「た、助けてくれ……僕は」
「ああ、良いよ。命はな」
「え?」
その言葉に、その場にいる全ての者が瞠目した。
「道を開けてやれ」
投降した兵士達に命令すると、兵士達の壁はあっという間に開いていく。
「さあ、失せな。どこへなりと」
その声を待たずヘルベルは駆け出していた。
次回で賊都編終了します。