賊都23
突如の乱入。
それも、400という最大勢力をもっての介入に動揺が最も激しかったのはシロキア一家だった。頭首は双頭の蛇の頭との間で一騎打ちの途中。ほとんどのものはその一騎打ちを見守っていた最中に、矢の雨が降り注いだのだからたまったものではない。
悲鳴と、混乱が伝播し混沌たる有様だった。
あるものは抵抗し、あるものは逃げようともがく。それを規則正しく整列した兵士達の一群が、羊を狩るように殺していく。
崩れるシロキア一家。その中心の男は未だ己の中にある熱に突き動かされ双頭の蛇の頭と向き合っていた。周囲の喧騒も、築き上げてきた一家の悲鳴も、今は耳に入らない。
必要なのは、魔女の首。
狂犬を鎮めてくれるのは、ただ一つ。
視線の隅、魔女の首を取りに一歩前に出た所で黒い髪の男が脇を通り抜ける。怖ろしく素早い身のこなしに、シロキアは瞬間目を奪われた。
(あの時の……)
付けられた頬の傷が疼く。
「二対一ってのも悪くねえな」
口の中で呟いて、片頬を上げて笑う。太刀を握る拳に力は満ち、血を求める熱い鼓動は鳴り止むことを知らない。
「胴元、領主の奴が裏切りやがった!」
後ろで聞こえる悲鳴に、太刀を一振りすることで答えた。
「邪魔すんじゃねえ、良い所なんだ!」
「胴元っ!」
ひゅん、と風切る矢の音に振り向けば、手下の無残な姿が横たわっていた。
「ちっ……」
周囲を見渡せば見るも無残な状況。降ってくる矢を太刀の一閃で払いのける。
が、その合間を縫って腕に矢が突き刺さった。
毟り取るように矢を抜くと。
「どいつもこいつも! 邪魔だァァ!」
ぶるりと、血を振るい魔女に背を向けた。
目の前に広がるのは整えられた陣形、一列に並ぶ槍の装列に向かって吼える。
気づけば目の前には獲物がいた。
「来いヤァァ!」
一列に並んで迫り来る槍を瞬く間に弾き、隙間に割って入れば、後は滅多矢鱈に切りまくる。
敵の腕を、首を、胸を切り裂く。
「ふははは! 良いじゃねえか、どこを向いても敵だらけだっ!!」
シロキアの腕が振るわれるたび、血を帯びた太刀が兵士の鎧を引き裂き肉を絶ち斬る。返り血に濡れたシロキアの表情は鬼が憑いたように凄愴なものへとなっていく。
領主が網なら、シロキアはそれに打ち込まれた一本の楔と言えた。
整えられた槍列はその一点から、無残に瓦解していく。
逃げる一方だったシロキア一家も、頭首の獅子奮迅の戦いぶりに彼に続き出す。シロキアの食い破った槍列を手下達が、拡げて行く。
「胴元を救え!」
「裏切り者を許すなっ!」
盛り返した勢いをそのまま乗せて、シロキア一家と領主軍は壮絶な正面衝突へともつれ込んだ。
膠着……否。やや押されている状況に、バーンは僅かに驚いた。
数の優位、そしてほぼ完全なる不意打ちに対して持ち直してくるなど予想外も良いところだったのだ。
「やはり、賊都の博徒シロキアか」
賊都最大勢力にして、その地位を十年来守り通してきた男。計算だけでは表せない力があるのだろう。そして領主軍の兵士の慣れの問題だ。
「中軍も投入する。左右に展開っ!」
自身の左右に侍る中軍を、シロキア一家の左右に走らせる。
「バーン様、シロキア一家の後方が開いています! このままでは、彼らをみすみす逃がしてしまうのではないでしょうか?」
部下の言葉に、深く頷くとバーンは鋭い視線をシロキア一家に向ける。
前軍の三段構えの縦横陣をゆっくりとだが、確実に前進してくるシロキア一家は縦長の槍と化していた。
硬く鋭い穂先の役割をこなすのはシロキア。
「いや、このままで良い」
ならば、柄から崩せば良い。
個々の質で言うなら、恐らくシロキア一家に劣るであろう領主軍の兵士。優位な点といえば、統一された装備と数だ。そこをバーンはしっかりと弁えていた。
シロキア一家の左右に中軍が展開したのを見計らって号令を下す。
「中軍、殲滅しろっ!!」
号令の元に、前と左右から兵士の槍がシロキア一家を殲滅していく。
退路は後ろにしかない。
不満そうな部下の顔を見て、表情を崩さずバーンは淡々と語る。
「敵と戦う場合は敵になりきって考えねばならん。今回敵にとって問題となるのは、退路が無いということではない。むしろ退路があるということの方が問題なのだ」
「どういうことです?」
心底不思議そうに見上げてくる部下に、頷いてから続きを語る。
「見ろ、人は逃げ道が無いと分かればそれこそ死に物狂いで戦うものだ。だが、後ろには逃げ道があるとなれば……」
「生き残ろうと、それを目指して、殺到する……」
部下の答えに満足して、巌のような硬い頷きを返す。
「うむ!」
見る見るうちにシロキアに続く槍で言えば柄の部分が逃げ崩れていく。
「中軍、左は逃げ散った敵を追え! 中軍右は包囲せよ!」
ひらりと馬上に身を躍らせると、崩れかけた前軍に向かって声を張り上げる。
「前軍、立て直せっ! もはや敵に力は無いっ!」
指揮官の気迫が伝わったのか、崩れていた前軍までもが隊列を立て直す。
「この戦、もらっ──」
バーンの視界の隅、疾風のごとき速度で迫って来たソレは、手綱握った彼の腕を弾き飛ばした。
「バーン様!?」
馬上から崩れ落ちたバーンの鼓膜に部下の声が遠く響いた。
シロキアは領主軍の只中を食い破っていた。
自身の後ろに続く者が、打ち減らされていくのを感じながらそれでも前に進むしかない。
「ヘルベルの小僧! 出て来い!」
呼ばわる遠吠えは、敵の将には届かない。相変わらず現れるのは、いつ果てるとも知れない敵の群れ。後ろに下がろうものなら串刺しにされること確実だ。
がぎぃん。
と無残な音を残して、何十人目かの敵を斬った衝撃に耐え切れず、太刀が根元から折れてしまう。
「っち……」
名残惜しそうに握った太刀を一瞬だけ見つめ、敵に向かって投げ捨てた。
後は、手近な敵を殴り倒してその獲物を奪い、再び暴れまわる。
だがもう後が続いて来ない。
シロキアに従ってきたはずの手下達は、遥かに領主軍の兵士の壁の向こう側だ。
如何に強かろうと、ただ一人。
次第に体力をすり減らされ、不意を突かれ長槍に右太腿を貫かれた。
「くっ……」
続いて左足。
如何にシロキアといえども、足を串刺しにされて動けるものではなかった。
「おのれえぇぇ!」
獣の咆哮に、鬼気迫る表情。気の弱いものが見ればそれだけで失神してしまいそうなシロキアを、領主の兵士達が遠間から狙う。
近づきすぎれば、手に持った得物で殺される。
故に相手の間合いの外から攻撃できる長槍。
その卑屈さが、シロキアの怒りに火をつける。
痛みも構わず自身の足に突き立つ槍の柄を叩き切った。
だが、そこまで。
それ以上はどうしようもなかった。
動かぬ足は前に進まず、その場に身を崩れ落ちさせただけだった。
流れ出る血が、熱と共に身を焼く気持ちすらも零れ落ちさせる。
「くっそたれ……」
あれ程漲っていた力さえ今はもう──。
「なんだい、諦めちゃうのかい?」
その声は唐突に、嘲りを含んでいた。
振り下ろされる長槍と血煙を払い、狂犬の処刑の場に魔女が降り立った。
「てめえ……なんで」
「アタシはね、獲物を取られるのが一番嫌いなんだよ」
両手に握るのは、短剣。こびり付いた血肉に、瞠目する。
(切り開いてきたってのか、この兵士達の群れを……たった一人、俺を追って)
シロキアの背筋を駆け抜ける戦慄。
あまりにも大きすぎるそれは、自身の子供と同じぐらいの少女に対して畏怖を抱かせる。
だがそんなものを素直に認められるほど、シロキアは老いては居なかった。
「クックック、なら丁度良い。絶好の機会じゃねえか、殺せ」
「……昔、どっかで聞いたような台詞だねぇ」
世間話でもするような暢気な声で、シロキアの前に立ち。
「さあて、どうしたもんかねぇ」
白刃の海を睨んだ。
「まさか……俺を助けようってのか?」
背中から聞こえた声に、魔女は視線を外さず応じる。
「悩んでる途中なのさ、ぶっ殺してやろうと思ってた奴は見るも哀れな瀕死の姿。おまけに、人の獲物を横から掻っ攫う真似をしてくれた奴らは、勝った気でいやがる……全く不愉快だね」
言葉だけを聴いているなら脱力感すら感じる。だがシロキアは、その奥にある芯からの怒りに気がついた。背を向けてさえ、陽炎のように立ち昇る怒りを感じる。
真正面に居る奴らは、溜まったものじゃないだろう。その威圧に、周囲の壁が一歩下がる。
と、何かに気づいたかのように魔女の怒りの気が揺らめく。
「シロキア……アンタは運が良いらしい。どうやらもう少しは生きられそうだよ」
シロキアと魔女を囲んでいた兵士の壁の一角が崩れる。
同時に敵の後方で、喚声とは違う声が聞こえた。
「てめえ……一体何を」
呆然とするシロキアの声を一笑に付すと、兵士の壁を突き崩して来た手下にシロキアを運ぶように命じる。
「さあ、掛かっておいで。ここからは、荒地の魔女が相手になるよ」
獲物を狩る猛禽類のような獰猛な笑みを浮かべ、荒地の魔女は微笑んだ。