賊都17
ハンナの引退から一日。
サギリの示したシロキアとの対峙の当日、その知らせはシロキアの耳に入った。
「ハンナが、引退だと?」
頬にある大きな傷痕を歪めながら、シロキアは笑った。
「あの強欲ババアがな……結局ガドリアを仕切れるのは俺だけってわけだ」
心底可笑しそうに笑うシロキアの目だけが、爛々と獲物を狙う獣のように輝いていた。
「双頭の蛇のガキどもを血祭りにあげるぞ!」
集めた手下は300を上回る。
博徒はもちろん、腕っ節に覚えのある工夫や、流れ者の用心棒など手下の種類は多岐に及んだ。賊都と呼ばれるガドリアで、10年来中心に座り続けた男の重みが、空間を歪ませるような圧力となって手下達を震え上がらせる。
「戦だ、野郎共!」
「おう!」
振り上げた太刀に、手下達の喚声が重なる。
まだ中天に日は高く、彼らの活動する時間には早い。
だが、高まった威勢はそんなことをお構いなしに徒党を組ませ街の中を練り歩いていく。手にするのは、抜き身の刀や槍。陽の光を受けて輝く凶器を、威嚇するように見せ付ける。
その行列の中心白い羽織を纏い、手には白木鞘の太刀を持ったシロキアが悠然と進んでいた。未だ黒々とした頭髪は短く刈り揃えられ、羽織の下には木綿の着流し姿。爛々と輝く目には凶気に似た残虐な光。
飢えた狂犬のごとき様相で、シロキアは獲物を求めて彷徨っていた。
「何やってんだかね」
狂騒振り撒くシロキアの行動に、先ほど新たな艶花に就くことに決まったジルはため息をついた。遠めに眺めていてさえ、その威容は良くわかる。ガドリアの実質的な権力者だからこそできる芸当なのだろう。
だがきっと、あの荒地の魔女はそんなものには怯まない。
先日対峙した、あの容姿。
まるで……御伽噺に聞いた王のような威風だった。
ふと、そこまで考えてジルは苦笑する。
「……あたしも、毒気に当てられちまったかね」
こんなことじゃ、サイシャ達のことを笑えない。
ガドリアに吹く風が、ジルの降ろした長い銀の髪をそっと撫でた。
「ほぅ、四役の一角が落ちたか」
にやりと、頬を歪めて嗤うのは玉座に座るヘルベル。頬はこけ、以前よりも目に宿る狂気の色は濃くなっている。笑う口元は禍々しく、三日月のように撓む。
報告に来た近衛騎士バーンですら、自らの主の変貌に目をあわせられない。
それ程の異常な雰囲気。
「やはり問題は蛇か」
「そのように心得ます」
愉しげに嗤う声からは、不安の色はない。だが、だからこそ怖ろしいとバーンは感じた。
「して、あの豚は見つかったのか?」
「いえ、クルドバーツは以前姿を見せませぬ。店の方も監視を続けていますが、そちらに表れた様子もなく……」
「なるほどなるほど……逃げ出した、か」
クッと短い発作のような笑い声が響く。頭を垂れたままのバーンに対して、ヘルベルは無邪気に言葉を掛けた。
「ご苦労。蛇と老いぼれ……どちらか生き残った方に向けて兵を出すぞ。準備を怠るな」
「御意」
実直に頷くバーン。
「愉しくなってきたではないか、なぁ?」
主のその言葉に冷たい汗が背中を伝う。意味などない戯れのような言葉、だがその行間に潜む冷たい毒がバーンの胸を締め付ける。
「ヘルベル様」
身の内の勇を奮い起こし、バーンは主に声を掛けた。
「なんだ?」
宙に浮いた言葉に、地を這うバーンの言葉が続けられる。
「四役を廃した後、ガドリアは収まりますでしょうか?」
「さあ、どうでも良かろう」
にやりと、気の触れてしまった者のように笑う主の姿。
「……はっ、無用なことを聞きました。お許しを」
再び頭を垂れるバーンに、ヘルベルは退出を命じた。
辺りにはまだ血の臭いの漂うモルトの隠れ家。
負傷したものは粗方手当てを終え、動かせるものは他の隠れ家へ移していった。動けない程重症な者は、そのまま寝かせられていたが、その周りを忙しくルクが走り回る。
レギーの助手として、怪我人の手当てに文字通り目の回る忙しさだった。奇跡的にあれ程の斬りあいの中で死者は一人も出なかった。
突撃は熾烈を極めたが、雪華の撤退の早さもあって命を取り留めるものが多かったのだ。
その手当ても一段落しルクは目当ての人物を捜し求める。
「サギリなら奥の部屋だ」
冷たい落ち着いた声に振り向けば、琥珀色の刃のように鋭い瞳をした青年が壁に背を預けながらルクを見ていた。
「あの……」
「目が追っていた」
端的に、必要な答えだけをくれるジンは、言い終わると壁から背を離す。
「いえ、貴方のお名前は?」
「……ジンだ」
そのまま怪我人の間を通り抜け、外へと消えた。その後姿を見つめていたルクに、レギーが声を掛ける。
「あいつは変わり者だからな、あんまり気にするんじゃねえぜ」
「変わり者?」
首をかしげるルクに、レギーは血で汚れた白い衣服を脱ぐ。
「狼さ、人を寄せ付けず魔女にだけ懐いてやがる」
ふん、と鼻を鳴らすとレギーはうめき声を上げる怪我人の診察に向かう。
奥の部屋には、サイシャとサギリがいた。
「失礼、します」
寝台に腰掛けて、寝たままのサイシャと喋るサギリに声をかける。
「サギリさん……お話があります」
「あん?」
やれやれと、頭を掻くと寝台から腰を上げる。その腕をサイシャが捕まえる。
「さー姐」
「今は寝てな」
ぽんぽんと、気安くサイシャの頭を叩いてサギリはルクの前に立つ。
「なんだい、お嬢ちゃん」
「ルク・ツラド……と申します」
「知ってるよ」
面倒臭そうに、ルクの青い瞳を見つめ返すサギリ。サギリの黒曜石の瞳は、全てを飲み込む黒の色。
その瞳の深さに、ルクは恐怖する。しかし、その恐怖を飲み込んで口を開いた。
「私の、ツラド家がどうなったか教えていただけませんか?」
真剣な眼差しを、硬質な宝石のような瞳が受け止める。
「滅んだよ」
端的な、だが何より重い一言。
「ツラド家の騎士達は……?」
「全滅さ、一人も生き残っちゃ居ないだろうね」
薄々考えてはいた。だが、その事実は余りに重い。
「……最後に一つだけ、貴女はどうして私をここに連れてきたんですか?」
にやり、と陰湿に粘り付くような笑みを顔に浮かべサギリはルクの耳元に顔を寄せる。
「決まってンじゃんじゃないか……金になるからだよ」
「……貴女の思い通りには、なりません」
サギリの悪意を跳ね除けるような強い視線。泣き崩れると思っていたサギリは、ルクの思いのほか強い心に戸惑った。
「ま、好きにしてみな。アタシの邪魔をしないなら、しばらくは放っておいてあげるよ。アタシは忙しいからね」
笑顔の質を変えてそれだけ言うとサギリは部屋から出て行った。
サギリが出て行くことを確認すると、ルクは俯いてしまう。ぼやける視界に、ルクは自分自身が泣いている事を悟った。
かみ締めた嗚咽が部屋に響く。
その声を、サイシャは寝台に横になったまま無言で受け止めた。
「ルク、どこ行った? 診察手伝ってくれ!」
隣の部屋から響くレギーの声に、涙を拭く。
「はいっ!」
気丈に振舞うルクに、サイシャが声を掛けた。
「……おい」
寝台に横になったままルクに背を向けてはいたが、サイシャの声はルクに向けられている。
「え?」
「サー姐は、あんまり素直じゃない。それだけだ、行っちまえ」
軽い舌打ちを伴った言葉。だがその内包する気遣いに、ルクは驚き嬉しくなった。
「……うん、ありがとう」
返事はしないサイシャの背に微笑みかけると、ルクはレギーの手伝いに隣の部屋に行った。
「……バカ」
一人のなったサイシャは、小さく自分自身を罵った。
少し軽くなった心が、妙にくすぐったかった。