賊都14
鍛冶屋の建ち並ぶ通りにはジルとハンナ率いる雪華が犇めいている。その松明の明かりから逃れた闇の中、ケイフゥとジンは潜んでいた。
シロキアを挑発し、隠れ家の一つでケイフゥの治療をして戻った所でこの騒動に出合ってしまった。
「どうしよう……ジンにぃ」
腕にすがりつくケイフゥの頭を撫でながら、ジンは群れの頭を殺すことだけを考えていた。群れは統率するものを失えば崩壊する。 繰り出している者らの衣装に花の印を見つけて、それが雪華なのだと当たりを付ける。
「雪華のジルか」
ぽつり、と呟かれた名前にケイフゥが反応する。
「え、ジルが?」
「もしくは、ハンナだな」
俯いたケイフゥにジンがはっきりと告げる。
「ケイフゥ……群れの頭をを殺すぞ」
唇を噛み締め、目に涙をいっぱいに溜めながらケイフゥは頷いた。
「よし、行くぞ」
煌々と照らす通りへ二人が身を躍らそうとした直後。
「待った」
後ろから聞こえた声に足を止めた。
「サギリ……」
「何やってんだい、こんな中出て行って無事で済むと思ってンのかい?」
溜め息を吐きつつ、双頭の蛇の頭はジンに詰め寄る。
「ちぃと、自惚れが過ぎるんじゃないかい? ジン」
「俺は――」
「それに、こんな足手まとい連れて」
ケイフゥの頭を鷲掴みにして引き寄せる。
「みんながみんな、アンタみたいに怪我に強いわけじゃねえんだ。少しは労んな」
引き寄せられたケイフゥの服の下からは真新しい包帯が幾重にも巻かれていた。
「ケイフゥ、大丈夫だよ!」
「いいや、駄目だ」
「ジン、今仕掛けるのはアタシが許さないよ」
「サギリ……」
「仕掛けるのは、奴らがねぐらを攻め始めてからだ」
「仲間を見捨てるのか?」
「勘違いすんな、炎の運び手達には囮になってもらうだけさ」
「……助けるんだな?」
鋭さを増すジンの視線、無言で縋る様に見つめるケイフゥの視線を受けて、サギリは薄く笑った。
「ああ、そのつもりだよ」
「解った。お前の指示に従う」
「ハン、当然だね」
息を殺し、三人は獲物の動きを見守った。
ガツリと矢が壁に突き立つ音が聞こえた。
「いよいよ、始めやがったか」
格子を下げた窓の外、暗闇の中に無数の炎が揺らめいていた。レギーは壁に背を預け、格子から覗き見た。手にするのは使い込まれた弓。
「モルトの頭は、病だし双頭の蛇野郎どもはどこに消えたかわからねえと来たもん──」
相手から射込まれる矢の間隙を縫って、レギーは矢を射た。
「だっと!」
遠くで聞こえる悲鳴とすぐに射返される矢に、舌打ちする。
「医者が人殺しとは、世も末だな」
「愚痴がでるぐれえなら、余裕だな!」
降り注ぐ矢の雨に、仲間からも声がかかる。
「口より手を動かせボケども!」
言うなり、再び射られる矢。上がる悲鳴に、揶揄が飛ぶ。
「医者辞めて、狩人にでもなったらどうだ!?」
「人でも狩れってか!?」
怒鳴り返すレギー、同時に射られる矢。生まれる悲鳴に仲間からは、口笛と囃し立てる声が返された。
一段と激しくなる矢の雨にレギーは舌打ちしつつ、外を覗き見た。
「おい、奴ら来るぞ!」
迫りくる雪華の人並み。矢を射掛けるのをやめて、接近戦で勝負を決めに来るつもりらしい。
「てめえが頑張りすぎるからだろうが、怪我したらしっかり治せよ! 藪医者!」
人数差を考えれば絶望的な戦い。だがそれでも絶えない仲間の軽口に、レギーは苦笑した。
薄闇の中、隣の部屋からの喧騒にモルトはゆっくりとだが意識の覚醒を促される。
「む……ぐぅ……」
無意識に漏れる苦悶の声に、ルクはモルトの手を強く握った。
「モルト、さん?」
闇から開けた視界。
「ルク、か?」
モルトの手を握り頷くルク。
「気分は、どうですか?」
モルトの体を案じるルクに彼は笑みを返した。
「外がうるさくて眠れねえな」
太い笑みを浮かべると、上体を起こす。慌てた様に、その背に手を回すルクだったが、彼女の手を借りることなくモルトは体を起こした。
「外は、どんな具合だ?」
「……さっき二回目の突撃を追い散らしたところだ」
聞こえた声は、眠っているはずのサイシャのもの。不機嫌に低められたその声に、モルトは苦笑しルクは目を見開いた。
「朝までは目を覚まさないってレギーさんが言ってたのに……」
「藪医者の言うことを真に受けちゃぁいけねえな」
口の端を歪めるモルト。
「私の体は、毒も薬も効かない。そういう風に変えてきたんだ」
酷くあっさりと、告げるサイシャ。
「しかし、二回目か……相手はわかるか?」
「さあ?」
考え込むモルトに、サイシャの返事は素っ気無い。
「ルク、わしに手を貸してくれ」
「だ、だめですよ! 皆どれだけ心配したと思ってるんですか!」
ルクの肩に置かれたモルトの手。そこから伝わるモルトの熱に負けないようにルクは気持ちを強く持った。
「やめときなよ、爺さん……痛っ」
寝台から起き上がるサイシャの瞳がルクを見つめる。背中を気にしながらも、彼女は黒の衣服に袖を通した。
「私達のと、コイツは違うんだ。分かってくれって言ったって無駄さ」
寝台から降り立ち、一度だけ、ふらりと体が揺れる。
その姿に、ルクの中の怒りに似た感情が燃え上がる。ツカツカとサイシャに歩み寄ると、思い切り頬を張った。
「なんで、貴方は……!」
「このっ……」
歪むサイシャの口元。敵意をありありと示す表情に、大抵の者は恐れをなすだろう。だが、それを真正面から見返し、ルクは涙を溜めながら彼女と向かい合った。
「そんな無茶ばかりするんですか! そんなに私やレギーさんや、ルカンドさんが信じられないんですか!?」
「私が、ルカを信じてないってのか!」
胸ぐらを掴み、睨み上げるサイシャにルクは毅然と言い返した。
「信じてませんよ! 独りでお城に行ったのだって、ルカさんがどこかでもう生きてないと思ったからでしょう!?」
サイシャの手を払い、彼女の肩を掴む。
「ルカがさらわれる原因になったお前が、ふざけた事を言ってんじゃない!」
振り払われたルクの手。僅かに止まり、俯くルク。だが再びサイシャの瞳を見返すと、一気に思いの丈をぶつけた。
「そうです。私が居なかったら、ルカンドさんは攫われる事なんか無かった……だからこそ、私が一番あの人を信じていなきゃいけないんです! ルカンドさんが戻ってきた時に、おかえりなさいって、みんな無事ですって言ってあげたいんです!」
サイシャに振り払われた手を再び彼女に伸ばす。
「だから、サイシャさん無茶はしないで! 貴女が居なきゃルカンドさんだってきっと泣いちゃうから」
伸ばした手は、小柄なサイシャの背に周り彼女を抱きしめた。
ルクの腕から伝わる温もりに抱きしめられながら、サイシャは動けずにいた。圧倒されてしまった。弱くて何も出来ない良いとこ育ちの女だと思っていたルクに、その思いに彼女の怒りが呑まれてしまった。
不思議と、サイシャに悔しさは無かった。それは多分、ルカンドが泣いてしまうと言うその情景がありありと思い浮かんでしまったからだと思われた。
ルカンドが泣くのは、嫌だなと納得してしまったのだ。
抱きすくめられたまま、ルクを見上げればグジグジと泣いている。
「……放せ、バカ」
「嫌だ、サイシャさんが無茶しないって言うまで放さない!」
「背中が、痛い」
「え、あ! ごめんなさい!」
飛び退くように、サイシャから離れたルクにサイシャは溜め息を吐いた。
「誰かさんに、背中の傷を広げられたから私は寝てる。爺さん後よろしく」
それだけ言うと、事態を飲み込めないルクを置き去りにして寝台に傷付いた身を横たえた。
「大したもんだな」
ルクは掛けられた言葉に、曖昧に頷いた。
「さぁて、折角養生するってぇ悪ガキの為にジジイが一肌脱ぐか」
「だ、だめですよ! 病気なんですから!」
立ち上がろうとするモルトを支えながら、ルクは再び彼を寝台に寝かせつけようとするが、年の分だけ彼は老獪だった。
「心配いらねえよ、相手がどこだろうとわしが出て行けばこの争いは終わるさ。派手に動きもしねえし、大声もださねえ。少し顔を出すだけだ。な、それなら良いだろ?」
「え、でも……」
「おめえだって、無駄に血が流れるのは好きじゃねえだろ? ましてや、戦ってるのはわしの弟子どもだ。な、少しだけだ」
「なら、なら私も一緒に行きます!」
「む、だけどなぁ」
戸惑うようなモルトに、ルクは詰め寄る。
「すぐ終わるんですよね? 危険はないんでしょ? なら、私も行きます!」
「分かったよ」
ルクはモルトの肩を支えながら、喧騒と怒号飛び交う隣室へ足を踏み入れた。