賊都13
結い上げた銀の髪の合間から覗く眉間にしわを寄せ、ジルは報告を聞いていた。なるべく表情を表に出さないように気をつけてはいるのだが、あまり効果はなかった。
「……なんだかねぇ」
ため息を吐いて、報告に来た手下を下がらせる。
荒地の魔女が戻ってきてから一気に事態が思惑を外れて動き出してしまった。まさかいきなり領主に喧嘩を売るとは、度胸があるなんてものではない。
「トチ狂ってるのかねぇ……サイシャの主人は」
炎の運び手に恩を売りつつ、現状維持……というのがジルの絵図だった。できれば、双頭の蛇の力は殺ぎつつ、だ。その為にわざわざルクを攫い、更に恩を売ってモルトの元に戻すなどという面倒なことをしたのだ。
なのに。
「ぶち壊し、か」
咥えた煙管から、紫煙を吐き出す。モルトが自らサイシャを救いに行くというのも予想外だった。そのせいで今や<炎の運び手>と<双頭の蛇>は荒地の魔女が完全に握っていると言っても過言ではない。
「ジル姐さん」
ぼんやりと、揺れる紫煙を眺めていたジルはその声で視線を戻す。
「ん〜?」
「ハンナの女将さんがお呼びです……その、えらい剣幕で」
「はいよ」
やれやれ、と火を捨て煙管をしまう。癇癪を起こすのは良く分かる。だが、だからといって気分が良くなるというものでもない。
「全く、厄ごとばかりを運んできやがるねぇ荒地の魔女は」
優美な裾を翻し、ジルはハンナの元へ向かった。
簡単な事務机に、雑然とした部屋。
イライラとした様子でその机の周りをハンナが歩いていた。皺の目立つ顔を歪ませ、視線は憎々しげに周囲を彷徨わせる。
「女将さん、着ましたよ」
「ジルっ! どこほっつき歩いてたんだい!?」
普段と変わらない様子のジルの声音に、ハンナが過敏に反応する。頭一つ背の高いジルを威圧するように、ハンナがつかつかと歩み寄り睨みあげる。
「たった今シロキアから、報せが来た。あの小娘やってくれたよ! ああ、忌々しい!」
近くにあった置物を引っ叩き床に落とす。
「何をです?」
ハンナの落とした置物を拾おうと手を伸ばしつつ、聞き返す。
「シロキアに喧嘩を吹っかけやがった。シロキアは戦だと息巻いているし、ああ、もうガドリアを火の海にするつもりかい!?」
置物を拾い上げ、元の場所に戻しつつジルはハンナに視線を向けた。
「それで、どうしますか?」
至極簡単に聞き返すジル。その彼女をハンナは忌々しげに睨んだ。
「随分、余裕じゃないか、え?」
「あたしまで一緒になって騒いでも、仕方ないですしねぇ」
肩を竦めるジルに、ハンナはため息を吐いた。
「ありがとうよ、全く私ゃ良い娘をもったもんだ!」
少しの感謝もない風に、どなるハンナに。
「どういたしまして、それでどうします? あたしは炎の運び手に付くのも、ありだと思いますけど」
さらりと、ジルは切り替えした。
「……いや、やっぱり博打は踏めないね」
騒いでいたハンナから一転して、その声は低く重かった。
「そう、ですか」
一瞬ジルの顔に痛々しいものが奔ったが、すぐにそれを打ち消すと、からっとした声で、言葉を続ける。
「それじゃ、襲いましょうか。炎の運び手」
「雪華だけでかい?」
「ええ、まぁどっちかに付くならはっきりさせておいた方が良いでしょうしね。できるだけ被害を少なくするなら、あたしらが出張った方が良いかと」
ハンナは椅子を取り出して、机の前に座り込む。額に手を当て、俯いてしまう。
「……また、金がかかるねえ」
顔を上げたハンナの口元には苦い笑みが浮かんでいた。
「素直じゃないですね」
「意地っぱりなのは、あんたもだろうに」
どちらともなくため息をつく。
「ジル、今回は私も出るからそのつもりで頼むよ」
「……はい、女将さん」
静かにうなずくと、ジルは準備をするためにハンナの部屋を出て行った。
「モルト……」
一人になった部屋、小さく呟かれたその言葉は誰にも聞かれることなく消えていった。
夜半、ガドリアの夜は冷える。
透き通った空気は天に瞬く星の姿を明らかにし、降り注ぐ月光は静かに大地を照らしていた。
傷病者の介抱を終えて、ルクは一人星を見上げていた。思い返すのは、怒り狂うサイシャを止めたサギリのこと。
「あれが、サギリさん」
腰掛けた岩の冷たさが、ついた掌を通して体に染み渡る。圧倒的な存在感、サイシャに掛けた言葉は優しく包み込むようなものだったのに、思い返せば背筋を凍らす冷たさを呼び起こす。
そして。
「お父様と、ウィンベルさんの行方を知っている人」
怯んではいけない。ガドリアに来て学んだことだった。他人は無条件に優しくはないけれど、無闇に恐れていてはいけない。
ふぅ、と考えを切り替えるために息を吐き出す。
「私はあの人の、何が怖いんだろう……?」
たぶんそれは真実を握られていることから来る恐怖なのだろう。自分がなぜここにいるのか、皆はどうなったのか。
ぶるり、と一度身を震わせた。
「弱気になっちゃ、だめ」
言い聞かせる言葉と共に、自分の体を抱きしめた。
強く心を持たなければ、負けてしまいそうだった。
「よしっ!」
腰掛けた岩の上から、降り立つ。
「ん?」
そのルクの瞳に、夜の闇を染める火の明かりが見えた。遠めに見えるそれは、どんどん数を増やし、周囲を照らしていく。その中に刃の煌きを見つけたとき、ルクは反射的に身を翻した。
「レギーさん! レギーさん!!」
サイシャの看病に追われ、先ほどやっと眠りに付いたレギーをたたき起こす。
「なんだ、また、怪我人か……?」
寝ぼけ眼を擦りつつ、レギーは起き上がる。固い床に雑魚寝していた為に固まった体の節々を動かしながらルクの方に視線を向けた。
「そうじゃないの、外! 松明の明かりが……」
「松明……?」
疲労と寝不足ではっきりしない頭を抱えながら、レギーは外に出た。
一瞬の静寂の後、レギーの大喝が仲間に向かって発せられた。
「起きろ野郎ども、敵襲だ!!」
その声に応えて炎の運び手達が悪態と共に起き上がる。携えるのは、歪に光るそれぞれの武器。その得物の光に負けない程に、彼らの瞳もぎらついていた。
「全く、こんなときにどこのどいつだ!」
レギーも悪態をつくと、ルクを引っ張り家の中へ入る。
「いいか? どこのどいつだか知らねえが炎の運び手に仕掛けてくるってことは相当の覚悟があるってことだ」
言葉を切って、ルクの瞳を覗き込む。
「乱戦になっちまえば、お前を守れるかわからねえ。悪いことは言わねえから、頭のところに行ってろ」
「……うん」
唇をかみ締めるルクに対して、レギーは彼女の頭をなでた。
「気にするな、人には向き不向きがあるんだからな……さあ、いけ!」
追い立てられるようにして、ルクはモルトの眠る一番奥まった部屋に移動した。
騒ぎを増す扉の向こうを気遣いながら、ルクはモルトとサイシャの眠る部屋に居た。二人とも重症でとても戦いには参加できないだろう。
レギーの話によれば、麻酔で眠らせているそうだ。
「ケイフゥ、ルカンドさん……」
高まる部屋の外の喧騒に、ルクは耳を塞いだ。