賊都12
扉のノブに手をかけて回す。ガチャリという音と共に鍵が開き、扉を開こうとして何か硬いものにぶつかった。
小太りの体を小さくしてクルドバーツは溜息をついた。
窓から外を見下ろせば、蟻の這い出る隙間もないほど周囲には兵士たちが待機している。夜ともなれば篝火を焚き、その警戒は厳重を極めていた。
ある意味領主よりも厳重な扱いを受けているといって良い。ただ、その警戒の視線が彼自身に向けられていることを除けばだが。
「やられた……」
今日だけで何度目かわからない溜息をつき、長椅子に腰掛けた。向かい合う二つの長椅子の間には背の低い机があり、酒瓶が置かれている。彼が飲むには少しばかり強いそれを、一気に飲み干すと、長椅子の背もたれにぐったりと体重をかけた。
領主の城から自宅に戻ってすぐ、彼は近衛騎士のバーンにより自宅の一室に監禁されてしまった。当初こそバーンに抗議し、なんとか自由に行動できるようにと図ったが無駄だった。目の前に良く磨かれた槍の穂先を突きつけられ、脅迫じみた言葉で警護の必要性を説かれては反抗することもままならなかった。
彼の店の者も、始め兵士達と揉めたようだがここ二日はそれもない。
「野蛮な、賊どもめっ!」
吐き捨てると再び酒盃を煽る。
愚痴を肴に、強い酒を飲み干すと彼は寝入ってしまった
──がちゃり。
ぼんやりとする頭でその音に気がついたのは、彼の体を撫でる冷たい夜気が覚醒をせっついていたからだ。
──ぼすん。
誰かが彼の前の長椅子に腰を下ろす音がした。
「ぬぅ……」
割れるように痛む頭を振りながら、クルドバーツは周囲を確認する。
月明かりさえ入らぬ真っ暗な部屋。
いつの間にか、夜半を過ぎたようだった。起き掛けのぼんやりとした視界で、正面に座っている人物を見定めようと、目をこする。
「よぉ、お前がクルドバーツだな?」
聞こえてきた声は若い女のものだ。
「……誰だ、いや、どうやってここまで来た……?」
「ハン、決まってんだろ。邪魔な奴は潰して来たんだよ」
人を食った物言いに、ひやりとクルドバーツの背を冷気が撫でた。
「それより、アンタがクルドバーツで間違いないんだな?」
恐る恐る頷くクルドバーツに、闇の向こうの女が笑う気配があった。
「アタシはな、双頭の蛇のサギリってもんだよ」
クルドバーツの回っていたはずの酔いが、引いていく。
「荒地の、魔女?」
「ああ、そうだよ」
「なぜ……」
「お前に出してもらいたいもんがある」
低い机に足を上げ、背もたれに体重をかける。
「何を……?」
「金だ」
「……どれほどの?」
商人らしい目ざとさで、瞬時に考える。
「色町を買い取れるだけの、だ」
「それは……」
言いよどむ、クルドバーツ。
「アタシは相談してるんじゃねえ。お前の全財産振り絞るれば、そんくらい用意できるはずだ」
傲慢だが鋭く急所を突いてくるサギリの言葉にクルドバーツは唸った。
「なぁ、クルドバーツ。王都ロクサーヌで、未亡人が殺されるってのはよくあるのかい?」
「は?」
悪戯を仕掛けるような笑みでサギリは言葉をつなぐ。
「何、例えばの話さ。貴族の未亡人に入れあげる商人がいたとしてだ、悪い盗賊が目を付けたら大変だよなぁ?」
「な、にを」
「例えば、その商人が贈ったこんな首飾りがアタシの手元にあれば……クルドバーツ、お前の気持ちは少しは変わるのかい?」
血濡れたそれを無造作に投げると、サギリはクルドバーツに迫った。
彼の脳裏に浮かぶのは、長年慕い続けた儚げな愛する人の笑顔。それが血に濡れて物言わぬ死体となったところを想像してしまった。
「か、彼女に何をした!?」
机に手を叩き付け、立ち上がるクルドバーツに荒地の魔女は、静かに笑った。
「落ち着きなよ。お前が、頷きさえすれば何も起きはしないさ」
取り乱すクルドバーツにサギリは表情を緩めたが、彼女の黒曜石の瞳だけは笑わずに彼を品定めしていた。
「返答は?」
まるで喉元に刃を突きつけられているような圧迫感がクルドバーツを襲う。
だが、それ以上に彼を悩ませていたのはロクサーヌに居る想い人の事だった。
「……分かった。だが、くれぐれも彼女には……」
彼女が自分の弱点だと自ら告白するようなものだったが、それでもクルドバーツは言わずにはいられなかった。
「お前の心がけ次第だよ」
ふわりと、サギリは席を立つ。夜の闇に紛れるように彼女は立ち去った。
薄闇の中で今の出来事が悪い夢だったような感覚にクルドバーツは支配されていた。ふと思い立って彼女の去った扉を開いてみる。
「うっ……」
そして思わず彼はその光景に絶句した。
横たわるヘルベルの近衛兵達。そのどれもが、闇の中に黒々とした血を流し物言わぬ屍になり果てていた。
身の毛もよだつその光景に、クルドバーツはただ立ち尽くしていた。
ガドリアの家々の背は低い。それは吹きすさぶ強風と砂嵐に拠る所が大きく、故にガドリアの家々はほかの地域に比べて地下に発達を遂げていた。だが、いかに地下に発達しようとも、手作業では限界がある。堅い岩盤が深く掘り下げることを拒み、砂礫質の土壌が地下室の幅を抑えた。人の目を盗み開催される賭場などというものは、広い土地が必要になってくる。シロキアの屋敷に庭があるのは、地下にある広大な賭場への負担を減らす目的があった。
ガドリアで最も広い敷地を持つシロキアの屋敷。長大な砂除けの防風林に庭を抱え込んだその屋敷において、その騒ぎは起こっていた。
「くそったれ! どこのどいつだ!?」
シロキアの手下は夜の闇に向かってはき捨てる。 賭場の元締めとして、十年来ガドリアの裏を仕切っていたシロキア。その彼の屋敷に真正面から殴り込みを掛けるなどという無謀な者は、ここ数年来なかった。
<炎の運び手>のモルトは病に倒れ、<赤き道>のクルドバーツは領主に軟禁、<艶花>のハンナとは同盟関係にある。その状況下で、未だ健在のシロキアに喧嘩を売るということはガドリア全体を敵に回すことに等しい。
だが、それを。
「ケイフゥ、右だ。行け!」
たった二人で、やってのける者が居た。
篝火が焚かれた庭。僅かに残った闇の中、その隙間を縫うようにしてケイフゥとジンはシロキアの屋敷に奇襲を掛けた。闇に溶けるような黒の衣装を纏い、ジンの声音はあくまで冷たく低い。
その声に従い、ケイフゥは群がる敵を払いのける。
斬るよりは叩き折るという機能を重視した刀身の厚い剣を自在に操り、独楽のように回転するさまは、まるで舞踊のようですらあった。
剣を振るい、槍の隙間を縫って走り、斬撃をかわして跳ぶ。剣戟の合間をすり抜け血飛沫を彩りとして、小さな剣士は跳躍する。突き出される槍の穂先を叩き折り、左右から同時に迫る斬撃をかい潜り、正面から体ごとぶつかってくる敵の足を切り払った。
一人光を浴びる主役のように、ケイフゥは死の舞いを踊り続ける。
篝火の明かりが照らす舞台では、ケイフゥの剣舞が続く。
その喧騒を聞きながら、ジンはシロキアの寝所へ向かっていた。ケイフゥがあれほど派手に撃ち合っているのは、護衛達の耳目を集めるためだ。光の中のケイフゥに視線が集まる中、ジンはその光が落とす闇の中を進んでいた。 ガドリアでは高価な木造の屋敷。長い渡り廊下を渡った先に別棟として建てられたシロキアの寝所があった。
遠くに聞こえる喧騒に、シロキアは寝台を抜け出していた。別棟として作らせた寝所の外。昼ならば陽光に照らされた、緑の木々が目を足しませるであろう庭園から身震いするほどの殺気を感じる。
その殺気に、自然と頬が緩んだ。
──幾年振りだろう、これほどまでの殺気を向けられるのは。
護身用の太刀を手に取り、白い上着を羽織って扉を押し開けた。
そうして見たジンの姿にシロキアは視線を奪われた。正確にはその瞳に、だ。闇の中、呪いのように禍々しく赤く光るジンの瞳。
「ディード……」
思わず自身の口から漏れた言葉に、シロキアは我を取り戻す。ディードであろうはずがない。彼らは群で動き、理性などと言うものは持ち合わせていない怪物のはずなのだ。
「てめえ、一体――」
――ひゅん。
と風を切る音がシロキアの頬を掠めた。
――かつん。
とシロキアの後ろに突き立つ投擲剣。
「荒地の魔女からの伝言だ」
シロキアの言葉と思考を切ってジンは口を開く。
「牙を忘れた犬に告げる。獲物に噛み付く楽しさを思い出させてやる。三日後宵の口、重なる大岩の麓に来い」
ジンから発せられる殺気の密度は更に濃くなって、暗闇を重くした。
だが、それ以上何もせず彼は踵を返す。ジンが見えなくなって初めて、シロキアは自分が震えているのに気がついた。
「……野郎、このままで済むと思うなよ」
手にした太刀を砕けるほど握り締め、顔は怒りのために鬼のように赤く染まる。
「おちょくりやがってぇ……ガキどもが!」
目の前に敵が居たならば、睨み殺せそうなほどの視線。
ケイフゥを退けて戻ってきた護衛にシロキアは告げる。
「お頭、殴り込みはなんとか退けました。これからその、捜索に……」
「……手下を集めろ」
地の奥底から響くような声に、シロキアの手下は伏せていた顔を上げる。
覗き見たシロキアの顔。その頬から流れ出る血を拭いもせず、怒りに燃える瞳を闇の中に投じていた。