賊都9
駆け抜ける様子は、鎌鼬のように素早く鋭い。ケイフゥの長剣が向かいくる兵士の波を捌いていく。後ろからは、戦斧を血に染めたモルトが猛牛もかくやと言う勢いでそれに続く。
「数が、多いか」
ケイフゥがうち漏らした敵を葬りながら老盗賊は愚痴をこぼした。
彼の前を行くケイフゥにも疲れの色が見え始めている。荒い息づかいだけが小柄なケイフゥの疲労を主張していた。
「頑張れよ、後少しで出口が見える!」
「うんっ!」
城は広大だが作り自体は単純だった。モルトは入り口であり唯一の正規門へ向かっていた。だが進めば進むほど、兵士の数が多くなっていく。
彼の中に焦りが生まれる。このままでいいのか、それとも隠し通路を使うべきか。だが隠し通路と言っても、今でも健在とは限らない。さらに隠し通路を抜けるには、また城の内側へ向かわなければ――。
「爺、さん」
モルトの背中から蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
「サイシャ目が覚めたか!?」
足を止めずに、声だけを掛けた。うなづく気配に、安堵の息をつく。
「ルカは?」
「心配ない。助けは出してある」
それはモルトの嘘だった。サイシャを助け出すのに精一杯で、とてもルカンドにまでは手が回らない。部下たちはモルトとケイフゥを城内に引き入れるための囮として使ってしまった。
「そう、か」
安心したのか彼女がモルトの肩に捕まる力が弱まる。
「しっかりしろ! お前はもう一度あいつに会って思いを伝えなきゃならん!」
「そんな、ものはない」
静かだがはっきりと拒絶をするサイシャ。
「自分でもわからねえのか? 見てるわしらにはお見通しなのに、毒蛇の恋ってのは難儀だな」
「くそじじい」
にやりと、モルトは口の端を血に汚れた髭ごと歪めた。
「その意気だ。気持ちを強くもてよ!」
二度三度咳込むとモルトは前を走るケイフゥに声をかけた。
「進路変更だ! 付いて来い!」
迷うな、とモルトは自身に言い聞かせた。荒地に捨てられた少女と少年、その小さな命を背中に感じる。
──よく育った……だから生きろ。こんなところで死んじゃぁならねえ。老いたわしではなく、若い者にこそ未来は必要なのだ。
「抜け道を使うぞ」
兵士の突き出す槍をかわし、脳天に戦斧を叩き込む。そのまま兵士ごと戦斧を振るえば兵士は回廊の壁に叩きつけられる。
物言わぬ屍となり果てたそれを一瞥してモルトは茨の道に似た回廊を駆け抜けた。
部屋の外のざわめきが大きくなるのに胸騒ぎを覚えて、クルドバーツは扉を僅かに開き、見た。
直後飛び散る血潮が顔に降りかかる。
「ひっ……」
策を巡らせはしても、根は小心者である。引きつった悲鳴を上げ、尻餅をつく。
まるで見計らったように乱暴に開かれる扉。とっさに目を瞑った闇の中で、クルドバーツは太い声が降ってくるのを聞いた。
「よお、ヒヨッコ」
細い目を見開いた先には、悪鬼が如くモルトが戦斧を構えていた。白いはずの口髭は他人のか自身のか判然としない血で汚れ、所々全身にある古傷と相俟って満身創痍にも見える。
その悪鬼がごとき様相に、にやりと笑いかけられたのだから堪らない。
「ひっ……」
陸に揚げられた魚のように、口を開いては閉じ、閉じては開いた。
「ケイフゥ、早く来い!」
部屋の外からは断続的な悲鳴が聞こえる。
――ケイフゥ……双頭の蛇!?
その思考がクルドバーツの奪われていた言葉を引き戻させた。
ほぅ、とモルトが外に向けていた視線をクルドバーツに向けなおした。
「命乞いにしちゃ、利口なやり方だ」
「違う。取り引きだ」
クルドバーツは地獄を抜け出してきたような迫力に負けないように、腹の下に力を込めてモルトを睨む。
「階段の前には、鉄の扉がある。フックがついているが、小さくて人の力じゃ開かないように改造してある」
普段の丁寧な言葉遣いをかなぐり捨てて、細い目に力を込めた。背中を伝う脂汗を無視して言葉を続ける。
「それを開けるための術は私が知っている。いや正確には持っている」
「……分かった、で対価は何だ?」
一瞬の沈黙の後、モルトは答えた。ここで、無駄な時間を食うわけにはいかない。ケイフゥが切り倒してはいるが、すぐに兵士たちは押し寄せてくるだろう。
寝台の下から現れる鉄の扉に、懐から取り出したフックを括り付ける。
「赤き道と双頭の蛇の仲を取り持ってもらいたい」
がつりと音を立てて重々しい鉄の扉が開いた。
「一つだけ聞くぞ」
「何か?」
寝台を半開きの扉の前に動かすクルドバーツは、モルトに背を向けて答えた。
「わしをなぜそんなに信用する?」
抜け道を確保したあとで、クルドバーツを殺すことだってありえる。
「あなたが職人だからだ」
細いクルドバーツとモルトの視線が交差する。モルトが盗賊だということは、クルドバーツはわかりきっていた。わかりきってはいたが、クルドバーツは敢えて職人と言った。商人も職人も、第一に重んじるのは信頼。
好き好んで盗賊などになったわけではないモルトの、心を汲んだ言葉だった。
「サイシャ、少し降りてろ」
サイシャを床に下ろすと、モルトは扉の外で奮戦するケイフゥの元に走る。
「何を、そんなことをしてる暇は──」
「黙ってろ、ひよっこ!」
クルドバーツの言葉を遮り、モルトの怒声が響く。
「わしは、馬鹿だが義理を通すことぐらいは知っている!」
そう言うなり、両手で戦斧を小枝のように振り回し、兵士を薙ぎ倒す。隙の大きな大技だがその隙を埋めるように、ケイフゥが長剣を巧みに操り敵を寄せ付けない。屍を乗り越えその上に更に、屍を重ねていく。
逃げようとする兵士の背中に戦斧が滑り込み、戦意を失った兵士にとどめの一撃を見舞う。殺戮の名を冠するに相応しい力でモルトは敵を駆逐して行った。
周囲から敵の姿を一掃し、モルトはケイフゥを伴って部屋に戻った。
「……礼を言う、クルドバーツ」
「御代は、高くつきますよ。さあ、早く! 貴方達が行った後に私は領主の元へ駆け込みます」
不敵に笑うことを返事としてモルトは抜け道を下っていった。
「ほぅ、してその抜け道は?」
玉座に腰掛け、領主ヘルベルはクルドバーツの話を聞いた。その、よくできた作り話を信じた振りをしていた。
「はい、それはもう兵士の皆様方が既に後を追ってございます。いずれ領主様の前にかの者らの首級を取ってまいることでしょう」
精一杯の愛想笑い、いかにも怯えているという風を装いクルドバーツは答える。卑屈を装うその態度に、ヘルベルの口元には淡い笑みが浮かぶ。
「そうか、それは大儀だが……なぜ賊が城の抜け道を知っていたのかな? 手引きしたものがあるのではないか?」
ヘルベルの瞳に浮かぶのは残忍な光。それに心底怯えるように体を震わせて、クルドバーツは口を開いた。
「ぞ、賊めは、炎の運び手のモルトでございました。り、領主様はご存じないかもしれませんが、我ら四役は城の改修にも携わっております。それゆえに……」
ほぅ、と玉座の背もたれから体を起こす。
「それは容易ならぬ事態だ。つまり僕は、この城の中でさえ安心して眠れぬことになるな」
「は、はぁ……」
言葉を濁すクルドバーツに、ヘルベルは怪しい笑みを向けた。
「貴様も不安だろう? いつなんどき、賊が寝台の下より這い出してこぬとも限らぬのだから」
「は、はい。それはもう……」
満足そうに頷いて、ヘルベルは手を鳴らす。居並ぶ近衛兵の一人が一歩踏み出してくる。がっしりとした体格の巌のような男だ。
「バーン、貴様に我が客人たるクルドバーツ殿の護衛を任せる。精鋭100を率いて、彼を護衛せよ。これは領主命令だ」
「ハッ!」
よく訓練された野太い声で答えて、バーンと呼ばれた近衛兵は居住まいを正して礼をした。
「自宅はもちろんのこと、店の方も警備してあげなさい」
「ハッ!」
「ありがとうございます。領主様の御慈悲は、ガドリアの天よりも高く、風よりも強く身に刻みます」
怯えと軽蔑を内々に秘めながら、クルドバーツはヘルベルの前から退出した。
半ば脅しのような格好で、ジルからモルトとハンナの仲の修復を頼まれたルクは途惑いながらも色街からの帰途についた。
胸を締め付けるのは、捕まったルカンド。そして彼を助けるために戦っている友達のことだ。
「できることを、しなきゃね」
ルクは自分を励ますように呟いてから、胸の前で震えそうになる両手を握り締めた。色街からの帰途を心配してジルがつけてくれた護衛の人は、彼女自身が先ほど帰してしまった。一人で歩き、考えたかった。
ジルがくれた期限は四日、それ以上は待てないそうだ。
命を狙われる、とは別の理由でルクがジルのお願いに尽力するつもりになったのは、ひとえに自分の無力さ故だった。
──ガドリアに来て出来た友達。
その彼を救うために、ケイフゥやサイシャやモルトは武器を取って戦っている。だが彼女は武器など持ったこともないのだ。では、そんな自分が友達を助けるために、何ができるのだろうか? その思いに至った時、ルクはジルの頼みを受けようと決意した。
月明かりの照らす鍛冶屋通り。
やがて、炎の運び手の隠れ家として使っている一軒が見えてきた。彼女が攫われた家と言い換えてもいい。ぼんやりと明かりのついているその家を見た瞬間、ルクは息を呑み、次いで走り出していた。
「ルカンドさん!」
乱暴に扉を開けると同時に、名前を呼ぶ。だがそれに答える声はなく、中にいた人々は呆然と彼女を見返した。そこにいたのはモルトの部下たちだった。ケイフゥとモルトが城へ侵入するための囮となった者達である。
「これは、お客人……お見苦しい所を」
年かさの一人が立ち上がり、ルクの前での無作法を詫びる。見れば彼らは、怪我の治療をしている所だった。
「あ、いえ、お邪魔して申し訳ありません」
彼女は邪魔にならないように部屋の隅で彼らの治療を見守ることにした。だが彼女には時間がないのだ。後四日で再び彼女は捕らえられ、友達にも会えなくなる。
結局ルクは自分の為にしか動いてないと自覚すると、溜め息をついた。目の前で苦しんでいる人が居るというのに、考えていることと言えば、自分のことだけだ。
「私って、最低……」
自分自身が物凄く醜い生き物に見えてしまう。
「何が傷付く人を見たくない、よ」
かつて自分が抱いた想いさえ滑稽なものに思えてしまう。
だが、と彼女は自分の中のもう一つの感情も同時に自覚していた。
なぜかは分からない。だが、確かにルクは胸の奥に怒りに似た熱を感じていた。
「私に、できること」
少なくとも、ここで膝を抱えていることじゃない。
ルクは立ち上がると、怪我人の治療を手助けするために、彼らの中に分け入って行った。
更新が遅れて申し訳ありません。