表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦 527年 魔女の系譜4章
17/103

賊都6

 乾ききった大地に、荒い風が吹きすさぶ。

 砕けた岩、どこまでも続く鉛色の空が遠く見える境界の山脈まで続いていた。潤いを忘れた大地には背の低い枯れ木が点在するばかりで、目を楽しませるものは何もない。

 およそ、人が生きるには不便しかないような場所で響いた声は地を揺るがす怒声と断末魔の悲鳴だった。


「オォオオォォォ!」


 獣の咆哮が迸る(ほとばし)襤褸布(ぼろぬの)を巻きつかせただけの巨躯、手にするは無骨な造りの──だがそれゆえに実用のみを考えられた戦斧(せんぷ)

 吹きすさぶ風を掻き切るように振り下ろされたその先に、黒い髪を靡かせた女が立っていた。

 振り下ろされる凶器を迎え撃つように、無手の左腕を振り抜く。それだけで、岩をも砕くはずの凶器は強大な力に横から弾かれた。


「グゥォオ!?」


 理性を感じさせない赤い瞳。それを女に向けて、弾かれた凶器を再び振るおうとする。だがそれは女が何気なく突き出した右手に遮られた。

 握られていたのは、磨きぬかれた短剣。だが、それ自体が巨躯の男の動きを止めたのではない。それが男を刺し貫くには、遥かには距離が足りない。その短剣を覆う見えない何かが男を刺し貫ていた。

 崩れ落ちる巨躯の男を確認すると、女は口元を僅かに弦月に歪ませた。


「……38匹」


 黒曜石のように光る瞳を転じて周囲を見渡せば、連れが未だ獣どもを駆逐している最中だった。




 全身を駆け上がる熱。それを意識的に集約させ、脳裏に形作りしは精密な刃の造形(かたち)。目に見えるほどに、描いたその刃を全身を駆け抜ける熱と混ぜ合わせ体の外に放ってやる。

 吹きすさぶ風を割って、それは敵を押し潰す。悲鳴と臓物を撒き散らした敵は、崩れ落ち鼓動を止める。周囲を見渡せば、未だに敵意を剥き出しにするディード達が手にした武器を振り上げて向かってくる所だった。

 自然と緩む口元からは、凶暴な感情が吐息とともに流れ出していた。


「グゥギャァァ!」


 背後で獣じみた悲鳴が起こる。気配を感じていたよりも、遥かに近い距離に振り返れば黒髪を靡かせた女が不敵な笑みを浮かべて立っていた。

 その女の背後には、無残に切り裂かれたディードの姿。


「ジン」


 吹きすさぶ風さえも従えるように悠然と。だが荒々しいその場を統べるに相応しい暴の威風を伴って黒髪の女──サギリはジンに歩み寄った。


「さっさと片付けるよ」


 岩場を駆ける鹿のような軽やかな動作で、ジンのすぐそばを駆け抜け、囲みを作るディードに向かう。降り注ぐ一撃を当然のようにすり抜け、敵に見舞うのは必殺の一撃。

 上がる悲鳴と同時に、ディードが崩れ落ちた。


「──あぁ」


 眩しそうに、目を細めてからジンはその後姿を追った。








「ったく、ちっともまともなもんがない」


 干し肉を噛み千切ろうと歯を立てながらサギリは愚痴をこぼした。

 周囲よりは一段高い岩の上、眼下に見下ろすのはディード共の死屍累々とした有様だった。


「ここんところ、狩りすぎちまったかねぇ?」


 どう思う? と岩に背を預けて小太刀の手入れをしているジンに問いかける。


「さあ、な」


 気のない返事に、サギリの舌打ちをした。


「チッ……まぁいいさ。それより勝負の内容は忘れちゃいないだろうね?」


「負けたほうが、秋春亭の料理を奢る」


 ガドリアにある高級宿秋春亭。そこの、料理を思い出してサギリは鼻を鳴らす。


「ふふん、アタシはさっきので45匹まで伸ばしたけどねアンタはどうなんだい?」


 自信に満ちたサギリとは、対照的に苦虫を噛み潰したようにジンの表情は暗い。


「……言いたくない」


「おや〜? 早くも敗北宣言かい?」


 ジンは口をへの字に曲げて、手入れの終わった小太刀を仕舞い、視界からサギリを追い出す。何も言わないジンに、サギリは執拗に攻撃を加えていた。やがてそれにも飽きたのか、サギリは息を吐くと、鉛色の空を見上げた。


「あー……腹減ったし、そろそろねぐらに戻るかぁ」


 心底やる気の感じられないサギリの言葉に、ジンも賛成する。


「そうだな」


 昨晩からずっと、ディードどもを追い続けて来たのだ。疲労も眠気も、限界を迎える前にねぐらに戻った方が良いと考えジンが立ち上がる。


「よっと!」


 立ち上がったジンの背に、ぶつかる圧倒的な重量。


 ──何だ!?


 一瞬何もかも忘れ地面に倒れこみながら、それでも後ろを振り返ろうとしたジン。黒くふさがれる視界に、混乱はさらに深くなり、無様に地面に前のめりに転ぶ。地面につく両手、視界は一気に地表へと移り、咄嗟に腰の小太刀に伸ばした手が柔らかい何かに当たる。

 肩から、垂れるのは自分のものではない長い黒髪。


「……おい」


 怒りを押し殺した静かな口調で、背中に乗っている暴君に声をかける。


「なぁに?」


 甘い吐息がジンの耳朶をくすぐり、首に回されるのは細く白い腕。腰の辺りに撒きついてるのは、しなやかな足。くすくすと笑うその声に普段は感じない艶めかしい女を感じる。


「なぁに、じゃねえだろうが!? 重いんだ、降りろ!」


 ジンは背中に感じる女の体を、敢えて無視して声を荒げた。


「なんだよ、せっかくアタシを背負って行く素晴らしい役目を与えようとしたのに」


 首に巻きついた腕を引き離し、背中に乗ったサギリを追い払う。

 先ほど感じた濃密なほどの妖艶さは息を潜め、悪戯っぽく黒曜石のような瞳を光らせたサギリが不満の声をあげる。


「疲れてんだよ」


 そっぽを向いて、歩き出そうとするジンに。


「やれやれ、アタシ一人背負えないようじゃいつまで経ってもアタシより強くなんて、なれないんじゃないのかね?」


 地面に座り込んだまま、じゃれ合いに似た安い挑発を投げかける。


「うるせえ」


 拗ねたように口を尖らせたジンは、一人で歩き出す。


「さっさと、戻ろうぜ」


 背を向けたままジンはサギリに声を掛けた。手をさしのべることは無かったが、その背はサギリが来るのを待っていた。

 いつの間にか、自分よりも大きくなってしまったジンの背中を眺める。

 殺すか殺されるか、それだけの関係だったはずなのに、いつの間にか淡い絆のようなものが出来始めている。

 妙にくすぐったいそれに、サギリはくすりと微笑みを返した。




 寄り添った岩の隙間に手を加えたねぐらにサギリとジンが戻ったのは、辺りに夜の帳が降り始めた頃だった。

 連絡の為の鳥がいるほかは、藁の寝台があるだけの簡易なねぐら。乾燥した食糧を僅かに持ち込み、10日から20日に掛けてディード共を狩るのがサギリとジンの日課だった。


「寝るか、寝る、寝るぞー……」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら、サギリは藁の寝台に倒れ込む。


「あー……ジン、アンタも寝ろ」


 倒れたまま手招きして、ジンを招き寄せると手の届くところで、一気にその体を寝台に引き込む。倒れるように寝台に入ったジンの腕を枕代わりにして、サギリは深い夢の中へ堕ちていった。

 ばさり、と鳥の羽ばたきの音がする。

 まどろみの中にいたサギリはその音に、睡魔からの覚醒を促された。


「……んっ、くそ」


 目蓋を手の甲で擦りながら、体を起こす。気だるい体に悪態をつきながら、連絡のための鳥が巣を作っている場所へと向かった。

 止まり木の上で餌を啄ばむ連絡用の鳥。その足元には小さな筒とそれに収まる程度の便箋(びんせん)が入っている。欠伸をかみ殺してその便箋を広げてみれば、書かれてあるのはガドリアの混乱とルカンド誘拐の一報だった。


「何かあったのか?」


 食い入る様に便箋を見つめていたサギリの後ろから、寝台から起きて来たジンが声をかける。


「あぁ、ちょっと愉しいことになってるみたいだよ」


 便箋を一瞥して、ジンの眉間には深いしわが刻まれる。ジンが便箋に視線を落としている間に、サギリは投げ捨てるようにして置いてあった荷物をまとめ黒い外套を身に付ける。


「ジン、さっさと支度しな。ガドリアへ魔女の帰還と行こうじゃないの」


 くすり、と笑うサギリに焦りの色はない。どこかその事件を楽しむかのような余裕を持って、彼女は荒地の奥から身を翻した。








「汚い所で悪いが、しばらくはここを使ってくれ」


 時折混じる咳に悩まされつつ、モルトは普段使わない部屋の一室を開けた。仕事場では傷跡の残る上半身を惜しげもなく晒す彼も、病床の身にあっては薄手のチュニックを纏うだけ。鋭い眼光は未だ衰えは見せないものの、その中にある光はいつもよりも弱い。


「……ありがとうございます」


 深々と頭を下げるのは、鮮やかな赤い髪をしたルク。声に力はなく疲労の色は隠すべくもなかった。


「ルク、少し休むと良い」


 頭を下げるルクの横から、頭ひとつ小さいケイフゥが心配そうに声をかけた。


「うん、ありがとう」


 痛々しい笑みをケイフゥに向けて、彼女はその部屋へ入っていった。


「それじゃお言葉に甘えます。大事なときにごめんなさい私だけ……」


「今はゆっくり休みな」


 幾分か和らいだ眼光のモルトが、声をかける。


「ケイフゥ、外に居るからね」


 真摯に見上げてくるケイフゥに、頷きを返してルクは部屋へ下がった。

 彼女が重い扉を硬く閉めると同時に、モルトは深いため息をついた。


「まったくどうなってんだ。おちおち寝てもいられねえ」


「ごめん」


 しゅん、と叱られた子犬のように項垂れるケイフゥ。


「ま、お前さんの所為じゃねえんだろうけどよ。ルカの奴は攫われ、サイシャは行方知れず、おまけに四役の連中と城のボンボンがきな臭いと来たもんだ」


 深く息をついて、軽く咳き込む。


「何がなにやら、さっぱりわからねえな」


「うん……」


 それに、と言い置いてモルトはルクが消えた扉を睨む。


「あの娘だ。今回の件とは関係ないにしても、隠し事がありそうだな」


「ケイフゥ、わかんないけど……ルクのこと好きだよ」


 その答えにモルトは苦笑をもらす。およそ彼の知るどんな盗賊とも似つかないこの少年。彼の腕を知っているはずのモルトでさえ、時々盗賊であるのかすらも、疑ってしまう。


「まぁ、とりあえずお前さんとこの親玉に連絡は付けておいた。とりあえずは静観しつつ情報を集めにゃなるめえよ」


 こくり、と頷くケイフゥ。


「お前さんところの若いのを使って、うちの奴らに連絡を付けてもらえるか?」


 唸りながらも、頷いたケイフゥ。


「それじゃ頼むぞ」


「うんっ!」


 脱兎のごとく駆け出して、ケイフゥは彼の手下の元に向かう。

 それを見届けてから、モルトは激しく咳き込んだ。口に当てた手には、滲む血。


「炎の運び手のモルト様も、そろそろ年貢の納め時ってか……?」


 不治の病。

 散々あくどいことをやってきたのだ、死ぬ覚悟はできている。だが、と諦めそうになる思考に歯止めをかける。


「まだ、死ねねえだろう?」


 自身の吐き出した血痰に問いかけるように、呟く。老いさらばえたこの体だが、まだまだ若い奴らの為に何かできるはずだ。いや、しなくてはならない。

 こんな所で簡単に病で死ぬなどと、そんな安易な死に方が赦されるほど自分はまともな人間ではないのだ。

 口の端についた血を腕で乱暴に拭いながら、モルトはルクの部屋の前を離れた。

 サイシャが一人城へ向かったとの報せがもたらされたのは、それなら間もなくの事だった。






  領主の城へ続く道。日は既に落ち、周囲は暗闇と吹き荒れる風が支配する。領主の城の門にだけ篝火が焚かれ、闇の中にぼんやりと浮き出ている。その城門に掘り込まれているのは、炎に照らされた領主の紋。


「角を振りかざす牡鹿……」


 その道をゆっくりとサイシャは登る。心に吹き荒れるのは、耳に入る音など漣にすら感じられない程の暴風。思い出すのは、すれ違ったあの馬車。

 この世の全てに悪意を向けるかのような暗く、深い眼差しを城へ向ける。ハンナの元で得た情報だった。ルカンドを攫ったのは二頭立ての馬車、紋章は振りかざす牡鹿の紋。

 ぎりっ、と音がするほどに奥歯をかみ締める。


「ルカ……」


 サギリのものであるはずの、ルクを売ってまでも手に入れた情報。良くて叱責、悪ければ殺されても文句は言えない。

 それでも、サイシャは引き返すことができなかった。

 闇に溶けるような黒衣を纏い、黒い鍔広帽子を被る。ゆっくりとした足取りは、あふれ出しそうな感情を抑えるために。

 登りきった坂の上、漆黒の闇にそびえる城門とそれに守られた城郭を見上げる。風に飛ばされないように、帽子の鍔を押さえ目を見開いて、自身の敵を見定め足を踏み出した。


ユニークが1000HITしていました。

拙い小説ですがご覧になられた方には、ありがとうございます。

週一のペースを守れるように更新していきますので、どうぞよろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ