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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦 527年 魔女の系譜4章
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賊都5

 向かったのは色町一の格式を誇るハンナの店。

 時刻は西の空に黄昏が迫る頃、色町は次第に目覚めようとしている時だった。降り続いた雨も上がり、西日が街全体を包み込む。

 店が軒を連ねる表通りから、少し裏へ入った路地に柄の悪い者達がたむろしている。彼らは、いくばくかの金と引き換えに、質の悪い客の相手をするゴロツキどもだった。 それは、ハンナの店とて例外ではない。店の裏手に寄り集まり、短剣を研ぐ者、簡単な博打に興じる者などその数は六人を数えた。

 最初に気付いたのは、短剣を研いでいたゴロツキだった。先刻までの雨でぬかるんだ地面、だがそれを踏む水音を全くさせず、差した影に視線を上げる。

 一見してそれは子供だった。雨に濡れた重そうな服を引きずった小柄な体躯。目深に被った黒い帽子は表情を隠し、体の凹凸を隠す服と相俟って性別の判断を付けがたくしていた。

 かろうじて濡れた黒服の胸にあるわずかな膨らみで、それが少女なのだと当たりをつける。


「……おい」


 少女が発したのは感情を伺わせない声。その物言いは、炉端の犬に話しかけるようなぞんざいなものだった。


「なんだ、てめえ」


 研いでいた短剣を少女に突き付けドスの聞いた声を出す。刃物をちらつかせて脅せば、逃げるにせよ、泣き出すにせよ、すぐに反応があると期待したゴロツキの予想は、容易く裏切られた。 短剣を突き付けられた少女は、まるでそれが見えないかのように平然と言葉を次ぐ。


「店に、ジルはいるか? いたらすぐに取り次げ」


 傲然と自分達の飼い主を呼び捨てられ、黙っていられるほど、そのゴロツキは気が長くなかった。

 普段なら、少女相手に刃物を振るうなど多少は躊躇うはずの行為を怒りが後押しする。振りかぶり、目深に被った帽子の鍔目掛けて短剣を振り下ろす。

 殺すつもりなどは最初からないが、脅しとしては充分な一撃。だが、その脅しが少女の帽子に届くより先に、少女は服の下から抜き出した小剣を一閃した。


「ぐっうぅあぁ!」


 掠っただけの一撃がゴロツキの全身に耐え難い痛みと、痺れをもたらした。叫び声を上げて、地面に崩れ落ちる。崩れ落ちたゴロツキが、転がった地面から見上げた少女は、一瞬だけ視線を合わせた後、博打を打っていた仲間の元に向かって歩き出す。

 博打を打っていたゴロツキ共は、既に手に刃物を持って少女を取り囲んでいた。


「……ジルを出せ」


 手にした小剣を、鞘に収めて少女は要求する。だが、ゴロツキ達は既に仲間をやられ、少女を取り囲んでいるのだ。引き下がる理由も、必然性もない。


「ふざけんな!」


 一喝と共に降りかかってくる短剣をかわすと、少女は鞘から小剣を勢い良く抜き放つ。

 その拍子に、ゴロツキ共の顔に水滴が当たる。雨は既に止んでいたが、先程までは降っていたのだ。何かの拍子に、水滴が当たっても不思議ではない。

 問題は、その水滴が当たったゴロツキ共が、呆気なくその場に昏倒してしまったことだ。


「な、なんだ!?」


 怯えた声を出したのは、幸運にも水滴の被害に合わなかったゴロツキだった。少女は止まらず、倒れているゴロツキを踏み越えて店の方に足を進める。

 その少女が一歩近づいて来るたび、残ったゴロツキは追い詰められる。

 まるで、断崖絶壁の上に追い詰められたかのような後のない恐怖。その恐怖に耐えられなくなり、自暴自棄の反撃にでようとしたゴロツキは背後から聞こえた声に動きを止めた。


「なにやってんだい」


 明るい声に、ゴロツキとサイシャの視線は自然と吸い寄せられる。


「姐さん!」


 助けを見いだしたような切羽詰まった声に、銀色の髪を結ったジルは苦笑する。手には煙管を弄び、煌びやかな着物の上から透き通る羽衣を纏っていた。


「……ジル」


 サイシャが鍔広の帽子の奥から、妖艶な出で立ちのジルを見据える。


「サイシャ、良く来たね」


 ゆったりと微笑みながら、視線はサイシャの手元の小剣と鞘に吸い込まれる。


「取り敢えず、中に入りなよ」


 煙管で店を指差し、まだ健在なゴロツキに声を掛ける。


「すまないねぇ、あたしの知り合いなんだけど変わり者でね」


 懐から幾許かの金を出しゴロツキの手に握らせる。


「これで好きなお酒でも呑んでおくれ」


 ずっしりとした手の中の重みに、ゴロツキはジルと金を見比べる。


「昏倒している奴らには、水をなるべく多めにね。そうすれば明日には良くなるから」


 言い含めて、ジルはサイシャを伴って店の中に消えた。




「なんということをしてしまったのです!」


 悲鳴に近いクルドバーツの声が、薄暗い地下牢に響き渡った。


「少し、平静になれ」


 彼の隣で落ち着き払っているのは、城の主ヘルベル。

 見つめる視線の先には鎖で壁に繋がれ、痛めつけられたルカンドの姿があった。


「双頭の蛇と炎の運び手を正面から敵に回すつもりですか!?」


 落ち着いてなどいられるはずがない。炎の運び手が敵に回れば、クルドバーツは不利益を導いたとして連盟の代表を追われるのは確実だし、もっと悪いのは双頭の蛇だ。

 彼らが現れる数年前まで、荒地を支配していたのはディードと呼ばれる狂人どもだ。異常食欲の塊のような奴らは、荒地を渡る商人達の天敵のようなものだった。出会えば、商品どころではなく自身まで喰われてしまう。

 どこから湧いて来るのか一向に数が減らない奴らに、優れた統治者だった前の領主さえ匙を投げたのだ。

 それを、双頭の蛇は駆逐しつつあるという。現に連盟に上がる被害は減少しているし、それに変わる盗賊の被害はあるが極々少ない数だ。

 双頭の蛇を束ねるあの女。黒い髪のサギリ。クルドバーツは荒地の魔女だけは敵に回したくなかった。


「お考え直しください。危険すぎます」


 クルドバーツとしては、釘を刺しておきたかっただけなのだ。荒地から勢力を伸ばし、ガドリアを飲み込もうとする双頭の蛇。また、それの武力を背景に街での地位向上を狙う炎の運び手。

 それを領主の勢力とぶつけることにより、双方の力を割く。小さなの反目程度で十分。その隙にこそ乗じる機会があるというもの、全面的な抗争など望んではいない。


「何を恐れることがあるのだ、蛇など高々二十名程の集団なのだろう?」


 貴様の父親が、街の協力と二百の兵を率いても討伐出来なかったディード共を追い詰めている奴らだぞ! 心の中で罵倒し、クルドバーツは一瞬だけヘルベルを睨んだ。


「それに、もう解放などしても無駄であろうよ」


 神経質そうな細い眉を釣り上げて、発作のように短く笑う。


「どういうことです?」


「何せ、僕自身が懲罰を加えてやったのだからなぁ。例え解放されたとしても……」


 手遅れ、という言葉がクルドバーツの脳裏を掠めた。

 じゃら、という重い硬質な音が牢の中から聞こえ、クルドバーツはハッとして視線を向ける。


「目を覚ましたか? 薄汚い蛇め」


 心底見下し、口元には淡い笑いを浮かべたヘルベルがルカンドに問いかける。薄く目を開いたルカンドは領主とその隣にいるクルドバーツを視界に収めた。

 そのルカンドを視線を合わせたクルドバーツは、踏みしめているはずの石の回廊の感覚が消え失せて行くような気がした。

 太った体躯を縮めるようにして、申し訳なさそうにクルドバーツはルカンドを見る。そして視線を巡らせ、ヘルベルを見た。


 ──いっそ、この男を毒殺してしまおうか。


 脳裏に浮かぶのは、前領主を毒殺した記憶。ここにいる、ヘルベルと謀って……。

 打算と保身、天秤に架けるのは危険と対価。

 目まぐるしく回転するクルドバーツの脳裏を知ってか知らずか、ヘルベルはクルドバーツに笑いかける。


「何を恐れているのだ、僕の父を殺した大逆の罪人がこんなところで怖気づいてしまっては困るなぁ」


 引き攣る笑みをクルドバーツは、ヘルベルに向けた。


「お戯れを、仰いますな」


「戯れなどではないぞ」


 にこりと笑うヘルベルに、クルドバーツは背筋が寒くなるのを感じる。


「お前が僕を裏切るなら、処刑にするなど……うん?」


 首をひねって、ルカンドを見つめるヘルベル。


「おぉ、そうだ! 処刑だ」


 まるでとっておきの遊びを思い出したかのようなヘルベルの嬉しげな声。


「は?」


 要領を得ない彼の言動に、クルドバーツは首を傾げた。


「処刑よ、この薄汚い蛇を大々的に処刑して、老いぼれやアバズレ女への見せしめとしようではないか」


「なっ……」


 クルドバーツは言葉を失った。無謀などというものではない。破滅への道を突き進んでいるとしか思えないヘルベルに、クルドバーツは感じたことの無い種類の恐れを感じた。


「はは、そうと決まれば布告を出さねばな」


 嬉しげに石畳を踏みしめる音が、地下牢に響く。階段を上っていくヘルベルの背を見つめ、牢の中のルカンドを一瞥し、クルドバーツはヘルベルの後に続いた。





「……なんのつもりだ?」


 サイシャは周囲を見渡してジルに声を掛けた。通されたのは店の地下。上では華やかな女性達が客の懐を巻き上げようと笑みを撒き散らして居るはずだ。

 草が甘い蜜で虫を誘い捕食するように、その内分では華やかさとは無縁の装飾のない石造りの壁がサイシャを出迎えた。


「なんのつもりだって? それはこっちの台詞でしょうが!」


 薄暗い地下室に、蝋燭の灯がジルの吐く息に揺らめく。


「あたしの雪華に何するんだい。あんなのでも、役には立つんだ」


 苦笑とも取れる薄い笑いをジルは漏らしたが、サイシャは応じなかった。


「ルカが攫われた」


 目深に被った帽子の為に、サイシャの表情はわからなかったがその声は震えていた。ただジルにはその震えが、サイシャの悲しみから来るものなのか、怒りから来るものなのか判断が付かなかった。


「……そう、で?」


 サイシャが訪ねてきた理由を察してはいたが、敢えてジルはサイシャが口にするのを望んだ。


「知っていることがあれば教えてほしい……頼む」


「あんたが、あたしに頭を下げるなんてね」


 ジルは気付かれないように小さく息を吐いた。


「……けれどそれだけじゃダメだ。情報がほしけりゃ、対価を払いな」


 顔を上げるサイシャにジルは厳しい表情を崩さなかった。


「金か?」


 噛み締めるように、唾棄するようにサイシャが言った。


「あぁ、そうだよ。もしくはほしい情報と釣り合うような情報でも良い」


 グッとサイシャが、奥歯を噛み締める音が聞こえてきたような気がジルにはした。


「……金は、ない」


「なら――」


「情報がある」


 顔を上げたサイシャと、ジルの視線が交差する。深緑の瞳に宿るのは、狂気に似た熱情。


「……ツラド家の遺児の行方」


 ほう、と息を吐くジルは脳裏でその価値を考えた。


「ルカを攫った奴の値段と釣り合うか?」


 淡々と告げるサイシャに、ジルはそれが嘘の情報ではないのだと考えを固める。


「そうさね、まぁハンナの女将さんに目通りするぐらいには価値がありそうだよ」


 にんまりと笑うジルに、サイシャは無言で頷いた。


「それじゃ、女将さん呼んでくるからここでしばらく待ってなよ」


 ──ルカ。私がお前を助ける。誰を裏切っても、何を犠牲にしてもだ。


 心の中で自分の覚悟を確かめ、サイシャはジルに気づかれぬ様に小剣を握り締めた。



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