賊都3
ステンドガラスから入る明かりは、講堂内を明るく照らしていた。ルカンドは装飾を施された天井を一瞥し、誰にも気づかれぬように息を吐いた。
上座で兵士を侍らせているのは、この城の主ヘルベル・ジェルグ。細身の体と神経質そうな細い眉に、青白い顔。学者然とした風貌に、野心の炎が見え隠れする。
──野心。そう、野心だ。それも無謀な類ときている。
心の中でため息を尽きつつ、ルカンドはこの不幸な晩餐会に招かれた者に視線を向けた。
顔に傷のある白い羽織を纏った男。
若いころはさぞ、美人であったのを偲ばせる中年の女。
小太りの商人。
そしてルカンド自身。
見渡して、ルカンドはもう一度ため息を吐いた。
「どうしたね? 坊や溜息なんて吐いて食事が進んでないようだけど」
「いえ、緊張しているんですよ。艶花、ストリア同盟、赤き道の方々と同席出来ることなんて滅多にないことですから」
中年の女の問いに、答えたルカンドは作り笑顔で対応した。
「モルトの爺様の弟子にしちゃぁ、随分と世辞が上手いね」
色町を仕切る『艶花』のハンナ。
ルカンドは、表情を変えず頭の中だけで情報を整理していく。
「モルト様に、おかれましては日頃から贔屓にさせて頂いております」
小太りの男が話しに入ってくる。
「こちらこそ、クルドバーツ様があっての私達ですから師匠もよしなにと、言っていました」
ガドリアとロクサーヌを結ぶ商人達の連盟『赤き道』
「商人向きだな、若いの」
顔の傷を歪める様にして笑ったのは、白い羽織を纏う壮年の男。
「私は師匠を尊敬していますよ」
博徒達の元締め、シロキア。
「そうかい? 職人や鍛冶やよりも向いてる職がありそうだがな」
そして炎の運び手。鍛冶屋と職人を集めて作られた相互扶助組織。
賊都ガドリアとは、良く言ったものだ。領主は現として存在するし、治世も領主の権限だ。だがしかし本当にこの街を支配しているのは、ここにいる4人だと言って良い。そして、その4人で真っ当に商売をしているものはいない。
いや、正確にはルカンドはその代理だが。
「あの頑固爺は、くたばりそうかい?」
聞きにくいことをあっさりと聞くシロキアに、クルドバーツは丸い顔の小さな目を見開いた。
「いえ、持病が悪化しているだけです。2,3日中には復帰できるかと」
にこやかに答えるルカンドに、凄みのある笑顔をシロキアが向ける。威圧感にも動じず、ルカンドは微笑を絶やさない。
ごほん、と咳払いの音が聞こえた。
「……挨拶はその位でいいかな?」
視線を向ければ、まだ若い城主が口を開いた。歳は今年で27。一昨年領主の地位を引き継いだばかりの、若様だ。青白い顔と、細い体が相俟ってひ弱に見える。
特にルカンドを除いた海千山千の猛者達が相手では、余計に。
「ああ、こんなもんだ。モルトの爺さんは良い跡継ぎが居るらしい。どこかの誰かと違って、な」
シロキアの発言に、ハンナは頷き、クルドバーツは城主とシロキアを見比べた。露骨にルカンドを睨む城主ヘルベル。その視線にルカンドは困ったように微笑むだけだった。
「今日集まってもらったのは他でもない。ロクサーヌの内乱について、耳の早い諸君ならご存知であろう」
「内乱なんて、恐ろしい。そんな話をするもんじゃないと思うけどねぇ」
ハンナは、あぁ怖いとわざとらしく身を竦めた。クルドバーツはそれを見て眉を潜め、シロキアは静かに笑う。
「艶花のハンナが、争いを怖がるとはな」
低く笑うシロキアに、ハンナは悪戯っぽく微笑む。
「争いが金を生むなら喜んで、参加するんですけどねぇ。現実は往々にして逆。あぁ嫌だ嫌だ」
「お二人とも、領主様のお話の途中ですぞ」
神妙に聞く姿勢をとるクルドバーツに、城主の視線が幾分和らぐ。
「……王都に内乱とは、国を傾ける愚かなる所業。もはや、中央に居座る十貴族に国を治める資格はないと思われる」
不穏な話にクルドバーツ以外の三人は、眉を潜めた。
「我らは、今後中央との縁を切り、より一歩進んで王都に攻め込もうと思う」
領主の傍らに控えていた兵士達が、がちゃりと手にした武器を鳴らす。
「そこで、街を預かる諸君らにも我等の援助を頼みたい」
「援助ね」
呟いたシロキアの声に、兵士達が一歩進み出る。
「代表の各々方には、兵と資金の提供を命ずる」
シロキア、ハンナ、クルドバーツ、そしてルカンドの顔を順番に眺め念を押す。
「よろしいですな、ルカンド殿」
年若く、反抗も少ないであろうと予想してヘルベルは問いかけた。領主としての権威を振り回して。
「お断りします」
だが、微笑を絶やさぬままルカンドははっきりと、拒否を示す。その余りにも、堂々した物言いにその場にいた全員は、視線をルカンドに向ける。
「王都で内乱を起すのは、国を危うくする。そう言われたのは領主様、貴方でしょう。なのになぜ兵を率いて王都を突かれるのか」
澱みなく言葉を並べるルカンドに、領主側は呆気に取られ、シロキアは豪快に笑い声を上げる。
「全くその通りだ」
「き、貴様! 僕は領主なのだぞ!」
激昂に任せ怒鳴る領主に、シロキア、ハンナの視線は冷たい。
「存じています」
それがどうした、とでも言うようなルカンドの言葉と、ほかの誰よりも冷たい視線に領主は怒りで言葉を忘れた。
「なればこそ、盟約を忘れてもらっては困ります」
「め、盟約だと……?」
ヘルベルはやっとそれだけ言って、ルカンドを憎悪の視線で射抜く。
ほぅ、と顔を見合わせたシロキア、ハンナそしてクルドバーツ。
「領主は街の代表の賛成なしに、課税は認められない。創設した当初からの盟約のはずです」
「税ではない。あくまで援助だ!」
「ですので、お断りします。援助とは命令されるものではないでしょう?」
「くっ……貴様っ! たかが代理の分際で!」
その罵倒に、ルカンドはにっこりと微笑んだ。眼だけは、凍てつくような冷たさを湛えて。
「お話がそれだけなら、僕はこれで」
席を立つルカンドに、ヘルベルが吠える。
「貴様、無事に帰れると思っているのか!?」
肩越しに振り返り、ルカンドは笑顔の種類を変えた。
凍り付くような冷笑。獲物を狙う蛇が笑うような笑みに、媚びを売られるのに馴れたヘルベルの背に戦慄が走る。
「……準備はしてきたつもりです。僕が帰らない場合、炎の運び手は一切の仕事を停止し、双頭の蛇はこの城を出る荷を全て襲います」
「そんなことが、貴様に……」
「お忘れなく、領主様」
戸惑う領主に止めを刺すようにルカンドは言葉の剣を突き付けた。
「僕は荒地にのさばる盗賊で、炎の運び手の代表なんですよ」
ルカンドは固まる領主に、それ以上何も言わず立ち去った。
「……さてっと、私らも帰るかね」
よいしょ、と言いながら立ち上がる。
「まぁ、白けちまったからな。おい、商人お前はどうする?」
「いえ、まだ食事も残っていますし」
クルドバーツの丸い体を見回してシロキアは鼻を鳴らした。
「それ以上肥えてどうするつもりだ」
辛辣な言葉に、照れたように笑いクルドバーツは食事を続ける。領主ヘルベルは、怒りを含んだ視線だけを寄越して二人を見送った。
「モルトの爺様は、とんでもないのを跡継ぎに選んだもんだねぇ」
2人きりになってから、艶花のハンナは苦笑した。
「最近見ねえ腹の据わったガキじゃねえか。若い頃を思い出しちまったぜ」
ぎらり、と抜き身の刃物を思わせるシロキアの視線。
「まだまだ、血の気が多いねぇ……けど切れすぎる懐剣ってのは危険じゃないのかい?」
「秘蔵っ子の出し方が、急すぎる気もしやがる……モルトの爺、案外悪いのかもしれねえな」
ハンナの視線が一瞬鋭さを増し、口元には薄い笑みが浮かぶ。
「だとすると、崩れるかねぇ? 15年以来の腐れ縁」
「爺には悪いが、あの馬鹿領主と潰し合ってもらおうか」
低く笑って、シロキアとハンナは城を出た。
食堂に残ったクルドバーツは、領主を宥めていた。
「全く、彼奴らは立場というものが分かっていない!」
テーブルを殴りつけてまだ食事の入った食器を叩き落とす。
「僕は領主なのだぞ! ガドリアで一番偉いのだ! なぜその僕に逆らうのだ! そうであろうクルドバーツ!」
「仰る通りに御座います。特にあのルカンドとか言う小僧っ! 領主様を蔑ろにすること甚だしい!」
身振り手振りを加え、クルドバーツは領主ヘルベルの怒りを煽る。
「忌々しい……何かよい手は無いものか」
脳裏に焼き付いているのは、獲物を狙うようなルカンドの視線。そして脅し文句だった。
「炎の運び手と双頭の蛇」
ヘルベルにとって厄介な相手だった。少ない税収の担い手である炎の運び手と、それを食い散らかす双頭の蛇。
「何かあの小僧に思い知らせる手はないものか……」
ぎりっ、と親指の爪を噛みながらヘルベルは唸った。
「クルドバーツ、そなたは何かよき考えはないか?」
「そう……例えば、あの小僧の大切な者を傷つけてやればいかがでしょう?」
ほぅ、と笑ってヘルベルはクルドバーツの話に乗ってきた。
「小僧自身が害されたのならともかく、彼の個人的な繋がりがある人物というだけでは、炎の運び手も双頭の蛇も動きづらいのではないでしょうか? できれば、二つの組織に所属していない者がいいですな」
なるほど、と頷いて。
「しかし、そんな都合のよい者がいるだろうか?」
疑問を口にした。
「確かにいささか都合のよい話かもしれませんが、調べてみて損は御座いますまい。よしんば居なくとも、我らに損はございません」
なるほどと頷いて、ヘルベルは口の端をゆがませた。
「出来れば、女がいい」
くっ、と発作のように笑う。
「すぐに調べるといたしましょう」
傅くクルドバーツの瞳の奥底で、ちらりと意思の炎が揺れすぐに消えた。
食堂を早々に立ち去ったルカンドは、城門を出たところで大きく息をついた。
「はぁ〜」
岩から削りだしたような無骨な城。その頭上に広がる蒼穹を見上げて陰鬱な気分を振り払う。
「ルカ」
陽射しから身を守るように、少女は城門に出来た日陰に身を潜ませていた。
「やぁ、サイシャ……ただいま」
力無く笑うルカンドにサイシャと呼ばれた少女は怪訝な視線を寄せる。
「やっぱり、師匠の代理なんて引き受けなければ良かったよ」
弱音を吐く彼を、一瞥すると、同意とも否定とも取れる返事をした。
「ふうん」
「領主にも会ったよ」
二人並んで、城から街へ繋がる道を歩く。
「……どんな奴だった?」
その質問と同時に毒蛇と渾名される盗賊が表に出て来たことに、ルカンドは苦笑した。
意識はしていないが、もしかしたら自分も一瞬にして入れ替わるときがあるのかもしれない、と。
「うん、サギリさんやモルトさんとは全く別の人種だね」
サイシャの新緑の瞳の奥に光が宿る。
「興味を持ってもらった所悪いんだけど、多分違うよ」
怪訝そうに、眉をひそめるサイシャに、ルカンドの苦笑が微笑へと変わる。
「サイシャの想像とは、かけ離れていると思う」
彼女の眉間の皺が深くなる。
「僕が睨んだら、怯えていたからね」
怒ってはいた。だがあれは怯えを隠すための擬態だと、ルカンドは見ていた。
「お前、睨めたのか」
サイシャの顔には、あまり見せない純粋な驚きの表情がある。
「睨むさ、僕だって!」
大袈裟に傷付く風を装って、言い返すルカンドにサイシャの視線は大好物の食べ物を目の前にした子供のように輝く。
「やってみろ」
声音は相変わらず、静かなものだったが瞳の奥は期待に揺れる。
「サイシャに?」
頷くサイシャ。
「何を期待しているの?」
「いいから、やれ」
「まぁいいけど」
減るものじゃないし、とルカンドはヘルベルにしたように、サイシャを見る。
「……ルカ、私を馬鹿にしてる?」
だが、返ってきたのは失望混じりの声。
「大真面目だよ」
ふん、と鼻を鳴らすとサイシャの歩調が速くなる。
「さっさと、行くぞ」
ゆっくりとした下り坂を独りで下っていくサイシャに、ため息をつきながらルカンドは彼女に追いつくため歩調を速めた。
「何怒ってるのさ?」
追い付いたルカンドの、戸惑いの混じる声にサイシャは振り返る。
「……何?」
振り返ったサイシャの思ったより強い視線に、ルカンドは困惑する。
「わからないなら、良い」
それ以上何も言わず、歩く早さを元に戻すサイシャ。
そう、と言ってルカンドは視線を近付いた街に向けた。
「そう言えば、四役が来てたよ」
「今は、三人だろ」
シロキア、ハンナ、クルドバーツそしてモルトを街の四役と呼ぶ。
「分かってるよ」
僕じゃまだまだ、ってことは。その言葉を飲み込んで、ルカンドは話を続ける。
「サイシャはハンナさんと面識あったよね」
確認するルカンドに、彼女は頷かいた。
「シロキアさんは老侠客って言うのかな、貫禄あったし、クルドバーツさんは喰えない感じだったよ」
興味をそそられたらしいサイシャは、肩に掛かる癖のある黒髪の間からルカンドを覗くように見た。
「ロウキョウカクって、何だ?」
うん、と頷いてルカンドはサイシャの新緑の瞳に視線を合わせた。
「侠客って言うのはね、受けた恩を大切にする人達だよ」
「ふうん?」
「受けた恩のために、命を掛けるって所は似てるかもね。サイシャと」
ルカンドの言葉に引き込まれるように、サイシャは歩く速度が遅れだし、自分の頭一つ高いルカンドの顔を見ていた。
「お前は違うのか?」
刃物のように鋭く、急所を付く問い。
「難しいね」
その問いから、ルカンドは逃げ出そうとし。
「……じゃぁ、ルカはサー姐やモルトの為に仕事はしないのか?」
失敗した。
「どうだろうね」
困ったように笑うルカンドにサイシャの視線が突き刺さる。
「……ルカは兄妹だ。だから殺さない」
溜め息を吐くと、彼は頷いた。
「けど、敵は殺す」
熱に浮かされたような虚ろな笑みが、サイシャの顔に浮かぶ。
「サイシャ、駄目だよそんな考え方じゃ。敵は殺さないで、利用しなきゃ」
笑みを絶やさず、だがきっぱりと否定するルカンド。
「お前の考えは、難しい」
拗ねたように、ルカンドから視線を逸らしてサイシャは呟いた。
「僕に言わせれば、君達は簡単に殺しすぎるよ」
前を向き、サイシャはルカンドの言葉を考えた。
「そんなことは……ない」
「本当に?」
重ねて問いかけて来るルカンドの銀色の瞳を見返す。
「多分」
「サイシャ、僕は人を殺すのが嫌いだよ」
「知ってる」
頷いたサイシャは、彼の次の言葉に目を見開く。
「人を殺すサギリさんも、ジンさんも、ケイフゥも……君も、嫌いだ」
「お前っ!」
「だからさ、なるべく人は殺さないでよ。サイシャ」
足を止めた二人を強烈な陽射しが照らす。哀しげなルカンドの視線と苦痛を押し殺したかのようなサイシャの視線が、絡まって離れた。
「……サー姐に、今のことを――」
「言わないよ。サイシャだけだ」
俯いたサイシャに、被さったのはルカンドの声。
「……お前は、我侭だ」
ぷいっと、顔をそらしてサイシャは歩き始めた。
「我侭か」
そうかもしれない、と考えながらルカンドは歩き出した。