表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦 527年 魔女の系譜4章
12/103

賊都1

「ロクサーヌで内乱?」


 薄暗い食堂に響いた、この城の主の声。食事をしていた手を止めて、視線を上げる。


「はい、なんでも……あのヘルシオ家とツラド家が争っているとか」


 太った使用人のような男は、手をすり合わせ尻尾を振る犬もかくや、というほどに愛想笑いを浮かべている。


「ヘェルキオス卿と、アトリウス殿がな……」


 くっ、と短い笑いが城の主の口から漏れた。発作のような哂い。


「ロクサーヌを守る二人が潰し合うとは、いよいよ王都も危ないな」


「はい、それに引き換えガドリアは大変な栄えよう……これもひとえに閣下の日頃の治世の賜物にございましょう」


 歯の浮くような世辞に、主は軽く頷く。


「それで、どっちが勝ちを拾った?」


「それがヘルシオ様ということです」


 ほう、と主は一つ息を吐く。


「武門のツラドが潰えたか……」


 考え込むように腕を組み、鋭い視線を小太りの男に向ける。


「分かっているとは思うが、くれぐれもこのこと他言するでないぞ」


「もちろんでございます、閣下に不利益になることなど、私がするわけがございません」


 満足げに頷いて、主は食事を払いのける。


「時は、満ちたな」






 ルクが瞼の裏に日の光を感じ軽い目眩を覚えながら目を覚ますと、まず目に入ったのは見慣れぬ天井だった。

 ぼんやりとする意識で視線を巡らせれば、続いて目に入ってきたのは、自分を見下ろしている子供。

 男の子だ。くすんだ金色の髪に、垂れ下がった目が優しい印象を与える。ふっくらとした頬が、触ったら柔らかそうだった。

 視線が合うと、男の子は目を見開き驚きを全面に出す。キョロキョロと左右を見回して困ったように眉を顰める。


 まるで昔のカルみたい――カル……。


 そこまで考えて、ルクの思考は一気に覚醒しベッドから跳ね起きてしまう。途端に頭の中を鷲掴みにされ揺さぶられたかのような不快感が襲ってくる。


「くっ、うっ……」


 口から漏れる苦悶の声に自分が生きていることを自覚する。 頭を揺さぶる不快感が徐々に去っていくのと同時に、部屋の中の様子が目に入ってきた。

 小さな部屋だった。使い込まれた堅いベッドに簡素なシーツ。広くはない部屋に扉と窓は一つずつ。小さなタンスが一つ、丸く小さなテーブルと椅子が二つ。それがこの部屋の家具の全てだった。

 ルクの基準からいえばそれは相当に粗末なものだった。


「私は――」


 ――どうしたんだっけ? そう考えて、記憶を手繰り寄せる。 目まぐるしくよみがえる記憶に衝撃を受けながらも確かめなければならないことがあった。


「お父様は――」


 ツラドの騎士達は、どうしただろう。


「あ、あの」


 戸惑いを含む自分以外の声で我に返る。


「え?」


 覚醒からの混乱で、少年の存在をすっかり忘れていた。


「だいじょうぶ?」


 戸惑うように、必要以上にゆっくりと聞いてくる。様子を窺うように見上げる瞳の色は、無垢なる灰色。


「うん、あのお父様は?」


「え?」


 少年の戸惑いが困惑に変わる。


「居ないけど……」


 悲しそうに俯く少年を見てルクは自分の失敗と状況を朧気ながら、理解する。


「ごめんなさい、アトリウス・ツラドと言う方を知ってる?」


 ぶんぶんと首を振る少年に、ルクは続けて質問する。


「それじゃ、ここはどこかな?」


 唸りながら、首を傾げる少年にルクは困惑する。この少年は何も知らない。という一事がルクの心を焦らせる。なぜ騎士達は居ないのか、考えれば考えるほど悪い方に思考が向かう。

 ここから出て見ようと決心するまで、長い時間は掛からなかった。

 ベッドから降りようとするルクを少年は止めようとした。


「だめ〜、ルカが起こしたらだめだって!」


 間延びした口調はこの少年の癖なのかもしれない。両手を広げて立ちふさがる少年に、ルクは優しく言った。


「大丈夫。ちょっとだけだから、ね?」


 少年は唸りながら、首を傾げてしまう。その隙にルクは扉に向かう。素足に床の冷たさが心地良かった。

 ぎぃ、と鳴る扉を開けば突き刺さる太陽と共に肌を包む熱気。そして青い空が彼女を迎えた。眼下に広がるのは土と石で造られた背の低い家々、遠くには岩から削りだしたような城が見えた。

 ベランダの足元から吹き抜ける風に自分が質素なワンピース姿なのに気付く。そしていつもの癖で髪を束ねようとし、髪が短いのにも気付く。

 こんな場所に見覚えは無かった。監禁されている訳ではないようだが、明らかにロクサーヌではない。


「もう良い?」


 困ったように服の裾を掴む少年に促され部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。

 手持ち無沙汰なのだろうか、少年はルクを窺うようにチラッと見ては部屋を歩き回る。


 ――知らない、こんな街は知らない。


 やってきたのは、漠然としすぎた感情の波。大きすぎるそれは、混乱よりも冷静さをルクに運んで来た。


 ──なにも、知らない。わからない。なら……。


「ねえ、君」


 名前を呼ばれ、少年は驚いたように立ち止まる。瞬きして、ルクの次の言葉を待つ。


「名前、教えてくれないかな?」


 ──考えないと。


 おずおずと少年は口を開いた。


「ケイフゥ」


「私はルク」


 頬を染めるケイフゥにルクは自分の隣を叩く。


「こっち来ない? お話しましょ」


 こくり、と頷いてケイフゥはルクの隣に座る。隣から見上げる汚れのない視線に、ルクは微笑み返す。


「ケイフゥは私が、どうしてここにいるか知ってる?」


 ──私は、生きているんだから。


「えっとね、サーねぇが、連れてきてサイシャが着替えさせて、ルカが起こすなって言ってたの」


 嬉しげに話すケイフゥの話は、ルクの知らない名前ばかりだった。ルク――ひいてはツラド家に味方する者達だろうか? ルクは心の中で否定する。身も知らない者が自分を救ってくれる程今の自分を巡る状況は良くはないはずだ。

 では、なぜ? あの状況で自分を連れてきたのだから、お金ではない。

 ではなぜ? 繰り返す問いにやはり答えは出ない。


「分からない?」


 ケイフゥは悲しげに俯き、それに気付いたルクは考え込んでいた難しい表情を、困ったような笑顔に変えた。


「そんなことは無いけど……」


「ケイフゥね、よく言われるんだ」


 足をぶらぶらと動かしながら、悲しげに話を続ける。


「ケイフゥは馬鹿だから、話が分からないってさ。ねえルクもそう思う?」


 不安に揺れ動くケイフゥの灰色の瞳に、カルの面影が重なった。あの美しかった母親を失った時のカル。外の世界に怯える雛鳥のように、小さく、その身を震わせながら縋るような眼差しを向けていたカル。

 不意に、ルクはカルを失ったのだと突きつけられた。ほかの誰でもなく、自分自身に。

 気がつけば、ルクはケイフゥの小さな頭を胸に抱いていた。


「ルク?」


 いきなりのルクの行動に、戸惑いながらケイフゥはルクを呼ぶ。


「ごめんね、ケイフゥ……もう少し、こうして……」


 こみ上げてくる感情を我慢してそこまで言ったが、その先は嗚咽に取って代わられた。

 後から後から零れ落ちる涙。拭う余裕もなく、ケイフゥを抱く手に力が籠もった。


「ルク、泣いてるの?」


 溢れ出す思い出がルクを泣き止ませない。


「だいじょうぶだよ」


 ルクの腕中から必死に手を伸ばし、ケイフゥはルクの背を撫でた。


「ジンにぃがね、ケイフゥが怖い夢を見て泣いたときに、こうしてくれたの」


 壊れ物を扱うかのような優しい手つき。


「ケイフゥが守ってあげるよ」


 ぽんぽん、と背を叩き、撫でる。相手を安心させようとする精一杯の行動。それが嬉しくてルクはまた泣いた。悔しくて、悲しくて、嬉しくて、泣いた。泣き尽くして涙が枯れる頃、窓から差し込むのは西日になっていた。





 差し込む西日が、夕闇に変わった頃ルクとケイフゥのいる部屋にルカンドが戻ってきた。ぎぃ、と立て付けの悪い音を軋ませて扉を開けば、ベッドでは折り重なって眠るルクとケイフゥの姿にルカンドは苦笑した。


「起こすなって言ったんだけどなぁ」


 頭を掻いて、眠っているケイフゥの頬を軽く叩いてやる。


「ん、ん〜?」


 寝ぼけ眼のケイフゥ。


「ケイフゥ、言い付け守らなかったのかい?」


 ぶるぶると首を振るケイフゥに、暖かいが困った笑みを見せて、ルカンドはルクを見た。頬には涙の筋が見える。


「女の子を泣かしたの?」


「違うよ、ルクを泣かしてなんていないよ!」


 向きになって反論するケイフゥの様子を静かに、ルカンドは見守った。


「まぁ、ケイフゥがそんなことするとは思ってないけどさ……ちょっと手伝って彼女がベッド落ちないようにしよう」


 ケイフゥは頭のほうを、ルカンドは足を持ってルクをベッドの真ん中に寝かせる。


「結構重いな」


 ルクを寝かせると、ルカンドはシーツを彼女に掛け、椅子に腰掛けた。


「それで、彼女何か言ってた?」


「ルクね、何も言ってなかった」


 彼女の名前はルクなのか、とルカンドは改めてベッドで横たわる少女を見た。同年代の少女と言えばサイシャ位しか知らないが、ルクと言う名前の少女は明らかに自分たちとは違って見えた。ふっくらとした白い頬も、艶やかに輝く赤い髪も、女性的な身体の線もサイシャやサギリとは違うものを感じる。


「ルカ……」


 おずおずとケイフゥは声を掛ける。


「ん?」


「ルクのこと苛めない? ケイフゥ、ルクのこと好き」


「そうだね、サギリさん次第だけど……出来れば友達になってみたいね」


「うん!」


 嬉しそうに、頷くケイフゥに笑顔を向けてルカンドは、涙の跡が残るルクの寝顔を見つめた。





 泣き疲れて眠ったルクが目を覚ましたとき、まず目に入ったのはケイフゥのあどけない寝顔。その頬に手を伸ばそうとして、部屋の中が明るいことに気がついた。寝返りを打って、光を見定めようとしたとき、知らない声が聞こえた。


「目が覚めた? ルクさん」


 ハッとして、ベッドから身を起こせばベッドの前に男の子がいる。

 赤銅色の髪を、緩やかにうねらせ後ろで一つにまとめている。暗闇の中で瞳の色は見えないが、顔つきからして同年代だと思う。雰囲気としては貴族よりも騎士に近いものを感じさせた。粗末な薄い服を着ているが、だからこそしっかりした男の子の体付きを見て取れる。


「初めまして、ルカンドです。ルカと呼んでね」


 微笑む笑顔は柔らかい。ケイフゥが無邪気とするなら、ルカンドと名乗ったこの少年は、他人を安心させる笑顔だ。


「ルク……です」


 家名は名乗らないほうが良いだろう、と判断して名前だけを名乗った。不快感を感じさせただろうかと、ルカンドを見つめるが彼の表情のどこにもその影すらなかった。

 椅子を引き寄せて、ベッドの傍に腰掛ける。


「さて、と……聞きたいこともあると思うけど、まずは何か食べない?」


 悪戯好きな少年のように笑って、ルカンドが提案する。


「でも……」


「遠慮する必要はなし! 実は僕の方がお腹空いていてさ。一緒にどう?」


「ご迷惑でないのなら……」


「良かった。それじゃ持ってくるね」


 部屋の扉を開けて、外へ出て行くルカンドを見送ってケイフゥの寝顔を見下ろし、そっとくすんだ金色の髪を撫で、震えそうになる自分を叱咤する。

 大丈夫、大丈夫。

 呪文のようにそれを繰り返し、逃げ出しそうな自分を押さえ込む。怖いのだ、彼の口から語られるであろう事実が。

 それを自分が受け入れられるかどうかが。

 しばらくすると、扉を背中で押して、両手に木製の食器を持ったルカンドが戻ってきた。

 鼻腔をくすぐる美味しそうな香りに、ルクの腹がなる。


「召し上がれ」


 くすり、と笑うルカンドにルクは顔を赤くする。

 暖かなスープを飲み、パンを小さくちぎって口に運ぶ。次第にその動作に夢中になりながら、視線と耳を向ける。


「聞きたいことは沢山あると思うけど、まず僕の話を聞いてくれないかな?」


 頷いたルクを確認して、ルカンドは話を進める。


「まず僕は君がどうしてここに来たのかは知らない。多分、サギリさんしか理由は知らないんだ。だからそのことは直接聞くと良いと思う」


確認するようにルクの瞳を見つめる。


「サギリさんは、今他所に行っていてしばらくは戻らない。その間は僕らが君の世話をさせてもらうよ。それで良いかな?」


ゆっくりと、だがしっかりと頷いたルクに、ルカンドは優しく微笑んだ。


「それじゃ、君はこれから僕らのお客様だね。よろしく」


差し出される手を見つめていたルクは、恐る恐るその手を取る。


「今日の所はこれで、また明日にでも街を案内するよ」


言いおいてルカンドは立ち上がる。


「食器はテーブルの上にお願い。明日には片付けるから」


じゃぁね、と言いおいて、そのまま立ち去ろうとするルカンド。


「あのっ、一つだけきいても良いでしょうか?」


 その背に向かってルクは勇気を振り絞って声をかけた。


「ここは、どこなのですか?」


 振り向いたルカンドは、変わらぬ笑みを向けた。



「ここはね、ロクサーヌの東。荒地を越えた場所にある辺境都市。ガドリアさ」






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ