復讐するは我にあり10
オウカ・ジェルノの邸宅が夜陰にまぎれて焼け落ちた。
隠居したオウカの生死については、生き残った召使たちから絶望的との証言を得ている。
王宮となっているスカルディアの屋敷において、カルがその報せに接したのは、就寝して幾ばくかの時間がたったころだった。
「陛下、トウカ・ジェルノ様が保護をお求めになっておいでです」
寝起きの頭を冷たい水で覚ましてカルは、騎士の知らせたに僅かに口元を歪んだ笑みの形にした。
「なるほど。保護すると伝えよ」
あの、サギリとかいう女は誓約を果たしたらしい。
不遜にして不敵。強烈な印象を残して行ったあの女。
──気に入らなくはあるが、それならばこちらも誓約を守らねばなるまい。
「一室を与えよ。護衛の者にもさらに一室を持ってもてなせ。粗相のないようにな」
必要な指示を与えると、カルは侍従に命じて衣服を整える。
「今代のジェルノ家当主と逢わねばなるまい」
少ない睡眠時間を削られた不満に、自分自身を納得させると、寝間着を脱ぎ捨てた。
「……だが、これで国内に敵はいなくなったか」
深く澄み渡る湖水色の瞳が、遠く北を見据える。
△▼△
オウカの暗殺団をロクサーヌ郊外に引きつけていたルカンド達は、散々な被害を出しつつも、暗殺団を撃退することに成功していた。
双頭の蛇で生き残った者は半数、ロクサーヌの賊徒に関してはおよそ3分の1が死傷で動かせない状態になっている。
「テイゼンさん、申し訳ありませんが、移送の件は中止にしていただけますか?」
ルカンド自身も、背中と腕に傷を負いながら、それでも隊商をまとめるテイゼンに、負傷者の治療と、死者の埋葬を頼む。
「ええ、それはもちろん。おかげさまで隊商の方にはさしたる被害もありませんでしたので」
頷くルカンドは、生き残った双頭の蛇とまだ動けるロクサーヌの賊徒に、命令を下す。
「負傷者はロクサーヌに戻ってクルドバーツ商会に。動けるものは、ロクサーヌに到着し次第、オウカ・ジェルノの屋敷を襲います」
底冷えするような視線に射すくめられて、彼らは頷いた。
▼△▼
夜の闇は、音を吸い取る。
夜が深まるにつれて、周囲の音はより一層サギリの胸を騒がせるようだった。
毛布を頭から被り、外のすべてを目にも耳にも入らないようにしてサギリはベッドの上で丸くなっていた。
荒れ地の魔女を知っている東都ガドリアの者が見れば、目を疑うその様相。
やつれ、衰弱しきった彼女の、眼だけが爛々と周囲を疑う。
食がのどを通らず、もともと細かった腕は骨と皮だけになっていると言っていい。
ぎしぃ、と誰かが階段を上る音がする。
「──っ!?」
そのもの音に過敏に反応すると、彼女は自身を抱く腕を一層固くした。
震える奥歯が、がたがたと不快な音を鳴らす。
「いやだいやだいやだ……」
目じりに涙を浮かべ、必死に最悪の想像を振り払う。
ドアをノックする音。
「来るな、来るな……」
祈るような言葉に反するように、ドアは自然と開く。
「ねえ、サギリ、大丈夫よ」
「あ……あっ……あああぁ──っ!」
立つのは血まみれの姉の姿。
幼いころに死んでしまったままの姿で、それでもその美しいかんばせには、包み込むような笑顔がある。
「くっ……あっ……ガド、リアね、ねえさん……」
ガドリアの白い手が、サギリの首筋に絡みつく。
振りほどこうと思ってサギリが掴んだガドリアの手は、それこそ死者のように冷たい。
「ねえ、ロクサーヌ、貴女はなぜ生きているの?」
「ごめん、ごめんなさい……」
首筋に食い込む圧力が増していく。
ベッドに押しつけられ、ガドリアの長い黒髪がサギリの顔にかかっていく。
まるで万力で締め付けられるように、その腕はサギリを絞めつけていく。
「私は、私は──」
「私のところに来れば楽になれる。ねえ、一緒に行きましょう?」
「姉、さん──」
最後に叫んだ声は、声にならず、枯れた息だけが吐き出された。
「──くっ!? はぁはぁ……」
ベッドから飛び起き、殺気立った目で周囲をうかがう。
悪夢の残滓が、体の中で熱と冷気とがまじりあっているようだった。
「夢……くっ、くっくっくははっはっはっは!」
呆然と呟いてから狂ったように笑い、ベッドに倒れこむ。
「……やっぱりだめだよ、ロメリア。姉さんは私を許してなんかない」
流れ落ちる涙を覆い隠すように、両手で顔を覆い、サギリは泣いた。
「あぁー……楽に、か」
ベッドの横のサイドテーブルの上には、自身の愛用の短剣が目に入る。
自然と手が伸びた。
鞘を払うと、磨き上げられた刀身の輝きが、サギリの泣き腫らしやつれきった顔を映す。
「楽に……」
この剣を首筋に突き刺してしまえば、楽になれるのではないか。
悪夢にうなされることも、これ以上傷ついて痛い思いをすることも、ないのだ。
それは甘美にすぎる誘惑だった。
自然と骨と皮だけの、手に視線が移り、刀身が彼女の首筋に向かう。
その時、階段のきしむ音が聞こえた。
「──っ!?」
まさかと、思う。
そんなはずはない。それともこれはまだ夢の中で、今握っている刃の重さも、見ている暗闇も、差し込む月光も、全ては夢の産物なのだろうか。
不自然に乱れる息遣い。
つばを飲み込むことにすら苦労しながら、サギリはドアに視線を向ける。
足音がする。引きずるような、重い足音。
ロメリアの足音ではない。
「はぁはぁ……はっ、はっ──」
肺が痛い。見開かれた漆黒の瞳は血走って、刃を持つ手は震えっぱなしだった。
──ドン。
ドアにぶつかる音がする。
内側からの錠前で、木製のドアは固定されているのだ。
──ドンドン。
確かめるように、ドアをたたくと、ズルズルと布とドアのこすれあう音がする。
「いやだ、いやだよ。姉さん」
ガタガタの奥歯がなる。頼りない短剣を震える手で構える。
心得のない女子供がするよな、おびえた腰つき。今にも逃げ出したいのをこらえつつ、サギリはドアを見守るしかなかった。
──ドンッドン!
「ひっ」
段々と激しくなるドアをたたく音が激しくなっていきそれが、最高潮になったとき、破裂音とともにドアが倒れる。
「あ、あ、ああぁぁああ!」
黒衣をまとった侵入者が突きだした左腕には、輝く紫紺の宝石。
「ああああああ、あ、あ、ああああ、あああ!」
魂が途切れるような叫びをあげて、サギリは短剣を突きだした。
狂乱のままに突きだされた短剣が紫紺の宝石に突き刺さり、砕けると同時に、それを持っていた者の手までを突きとおす。
「ぅ……」
締め付けられるであろう首の苦しさを予見して、サギリは身をすくめる。
一時の狂乱が去ってしまえば、そこにあるのはただ恐怖だけだ。
だが、いつまでまっても姉の幻影は首を絞めたりはしない。
一秒が一時間にも感じる長い静寂の中、自身の乱れた呼吸だけが暗闇の静寂に吸い込まれる。
それに耐えきれなくなったサギリが、恐る恐る視線をあげた。
「ぅ、あぁ……」
ぐしゃぐしゃに頬を濡らした顔のまま、呆然と見上げる視線の先。
「っ……ジン」
サギリに突き刺された反動で黒衣のフードがとれて、露わになった顔。
「サギリ……」
短剣に突き刺されたまま、ジンは呆然としているサギリを抱きしめた。
「おま、お前、なんで……」
闇の赤べっとりと濡れているジンの体。うまく働かない頭でも、ジンの体にこもる熱が尋常ではないことに気が付いた。
「サギリ、オウカの首、取ったぞ」
それだけ言うと、サギリにもたれかかるように、ジンの体の力は抜けおちる。
「おい、おい! ジン!」
泣きながらジンを呼ぶ。
サギリもまたジンの体重を支えきれず、お互いに相手の肩に頭を預ける形になりながら膝を突いた。
「なんでだよ、お前はもう自由だって……私なんかに、構うことない、だろう」
サギリの肩に頭を預けながら、囁くようにジンはしゃべった。
「俺は、一緒に行く。俺は、お前の狼だ」
息も絶え絶えに、囁くジン。
「だって、お前ボロボロじゃないか。そんな──なんで」
「サギリ……赦してくれたか?」
「え?」
何の事を話しているのか、最初サギリにはわからなかった。
「サギリの、姉さんは赦してくれたか?」
核心を突くジンの言葉にサギリは一瞬呼吸を忘れ、ジンの熱を抱きしめるように、身を寄せる。
「姉さんは、赦してくれない。何をしても」
震えながら首を振るサギリに、ジンもうなずく。
「ユリィも、赦してくれない」
ずっと、ずっとジンは荒れ地で仇を討ってからも、それを忘れることはなかった。
怨讐を捨て去ることなど、できはしない。
「でも、サギリと居る時だけはっ……ユリィが、悲しい顔をしないでくれる……ような気がするんだ」
サギリを抱くジンの腕に力が入る。
「だから、俺はずっとお前のそばにいる。誰を敵に回しても、誰と戦っても、だから……だからサギリ」
「ジンっ……」
泣き出しそうなジンの言葉に、泣きながらサギリは聞き入っていた。
ふわりと、砕かれた紫紺の宝石が淡い光を放つ。
その光は淡い燐光のように、立ち上り、サギリを包み込むようにして、彼女の中に入って消えた。
一瞬の間に胸の中に広がる感情の嵐。
嫉妬も、憎悪も、愛情も、かつて王女ガドリアの抱いた感情がサギリの中に流れ込む。
垂れ流される悪意。膨れ上がる憎悪。
心を切り裂く敵意。這い寄る嫌悪。
生きとし生けるものへの嫉妬。
サギリの身代わりになって生贄となった少女。その負の感情が激流となって彼女の中に入り込み。
そうして、それを燃やし尽くす家族を愛する心までも、サギリの心の中に流れ込んでくる。
「ああっ……姉さん」
言葉にならないその思いを、サギリはジンを強く抱きしめることでしか表せなかった。
▼△▼
細身の太刀が風を絶ち切って振り下ろされた。
受け止めるのは交差した、二本の小太刀。
ジンがオウカを討ち、その足でサギリを訪れてから二十日が経っていた。
全焼したクルドバーツ商会一号店は、シュセの尽力もありすでに立て直しを済ませて営業を再開している。
オウカの暗殺団を返り討ちにしたルカンドは、サギリの名代として、ロクサーヌにおけるガドリア勢力をまとめていた。
ロクサーヌ出身の賊徒達と、ガドリアの賊徒達の仲も、今は険悪というほどではなくなっていた。
今はルカンドの元で、日々のシノギに精を出している。
交差した小太刀と触れ合った瞬間、ジンの体をサギリの蹴りが襲う。
それを後ろに飛びながら受けると同時、今度は下から上へ銀の閃光が駆け上がる。
「くっ──」
苦悶の声をもらしながら、なんとかあわせるが、その勢いを殺しきれず鼻先を刃がかすめる。
頭上に抜けた切っ先が再び、袈裟がけに襲ってくる。
右肩を狙う一撃に、再び小太刀を合わせるが、同時に襲いくる衝撃に、ジンは吹き飛ばされた。
見ればじゃらり、という音とともに、サギリの左手には太刀の柄から伸びた鎖が握られている。
「だいぶ、形になってきたなぁ」
軽く息を弾ませながら、にやりと笑う彼女に、吹き飛ばされて地面に倒れるジンは、悪態をついた。
「くそ、軌道が読めねえ!」
倒れたまま息を弾ませるジンに、サギリが近づいていく。
細身の太刀を、鞘におさめると、見上げるジンの傍らにあぐらをかく。
「これで、アタシの勝ち越しだな」
不承不承うなずくジンに、顔をそむけたまま、サギリは頬杖をついた。
「その……なんだ」
長い黒髪をかきながら、サギリはその人柄に似合わずボソボソと喋った。
「ありが、とうな」
蚊の鳴くようなその小さな声に、ジンは一瞬何を言われているかわからず目を点にしていたが、やや呆然としながら頷いた。
「ああ……」
一つ舌打ちすると、サギリはさっさと立ち上がる。
「さぁて、ジン。さっさと起きな! 続きをやろうじゃないか!」
忘れ去られた貴族の庭園。
蒼穹に剣戟の音が、いつまでも響いていた。
これにて復讐編終了となります。
次からは、部隊がロアヌキアより、広がり戦争がメインの物語なっていくことになります。
おやすみも終わってしまうので、またしばらく時間を頂くことになりそうですが、読んでくださる方はどうぞごひいきにm(_ _)m