復讐するは我にあり9
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その便箋が届けられたのは、彼女がなす術もなくジンを見送った後だった。
みるからに意気消沈していたのだろう。
一つ目鴉の家宰が、恐る恐るといった風に差し出す便箋を見て、彼女は眼の色を変えた。
「……今夜クルドバーツ商会が襲われる」
密告の類なのだろうか。便箋に記された内容に、彼女は首をかしげる。
普段なら気にも留めないような密告に、彼女が引っかかったのはクルドバーツ商会というところ。
確かジンやサギリも、クルドバーツ商会に属していなかっただろうか。
そしてあの二人の、追い詰められた様子。
霧の中にある真相にあと少しで近づけそうで、彼女は便箋に目を落とし続ける。
彼女はロクサーヌの治安を預かる立場である。
彼女の下には、衛士と近衛の兵士達がいる。連日の捜査で彼らの疲労は最高潮にまで達しているといってもいい。
それを密告の類一つで、軽々しく動かすなど治安を預かる彼女がしていいはずがない。
だが。
胸を占めるのは、雨の中短剣を向けて向き合うサギリとジンの姿。
もう少し、あとほんの少しでも早くジンを伴って彼女が動いていれば、あんな結末にはならなかったのではないか。
実際の事情は彼女の知る由もない。
それでも自責の念に駆られてしまう。
勢いをつけて立ち上がると、彼女は部屋の外に控える侍従に衛士と近衛を呼ぶように伝える。
「彼らはわたくしの私兵ではない。それは重々分かっています。ですが……わたくしは正しいと思えることをします」
彼女は何処からか、投げられた密告を信じた。
▼△▼
月は雲に隠れた。街の喧騒から引き離された、郊外の貴族の別荘のひとつ。周囲は田園と高い木々に囲まれている。夏なら涼しげな風が吹き抜けるその別荘は、夜になればまた別の顔を見せた。普段ならば静寂を友とする別荘の夜は、今日に限り一変していた。明々と炎に照らされる影達が狂騒する。
「てめえの部下どもは、大丈夫なんだろうな?」
その喧騒を眺め、頭から黒いフード付きのローブを身に纏うジンは横にいるベイシュに問いかけた。
「心配はねえさ。どいつも一騎当千、お前よりよっぽど頼りになるぜ」
「ふん、焼け死ななきゃ良いけどな」
ジンとベイシュが刃を交えてから丸一日。
いまだベイシュという男を信用しきれないジンだったが、今はその身を並べて戦うしかないと割り切っている。
ジンにとってはオウカの首さえ、取れればいいのだ。
「この屋敷にはオウカの孫とオウカ自身がいる。その二人を守るために、護衛も多少はいるから火事で焼け死ぬなんて間抜けな死に方はしねえだろうさ」
オウカの隠れ住んでいた場所。
「灯台もと暗しってやつだな」
楽しげに笑うベイシュに、ジンは胡乱な視線だけを返した。
屋敷を包み込もうとする炎を消そうと必死に動き回る使用人達、火事にあわてて出てくる護衛達、そしてそれらを襲うベイシュの部下。炎に照らされた影達の舞台の幕は上がったばかりだ。
「オウカはまだ中みたいだな、どうする兄ちゃん?」
屋敷の外にいる護衛の数が、あまりに少ない。
「正面から行く。来なくていいぞ」
そのジンの答えに肩を竦めるとベイシュは凶悪に笑う。
「だから餓鬼だと言うんだ」
餓狼と猛虎は、互いに視線を合わせず並んで宴へ身を投じた。
▼△▼
眠っていたオウカが目を覚ましたのは、しばらくぶりに嗅いだ戦の臭いからだった。
「誰か!」
老人とは思えない声量で使用人を呼びつける。胸を騒がすのは、最後に嗅いだ戦場の、王を殺した時の戦場のことだった。
「何でしょう、お館さま」
「胸騒ぎがする。屋敷の警備を強化させよ、私兵どもをたたき起こせ!」
いつにもまして、迫力のあるオウカの姿に使用人は、身を縮めて逃げるように退出するしかなかった。
「……クゥハン、アハトおるか」
自身の抱える暗殺団の中でも指折りの人材。先刻失ったアズを含めた彼らは、常にオウカの身辺を警護している者達だった。
「……御前に」
現れた闇の者を、一瞥するとオウカは命令を下す。
「トウカが気にかかる。アハト貴様は、トウカの護衛に行け。クゥハン。外が静か過ぎる。探ってまいれ」
「御意」
頷く二人を送り出し、オウカは寝間着を脱ぎ捨てる。しわくちゃな老人の顔からは想像できないほど、その体は引き締まり無駄な贅肉の一片までもありはしなかった。着替えるのは、鎖帷子に、動きやすい服をまとい、杖を手に取る。
「お、お館さま!」
使用人の叫ぶ声は窓の外から照らされた炎に掻き消された。
「くっ……おのれっ!」
敵だと、報告を受ける間もなく思い知らされる。
「わしは逃げる。貴様らは賊を命がけで食いとめよ」
冷然と言い放ち、歩むオウカに、使用人は呆然とその場に立ち尽くす。
「そ、そんな……」
「そんな、じゃと!? 貴様誰に向かって口を聞いておる! ロアヌキア創世以来の名門、ジェルノ家の当主たるわしの命を聞かぬというか!」
叱り付けると、杖で使用人を叩きつける。
「いえ、決して、そのようなことは」
「ならばいけい! 貴様らはジェルノ家に使えるものとして、わしの為に命を賭して働かねばならぬ!」
追い払うように使用人を送り出すと、オウカは廊下を歩き出す。
屋敷は混乱の坩堝と化していた。
「アハト、クゥハンと共に、トウカを安全な場所まで逃がせ。わしの護衛はアズだけで足りる」
投擲剣のアハトと鎖使いのクゥハンに指示を下しながら、オウカは指示を出していた。
「アズ、わしのそばを離れるな。このわしに喧嘩を売る度胸のある者はそう居るまいて」
頬から額にかけての火傷の跡を歪ませて、オウカは粘り付く様な笑みを浮かべる。
「使用人どもは、火を消せ! 私兵どもは外に出て賊の始末じゃ」
絹製の高価な寝間着に身を包み、別荘の二階から、赤い絨毯が敷かれた階段を下りて広間に降りる。その手に握るのは、彼の切り札とも言える紫紺の宝石。そのすぐ後ろを歩くのは、燃える屋敷を愉しげに見回すアズの姿。それに続いて護衛達がバラバラとついてくる。
広間にはまだ火の手は回りきっていない。使用人達の働きで火事は消し止められつつあった。そうなるとオウカの心配事は唯一の身内トウカのことだった。無事に脱出できただろうか、それが頭の片隅を掠める。
「翁」
後ろから掛けられたアズの低い声に、オウカは立ち止まる。
「来た」
嬉しげに頬を歪め、広間からの出入り口に広がる扉を指差す。訝しげにそちらを睨めば、恐ろしい程に殺気に満ち満ちた獣のような男が二人。一人は頭から黒いフードの付いたローブを羽織り、容姿は見えない。もう一人は、既に廃れたはずの黒旗軍の軍装、そして巌の様な巨躯の男。
「何者じゃ?」
その問いに
「ジンだ。てめえを殺しに来た」
フードの奥で男は、憎しみを込めて笑い
「黒旗軍、近衛兵長ベイシュ・ライラック」
軍装の男は鞘を払った。
「荒地を彷徨う犬と、亡霊の類か」
ばらばらと護衛たちがオウカの前に出て壁を作る。
「殺せ、やつらの首を取った者には金貨10枚を出そう」
護衛たちが色めき立つ。金貨1枚で、贅沢をしなければ一年はゆうに暮らせる金額なのだから無理もない。
我先にと駆け出す護衛を見送りながら、オウカは二人の侵入者が嬲り殺されるのを見守るつもりだった。
走り寄って来るトウカの護衛達を、ベイシュの刀が襲う。左右から襲い来る彼らを切り伏せるのは、暴風雨に似ていた。挑み来る護衛達が近づくそばから次々に、血の雨を降らせ絶命していく。五人、八人……犠牲者の数が増えるに従ってオウカの護衛達は恐怖に駆られだす。
ベイシュが荒れ狂う暴風雨とするなら、ジンは疾風に似ていた。人体の急所を的確に貫き、命を奪う。強引に切り伏せる事もあったが、すぐ側で戦うベイシュの影で目立たない。風のように懐に入り込み、間を置かず斬り殺す。派手さは無い分、護衛達の目標はベイシュよりもジンに集中した。
ベイシュは護衛達の目標がジンに集中し始めた事を感じると、群がってくる彼らの壁を突き破りオウカへ向かう。
その前に立ちはだかるのは、黒塗りの鞘に納まった反りの浅い片刃の剣を持ったアズ。
「てめえ、その得物……」
「お前と同じものだ」
「へっ、悪趣味だな」
ベイシュの軽口に、アズはねっとりとした笑みで答える。血と油の染み付いた刀を一閃し、汚れを払うとベイシュはそれを鞘に収めた。
「得物が同じでも、技はどうかな」
腰を低く構え、半身になったベイシュ。アズは鞘から右手で刀を抜き取り左手で鞘を持った。
先に動いたのはベイシュ。10歩以上の距離を一息で詰める。一直線に向かってくるベイシュに、アズは鞘を投げつける。
回転しながら、自身にぶつかる鞘に、体勢は崩さないものの踏み込みの勢いを殺され、ベイシュは舌打ちをした。
直後に鞘から引き抜かれるベイシュの刀が捉えたのは、アズの刀身だった。
「器用な真似をするじゃぁねえか!」
そのまま鍔迫り合いに持ち込もうとしたベイシュのわき腹をアズの蹴りが襲う。
「くっ」
一瞬よろめくベイシュ。蹴りを放った反動で、距離とったアズ。その足元には先ほど彼が投げつけた鞘がある。ベイシュから目を逸らさず、革の靴のつま先だけで鞘を跳ね上げる。跳ね上げた鞘が収まるのはアズの左手。
「こう、かな」
先ほどベイシュがしたように、刀身を鞘に収め半身に構える。
「なめてくれるぜ」
同じ姿勢を取るベイシュの側をジンが走り抜ける。
「オウカは俺がもらう」
言い捨ててオウカの側へ迫るジンを、忌々しげにベイシュは見送った。
「どうするんだ? てめえのご主人様が危険だぜ」
不満をぶつけるかのように、アズを牽制する。
「知ったことか。オレには、戦いが全てだ」
血走った目、と地獄の底から響いてくるような怨念を感じさせる声。
「狂戦士の一族か」
見れば、アズは遥か北の地方特有の服装をしている。ズボンとチュニックの上から貫頭衣を着て、それをベルトで締めると言う寒い地方独特の格好。貫頭衣の腰から下にはスリットが入り、動くのに不便はなさそうだ。
「知ってるのか、なかなかの博識だ」
遠く北の国では古くから信仰されている神々がいる。戦の神との融合を核とするその宗教では、より多く戦い抜いた者にその栄誉が訪れるとされていた。
──善と悪、ましてや正義と不義には一切関係なく、ただ強くあれと。
「てめえも、神様とやらを信じてる口かい?」
緩やかに、そして静かにベイシュが間合いを詰める。
「あぁ、もちろんだ。最近は信じてない奴らが増えてるが──」
同じようにアズも間合いを詰める。
互いが間合いに入ったと感じた瞬間、ぶつかり合う鋼の音が響き渡った。
「やるじゃねえか、さすが狂戦士の一族。筋が良い」
響きあう音と同時に二人は再び距離を離す。
「ちと、長くなりそうだな」
「ゆるりと愉しめばいい、芝居の幕はまだ降りない」
▼△▼
アズとベイシュが戦いを繰り広げている合間を縫ってジンはオウカの首とを狩る為に走った。距離を取ろうとする、オウカに倍する速度でジンは迫り、問答無用で斬り付けた。
「っち……」
空を切る一撃に、思わず漏れた舌打ち。詰まった距離を離さぬように再び振るわれる双刀の小太刀。だがそれそらも、空を斬る。左右から息もつかせず攻め立てるジンの攻撃は、悉くオウカには当たらず空を切る。
「驚いておるようじゃな」
「黙って死ね!」
右の牙で渾身の突きを放つジンに、オウカは手をかざす。
かざした手から覗くのは紫紺の宝石。体に感じた衝撃とともにジンは吹き飛ばされた。
「くっ……どうなってやがるっ!」
目に見えない衝撃。ジンはそれに覚えがあった。不可視の爪と呼んでサギリが使っていた力だ。
「頭の悪そうなお前にも、わかりやすく説明してやるとすればじゃ、この宝石はの、力を封じ込めるだけではない。力無きこの身でも使えるようする代物だということじゃよ」
口の中にたまった血を吐き捨ててジンはオウカを睨む。
「もちろん、貴様の攻撃がわしに当たらぬのにも訳がある。魔女の末の娘の他にも、この宝石には入って居るのじゃよ」
残虐な笑みがトウカの顔を覆う。
「わかるであろう? アレの姉の力だ。千里眼というのか、貴様の攻撃は全て見切れるのだ。つまりわしに貴様の攻撃は当たらぬ! さあ、荒地を彷徨う犬よ、どうする、大人しく尻尾を巻いて逃げ帰るか?」
自分の絶対的有意を信じて疑わぬトウカの嘲笑。
「それともじわじわと嬲り殺されるのが好みか? 貴様の主の力で殺されるのだ、本望であろう?」
「知らねえよ……サギリに姉がいたことなんて」
オウカの言葉に耳を貸さず、再び斬りかかるジンの攻撃はやはり空を切る。そして宝石をかざされた途端に、襲い来る衝撃。耐え切れず後ろに吹き飛ばされたジンは、わき腹を押さえた。
ベイシュとの戦いで傷ついた体が痛み始めたのだ。それに耐えて、立ち上がる。
「全く、理解に苦しむな。あの末の娘もそうだったが、往生際が悪すぎる。敵わないと知りつつ、何度も立ち上がるなど反吐がでそうじゃわ」
傷ついたサギリの姿がジンの脳裏を掠めた。
「俺は、サギリの狼だ。あいつが狙った獲物は、俺が殺す。サギリを苦しめるものも、サギリを傷つける奴も、俺が皆殺しにしてやる」
「世迷言を」
一笑に伏すオウカ。
「殺してやる」
右手に持った小太刀を鞘に収める。フード付きのローブを脱ぎ捨てたジンの顔に浮かぶのは、狂気の笑み。赤く光る瞳は、荒れ地を闊歩する悪鬼羅刹の色がある。
「何を考えておる?」
「視えるんだろう?」
ジンの右手を中心に渦を巻く風が集まり始める。ゆっくりと静かに、だが次第に激しく強く。
「貴様っ!」
「──避けてみろっ!」
掌の中で回り、次第に圧縮されていく風を持って、ジンはオウカの懐目掛けて地を蹴った。
「くっ……正気か!?」
迫り来るジンに宝石を掲げ、不可視の爪を放つオウカ。オウカが掲げるその手を目指して、ジンは手の中にある風の塊を右腕諸共突き出した。
それを中心に荒れ狂うカマイタチ。圧縮された風が刃物となって、周囲全てを切り裂いていく。オウカは言うに及ばず、術者自身であるジンすらも巻き込んで暴れ、収まった。
例え、相手の攻撃が見きれていても、避けられなければ意味はない。
己には大きすぎる力を見誤ったオウカの敗北は死という影を伴って近寄ってきていた。
「ぐっ……愚かな、自滅を覚悟の上で攻撃するなど」
開いた傷口を押さえ立ち上がろうとするオウカに、影が差す。
「そうか? だがお前は死ぬ──」
オウカの見上げる先には、全身を自ら起こした風に切り刻まれたジンの姿。
左腕は手首から肩にかけて斬り裂かれ、足、胸と言わず切り傷がある。あるいはオウカよりもなお、ジンの方が重症といえた。
「──俺が、殺す」
無慈悲な言葉とともに振り下ろされた小太刀は、オウカの体を貫いた。
「馬鹿な、俺が、……こんな」
体に突き刺される刃、臓腑をえぐり、溢れだす血潮は床を染める。
一度引き抜かれた刃が再び襲いくる。
悲鳴を上げたはずの口から洩れるのは、ただ乾いた息だけだった。
首を絶ち切るジンの一撃。
オウカであり、トウカであった男の最後に見たのは、今はもう名前も思い出せない女のことだった。
──愛しているわ。トウカ。
「ああ、名前は確か……」
ロアヌキア開闢以来の名門ジェルノ家当主にして、ロクサーヌの闇を支配する男。
オウカ・ジェルノはその命を落とした。
▼△▼
ベイシュの巨躯から振り下ろされた斬撃は銀色の線となってアズに迫る。両手で握られた彼の愛刀は風と共に、今までアズが居た空間を通過した。
間一髪後ろに避け、間を置かず反撃しようとしたアズの視界に、かわしたはずの銀色の光が映る。
舌打ちと同時に全力で防御に徹する。反撃用に動き始めていた右手の刀を相手の刀にぶつけ、戦いながら拾った左手の短槍は牽制の為に突き出す。
その顔を狙って突き出される短槍を、わざとギリギリまで引き付けて避ける。と、同時にベイシュは一歩踏み込んで防ぎに来たアズの刀を弾く。
そのまま最小限の動きで、渾身の突きを繰り出した。
ベイシュが一歩踏み込んで来た瞬間、アズの全身を冷気が吹き抜けた。踏み込んで来るベイシュから空気を圧縮するような、力を溜めを感じたアズは突き出していた短槍の柄で、ベイシュを殴りつけその反動を利用するかのように左へ跳ぶ。
槍の柄で殴られるのを、ベイシュは敢えて避けなかった。突きの速度を鈍らせたくなかったためだ。だか予想よりも遥かに重い一撃を受け、ほんの一瞬技を繰り出すのが遅れてしまう。
巻頭衣が破れ、下に着込んでいた鎖帷子を貫き、鮮血が飛び散る。受け身も取れず転がると、直ぐにアズは立ち上がった。脇腹に受けた傷は血が流れているが、大したことはない。
立ち上がったアズは震えていた。恐怖ではなく歓喜に彼の血が沸き立った。
「コレも避けるとはな」
こめかみの上から流れる血を拭いながらベイシュは口を開いた。
「とっておきったんだがな」
口元だけの笑み。気の弱い者ならその凄みだけで気を失うであろうベイシュの笑みに、アズは歓喜の笑みで応えた。
アズは嬉しかった。この相手は極上だ。この間の小娘も面白くはあったが、目の前の相手には及ばない。
「神に感謝せねばな、こんな辺境でこのような相手と戦えることを」
アズが前に出ようとしたちょうどその時、二人の間を突風が吹きぬけた。
視線を転ずれば、ジンがオウカに止めを刺している所だった。
「良いのかい? ご主人様が死んじまったぜ」
「あのようなもの、どうなろうと知ったことではない」
じりっと二人が距離を詰める。
「同感だが、剣は主の為にこそあるべきだ」
「死んだ主に忠義を立てて何になる? 戦いは常に自らのためであるべきだ」
唸りを上げるアズの短槍。体の中心に向け最短距離を走るそれを弾く為、ベイシュは刀を跳ね上げた。
跳ね上げた槍の向こうから、アズの刀の突きが続け様に放たれる。ベイシュはそれを峰で受けて、無理やり鍔迫り合いに持ち込む。
「主を持たない剣は哀れだぜ」
「剣は神に捧げている。同情される覚えはない……特に亡き主に忠誠を誓うような輩にはな」
引っぺがす様に、距離をとるアズにベイシュは刀を鞘に納める。
「見解の相違だな」
その声と共に距離を詰めるベイシュの刀が地面スレスレを這う。
「ぬぅ!」
唸り声と共に迫り来るベイシュの切っ先を後退しつつ紙一重で交わす、と同時に床に刀を叩きつけた。自らの体に触れない分、油断したベイシュの足を、アズの一撃が放った亀裂が飲み込む。
「──っちぃ!」
ベイシュの舌打ちと、打ち掛かるアズの剣撃を払うベイシュの刀の音が交わる。真上から斬りかかったアズの一撃を受け止めず、流し切り自身は亀裂から足を引き抜き飛び退く。
後退するベイシュを、アズが追う。流された刀の位置をそのままに刃の向きだけを修正して、踏み込みと同時に振るう。気負いも力みもなく、流れるようなその剣技、そして繰り出される短槍にベイシュも交わすだけが精一杯だった。気がつけば、ベイシュの周囲には先ほど斬り伏せて来た護衛たちの亡骸があった。
周囲を確認する間もなく、迫り来るアズの速く重い一撃。
息もつかせぬ連撃の合間、ふと目があったアズは笑っていた。
振りかざされるアズの刀、それを左に体を捻らせて避けると、あろうことか振り下ろした刀を屍に突き刺す。
「ぬぅ、おおぉぉ!」
咆哮と共に、屍はアズからベイシュへ投擲される。その無茶な戦い方に、一瞬ベイシュが我を忘れる。
屍に塞がれる視界、投げつけられたソレをまともに受けてしまったベイシュは、屍のすぐ後から振り下ろされたアズの刃をまともに受けることになった。
屍諸共袈裟掛けに斬り付けるアズ。その一撃から伝わる硬い衝撃にアズの頬が緩む。
「野郎……」
崩れ落ちる屍の向に見えるアズのにやけた顔をベイシュは睨み付ける。
刀を振り上げたアズのがら空きの胴へ、蹴りを入れて距離をとった。後ろに下がったアズは短槍を捨て、亡骸の持っていた両刃の剣を持ってベイシュと対峙した。
ぎりっと奥歯をかみ締め、ベイシュはアズをにらむ。独白の合間に、刀身を鞘に収め、半身に構える。血を吸い込んだ絨毯に半歩、アズに対して出る。
「その技は見たな」
大胆に一歩、間合いを詰めたアズにベイシュが口を開いた。
「若いの、礼を言うぜ。久々に昔の血が騒ぐ戦いだった」
「死に損ないが!」
互いに譲らぬまま、正面から激突する。
アズはベイシュの得物の長さも、その構えから軌道も計算に入れて左右に刀と剣を振りかぶる。
ベイシュの抜刀、それに被せてアズも剣を振り下ろす。
刹那の交差。
ベイシュの刀の軌道。
振り下ろしたアズの剣の軌道が重なり弾けた。
アズは自分の横を駆け抜けたベイシュに背を向け、呆然と自分の体を見下ろした。振り下ろした剣は砕け、尚も止まらぬベイシュの刀は、腹から肩に掛けての太刀傷を残し、左腕を奪っていった。
助からない、とぼんやり考えたアズは頬を歪ませて笑みの形を作る。
「幕か……」
どう、という音と共に崩れ落ちたアズは既に息絶えていた。
「戦士よ、俺の捧げた剣は朽ちちゃぁいねえんだ」
振り替えらずに、ベイシュは物言わぬ亡骸に言葉を掛けた。
ヒュンという風切り音を立て、ベイシュは刀を一閃する。積み重なった荷を払い落とすかのように、血と油を落として刀を納めた。