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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦 526年 覇を統べる王3章
10/103

初陣2


 その伝令が来たのは、夜半をすぎた頃だった。


「急な伝令とか……?」


 使者からの口上を聞き終え、命令の羊紙を受け取るとカルはシュセにそれを伝えるべく、自身の天幕に彼女を招いた。


「あぁ、これを」


 そう言って差し出された羊紙に目を通すシュセは、読み進めるうちに目を見開くことになった。


「なんですかこれは!?」


 思わず、声が高くなるシュセにカルは冷たい笑いを返す。


「私に死んで来いと言うのだろう」


「笑い事ではありません。僅か200の兵で、対岸に渡り全軍が渡るだけの橋を建設せよなどと……この命令はお断りください!」


「命令は勝手に断ってはまずかろう」


「敢えて言わせて頂きますが、対岸に渡ったら最後、敵が妨害をしないことは考えられません。わたくし達には、すでに撤退の命が下っているのです。わざわざ危険に身を曝すなどおやめください」


 カルに詰め寄るシュセの肩に、優しく手が置かれる。


「私とお前が鍛えてきた兵は、それほどに軟弱か?」


「そんなことはありませんが……」


 言葉に詰まるシュセを、カルの強い視線がとらえる。


「心配するな。私は無駄が嫌いだ、兵の命も、時も決して無駄には使わぬ」


 主に自信を持ってそう言われてしまえば、シュセとしては引き下がらぬ訳にはいかない。


「では、策がおありなのですね?」


 頷くカルに、シュセの気持ちが解れる。


「できれば、お聞かせ願えないでしょうか?」


 カルの策を聞き終えたシュセの表情には、戸惑いが浮かんでいた。確かに成功すれば、橋は架かるだろう。だが、あまりにも分の悪い賭けだとも思う。


「周辺の地理を、私兵達に叩き込まねばなりませんね」


 苦笑に近い形で笑みを作るシュセ。


「荷はここに置いていく」


 構わないな、と確認されて頷くシュセ。策は急速に、肉を付け始めていた。

 その夜のうちに、カルとシュセに率いられた150程の私兵達は、両陣営が対峙する遙か上流へ向かい川を渡った。

 鎧は付けさせず、武器だけを持たせた渡河に不安を表す者も、率先して範を示すシュセやカルに黙って従う。明かりを持たせず、全員を丈夫なロープで結びつつ、渡河を終わらせた。


「地図を覚えているか?」


 カルの声に頷くシュセ。


「この地点より北には、自由都市群の一つポーレがあります。距離は日にちにして、ざっと徒歩で二日」


 薄闇の中で見渡す周囲は、広い草原。だが、ポーレの周囲には森が広がり身を隠すには最適だった。


「残った部下には5日したら橋を造り始めるよう言い含めてあります」


 よし、と頷いたカルは付き従ってきた部下に顔を向ける。


「これより、ポーレに向かい駆ける! 遅れるな」


 息を呑む彼の部下に、シュセの叱咤が続いた。


「この戦は、速さが勝負だ。死ぬ気で駆け抜けスカルディアの旗に勝利を捧げて見せろ!」


 静かなざわめきが広がり、収束していった。漲る気迫が夜の闇に、立ち昇る。


「いくぞ!」


 三叉の槍の穂先に示された勝利に向かって、150人と二人は闇の中を駆けた。




 自由都市群の陣営地には六千を数える将兵がいた。睨み合う貴族達の連合軍のおよそ二倍の兵達を補うためには、恒常的な兵站が必要とされた。

 つまり食糧だ。その軍には血液とも言える食糧を、自由都市群では近くの都市、つまりポーレからの輸送に頼っていた。

 だが、二日前からその食糧が全く届かない。ポーレを出たという連絡もない。それを受けて自由都市群は揉めた。

 食糧の備蓄が無いわけではない。だが、六千にも上る兵を飢えることなく食べさせていけるかどうかの自信がなかったのだ。

 もし、仮にポーレが裏切って貴族連合に着いたのであれば、対陣している彼らは背後を衝かれ挟み撃ちを食うことになる。自由都市群の旗を掲げてはいるものの、彼らとて通商で結びついただけの街同士なのだ。

 貴族の下につくよりはマシ程度の認識で繋がる彼らに、信頼関係など築けるはずもない。更に悪いことに、ポーレの代表は陣営地にはなく補給の指揮を執るために、ポーレの中に留まったままだった。

 それがまた、彼らの疑心暗鬼に拍車をかける。

 結局対岸線から引き上げて、よりポーレに近い所まで陣営地を引くと言うことで軍議は決着を見た。


「ポーレをすぐさま撃つべし」


「違う補給線を探すべきだ」


「まずは、食糧が届かぬ原因の究明を」


 様々な意見の折衷案をとった形の、その決定はカルとシュセの思い描いた理想の形として結実した。彼らはポーレの森に潜み、補給のために街を出た部隊、連絡のために遣わされた使者を片っ端から襲撃していたのだ。

 自由都市群が、対岸沿いを離れた隙を狙って予て伏せさせ、橋の材料を造っていたカルの私兵達が橋を造り始める。部分ごとに分かれたそれを組み合わせ、移動には川そのものを利用した。

 通常よりも何倍もの速度で仕上げられた橋は、大軍が渡るに相応しい威容を、貴族連合軍の前に表したのだ。もっとも深いところで人の背丈程もある深さ、吊り橋ではとても不可能なその幅を克服するために、カルは木で簡易な箱を造った。石をその中に敷き詰め、重しとする。箱と言っても、人が二人はまるまる入れるだけのものだ。それを何十も用意し、橋の足にする。箱の周りには、流れを緩やかにするための柵を張り巡らせ、一つの箱が完成する。

 足と足の間を、予め用意しておいた部分を組み合わせ、橋を作り上げてしまった。軍装に身を包んだ兵士が乗っても崩れないだけの堅牢な橋を。

 一方ポーレで敵の補給を潰していたカル達も、自由都市群がポーレに接近するのを知って、夜陰に紛れて逃走を図り見事に帰陣した。




 カルは戻ってきた。疲労と充足感、そして勝利と言う名の獲物を連れて。貴族連合の陣営地に戻ったその足で、彼はヘェルキオスの天幕へ向かう。私兵達には怪我人の介抱と、カル達の天幕の設営を命じシュセだけを伴った。

 大仰な天幕の中へ入ると、そこには既に酔い潰れた貴族はなく各々の鎧姿も厳めしい彼らが、地図を睨みながら椅子に腰掛けていた。


「おぉ、カル殿」


 漣のように広がるざわめきを意に介せず、カルは与えられた席に着いた。シュセはその席の傍らに控える。本来ならば、命令を下したヘェルキオスからの労いの言葉の一つもあるべきなのだろう。だが、盟主と末席の間にあるのは冷え切った沈黙だけだった。


「……全員が揃ったようなので、軍議を始めたいと思う」


 ヘェルキオスの言葉に、ざわつきが静まる。


「さて、問題はこの戦をどうするかだ」


 攻めるか、引くか。攻めるならどのようにして攻めるのか、つまり最初から作戦の練り直しと言うことだ。もちろん、その中にはカルの用意した橋も計算に入っている。自由都市群は、ポーレからの補給が再開し、六千の兵を南下させ始めたということだ。

 カルは終始この会議では沈黙を守った。貴族達の誰に何を聞かれても、若輩であることを理由に発言を拒否し続ける。


「カル殿は、先の戦功で満足してこれ以上の戦果をお望みでないのでは?」


 業を煮やしたヘェルキオスの侍従が、嘲笑の混じった声を彼の主の耳に吹き込む。


「かもしれぬが……」


 同じく嘲笑の形を取るヘェルキオスの口の端とは裏腹に、視線だけは厳しさを含んだまま沈黙を守るカルを射る。我慢ができなくなった彼は、とうとう息子に声を出すことを許した。


「発言を許す。カル・スカルディア。貴公の存念を述べよ」


 それでは、と前置きしてカルが口を開く。彼の考えを聞いた貴族達は、一様に沈黙を余儀なくされた。


「一歩間違えば全滅してしまいます。あまりにも危険なのでは……?」


「敵に対して少ない戦力。見渡す限りの草原、この条件の中で、どうやって決戦以上

に有効な戦術がありますか?」


 貴族の一人の弱気な質問をカルは一蹴する。カルの献策は不満と不平のうちに貴族達に根を下ろした。


「望むところではないですか」


 そういう者も手柄を欲してのことであってカルの策を支持しているのだ。未だに去就を決めきれない者もある。一様に視線は盟主であるヘェルキオスに向かう。


「なるべく早くに決めねばなりません。彼らが対岸に戻ってくる前に」


 ダメ押しとばかりのカルの発言に、賛同した貴族の幾人かが頷く。


「分かった。出発は今晩未明、各々仕度を怠るな」


 ヘェルキオスの発言で全ては決まった。

 大仰な天幕を出て、自分の天幕へ向かうカルにシュセが小声で話しかける。


「どうしてあのような策を……?」


 危険極まりない。ここは橋を壊して退却すべきだったのだ。確かに橋を造った本人からは言いづらいことだが、敵と味方との人数差を考えれば歴然だった。


「機会だ」


 びくりと、身体に雷が走ったようにシュセの表情が固まる。なんの、とは聞くまでもない。ヘェルキオスを殺す、その機会がその決戦の最中にあるという。

 それを告げたカルの表情は動かなかった。夜の帳が落ち始めた周囲は薄暗く、真昼に始まったはずの軍議が予想以上に時間を取ったのが分かる。後ろから差し込む夕日に遮られカルの表情はシュセからは見えない。

 まさか、この無謀な命令を受けたときからカルはこの機会をうかがっていたのだろうか。そう考えるとシュセは、冷たさを含んだ風に吹かれたように震えた。


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