エヴァグリーンの罠
※勢いで書いたので、細かく考えてません
誤字修正しました。ご指摘頂きありがとうございます。
グレイには好きな女性がいた。その女性――ルーザは女性ながら庭師の見習いで、同僚たちと共にいつも庭をいじっている女性だった。植物を愛でるルーザに恋をしたグレイは少しずつ彼女に近づき、いつしか2人は両想いになっていく。お互いに口には出さずとも、気持ちは繋がっていた。
そんな2人を引き裂くように、急遽グレイの結婚が決まる。和平条約を結んだ隣国から王族が嫁いでくることになり、その相手が王太子であるグレイだ。グレイは自分の立場を弁えていた――とは言い難いが、好きな女性しかも庭師と結婚できるほど甘い世界ではないと分かっている。父である王にも抗えない。
自分にそう言い訳して逃げ道がないことを心に刻む。ヴェールをそっとあげると、深い緑と出会い、グレイは一瞬動けなくなった。緑色の瞳から読み取れる感情はなかったが、それが美しいことだけは理解できる。やがて緑は金の睫毛で遮られ、それに導かれるように彼女に唇を落とした。
滞りなく結婚式等が終わり、ついに「初夜」と呼ばれる時間が来てしまう。グレイはどうするべきか迷っていた。子を成すのは義務ではあるが、未だに未練の断ちきれない相手がいるというのに不誠実ではないだろうか。最も、そんな状態で結婚したことが既に不誠実ではあるが。
やはり、妻となった女性に後ろ暗い思いを抱き続けるのは今後の自分の生活にも関わる。自分には今もまだ好きな女性がいること、けれど王太子妃として蔑ろにするつもりはないことを告げるべきだろう。
自室の扉の前にいた侍女が、王太子妃殿下――つまり妻となった女性・ノワールが寝室にいることを伝えてきたので、一層引き締まった思いで寝室の扉を開けた。
しかし、部屋に人影は見当たらない。逃げ出したのかと思い部屋に入ると、寝台の奥でうずくまっている彼女を見つけた。
「どうしたんだ?!」
慌てて駆け寄ると、ノワールは肩で息をしている。グレイが抱き起すと大袈裟な程体を震わせ、両手で口元を覆いくぐもった声を溢した。暗がりの中だが、よく見ると緑の瞳は過多な水の膜で覆われ、頬は上気している。
「申し訳っ……ござい、ません……。私、何だか、体がおかしくて……っ」
申し訳ないと言いつつノワールの手はグレイの腕の服を掴んでいたが、グレイは気にならなかった。むしろ気になるのはノワールの状態だ。
赤い頬を撫でると「んんっ」と艶のある声が漏れる。寝台の傍らに置いてある小さめのテーブルには空のカップが置いてあった。
もしかして、薬……しかも媚薬のような類の薬を盛られたのではないだろうか。現にノワールは可哀想な程肩で息を繰り返し、グレイの胸に持たれかかっている。顔は俯いて見えないが、先ほどのような表情のままだろう。
誰かを呼ぶべきか否か――。呼ぶとなると、彼女は痴態を晒すことになる。しかも薬を盛られて精神が不安定な状態で1人で放り出されるのは心細いはず。グレイも薬の耐性を付ける為に何度か体験したが、少量でも辛かった。それをどれだけ盛られたのか――。
グレイはノワールを寝台へと抱き上げると、扉の前で待機していた侍女に小声で薬湯を持ってくることを申し付ける。もちろん、誰にもばれないように他言無用だとも念を押す。表立って犯人を探しにくい上に、もし犯人が王の手の者だったら骨が折れる。
運ばれてきた薬湯をノワールに飲ませて様子を見るが、当然目に見えて効果もない。そもそも即効性のあるものではない。となれば、彼女をどうすべきか――。
シーツが擦れる刺激すら過敏に感じ取っては悶える彼女を放っておくのは、どうあがいても無理だった。しかも今は初夜。着るべくして着ている寝衣だ、グレイには煽情的すぎる。
申し訳ない――。ノワールに向かってなのか想い人ルーザに向かってなのか分からない謝罪をし、グレイはノワールに覆いかぶさる。そして半開きの口を自らの唇で塞ぎ、欲望を口内へと侵入させた。
翌日、グレイは落ち込んでいた。薬に煽られたとはいえ間違いなく純潔だったノワールをあんな風に抱いてしまった。朝になっても目が覚めない妻を置いて公務に赴いたが、どうしてもそのことばかり考えてしまう。頭の片隅では一応薬を盛った犯人の目星をつけようとしているが、気が散って考えられなかった。
調子が出ないまま1日が終わり、ようやくノワールと何の話もしていないことに気付く。なんならあれだけ悩み倒したのにノワールのあられもない姿にあっさり欲が勝った、情けない夜だった。今日は話さなくては、と思いつつも気が向かない。どんな顔で会えばいいのか。
グレイが自室で頭を抱えている最中、ノックの音が響く。誰かと問えばノワールだった。
驚いて扉を開けると、すでに寝る準備を済ませたノワールが立っている。寝衣は昨夜の物とは異なり、一ヶ所も透けてなかった。それが普通である。ゆったりとした上着も羽織っているので、閨事のことを考えているわけではなさそうだ。
「その、実は昨日……色々、話をしたいと思っていまして……。今お忙しいようでなければお時間をいただけませんでしょうか?」
「あ、ああ……私も、あなたと話がしたいと思っていたんだ……」
気まずげな空気だったが室内へと招き、小さめのソファに向かい合って互いに座る――前にノワールは勢いよく頭を下げた。
「昨日は申し訳ありませんでした。はしたない姿を見せ、ご迷惑をおかけしてしまい――」
続きは慌てて頭を上げさせたグレイに遮られた。
「謝るのは私の方だ! 処女であるあなたを好きなように責めたて――」
「も、もう言わないでください!」
ノワールは耳まで真っ赤にして俯いた。グレイは自分が何を口走りそうだったか気づき、妙な汗をかいた。
「その、この話はいったん置いておかないか、あなたは本意ではなかっただろう」
「そ、そのようにお願いいたします」
2人はブリキの玩具のようなぎこちない動きでソファへと腰かける。2人とも顔が赤く息が乱れているが、今日は薬を盛られているわけではない。
「あのですね、私たちはまだ言わば関係性がゼロの状態です」
「ああ、そうだな」
体の関係はできている、と言う者はここにはいなかった。
「私は夫婦は信頼関係にあるべきだと思います。ですから、少しでもこうやってお話する時間を頂けませんか? 毎日でなくとも構わないのです」
こうやってグレイと正面から向き合おうとしてくれているノワールとなら、夫婦としての愛は育めなくとも信頼関係は築けるかもしれない。もちろんそれにはルーザとのことを明かす必要があるが、まだ信頼はゼロ。今じゃなくともいいと、グレイは結論付けた。
「私もあなたとは良好な関係を築きたいと思っている。私からも2人の時間をとることを頼もう」
こうして2人は少しずつお喋りをして交流していった。夫婦だが、2人はまだ会って間もない。人間関係を作ることは必要不可欠なことだった。
グレイは気付いたことがある。まず、ノワールは侍女の名前を憶えており、その名をよく呼ぶ。昨日もお茶を用意させる際に「お願いね、デイジー」と言い、用意が済んだら「ありがとう、デイジー」と声をかけていたのだ。グレイのことは最初何と呼ぶか困っていたが、見かねて「グレイで良い」というと「グレイ様」と呼ぶようになった。
それから、公務中は常に微笑を浮かべて崩れないが、2人だけの時は表情豊かだ。仕事中じゃないからつい、と眉を下げる彼女はかわいらしかった。グレイと一緒に居る時は仕事ではないと認識していることが、純粋に嬉しかった。
気付けば、グレイはノワールといる時間を楽しく感じていた。自分にだけにっこり笑ってくれるのは、特別のような気がしていた。
「ノワール、今日はどんな本を読んだんだ?」
「今日は『南北戦争時代の人々の暮らし』です」
「それは……おもしろいのか?」
「全然おもしろくありません。でも、人々の服装の変化の過程はおもしろかったです」
どうやら当時の服装に興味があっただけで戦争には興味がないようである。しかし何故その本を手に取ったのか。
ふと、本から栞が落ちた。拾ってみると、花びらが押し花にされていた。見覚えのある花びらだと気付き目の前のテーブルを見ると、同じ花びらを持つ花が一輪挿してあった。シンプルな一輪挿しは彼女の部屋によく似合っている。
「この花は、この栞の?」
「そうです! 先日ピアンタに貰ったんです。綺麗だったので、花びらだけはずっと楽しめるように押し花にしたんです」
ピアンタとは、ルーザの同僚の男だ。つまり彼女は、他の男から貰った花を喜び、記念に残そうとしている――それはグレイにとっておもしろくないことだった。
「……あなたはその花が好きなのか?」
「いいえ、特別に好きというわけではありません。でも、私に似合う花をと選んでくれたものですので、嬉しいです」
ピアンタは時々侍女たちに花を贈ったりしているそうなので、女性に似合う花を選ぶのは得意なのかもしれない。しかし――
「ノワールに似合う花だったら、私にだって見つけられる」
グレイの呟きはしっかりノワールの耳に届いた。真っ赤になりながら呆気にとられる彼女を見た時、グレイはうっかり口に出してしまったことに気付く。あたふたと立ち上がり、「用事が出来たので失礼する!」と何故か見破られる嘘を吐いてノワールの部屋から飛び出していった。
自室に戻って、グレイは深く息を吐きだした。ルーザのことを思い出したのは、久しぶりだった気がする。しかもルーザのことよりも、ノワールとピアンタのことの方が気になってしまった。あれは嫉妬だと、さすがのグレイも気付いている。そして自分がノワールに惹かれていることにも。
目を瞑って思い出すのはルーザの顔ではなく、楽しいのだと分かるノワールの三日月型の目と、その中心に浮かぶ緑だった。
翌日は夜遅くまで忙しかったグレイはノワールに会えなかったことを残念に思った。寝顔だけでも見れないだろうか。けれど夜に彼女の部屋に行くことは夫としては可能だが、夫の役割をしてないグレイには気が引けた。諦めて明日の朝食まで待とう。
その翌日、ノワールは体調を崩し朝食にはいなかった。沈む気持ちを無視して、昼までには彼女を見舞おうと決めて仕事へと向かう。
ようやくキリをつけたのは昼直前だった。グレイは妻の部屋へ走っ――らずに早足で急いだ。親しい部下や弟が揃いも揃ってヘラヘラ茶化してくるが今はどうでもいい。
「ノワール、体調は?!」
「グ、グレイ様……?」
ノワールの寝台の周囲には花やぬいぐるみが飾られていた。おそらく母――王妃やノワールがいつも相手をしている幼い妹が置いていった見舞いの品だが、グレイは手ぶらで来てしまっていた。しまったと思ったが、それ以上に体調を崩している相手の部屋に飛び込んだことを悔やむべきだ。
「す、すまない。体調は大丈夫か?」
「はい、少し調子が悪いだけですから……」
言ってノワールは右下へと視線を逸らした。いつもの深緑をきちんと見られないことを内心残念に思いながら、グレイはノワールに無理をしないようとだけ言って、部屋を後にした。次は見舞いを持ってくるべきだと反省して。
しかしこれ以降、グレイの思いを知ってか知らずかノワールはグレイの部屋に訪れなくなってしまった。何かしてしまったのかと思いつつも忙しいグレイはなかなか理由を聞けずにいた。なんならほとんど顔も合わせていない気がする。
ある夜部屋を訪れてみたが、丁度鉢合わせた侍女が彼女はもう寝たと言ったため、起こすもの悪い気がしてすごすご自室へと戻る。それでもその日は、眠れなかった。目を閉じるといつも浮かんでくるノワールの顔は笑っていない。悲しげに細められる緑に落ち着かなくなったグレイは、とうとう妻の部屋へ無断で侵入することを決めた。
細心の注意を払って扉の取っ手を降ろす。自分は夜這いでもする気なのかと考えたところで初夜の様子を思い出してしまい、頭を横に何回も振った。邪念は今はいらない。
同じようにゆっくり扉を押し、体を滑り込ませ、またゆっくり扉を閉めた。なんとか音もなく侵入できたところで、鼻をすするような音が聞こえてくる。
寝台を見ると月明かりが差しており、そこには上半身を起こしたノワールがいた。バレたのかと思って心臓がはねたが、彼女は下を向いていて、グレイには気付いてないようだった。
ゆっくりゆっくり近づくと鼻をすする音も近くなっていき、妻の様子が分かるようになる。彼女は立てた両膝に顔を埋めた状態で座っており、肩が時々震えている。もしかして、ノワールは泣いている……?
「ノワール、泣いているのか?」
思わず声をかけると、大きく肩を跳ねさせて、ノワールはグレイを見つめた。震える緑の瞳と赤くなった目元と頬と目は、彼女が泣いていたことを主張している。
グレイは情けなくなった。こんな夜に、妻を1人で泣かせてしまっている自分が。
グレイは寝台に上がってノワールの隣に移動すると、小さな肩を抱き寄せた。
「すまないノワール。私は気が利かないからあなたが泣いている理由がハッキリ分からない。どうか教えてくれないか、あなたが1人で泣く理由を」
「グレイ、様……」
ノワールはしばらくの間涙を溢すばかりで、何も言わなかった。しかしグレイは涙を拭い、時には頬や目元に唇を落とし、ノワールが話すのを待った。
グレイが引かないことを悟ったのか、幾分落ち着いたノワールは話し始める。
「申し訳ありません、グレイ様。私、知らない間にグレイ様から幸せを奪っていたんですね」
「どういうことだ?」
「……グレイ様と庭師見習いのルーザは親密な関係にあったと聞きました。私は、そんな2人を『政略結婚』という武器で引き裂いてしまいました」
「そ、れは……」
それを漏らしたのは誰なのか。それを何故ノワールの耳に入れたのか。グレイは目の前が暗くなっていくような気がした。
「愛し合う2人を引き裂くことを、私は望んでいません」
ノワールは、また1粒涙を溢す。
「政略結婚だから、グレイ様との愛が生まれるとは思っていませんでした。だからせめて、信頼し合えるようになりたかったのです――それなのに、グレイ様のことを知れば知るほど惹かれていってしまいました。でもグレイ様には既に想い人がいると知って、私は耐えられないと思ったんです。グレイ様がルーザを側室として迎えて、仲睦まじい2人を1人で見るのは……」
「ノワール……」
「だから、グレイ様と距離を取った方が良いと思ったんです……」
「ノワール、私の話も聞いてほしい」
そっとグレイを見上げてくる緑色は、恐怖が見え隠れしていた。
「確かに私とルーザは以前両思いといっていい間柄だったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。思いを伝えあったわけでもなかった。ましてやあなたと結婚した後は彼女とは話すどころか会うこともしていなかった」
「え……」
「それに、私は……初夜からあなたに惹かれていた。あ、かっ体が気に入ったとかではないからな! 惹かれたのはあなたのその美しい瞳で……――っとにかく! 体目当てではない!」
ノワールは真っ赤になって頷いた。手で顔を押さえているので表情は見えない。
「それからは、私も話す度にあなたに惹かれていった……ピアンタに嫉妬する程には」
グレイはノワールを抱きしめ、顔を覆っていた手を外させる。ぱちぱちと瞬きをする恥ずかしそうな表情は新鮮だ。
「ルーザのことは、正直頭から抜け落ちていたというか……本当に、もう彼女に未練はないんだ。悲しませてすまなかった。その、改めて言わせてほしい。ノワール、あなたを愛している。私の妻となり家族となり、共に幸せな人生を歩んでほしい」
ノワールは、また涙を1粒涙を溢した。しかし、今度は心底幸せそうなとびっきりの笑顔で。
「――はい!」
グレイは思い切り抱き付いてきたノワールを抱きしめ返す。しばらくの間抱擁を交わした後、グレイはノワールを寝台に押し倒した。そう、ここは寝台の上で、2人は夫婦。思いが通じ合ったからにはもう遠慮をするつもりは、グレイにはまるでなかった。驚きのあまり抵抗をしないノワールの首筋に吸い付き、2日目の夜に見てちょっぴりガッカリした寝衣を脱がせにかかった。
*****
グレイの腕の中で、ノワールは嗤った。
まさかこんなにもうまく事が運ぶなんて。
王太子の寵愛が、いずれ王妃になるよう教育されてきた自分ではなく、たかが庭師見習いの女にいくなんて、笑えない冗談だ。
あの女に直接「グレイは渡さない」と言われた時にはどうしてやろうかと思ったが、いたぶって城から追い出すよりもこっちの方が余程屈辱的だろう。
もっとも、あの女との関係なんて元から知っていた。嫁ぐ前にきちんと相手の身辺調査位している。馬鹿な王太子だと思っていたが、案の定馬鹿――言い換えればまっすぐで誠実な人柄だったので、「媚薬で既成事実を作りつつ同情を買い、距離を縮めたと思ったら掴めなくなって、涙ぽろり」でいい感じに納まってくれて一安心だ。体を張って媚薬を飲んだ甲斐もあったというものだ。
馬鹿にしたような言い分だが、ノワールはグレイのことをきちんと愛していた。自分のことを愛してくれる人は、ノワールも好きだ。
さて、これからグレイと寄り添って生き、子を産み、幸せな笑みを浮かべているところをあの女に見せて、きっちり追い出してやらなくては。自分から城を飛び出すか、自ら過ごしにくくして半強制的に城からつまみ出されるか、どっちも見物だ。
その為には、グレイとしっかり愛し愛される夫婦となり、支えて支えられる王太子妃にならなくては。
ノワールの三日月型に歪む目に、常盤色が光った。
2/15 別視点の話をアップしました