「僕」の話
長い文章に飽きてしまう方もおられると思いますが、出来れば最後までお読み頂ければとても嬉しいです。この物語の最後についてもし皆さんの感想を頂ければ私は幸せ者です。
僕は夢を見る。
鋭く尖るナイフが僕の体にゆっくりと近づいてくる夢だ。そのナイフが体に刺さったところで僕は重たかったはずの瞼をとっさに持ち上げ、体を起こした。体にはナイフで刺されたような痛みはなかった。
気づくと昨晩からつけっぱなしのテレビがいつもと変わらない大きな音で騒いでいた。
「昨日は非常に悪いお天気に見舞わされましたが、本日は見ての通り快晴です!私も元気になってきます!もうすぐ週末です!本日も頑張りましょう!」
喋りに私情を挟み、文章が雑になってしまうお天気アナウンサーをみると自分にもどっと一週間の疲れが出てくる。視聴者を疲れさせてしまうアナウンサーは将来的にも心配になってしまう。
アナウンサーに言われるまでもなく夢から現実に戻った時点で今日が月末で最後の金曜であることは十二分に理解していた。僕にとって今日を生きるという価値は大きなことであり、今日という日の重みを他の人よりも数倍重く感じているからだ。
「あなたの余命はあと1日程です。」
あまりにも突然に告げられた自分の最後に絶望や戦くという感情はなく、ただ呆然と唖然としていた。
数時間前までは、あまりにも長い病院の待ち時間を本を読むかゲームをするかで悩んでいるような少年にその言葉は、いつも同じちょっかいをかける友達のように遊び半分でのしかかってきた。
その言葉に動揺し心が入り込まなかったのは初めの2時間程だっただろう。
あまり覚えていないというか思い出したくはないが、医者にはステージ4と伝えられた記憶がある。だけど、転移はしてないと聞いた。
体はだるく、貧血のような症状がここ最近ひどく続いていて、体育の授業のときにくらっときて倒れてしまった。気づけば病院の待合室にいたが、大したことはないとおばあちゃんには言い聞かせていた。自棄に診察やレントゲンやらで時間を盗られるなと思ったら、なんだか看護師が急いで僕を呼ぶ。そこまで急ぐかと苦笑いしながら入ったが医者が創る診察はそう軽くはなかった。
誰だって突然の死なんて予期はできない。それらしき言葉を頭の中で反芻していた。泣きながら運転するおばあちゃんの車の中で。「ごめんねごめんね」と泣きながら言うおばあちゃんに10回は「大丈夫だよ」と言った気がする(なんで僕が謝られているのかは記憶にはない)。実際大丈夫ではないが癌に侵された体が言うことを聞かないこともあり、その言葉を繰り返すので精一杯だった。
入院も考えたが、明日死ぬのに入院したってしょうがないだろう。医者とも相談した上で最後の時間は自分で決めることができた。
家に帰ってもすることがなかった。いつも通り帰って直ぐにシャワーを浴びて、いつも食べているような夕御飯を食べた。部屋にいって何をしようか考えたが「死ぬ前にすること」と検索するほど僕の頭の中は匆々しい周りとは裏腹に落ち着いていた。しばらく考えた結果今晩は家族と過ごすことに決めた。
部屋からでて階段から降りようとすると、おじいちゃんが仕事から帰ってきていて、泣いているおばあちゃんと僕の話をしているところが見えた。両親がおらず、高校に通う僕におじいちゃんはいつもお金のことは心配するなと言ってくれる。そんな僕に弱みを見せないおじいちゃんだからこそ今は会いたくなかった。
部屋に戻ると僕はルーズリーフを取り出して、そこにおじいちゃんへのメッセージを書くことにした。
「おじいちゃん、いつも僕のために働いてくれてありがとう。
大好きだよ。」
いつもは伝えない言葉は書きにくく、消ゴムで消す作業を何度も行ったが自分のなかでしっくりする文字で書くことができた。
気がつくと2つの時計の針は12の数字を指しており、いつのまにか日付が変わっていることに気づいた。スマートフォンのスケジュールを見ると今日は金曜で学校だった。今日死ぬのに明日学校に行く必要があるのか悩んだが、それは明日起きたら決めようと思い、いつものようにテレビをつけた。僕は残り少ない自分の命を睡眠に当てることにした。
ナイフが刺さる夢を見て起きた朝はとても体調が悪かった。朝ごはんも食べる気がしなかった。今日が最後の日とは悲しいもので最後の予兆はしっかりとやって来た。僕の体は限界だった。体を動かすことなどままならない状態で、口を聞くのにも時間が必要なぐらいだった。今日死ぬことを完全に自覚するほど僕に体力は余ってなかった。
思っていたよりも現状は酷く、昨日と考えることは変わらなかった。そんな僕の中に唯一でてきた答えは学校にいくことだった。おばあちゃんに最後の時間は好きにしてもいいよと言われたが、僕の今の居場所は学校だと感じたのは昨日とは変わらずにハンガーにかかっている制服を見てしまったからだ。どんな時でも毎日一緒に登校した制服は何故だか僕に最後の力を与えてくれそうだった。
あんなにも重かった体も制服を目の前にすると少しだけ起き上がろうとしてくれた。制服を着る作業はいつも以上に時間がかかり、おじいちゃんへのルーズリーフをおじいちゃんの部屋に置いてから家をでた。家を出る時刻はいつもより30分も遅かった。
ご飯を食べなかったお陰で、体に力が入らない。毎日行き来した道のりもとても長く感じた。通り道でいつも吠えるポチ(勝手に名付けた)は今日は僕に元気がないことを知ってなのか飛びかかってはこなかった。いつもは口でする挨拶も今日は頭を下げることしかできず、とても心苦しかった。
学校へついた頃には1限目の授業が始まっていた。遅れて教室に入るのには躊躇したが、遅刻は初めてではないので皆からはいつも通りの風景の一つとしてスルーされた。席につくといきなり先生に立たされた。遅刻した理由を言えと言われたが体調不良で済ませた。両隣のクラスの中でも中心的な女子二人はいつものように僕の本当の遅刻理由を聞きたがっていたが、直ぐに先生に注意されて静かになった。授業は既に終わりのほうだったので、ノートはとらずにじっと先生の方を見つめてみることにしたが、先生は授業が終わるまで一度も僕と目を合わせようとしなかったので今回は僕の敗けだ。
休み時間になると急に騒がしくなるクラスは嫌いではなかった。いつもは僕も混ざって騒がす側の方だが今日は大切な人達に思いを伝えていこうと思い、性にでもない言葉をさりげなく一人一人に呟いていった。ほとんどの反応は「お前倒れたせいで頭でも可笑しくなったのか?」のような冗談を聞くような反応が多かったけど、親友の勇介だけは僕に真剣に言葉の意味を聞いてきた。保育園から高校まで一緒の時間を多く過ごした勇介は僕に何かがあったことは明白だったようだ。そんな勇介とはここ最近全く話していなかったから、長話はしずらかった。おじいちゃんと同じように余っていたルーズリーフに勇介へのメッセージを書くことにした。
「勇介に出会えて良かった。勇介ならプロサッカー選手の夢も絶対に叶えられる!俺は信じてるから。
またな!」
昼休みまでの授業中に書いて、午前の授業しかなかった勇介の机の中にいれておいた。月曜日に見るのは遅いかもと思ったが僕にはまだしないといけないことがあったので渋々妥協した。
昼休みにも食欲は沸かなかったので、いつものように彼女がいる屋上に行った。彼女はベンチに弁当を広げたまま、手すりから体を乗り出して景色を眺めていた。
「おい!遅いぞ!昨日はなんで待っててくれなかったの!?」
彼女は思いの外怒っていた。
「ごめんごめん。昨日はちょっとだけ補講があったんだよ。」
僕は適当に嘘をついた。
「嘘だ!それは嘘だよ!だって昨日ずっと待ってたし、メールも何回もおくったのにずっと見てないじゃん!」
嘘がばれたが動じない。携帯は昨日からずっと見ていない。というか見る気力もなかった。
「あ、ばれた?昨日は体調が悪くて早退したんだ。悪かったね携帯は昨日からずっとみてないや」
僕は苦笑いしながらメールを確認するふりをした。
「え!?大丈夫なの体調?」
彼女はこういう過剰な心配をするから体調不良系の言い訳はしたくなかった。
「大丈夫だよ。少し食欲がないだけ。」
「本当ー??」
「本当だよ。」
「ならよし、じゃあ一緒にお弁当食べよ!」
彼女に無理やりベンチに座らされ、嫌々たべさせられた。僕は直ぐに食べるのを諦めさっきの彼女のように手すりに手をかけて体を乗り出してみた。風は少し僕の血液の流れを圧してくれそうだった。彼女は直ぐに僕の方に寄り添ってきて、風に吹かれた無造作な僕の髪を引っ張り、僕の頬にキスをした。髪が引っ張られる痛みの方が僕には効果があったようでキスされて嬉しいという感情よりは髪を引っ張られてムカつくという感情が上回った。
「どう?女子からのキスは?」
彼女は浮かれているようだった。
「痛かった。」
「キスが痛いわけないじゃん!」
「髪は引っ張らないでよ。」
彼女はむすっとした顔になった。
「嬉しかったよ。」
僕の感情のない言葉は彼女の顔を赤くさせたようだった。
「最初からそういいなさい!」
僕の顔も赤くなってしまったがほんの一瞬だった。
彼女とは"付き合っている"という間柄ではなかった。彼女は僕の秘密を知っている今はそれだけだったが、彼女との接し方は周りから見ればカップル同然で、今日のような光景は周りからすれば慣れたもので屋上にいる他の人達は気にも留めない様子だった。
「もう、そろそろいくか」
僕がそう言うと彼女は弁当も片付けないでスキップしながら人足先に屋上を後にした。
僕は彼女には天真爛漫という言葉がぴったりだと思っているが、彼女はその言葉を自棄に嫌がる。彼女の弁当箱を片付けながら、僕は彼女へ言ったこともない愛を伝える言葉を考えていたが今まで以上に何を言えばいいか分からなかった。
僕の授業中の睡眠は今朝と変わらず体に刺さったナイフが深く体に刺さる夢と同時にやって来た大きな痛みで崩れる。その痛みはここ数ヵ月続く痛みのなかで飛び抜けて痛かった。直ぐに保健室にいってその時間はベッドで我慢していた。痛みは体中を襲った。まだしたいことは沢山ある。痛みと共に忘れていた記憶が蘇ってきた。忘れていた記憶はどうしようもない僕を駆り出させた。
痛みが弱くなったこと確認すると僕は急いで彼女のもとへいった。
「亜未!」
玄関で待つ彼女を呼ぶ僕の声は周りの人が驚いてしまうほど大きくかった。彼女も普段は聞かないその声に驚き、昼休みと同じように顔を赤くさせた。
「どうしたの?すごい声が大きいよ。」
彼女は僕にそっと近づき小さな声でいった。
「行きたいところが、 あるんだ。」
息継ぎを挟んだ言葉はどこからみても不器用だった。いつもは握らない彼女の手を「今日だけ」はと強く握って彼女を連れ出した。
目的地につくと彼女に何も言わずにつれてきたことを謝る。
「いきなりごめん。亜未のこと考えてなかった。」
「いいよ。」
彼女は怒っている様子は見せるどころか、僕には彼女が少し悲しそうに見えた。
そんなずっしりとした空気を飛ばすかのように冬の北風が僕たちの間を走っていった。
「久しぶりだね。ここ。」
と彼女が言った。
「そうだね、」
と僕が言う。
「もうすぐなんだね。」
「今日なんだ多分。」
「早いよ。今日は。」
少しだけ無言が続いた。
「悲しいよ。ずっと悲しかったよ。」
そう言った彼女の目元には涙が見えた。
「好きなんだ。亜未のこと。」
ずっと隠していたその言葉は僕の気づかぬ内に僕の口から逃げ出した。
「なんで、今なの。」
彼女は少しだけ微笑んだ。
目の前に広がる砂浜は長い年月を経て波に呑み込まれていくのだろう。僕はある日からかその砂浜を自分に例えるようになった。そんな時から海岸でのごみ拾いを始めた。そこでたまたま知り合ったのが 亜未 だ。初めて話したときの彼女はとても謙虚で優しい子という感じだった。同い年の僕にも敬語を使い、僕が打ち明ける悩み事も全く嫌がらずに聞いてくれた。だから、僕の秘密を知ったとき彼女は何も怖がらず、僕を助けると言ってくれた。
その日から彼女は僕の光になってくれた。日に日に削られる僕という砂浜に彼女は新しい砂となって足りない僕を補ってくれた。新しい砂は直ぐに僕に混ざり、残り少ない僕の日常になってくれた。
僕が過ごした日常での彼女は本来の彼女ではなかったのかもしれない。彼女を天真爛漫という一言で例えていた自分がとても愚かに思えた。
「私ね。嘘ついてた。」
夕日を味方に付けた彼女はとても美しかった。
「本当はね。私、あの日砂浜で会ったよりも前からあなたのこと知ってたの。」
囁くような小さな声は波の音に消されそうになりながらも僕の元にしっかりと届いた。
「どういうこと?」
今の僕の最大の声は波の音に消された気がした。
「私ね。高校入って初めの方ね、勇介君と付き合ってたの。だから、よくあなたの話を聞いたの。」
勇介から昔聞いた元カノの話が亜未だとは今まで一瞬も想像したことがなかった。
「いきなりごめんね。でも初めて話す私があなたの名前を聞いて途端に"知ってる"なんていったら変でしょ?だから、今まで隠してたの。」
僕は何故か言葉がでなかった。
「勇介君はね、別れた後もよく相談にのってくれたの。その度にね、私に"あいつを助けてやってくれ"って言ってたよ。」
勇介と彼女が密かに会っていたということよりも、ここ最近あまり話していなかった勇介が僕のことを考えていてくれたことの方が僕にとっては大きかった。
「勇介と顔を会わせて話せてないんだ。」
僕の小さな小さな呟きは彼女の中で許せないことだったようで、彼女は僕と勇介を会わせるように仕向けた。
結局、勇介とは学校のグラウンドで会うことになり、亜未のお陰か思っていたよりも早くに二人は会うことができた。
僕と勇介は小学生の頃から一緒にサッカーをしてきた。運動能力の高い勇介は始めたばかりの頃から僕とは差があったが、それでも勇介は僕を見下すことなく、いつも自主練習に誘ってくれた。中学に上がって僕は中学校の部活に勇介は県内でも常に1番のクラブチームに入ることとなり、一緒にサッカーをすることはなくなった。中学に上がってから僕は死に物狂いで努力した。とても遠くに見える勇介の存在を追おうとしていた。中学3年生の時に僕がキャプテンを務めたチームが県の大会で優勝して全国大会まで上がる健闘を見せた。そんな事もあって僕が中学を卒業するときに勇介がいるクラブチームから誘いがきた。夢にまでみたその誘いを僕は断ることなく、高校では勇介と一緒のチームになった。チームに入ってみるとあれだけ努力してきた僕でもチームの中では2軍だった。同じチームにいる勇介は常に1軍で、気づいた頃には日本のU-18を背負うほどの実力になっていた。僕と勇介の実力差は誰がみても歴然だった。それでも勇介は僕と接する態度を変えることはなかった。そんな変わらない勇介を僕の彼を妬む心が僕と彼の間を邪魔をした。僕はある日から勇介を避けるようになった。
避けるようになってからある日、僕は体の痛みを感じてサッカーにいけなくなった。その痛みの原因は癌ということを知ったのは痛んでから数ヵ月後で初めて病院にいったときにはステージ3と診断された。その頃おすすめの療法は沢山あったが、貧しい僕の家にはどの療法も高額であった。僕は生きることを諦め、諦めたことは僕の秘密になった。諦めてからすぐに亜未と出会った。
気がつくと目の前にいる勇介はボールを蹴っていた。僕は何も言わなかったが、勇介は僕が久しぶりにみたボールを蹴りたそうにしていると察してこっちにボールを蹴ってきた。僕は重いフットワークでボールを蹴り返した。ボールには予想以上に力がこもっておらず、勇介は流石のボール捌きで一瞬にしてボールの場所は足から手に変わった。
「やっぱり、体、思うようにならないんだな。」
勇介は秘密を知っていた。
「やっぱ、勇介には敵わないや。」
笑いながら返した。
「手紙、ていうかルーズリーフ読んだよ。あーゆーのは手渡しだろ普通。」
勇介はすぐに帰ったと思ったが、勇介にはやっぱり敵わなかった。
「読むのが早いよ!本当はもう少し経ってから読んでほしかったんだよ。」
僕の返事はさっき蹴ったボールのように勇介のもとへ返った。
「俺さ、今度ヨーロッパに行こうと思うんだ。サッカーのために。」
口数の少ない勇介は最低限の言葉で僕に報告してきた。
「そうなんだ。やっぱり勇介はすごいな。僕も勇介がヨーロッパで点決めるとこみたかったよ。」
今度の呟きは何にも邪魔されなかった。
「いつだって、見させてやるよ。お前がいれば俺はどこだっていける。」
その言葉は今まで堪えていた僕の涙腺を一気に壊した。その言葉だけじゃない。勇介の目に流れる涙も僕の涙腺を壊すには十分だった。
「ごめん…ね。今まで。」
涙と痛みで口が上手く回らない。最後まで言えなかった言葉は息が詰まりながらやったのことで言うことができた。
気づくと辺りは既に暗くなっておりグラウンドを照らすライトが転々と付き始めた。さっきまで神々しく光っていた夕日は既に沈んでおり、人生最後に見る太陽とも別れを告げることはできなかった。勇介とは最後にハグをして別れた。
こんな時間がずっと続けばいいのに。テレビでよく耳にするセリフを口ずさんだ。叶わない夢に僕は嫉妬した。
勇介と別れた後、おじいちゃんから電話があった。たまたま近くに来ているらしいので途中で車に乗せてもらうことにした。学校から家までは歩いて30分以上かかるため、今の僕では家に着くことも困難だったので本当に助かった。
僕が車に乗るとおじいちゃんはいつもと変わらない無愛想な表情で車を出した。おじいちゃんは優しかったが、口数は少なかった。
「智慧、学校は楽しかったか?」
久しぶりにおじいちゃんに名前を呼ばれた。
「楽しかったよ。最後に皆に話せたしね。」
何気なく言ったつもりの僕の言葉は沈黙をつくった。
「智慧、お前にまだ話してないことがある。」
ここにきてか、と思った。死ぬ直前まで隠すほどのことをおじいちゃんが持っているということが僕には驚きだった。適当な返事を返すとおじいちゃんは話始めた。
「智慧、お前には妹がいる。」
一瞬にして硬直した僕の顔はおじいちゃんには見えていない。咄嗟に開いた口を閉めようとおじいちゃんに確認をした。
「どういうことだよ?おじいちゃん?」
「お前の妹は今病院にいる。今から病院に向かうぞ。」
聞いていない。両親が死んだ理由も、妹の存在も。
着いたときには18時を過ぎており、病院の面会時間はそろそろ終わりだった。妹が入院しているという部屋に入るとそこには写真でみた母親と似ても似つかない女の子がいた。
「おじいちゃん?この人って。」
彼女は僕のおじいちゃんのことを僕と同じ呼び方で呼んだ。
「智慧、お前の双子の妹、静華だ。」
「僕の…妹?」
信じることは難しかった。信じるよりも疑う方がとても簡単にできた。
「お兄ちゃんなの?」
質問を質問で返して来たが当たり前の返答だと感じた。
その後、おじいちゃんから隠していた理由を聞いた。まず、両親と僕はある事故に巻き込まれそこで両親は亡くなったそうだ。そして、妹の静華は僕の本当の双子の妹で、あの事故の時僕の隣にいたらしい。静華と僕は事故の後、病院に運ばれ一命をとりとめたらしい。だけど、静華は脳に後遺症を追った。静華は一日の半分は脳が疲れて活動を自粛する為眠っている。その後遺症を治すことは難しく、治すためには事故で脳からの指示が伝わりにくい臓器を捨て、移植してもらう必要があり、その為にはお金が必要だった。僕に隠していた理由はそのお金の問題ともう一つは事故が起きてから僕の事故が起こるより前の記憶が完全に消えたことから、医者に事故より前の話はするなと言われたこと。もし若いときに忘れた記憶を思い出すと、パニックを起こす可能性があると言われたからだった。
妹は僕のことを覚えていた。こっちはあちらを知らないがあっちはこちらのことをよく知っていた。僕が通っている学校。僕の好きな食べ物。僕の口癖。僕の友達。そして秘密。知っていること全ておじいちゃんかおばあちゃんから聞いたことだが、僕の周りのことをほとんど知っているのは少しだけ嬉しかった。彼女は僕が持っているものをなにもかも持っていなかった。彼女は外の世界を知らない。だけど、その分彼女は沢山の知識と孤独を知っていた。僕が持っている孤独とは全く違った孤独で、これが本物の孤独なのだと感じた。僕がいる世界と彼女がいる世界はまるで違っていて、話していると楽しくて、たまに悲しくて、僕の体が苦しくなるまで話していた。
面会時間が終わりそうな頃、医者の話を聞いていたおじいちゃんは僕を呼びにきた。僕が静華と別れようとすると、静華は僕の手を握ってきた。
「死ぬなんて嘘だよね?死なないよね智慧?また会えるよね?」
僕は困った。彼女と別れたくなくて困った。自分の死が近いということにも困った。僕は困り果てた。
「僕さ、いつか世界中を渡り歩きたいんだ。そのときは静華も一緒に来てほしいんだ。」
静華はさっきまで握っていた手を離して、その小さな手で涙を顔の輪郭に沿って擦った。
面会終了を伝えるアナウンスが響いて、僕たちは病院を出た。気がつくと外にはぱらぱらと雪が降っていた。今年初雪だ。僕は空に広がる雪を集めようとして、空を見上げる。空には白い雪と白い星がばらついていた。
「最後の雪だな。」
感慨深い気持ちになったのは最後だったからかな。この雪を眺める沢山の人達はこの雪をどんな気持ちで見ているんだろう。綺麗、鬱陶しい、感動、邪魔、その時その時で見方は変わる。今の僕にはどんな見方をしても美しいという感情以外はどうにも湧いてきそうにはなかった。
「静華や勇介、亜未にも見えてるかな。」
僕にはもう「今」がないから。さっき静華に伝えた「未来」はもう叶わないのだろうか。勇介と亜未と過ごした綺麗で醜い「過去」は戻らないのだろうか。僕が過ごしてきた「今」は5年後、10年後も「今」のままで居てくれるのだろうか。どれだけ願っても戻ってこない「あのとき」の僕とそうやって進んできた「今」の僕、どっちの方が美しく輝いていて見えるんだろう。どこかの誰かに投げかけても答えは返ってこない。「今」の僕は孤独だ。
車に戻るとおじいちゃんがなにも言わずに待っていてくれたことに気づく。発車してからもおじいちゃんはなかなか話さなかったが、信号で停まったときに思いもしない言葉をおじいちゃんから聞く。
「智慧、おじいちゃんもお前が好きだぞ。」
おじいちゃんがルーズリーフを見たことが分かったが、おじいちゃんがこんなに素直なのは見たことがなかったから、笑ってしまった。
「ありがとね、おじいちゃん。」
もう、笑っているのか泣いているのか分からなかった。
しばらく経って僕は、おじいちゃんが創くれた空気を壊す。
「おじいちゃん。」
おじいちゃんが聞こえているか確認せずに言う。
「僕の癌が移転していない臓器、静華に渡したいんだ。」
僕の声は届いており、意外にもおじいちゃんは驚いた様子を見せず、一言だけ呟いた。
「お前はそれで後悔しないのか。」
その言葉にはクエスチョンマークはついておらず、返答を求めてはいないように聞こえた。気にも停めず言う。
「僕は死にたくないんだ。独りで死ぬ以外にも誰かの中で生きることが僕には「今」できるから。」
僕にはバックミラー越しに泣いているおじいちゃんが見えた。
僕の体は余命の1日を越えて次の日まで耐えていてくれた。おじいちゃんは昨日の内に病院に僕の意向を伝え、僕が死んだら、僕の臓器が静華に渡ることになった。僕に残っていた臓器はたまたま静華の必要な臓器に重なっていた。僕はふとこれが初めから訪れるはずの運命だと感じた。僕と静華はあの事故がなければ今頃何をしていただろうか。今にも消えてなくなりそうな僕の体を必死に起こして考えるが、何も思い浮かばなかった。
「結局、僕はすっからかんだ。」
そう誰にも聞こえないような声で呟くと車椅子に乗った静華がやって来た気がした。昨日と変わらない静華は泣きながら僕の頬にキスをする。
「僕の体はね、君のところにいくんだ。これで、二人で世界を旅できるね。」
この言葉を発したかどうかも覚えていない、静華がいるのもキスも夢かもしれない。
意識が飛ぶと、僕はまたあの夢を見る。僕の体に刺さったナイフはもう半分以上が体に沈んでいる。僕は、今まで刺さっていたナイフを自分の力で深くまで押し込んだ。痛みはなく、ただ自然と体に、僕の中に溶け込んだように思えた。