隣の芝生はいつだって青い
「まじ卍~」
なんとなくつけていた番組で耳慣れない言葉を聞き、テレビへと意識が向いた。テレビに映っていた女子高生曰く、特に意味はなく、テンションが上がった時に使うのだという。
(歳取ったな……)
思わずそのように感じてしまった。
自分が女子高生だったころはきっと似たような若者言葉を使っていたのだろう。10年ほどしか経っていないというのに、遥か昔のことのように感じる。昔の自分はもっときらきらしていた。もっと大人っぽくなりたいと憧れて、色んなファッション誌を読み漁っていた。未成年なのにカクテルの名前なんかを意味もなく調べていた。大人になってお金を貯めたらブランド物の洋服やバッグを買いまくるなんて息巻いていた。将来のことを考える時、いつだって明るいイメージしか抱いていなかった。
自分が老いるということを理解出来ていなかったのだろう。おばさんなどを見かけてもどこか他人事のように見えていた。自分はもっと素敵な大人になれるものだと信じて疑わなかった。むしろ、自分のことを大人だと思っていたのかもしれない。
今の自分は当時の自分が憧れていたような大人になれただろうか。
(なれてない、よね)
カクテルの飲める歳になった。ブランド物の洋服やバッグだって持っている。それでももし昔の自分とすれ違ったら、昔の自分は自分のことをおばさんだと思うのだろう。
どこで間違えたのかなんて全く分からない。そもそも間違えたのかも分からない。10年経ったらただのおばさんになってしまった。
無性に昔に戻りたくなった。今の自分にないものを持っている。一度考えだすと止まらなくなり、当時の様々な思い出が、きらきらと自分のことを襲った。
気分を変えるために、冷蔵庫にあるほろ酔いに手を伸ばす。
(そういえば天野君は変わっていなかったな…)
ふと思い出す。
数日前に見かけた高校の頃のクラスメイトだ。友達と歩いている姿を偶然見かけたのだ。
天野君はいわゆるオタクと呼ばれる類の人物だったと思う。当時の自分は、見た目にまるで気を遣わずに、ゲームやアニメの話に熱中している彼の姿を、どこか馬鹿にしていた。現実から逃避しているようにしか見えなかった。高校三年間同じクラスだったものの、ほとんど話をしたことはなく、向こうも自分のことはほとんど覚えていないだろう。
それでも高校以来会ったことのなかった彼に気がつくことが出来たのは、自分と正反対とも思える生き方をしている彼のことがどこか頭の中で引っかかっていたからなのかもしれない。
数日前に見かけたとき、彼は昔と変わらずアニメイトの袋をぶら下げていた。中にはアニメやゲームがきっと入っているのだろう。友達と楽しそうに会話しているのも、無邪気な笑顔も10年前と何も変わってはいなかった。10年前の自分ならば気にも留めなかった。あるいはそんな彼の姿を鼻で笑っていたかもしれない。
(眩しかった)
10年経った私が彼に抱いた感想だった。自分がとうの昔に失ってしまったものを彼は今も変わらずに持っている。そんな彼の姿からすぐに目を逸らしてしまった。ブランド物に身を包んだ自分がとてもみすぼらしく思えた。
彼はあの時私に気づいたのだろうか。気づかれていないことを願わずにはいられなかった。ただのおばさんになってしまった自分のことを彼にだけは見られたくなかった。
そんなにたくさん飲んだわけでもないのに、ひどく酔っ払ってしまったように感じる。
何気なく時計を眺めると日を跨ごうとしていた。
「もう寝よう」
私はぽつりと呟くと、ベッドへと身体を動かし、逃げるように意識を手放した。
「よっしゃ!」
僕は思わず声をあげてしまう。苦戦していた敵をようやく倒すことが出来たのだ。一緒になって戦ってくれていた仲間と喜びのチャットを交わす。ゲーム内でしかやり取りをしたことがないが、敵を倒した後ということもあって、戦友のように感じる。
(長時間やって少し疲れたな)
休日ということもあって昼間から数時間ずっとゲームを行っている。チャットで離脱すると伝えると、ゲームからログアウトする。
少し休憩しようと思い、パソコンから離れて、冷蔵庫からペプシを取り出す。喉を通り過ぎる炭酸の刺激が心地よい。
何気なくスマホを眺めているとLINEが来ていることに気がつく。高校の頃に仲良くなって以来付き合いのある上原からだ。
「来週の日曜日に家に来ない?高校の頃のメンツで久々にTRPGしようぜ」
(おっ、TRPG(※1)か)
最近、ニコニコ動画でTRPGをプレイしている動画を観ていることもあって、この誘いはとても魅力的なものであった。
「いいね!めっちゃ楽しみ!」
と返信を返す。
久々のTRPGということもあり、プレイするのは来週だというのに、ルール確認などを行ってしまう。高校の頃のメンツに会うのも久しぶりということもあり、来週の日曜日が待ち遠しくて仕方がない。
(高校か……)
ふと、数日前にあった出来事を思い出す。偶然、高校のクラスメイトを見かけたのだ。とは言っても会話を交わしたわけでもない。3年間一緒のクラスだったものの、仲が良かったわけではなく、向こうはおそらく僕のことなど覚えていないだろう。
高校の頃から僕はオタクだった。同じようなオタク友達と身内で楽しんでいるのが何よりも幸せだった。そんな僕にとって、彼女は正反対の人間であった。交友範囲が広く、ファッションなど外見に人一倍こだわっていた。そんな彼女のことを僕はあまり好きではなかった。自分の生き方をどこか馬鹿にされているように感じていたからだ。
それをはっきりと感じたのが、休日に偶然彼女と会った時である。目が合ってしまい、無視するわけにもいかずに、会釈をしてその場を去ろうとした時、
「その袋、何?」
と聞かれたのだ。まさか話しかけられるとは思ってもみなかったので、緊張してしまった僕は
「あ、アニメイトでもらえるやつ」
としどろもどろになりながら言ったのを覚えている。恥ずかしさで顔が真っ赤であっただろう僕に対して、彼女は
「そう」
とだけ告げるとそのまま去って行ってしまった。
今にしてみれば彼女の方も特に深い理由もなく質問したのだろう、ということはわかる。しかし、当時の僕からするとなぜだか馬鹿にされたように感じ、むかついたのを覚えている。彼女の態度が上からのように感じたのだ。
この件があって以降、僕は彼女のことを一層避けるようになった。ただでさえ接点が少なかったため、その後特に何があるわけでもなく、卒業してからは一度も会っていなかった。
そんな彼女に会ったことは自分でも意外なほど印象に残った。
(綺麗になってたな)
久々に会ってそのように思ってしまったからかもしれない。彼氏だろうか、かっこいい男性と一緒に歩いていた。服はおそらくブランド物を着ていたのだろう、とても高級感があった。しまむらで買った服を着て、アニメイトの袋をぶら下げている自分と比べてしまい、居心地が悪くなった。久しぶりに見た彼女は少女から女性へと変化していた。
(自分は変われただろうか)
答えはNOだ。10年前から僕は全く変われていない。仲間と一緒に、同じアニメについて語り合い、同じゲームに熱中する。10年間続いていることだ。それをつまらないと思ったことはない。ただ、ふとした瞬間に違和感を覚える。
昔の自分は、大人になったらより楽しくなると思っていた。技術の進歩でゲームもアニメもより面白くなり、お金があればもっとたくさん趣味にお金を費やすことが出来ると思っていたからだ。実際、10年前と比べるとゲームもアニメも進歩した。かけられるお金だって当時と比べたら段違いだ。それでも昔の自分が思っていた将来像とどこかかみ合わない。きっと当時の自分は変化のない生活に疑問を抱くことなど考えてもいなかったのだろう。このままずっとこんな生活で一生を終えていいのだろうかなどとは一瞬たりとも思わなかったのだろう。今やっていて楽しいことはいつまでも楽しいと馬鹿みたいに信じていたのだろう。
(昔に戻りたいな)
と思った。変わらないことが幸せだと信じていた頃に戻りたかった。ゲームを、アニメを、無心で楽しみたかった。
ピピッ、と音が響く。熱中しているゲームのスタミナが満タンになったことを告げる音だ。
「ゲーム、するか」
僕はぽつりと呟くと、コップに入っていたペプシを飲み干し、パソコンへと向かった。
(※1)ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ対話型のロールプレイングゲーム