異変
「でもね。私、電気が消えるの期待してたかも」
幻が僕を真っすぐ見つめて明るい声で言った。
「どうして?」
「だって、飛君と一緒に住めるもん」
飛は察した。
「家に帰る交通手段がなくなったから、帰れないのか」
「うん!」
幻が嬉しそうに返事をした。
その日から、憧れの女子高生、幻ちゃんと自分の家で共同生活することになった。
時刻は午後5時40分。
幻にこの家を案内して周るか。
「幻ちゃんさ」
「何?」
「ここの家、案内するよ」
「そうだね。そうしてくれると助かるわ」
飛は「元暗室」に幻を案内してあげた。
幻は首でなめるように見回した。
「ここは作業部屋、兼、書斎」
飛がアンティーク調の本棚の前へ歩むと、幻がついてきた。
「本がいっぱい。読書しているから頭良いんだね、飛君」
「ただ読書するだけじゃなくて、考察もしているんだ」
「考察って?」
「たとえば、タイトルに込められた意味を考えたり、本の感想を自分なりにまとめたり」
飛は過去の考察が記してあるノートを幻に見せてあげた。
「字にクセがあって読めない」
「まあ、人に読ませるために書いてないからね」
次に元暗室の向かい側にある部屋を紹介した。
「ここは、寝室。敷布団で寝てる。少し余裕があるから二人で寝れると思う」
紺色のカーペットが敷かれた何もない部屋が、飛の寝室だった。
押入れに敷布団が収納されている。
たしか、余分にあったはず。
幻は「早く次行って、何もない部屋は見ていて退屈だよ」と訴えるような顔やしぐさをしていた。
飛は寝室の隣にある部屋を紹介した。
「ここはトイレだね。トイレはここしかない」
白を基調にしていて、フェイクの観葉植物がアクセントになっているトイレだ。
「トイレしていい?」
幻が早口で言った。
「どうぞ」
飛はドアを開けてあげた。
幻はトイレに入り、ドアをしめた。
幻、トイレ長いな。
かれこれ、五分は経過していた。
「大丈夫か? ずいぶん長いけど」
飛はドア越しに言った。
「水が流れないのよ」
幻はドアごしに答えた。
飛がドアを開ける。
「電気が停まっているからかな。トイレが流せないなんて不便だな」
飛は消臭スプレーを吹きかけた。
続いて、飛はリビングに入ってすぐのへこんだ空間を案内した。
「ここは、浴室。兼、洗面所」
幻は蛇口をひねって、手を洗い始めた。
水道はちゃんと使えるみたいだ。
これで「水」は今まで通り使えることが分かった。
(水道は電気が停まると、使えない市区町村がほとんどだが、古いレバー式の水道なら電気を使わないところもある。お湯は電気が停まると水になる)
「浴室はちょっと汚いけど」
飛は浴室のドアを開けてそう言った。
「これで案内は終わりかな。あと、キッチンとリビングが一緒のところにあるからね」
時刻は午後6時。
風呂の時間だ。
「いつも、この夕刻に風呂に入るんだ」
「そうなの。じゃあ一人ずつお風呂にする?」
「そうだね、僕が先に入るから、幻はリビングで好きにしてて。そんなに時間かからないから」
幻がリビングのほうに歩み、視界から消えた。
脱衣所がわりにしている洗面所とリビングを隔てるドアはない。
幻に裸を見られそうで怖い。
鳥肌が立ちながらも、服を脱いだ。
中に入って、浴槽に入る。
栓はしないで、空の浴槽で立ってシャワーを浴びたり、身体や頭を洗うことにする。
風呂はどうせ湧かないし、水風呂は風邪をひくだけだ。
シャワーが一向にお湯にならない。
電気が停まると、ガスも停まるのか。
飛は冷たいのを我慢して、水のシャワーを浴びた。
心臓が止まるんじゃないかと思うぐらい、冷たかった。
飛は入浴を早めに切り上げて、浴室から出た。
バスタオルを全身に巻きつけて、幻に言った。
「幻、水だけど我慢してね。ガスもなぜか停まっているみたいでさ」
「しょうがないから、我慢するよ」
幻にバトンタッチした。
幻が浴室に入る。
飛は元暗室から読みかけのライトノベルを取りに行きたかったが、もしバッドタイミングで幻が風呂から出てしまったら、変態になってしまうので、あきらめた。
浴室から短い悲鳴がときどき聞こえてくる。
水のあまりの冷たさに絶叫しているのだろう。
「夜ごはん。どうしようかな」
飛はキッチンで食べられそうな物を探した。
電気がなくて、ガスもない。
冷蔵庫は保冷機能が停まっていて、中の物が腐ってそうで怖い。
溶けたアイスを飲むか。ストローで吸うか。
まずくはないと思う。
よし、決定。デザートは決まった。
飛はキッチンの奥のほうに入りたかったが、そこからだと風呂場が見えてしまう。じれったい。
異性がいると色々、面倒くさいことに飛は初めて知った。
暗くなってきた。
だいぶ暗い。太陽が沈みかけている。
買いにいってもいいが、電気が消えているのに店はやっているのだろうか。
24時間営業のコンビニだって、恐らくやっていないだろう。
お菓子もあるな。
デザートしか食べるものがないのか。
いや、ポテトチップスはおかずだ。
ポテトチップスを主食のかわりにでもするか。
飛はリビングのいすを食卓がわりにして、幻の分と、自分の分の夜ごはんを置いた。
ちょうど、幻が出てきた。
ドアが音を立てるので見なくても出てきたことが分かった。
幻が夜ごはんを食べにきた。
幻は来訪時と同じ格好をしていた。
すっかり日が落ち、夜になっていた。
真っ暗だった。
二人はいすに座った。
視界を閉ざす闇で気が滅入る。
静かだ。
ポテトチップスのバリバリした乾いた音が響いた。
幻は夜ごはんに文句を言わなかった。
顔を見合わせるが、黒子にしか見えない。
目も、鼻も、口も見えない。
黒く塗りつぶされている。
「何も見えないね」
飛は闇に言葉を放った。
「そうね」
黒子から言葉が返ってきた。
本当に幻のシルエットなのか、疑ってしまう。
いつしか幻を見失いそうな気がした。
それほど暗い。
見えない恐怖が精神をむしんばんでくる。
「ふぇっ!」
飛が奇声を発した。
幻が僕に飛びついてきた。
「おどかさないでよ!」
幻が言った。
「だって、突然、見えたんだもん」
飛はくちびるを震わせていた。声も震えていた。
「幽霊?」
「ちがう。闇に白い「背景」が浮かび上がったんだよ。なんというか。白黒に見えるんだよ!」
「わたしには、暗闇しか見えないけど」
飛の目に異変が起きていた。
闇には明度段階があり、薄い灰色から純黒までの色が見えていた。
そして月光を浴びているところだけが、白く塗りつぶされていた。
飛は暗闇に順応するために、目を進化させたのだった。
一般の人間の目は光を見るためのものだが、飛の目は闇を見るためのものに変わってしまったのである。
つまり、色を見ることが出来なくなってしまった。
退化かもしれない。
でも、飛の目は、色彩に騙られた世界ではなく「本来の世界を目視できる」のだ。
本来の世界は光と闇で構成されている。
白黒の世界だ。
人類の更なる進化の前触れなのだろうか。
飛には幻の本来の姿がありありと見えていた。
心臓だけが透けて見える。
そして光っている。
その魂の光に照らされて、幻の肌が発光していた。
服の部分はいろんな無彩色に見えた。
幻の顔は全く見えなかった。
幻の心の灯りには温もりが感じられた。
その温もりは飛を安心させてくれた。
人間の肉体は「闇」でできていて、魂だけが「光」でできていたのだ。




