08
この回でオレンジとレモンの章は終わりになります。
外気温は凍えそうに低く、オーギュスト王子からもらった手触りの良いブランケットが心地いい。
エルジェが振り返ると従者兼護衛のケイが周囲を警戒している。
当たり前か。まだ殺人犯がどこかに潜んでいる可能性があるのだ。
屋外という格段に危険度の高い状況のため苦労を掛ける。
家令のバウアーに案内されてやってきた焼却炉のそばには、庭師の男性が一人いた。
どうやら彼がここの番をしているらしい。
「ふむ。それで、きみ。昨夜から今日にかけて、焼却炉には火を入れたかい?」
「いいえ、殿下。本日はまだです。冷えるので暖をとるついでにそろそろ入れようかと思っていたところでした」
「それはタイミングがいい。その前に焼却炉の中を覗かせてもらえないだろうか」
「はあ。かまいませんが」
「ありがとう。よろしくバウアー。あ、ところで、今日は誰かゴミを捨てに来たかね?」
オーギュスト王子がごく自然に焼却炉を空けることをバウアーに命じる。
王族オーラにあてられたのか、バウアーも当たり前のように従った。
「本日は、クレメントがマーチンの、あ、マーチンはお嬢様の犬なんですけど、そのマーチンの死骸を持ってきたくらいです」
「ふむ。それは重畳だ」
バウアーが焼却炉のふたを空けると、灰の中にミニチュアダックスフンドの死骸が見えた。ほかには数枚の落ち葉らしきゴミ以外は何もなかった。
ルクスヴィー男爵の生首でも入っていると想定していたのだろう。どうやら当てが外れたらしいオーギュスト王子が、興味なさそうに焼却炉に背を向けると歩き出す。
「ふむ。ありがとうバウアー。では、行こうかお嬢さん」
「はい、王子」
エルジェは曇天の下、歩きながら考えた。
――こうなってくると、いよいよクレメントかバウアーのどちらかしか考えられないわね。
エルジェたちは念のため、本日の守衛にデボラの犬種を確認したが、小型のダックスフンドであると裏付けられただけだった。そして焼却炉で見た限りでは死骸の口蓋はデボラの腕の傷と一致しそうだ。
そろそろ午後のお茶会のために、ルクスヴィー男爵夫人が到着するだろう。
しゃしゃり出た手前、そこまでにはある程度目処を付けておきたい。
守衛小屋を後にしたエルジェたちは、ぶらぶらと犬小屋まで来ていた。
タウンハウスを振り返ると、デボラの部屋が見える。
「ふむ。お嬢さん、どう思うね」
「はい、王子。これまでのところ、誰が男爵を殺害したのか、なぜ首を持ち去ったのか、血も滴ることなくどのようにしてどこに持ち去ったのか。といった謎が未解決のままですね」
「ふむ。それは僕も把握している。整理しようではないか。ルクスヴィー男爵は何者かに殺害された。そしておそらく犯人は、全身鎧の足元で戦斧によって男爵の首を切断し、その首を持ち去り隠した」
「はっ! まさか王子は殺害と首を切断して持ち去った人物が別の可能性があるとお考えなのでしょうか」
「可能性はきわめて低いだろうね。もし僕が男爵の遺体を発見したら、首を切断などせず死体ごと隠すだろうよ」
――たしかにそうよね。
もし別の人物が死体を隠すということは、直接手を下した犯人のことを知っていることになる。
あるいはその人物は男爵の死体を見て、犯人が誰なのかわかったということだ。
ならば、首を切断して持ち去るという中途半端なことはせず、死体ごと隠せば、犯行の発覚を遅らせることができる。
では、首の切断が示威的行為だとしたらどうだろう。犯人から第三者に対する何らかのメッセージの場合だ。
「ふむ。しかし犯人が第三者に、あるいは首切り人が男爵殺害犯人に対して、何らかのメッセージを伝えるために首を切断した可能性もある」
「え、あ、はい」
――私の思考は王子と同程度と言うことなのね。いえ。この場合は、王子も私と同程度のポンコツと言った方がよいかしら。
微妙な部分で自身のプライドを保ちつつ、エルジェは納得することにした。
「しかしその場合、矛盾するのは、ホールの床に血が滴り落ちていなかった点だ。なぜその首切り人は、わざわざ深夜に、そんな面倒な注意を払ってまで首を持ち去る必要があったのか。これは単純に手間の問題だよ。わかるかいお嬢さん」
「はい、王子。もしそんな場面をほかの誰かに見られたら、自分が男爵殺害の犯人と思われてしまいます。あるいは戻ってきた殺害した犯人が切断の現場を発見し、殺害の罪までなすりつけられるかもしれない。そんなリスクを払ってまで首を切断したり、血を拭ったりする合理的な理由はありません。だから男爵殺害と首切りは別人であるはずがない、と言うことですよね」
「え、あ、ふむ。その通りだエルジェくん」
――うわー。王子、いまぜんぜん別の理由を考えてましたよね。
エルジェの発言の方がより合理的だと思ったのか、オーギュスト王子がごく自然に肯定する。
中途半端な美形に自信満々な態度で取り繕われると、反論する隙がないのがくやしい。
しかし、エルジェの意見も可能性を一つつぶしたと言うだけで、犯人に迫るにはほど遠い。依然として謎は謎のまま残っているのだ。
「はあ……」
「ふむ……」
エルジェとオーギュスト王子はため息混じりに無言で視線を交わす。
このままでは解決は見込めそうもない。
完全に行き詰まっていることをお互い自覚していた。
そして動機の面からの推理を放棄していることも、お互い自覚しているようでもあった。
――そうなのよ! 動機なんて、所詮は後付に過ぎないのよ!
エルジェは前世で、読者への挑戦状のある本格モノの犯人当て小説など、一度も正解した試しはなかったが、動機から犯人を推理するのは邪道という、妙な矜持がある。
――だって、人間の感情なんて不確かなものだし、そんなのを推理の材料にするなら、火サスなんてラテ欄のキャスト見ただけで、犯人わかるっての!
そしてエルジェは前世で、ドラマに出演している俳優のランクから、あ、この人が犯人役ね。と推理?できる能力を持っていた。
十歳のときにこの異世界で、前世での記憶に目覚めてから九年。なんせテレビが無いのだ。そんな能力はもちろん一度も役に立ったことがない。
鈍色の空の下で、冬枯れた芝生の上で、公爵令嬢であるエルジェと隣国の第四王位継承者オーギュスト王子は、ただただ無力だった。
冷たい風が吹き、犬小屋周辺に残る血のにおいが鼻をつく。
エルジェは肩に掛けたブランケットの襟をかき合わせた。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。
寒風に耐えかねて、エルジェが無言で歩き出そうとしたそのとき、いつもは影のように控えて周囲を警護している従者のケイが、自ら進み出て言い放った。
「お嬢様、ここは物理でいかがでしょう?」
「え?」
エルジェもオーギュスト王子も思わず首を傾げる。
――え? ちょっとどうしたのケイ。あなたまさか何かわかっちゃったわけ? 戦闘バカで脳筋のくせに、なんだかちょっとかっこよく思えてくるじゃないのよ。
よくよく見れば、銀狼の二つ名で戦場を翔けた武人も三十路を越え、匂い立つような男の色香を身に纏っている。
厚い胸板や引き締まった身体はいささかも衰えることなく、鋭い眼光や相貌と相まって、従者となったいまでも、他家のご令嬢たちの視線を集めているのをエルジェは知っていた。
――いつもはおとなしく無口なくせに、どうしちゃったの? 物理ってなにかの比喩? ヒント? どういう意味なのよ?
ディナーの後で謎解きしてくれる執事に対するような期待を込めて、エルジェはケイの次の言葉を待っていると……
「ぬぅぅうううん!」
ドガンッ!
ケイが帯剣したサーベルを抜き放ち、犬小屋の屋根を物理的に切り飛ばした。
「ちょぉおっとケイぃぃ! あんた、ひとんちで何してんのよ! まさか物理ってそういう意味なの!? だいたいここはデボラのお屋敷で……え?」
「なっ!?」
オーギュスト王子とエルジェが思わず息をのんで見つめた犬小屋の中には、大きな宝石の付いたネックレスを噛みしめたままのルクスヴィー男爵の生首が、バスケットケースのようなものに入れられて鎮座していた。
◇◆◇
「……ふむ。これはいったいどういうことだろうか」
「そうね。何がどうなっているのか説明してほしいわ」
やや混乱気味のオーギュスト王子とエルジェに、ケイが口を開く。
「はい、お嬢様。おそらく、今回の犯人はデボラ嬢で間違いありません」
「ふむ。しかし、彼女の腕には犬の……」
「殿下、順を追ってご説明いたします」
ケイは少しだけ考えを纏めるような仕草で銀髪を弄ぶと、それから口を開いた。
「夜会が終わり招待客を見送った後、玄関ホールでデボラ嬢は、腕で首を絞め落とすようにして背後からルクスヴィー男爵を殺害しました。しかしその際、男爵が噛みついたのはデボラ嬢の腕ではなく、格闘の際に揺れて目の前にまで移動したネックレスでした。死に際に強い力で歯を食いしばっているため、男爵の口からデボラ嬢のネックレスは男爵の死後も容易には外れません。私は会場に入っておりませんので直接拝見していませんが、デボラ嬢があの宝石の付いたネックレスを付けていたことは、夜会に参加した者なら誰でも知っていることでしょう。男爵を殺害した犯人が誰なのか、一目でわかってしまう証拠が残ってしまったのです」
「……ふむ」
「ええ、そうね。続けて、ケイ」
「はい、お嬢様。そのためデボラ嬢は、男爵の首を戦斧で切断して、いったん外に隠そうと考えたのです。男爵殺害後にビスケットを持って、大胆にもデボラ嬢は男爵の首ごと守衛小屋に向かい、クレメント殿にビスケットを渡しました。もちろんこれは印象づけるための行動です。そしてクレメント殿は数日前から鼻風邪を引いていたため、噎せ返るほどの血のにおいには気がつかなかったのでしょう」
「ふむ」
「それで?」
「はい、お嬢様。その後デボラ嬢は、同様にマーチンの犬小屋を訪れ、ルクスヴィー男爵の犬小屋に生首を隠そうとします。しかしいくらビスケットでつり出されても、自分の犬小屋に血なまぐさい物体を入れられたマーチンは、デボラ嬢に抗議しました。それがあの噛み跡だろうと思います。あるいはマーチンは、ルクスヴィー男爵がデボラ嬢によって殺害されたことがわかったのかもしれません。いくらデボラ嬢の飼い犬とはいえ、犬にはその家の本当の主が誰なのかわかるらしいですので。ですから犯人に噛みついたのかもしれません」
「ふむ。なるほど銀狼よ。そこまではいいだろう。その後デボラくんは気絶したふりをすればよいわけだ。もしクレメントが駆けつけなければそれでよし。駆けつけてくれれば気絶したふりか、犬に噛まれたと言ったあとで気絶するか、どうとでもなるだろう」
オーギュスト王子がいったん言葉を切る。
そしてまだ納得がいかないと言うように、ふんわりした茶髪を掻き上げながら青い瞳を眇めた。
「しかしケイ卿、貴殿も見たであろう。玄関ホールに血痕があったわけでもない。デボラくんはどのようにして、切断した頭部を屋外に持ち出したのだろうかね」
「はい、殿下。そこのバスケットケースのようなものに入れて、と思われます」
ケイは、屋根が吹き飛ばされた犬小屋の中を指さす。
「ちょっとケイ。そんなことをしても溢れ出る血液はしみ出してしまうはずでしょう。たとえバスケットケースに紙などを敷いていたとしても、頭部からの血液量はそんなものでは……」
「お嬢様、よくご覧になってください。それはバスケットケースではなく、玄関ホールに飾られていたルクスヴィー男爵の肖像画でございます」
「――ッ!」
エルジェは息をのんだ。
そうか。あのときデボラが携えていたのはバスケットケースではなく、玄関ホールに飾られていた男爵の肖像画だったのだ。
もし血が滴っていたなら、翌日明るくなってからそれを辿っていけば、首が屋外に持ち去られたことがばれてしまう。
かといって暗い玄関ホールでは床を這ったところで、どこに血痕があるのかわかるはずもない。
そのためデボラは一三〇センチ四方のキャンバスに描かれた絵を外すと、そのまま四方からバキバキと箱形に折りたたんで、その中に男爵の頭部を入れた。
布の上に油彩で描かれた肖像画は絵の具が膜となっているため、血液をこぼすことなく、デボラは頭部を持ち去ることに成功したのだろう。
――思い返してみると、ここに至るまでの数少ないケイの発言は、ずっとヒントをくれていた気がする。
エルジェはそれに気づくことができなかった自分のポンコツさを恨めしく思うとともに、従者の意外な一面に頼もしさを感じていた。
説明を終えたケイが黙礼してエルジェの周囲の警戒に戻る。
「けど、どうしてデボラはそんなことを」
「ふむ。夜会に招待されていた顔ぶれを見れば、なんとなく金銭がらみだと想像はつくが……。おや、男爵夫人が到着したようだね」
振り返ると、タウンハウスの正門から馬車が入ってくるところだった。
「……まあ、他家の事情だ。深くは追求すまいよ」
オーギュスト王子がタウンハウスへと歩き出す。
エルジェはケイに質問した。
「ねえケイ、あなたたいした推理力だけどいったい何者なの? どうして私の従者なんてやってるの?」
「はい、お嬢様。かつての私は近衛騎士団に所属しておりましたが、お嬢様が旦那様であるレグランス公爵様に……」
「あー。わかった。わかりました。九年前に私がねだったせいでした」
――そこは、プロの探偵になりたかったとかなんとか答えなさいよね。
なんとなく八つ当たり気味に言うと、エルジェもタウンハウスへと歩き出した。
オレンジとレモンはこれにて終了です。
またトリックを思いついたら新章を書きます。
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