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05

 デボラの部屋は玄関ホールの突き当たりを右に折れた廊下の先ににあった。


 エルジェたちを案内した家令のバウアーがデボラの部屋をノックする。


「王子殿下とエルジェ様がいらっしゃいました」


 家令がドアを開けると、部屋付きのメイドが待機する前室がある。


「お嬢様はお目覚めかね」


「まだこちらにはおいでになられておりませんが」


 バウアーの問いに椅子から立ち上がったメイドが答えた。

 頷いた家令が、そのまま奥のドアをノックする。


「お嬢様、オーギュスト王子殿下とエルジェ様がいらっしゃいました」


「ありがとう、バウアー。お通しして」


 ドアの向こうから、デボラの声がする。


 バウワーがメイドに頷くと、メイドがエルジェたちを室内に案内した。


◇◆◇


「こんな格好でごめんなさい」


 血色の悪い顔で謝ったデボラは、さすがに宝石があしらわれたネックレスは外しているようだったが、昨夜の黒いドレス姿のまま、ベッドから上半身を起こした。


 腕には真新しい包帯が巻かれている。


 庭に面したフランス窓からは、鈍色の空と、小さな犬小屋と、その向こうに守衛小屋が見えた。


「こちらこそ体調が優れないのに押しかけてしまってごめんなさいね」


「温かいお茶でいいかしら」


 デボラがメイドに目配せで指示すると、メイドは一旦、ドアから出て行った。


 室内にはデボラ、エルジェ、ケイ、オーギュスト王子の四人だ。

 デボラにすすめられ、エルジェたちは応接セットに腰掛ける。


 ――さて、どう切り出したものかしらね……。


 エルジェが逡巡していると、戻ってきたメイドがティーカップを配膳して紅茶を注いでくれる。


 全員のティーカップを紅茶で満たすと、メイドは再び部屋から出ていった。


「ふむ。デボラくん、父君のルクスヴィー男爵が、何者かに殺害された」


「え?」


 ――おいおぃぃいいい!!


 オーギュスト王子の直截な物言いに、エルジェは心の中でこの日、最大級のツッコミを入れた。


 デボラも、寄宿学校時代から奇行の目立っていた隣国の王子の相変わらずな発言に理解が追いつかないらしく、きょとんと首を傾げているようだ。


 ――これが演技ならデボラ、あなた本当にたいしたものだわ。


 エルジェは内心そう考えながらも、この反応は本当に知らなかったのだろうと感じていた。


 いや、デボラは無関係だと思いたかっただけなのかもしれない。


「ど、どういうことなの?」


 もう。相変わらずオーギュスト王子殿下ったら困ったものね。とでも言いたげな少しはにかんだ表情で、デボラがエルジェに問いかける。


 うん。申し訳ない。私も王子殿下のことは困ったものだと感じています。


 ――だがしかし、


「ごめんなさいデボラ。けど、殿下の言ったことは本当よ」


「え?」


 あなたまでそんな戯れ言を? そう問いかけるように少しだけ眉根を寄せて、デボラがエルジェを見つめる。


「僕は嘘はつかない」


 中途半端な美形の澄まし顔で、キリッと言い切ったオーギュスト王子だったが、エルジェとデボラはそろって首を傾げる。


 でも今はそう言うことにしておきましょう。


 さすがに少しだけ空気を読んだのか、王子がフォローする。


「ただ、ジョークは言うがね」


「え? ……あ、ジョークなの? もう。殿下もエルジェも人が悪いわ」


「ふふふ。ごめんなさいデボラ。かなりブラックだったわね」


「ふむ。寄宿学校時代が懐かしくてね。僕もつい悪ふざけをしてしまったようだ。申し訳なかった」


 オーギュスト王子は優雅に微笑むと、ティーカップに口をつける。


 ――絵画のように様になったその姿はさすがに王族ね。


 エルジェは、一瞬で場の空気を変えてしまったオーギュスト王子の高貴なオーラに見惚れるとともに、少しだけ感謝した。


「ところでデボラくん。昨夜はあのあとどうしていたんだい」


「夜会のあと、という意味ですか、殿下」


「ああ。ご存じの通り僕は夜が弱くてね。皆より先に失礼させていただいたから、僕が去った後で何か面白いことがあったのだとしたら、是非聞いておきたいのさ」


 テーブルにティーカップを戻しながら、オーギュスト王子が質問を開始する。


 エルジェは、寄宿学校時代から夜更かしもせず早寝早起きだったオーギュスト王子のライフスタイルを思い出していた。


 きっとデボラもエルジェと同じなのだろう。少しだけ過去を懐かしむような表情をしながら頷く。


「殿下の興味を引きそうなことは、特に何も起きませんでしたわ」


「ふむ。僕の知るデボラくんは、そんな秘密主義ではなかった気がするが」


「私が知る殿下も、乙女の秘密を暴こうなんて人ではありませんでしたわ」


「くふっ。くふふふふ。降参だ。でもそう言うからには、何らかの秘密を隠していそうだね、デボラくん」


「あははは。やっと殿下から一本とれましたわ」


 ――えっと……、なにコレ。


 エルジェは貴族的な上っ面の会話にげんなりしつつ、もう少しだけ王子に進行を任せることにした。


「ごめんなさい殿下。隠すことのこともございませんの。私は夜会の後、父とともに皆様のお見送りをいたしました」


「ふむ」


「それから会場が片付けられていく途中、思いついて、昨夜の守衛にビスケットを食べてもらおうと、外に出ました」


「ふむ。あの風邪気味の守衛にかい」


「はい。彼は少し前から風邪気味だったにも拘わらず、昨夜は不審者の検問という大役を果たしてくれましたから、労おうかと」


「たしかに、彼は仕事熱心なようだね。おかげさまで異国の地で暗殺もされずにすんだよ。久しぶりに安心して級友との夜会を楽しめた」


「それは過分なお言葉にございます、殿下」


 やや恥ずかしげに瞳を伏せるデボラを見ながら、これはどう解釈したものだろうかとエルジェは困惑する。


 やはりオーギュスト・ポン・デ・リンリンは王子殿下なのだろう。


 とても自然にさらっと言い放ったが、日常的に暗殺を警戒しながらの生活を送らねばならないとは恐れ入る。


 ポンコツで残念なエルジェは、ヴィクトリア女王の従姉妹で公爵令嬢という自身の立場もすっかり忘れ、王位継承権の低い隣国の第四王子に同情した。


 王子殿下の立場を慮り静かに目を伏せたデボラもまた、貴族としての嗜みを弁えている。


 ――結局、私は異邦人なのよね。……まあ、転生者だし、仕方ないか。


 部外者としての諦観と、ほんの少しの寂寞を感じながら、エルジェは自分に許された唯一の剣と盾を振り返る。


「お嬢様、冷めないうちに召し上がられるのがよろしいかと存じます」


 寂しさからか不安げに揺れるエルジェの瞳を受け止めた従者が、銀狼の二つ名に相応しい野性的な視線を周囲に向けながら、少しだけ掠れた三十路の男の声で囁いた。


 不動であること。


 ときに鈍感とも思えるほど落ち着き払ったケイの在り様は、いつもエルジェを安心させる。


 どうかしたのか? と表情筋のわずかな動きだけで心配そうに問うオーギュスト王子の心遣いに感謝しながら、エルジェはなんでもないと首を振る。


 交わされている話題さえ違っていたら、寄宿学校時代の午後のお茶会のような、優しく穏やかな時間が流れる場の雰囲気だった。


「それで?」


「え? あ、はい」


 サナトリウムの扉を解放するように言い放ったオーギュスト王子の声に、デボラが我に返って応える。


「守衛のクレメントにビスケットを渡した後、私は犬のマーチンにもあげようと、犬小屋に向かいましたの」


「ふむ」


「そうしましたら、なぜかいきなりマーチンに飛びかかられて、腕を噛まれてしまいまして」


「デボラくんは、マーチンと戯れる際はいつも腕を噛ませるのかい?」


 ――そんなわけないでしょう!


 いくら可能性をつぶしておきたいとはいえ、あまりにも非常識なオーギュスト王子の問いかけにエルジェも内心ひやひやする。


「え? あ、いえ。そんなにいつも怪我をしていたら、私はドレスを着られませんわ」


「そうだろうねえ。くふっ。くふふふふ。と言うことは、今回はまさに飼い犬に手を噛まれたということかい。これは愉快だ」


「あははは。お恥ずかしながら、そう言うことになりますね」


 これがロイヤルジョークと貴族問答いうやつなのだろうか。


 エルジェは空気を読まないオーギュスト王子にも、それをあしらうデボラにも、歯の浮く思いだった。


 ――歯の浮く!


 エルジェの頭に天啓がひらめいた。


「そ、そう言えばデボラ」


「なあにエルジェ」


「玄関ホールに掛けられたルクスヴィー男爵の絵、笑顔がとてもすてきね」


「え?」


 犯人がルクスヴィー男爵の絵を持ち去った理由。


 きっとそれは、()()()()()()()()()()()()()によるものだろう。おそらく男爵は何か特徴的な歯並びをしており、それが絵画にも描かれていたに違いない。


「デボラくん、玄関ホールのルクスヴィー男爵の絵は、笑顔がとてもすてきだね」


 ――だからそれ、私が言ったんですけど!


 きっちりエルジェと同じことを、しかも印象づけるように大きな声でオーギュスト王子が被せてくる。


 そしてデボラは、数刻、凍り付いたように動かなかった。


お読みいただきありがとうございます。

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