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04

 エルジェはホールから移動しようと歩き出したとき、オーギュスト王子殿下に袖を引かれた。


「お嬢さん。これまでのところ、どう思うかね」


 さらさらと流れる茶髪に透き通った碧眼。


 他意はないのだろうが、高貴なオーラを振りまきつつ中途半端な美形に耳元で囁かれ、エルジェは鼓動を少しだけ早くする。


 今のところルクスヴィー男爵は他殺で間違いない。殺されてから、戦斧で首を切断されたのだ。ただ――


 ――直接の死因がわからない。


「おやおや、お嬢さん。直接の死因がわからない。と言う顔をしているね」


「……オーギュスト王子はご存じなのですか」


 ――どうして王子が私の心を読めるのかもわかりませんけど……。


 腹の探り合い、顔色の読み合いでは王族同士も貴族以上に魔界なのだろう。あるいは公爵令嬢でありながら、これまで社交界での付き合いをサボりがちだったツケなのか、エルジェは自分の考えが顔に出てしまうことにやや恥じ入る。


「残念ながら僕にも正解はわからない。ただ、毒物ではなさそうだ」


「……と、仰いますと?」


 ――ああ。王子のこの態度は私の顔色を読んでのことではないわね。


 話したくて仕方がない。

 まるでそんな表情をしている王子殿下にエルジェは尋ねた。


「ふむ。男爵を剥いてメイドに確認させる際、僕の健康管理のために連れてきている医師に確認させたのだが、おそらく絞殺であろうとの見立てだ」


「首を絞められた、ということですか」


「どのような方法であれ、人間は脳に血液が通わなくなれば死んでしまうからね。くふっ。くふふふふ。それより男爵を剥くというのは、いささか滑稽な表現だね。僕はマッシュポテトを食べたくなってしまったよ」


 ――いくら男爵いもが白いからといって、不謹慎すぎ。その発想はないわ。


 エルジェは呆れた視線を向けてみたが、ツラの皮が厚いのかオーギュスト王子にはそれほど効果的でもなかった。


 気を取り直して、ここは医師の診断が正しいと仮定して考えを進めることにしよう。というか、文明レベルが違いすぎるこの異世界で、鑑識や検死官による科学捜査などは期待できない。


 いっそ便利な魔法でもあれば別だが、エルジェの知る限りこの世界には魔法は存在していないようだ。


 その代わりファンタジックで不思議な生物は存在していた。


 たとえばオーギュスト王子殿下の馬車を引く白馬には美しい角がある。いわゆるユニコーンというやつだ。


 エルジェも初めて見たときは驚いたが、すでにもう慣れた。植生も厳密に言えば前世の地球とはやや異なるらしいが、いま重要なのは男爵いもではなく男爵の死因である。


 ルクスヴィー男爵は首を絞められて殺害されてから、戦斧で首を切断されて、頭部を持ち去られた。


 首を絞めたら死ぬことくらいはわかっているため、犯人は男爵を殺そうと思って殺したということだ。


 自ら横たわった男爵の首元に、ついうっかり戦斧を落としてしまって事故死させたということではない。


 うっかり戦斧を落とすような状況というものがあるのかどうか、エルジェにも不明だが、絞殺ということは、つまり殺意があったということになる。


 悪意の残滓がまだ玄関ホールに漂っているような寒気を感じ、少しだけ怖くなったエルジェがそっと振り返ると、我が盾であり剣であるケイは頼もしき無表情で控えていた。恐怖など微塵も感じていない様子だ。


 ――いえ。おおかたマッシュポテトのことでも考えているのかもしれないわね。


 エルジェは脳筋ナイトへの思いをばっさりと斬り捨てる。


「ふむ。それでお嬢さん。絞殺だとして、きみの考えはどうかね」


「そうですね……」


 絞殺しておいて首を切断して持ち去ったのには、いくつかの理由が考えられる。


 まずは犯人によほどの恨みがあった場合。


 しかし、王子によると、遺体には外傷はなかったそうだ。つまり犯人は、そのほかの部位を傷つけるほどの憎しみを抱いていたわけではなさそうだ。


 ――これは却下ね。


 続いて有力なのは、被害者の身元を不明にするためだろう。


 しかしそうであれば、死体自体を隠してしまえばいい。


 そうすれば発見されず、犯人の逃亡時間が稼げるどころか、当たり前だが死体が見つかるまでは身元すら割り出せない。


 おおかた、男爵の姿が見あたらない程度の騒ぎで数日稼げるはずだ。


 ただこれまでのところ、人の出入りから考えて内部の犯行である可能性が高い。


 通常であれば殺害後、犯人は一刻も早く犯行現場から立ち去りたいと考えるはずなのに、わざわざ死体を鎧の足下まで移動させて、戦斧で頭部を切断している。


 死体の移動にもたもたしていたら屋敷の者に気づかれてしまうかもしれない。犯人がそこまでのリスクを負うからには、切断と頭部の持ち去りには相応の理由がなければならないはずだ。


 死体を隠すわけでもなく、犯行現場にとどまって切断作業をした理由。


 そして、犯人が被害者の頭部を持ち去った理由は、そうしなければ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にほかならないだろう。


「くふっ。くふふふふ。きみでもわからないかな? ではヒントだ、お嬢さん。屋敷の者に見つからないよう、一刻も早く犯行現場から立ち去るべき犯人が、殺害後にわざわざ男爵の頭部を切断して持ち去った。これは、男爵の頭部を残しておいては、直接犯人の身元の特定につながってしまうからなのだよ」


「え? あ、はあ……」


 ――そこはわかってるのよ!


 まるでエルジェの考えをトレースしたかのように、中途半端な美形の王子が、自分の推理を披露する。


 死因は絞殺によるものだ。


 男性である男爵の首を真正面から絞めたところで、当然反撃に遭うだろう。


 ならば、背後からいきなり首を絞めたと考えるのが妥当である。


 つまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うことになる。


 ――まさか。


 そこまで考えてエルジェは自分の推理に戦慄した。


 招待客を見送った後、犯人は玄関ホールで男爵の背後に回り、男爵の首を絞めて殺害する。両手を使ってではなく、前世のプロレス技のスリーパーホールドのような感じで、腕を首に回すようにしてであれば、非力であっても頸動脈を絞めることができる。


 とはいえ、男爵も体をよじるなり振り回すなりして激しく抵抗したことだろう。


 その際に抵抗した男爵が、犯人の腕に噛みついたのだとしたら……。


 きっと犯人の腕には、()()()()()()()()()()()()()だ。


 だからこそ犯人は、男爵の首を切断し、持ち去ったのではないだろうか。


 ルクスヴィー男爵の歯と、腕の歯形の傷を比較されて合致したら、たちどころにその人物が犯人となる。


 科学捜査によるものではなく、純然たる推理によってたどり着いた犯人への手がかりに、エルジェはやや興奮しながら口を開こうとしたのだが……。


「くふっ。くふふふふ。では正解だ、お嬢さん」


「え……」


「おそらく犯人は背後から首を絞めたのだろう。正面からではさすがに男爵も抵抗するだろうからね。首に腕を回すようにして絞めれば、非力な人物でも殺害は可能だ」


「……そう、ですね」


 エルジェが口を開くより早く、オーギュスト王子が説明を始めてしまった。


 いやな予感がしながら相づちを打つ。


「ただ、その際に男爵も抵抗したのだろうね。わかるかい、お嬢さん。男爵は犯人の腕を噛んだのだよ」


「はあ……」


「だからこそ犯人は、殺害後に男爵の首を切断し、頭部を持ち去ったのさ。残しておいては犯人の腕の傷と男爵の歯並びを比較されてしまうからね」


「さ、さすがですねオーギュスト王子殿下」


 ――なんだかとてもくやしい。


 エルジェは、自分が推理によってたどり着いた結論と寸分違わぬ説明を披露した王子を恨めしげに見つめる。


 しかもそれを自分より先に言われてしまった。


「というわけで、きみ」


「はい、王子殿下」


 オーギュスト王子がまるで自分の配下の者にするように男爵家の家令を呼ぶ。


 こうした周囲に対する当然のような振る舞いは、さすがに王族然としている。


「きみは、あー、なんという名前だったかな」


「バウアーでございます。王子殿下」


「ではバウアー、使用人すべての腕の袖をまくり上げて、怪我をしているかどうか調べたまえ」

「し、承知いたしました、殿下」



 オーギュスト王子の無茶ぶりに表情を凍らせる家令のバウアーだったが、機嫌を損ねてしまっただけでもやっかいな歩く外交問題としての王子の存在と、その命令の難易度を天秤にかけて、しぶしぶ頷いたようだった。


◇◆◇


 四十二分後、執事やメイド、庭師、守衛、料理人など、すべての使用人の両腕を確認し終えた家令のバウアーが戻ってきた。


 ちなみにエルジェたちは、あのあときまじめに動き出したバウアーには申し訳ないと思いつつも、「ふむ。それよりお腹が空いたね」と言うオーギュスト王子殿下の一声で、いったん食堂に移動してのんびりブランチを食べていた。


 食後の紅茶を飲んでいるエルジェやケイと、一人だけ別注文したエスプレッソをすすっている王子に、バウアーが報告を始める。


「結論から申しますと、両腕あるいはどちらかの腕に怪我をしている者は誰もおりませんでした」


「……ふむ。それは……僕が考えていたとおりだね」


 ――それ、本当ですか王子。


 エルジェは、少しだけ当てが外れたとでも言うようなオーギュスト王子の困った顔を見やる。


「ただ……」


「ただ……、なにかね」


「はい。すでに帰宅してしまった昨晩の守衛のクレメントと、まだ出勤していない本日の夜を担当する守衛については、確認できておりません」


「……ふむ。それは僕が考えていたとおりかもしれないね」


 ――見栄を張るのもいい加減にしてくださいよ。


「ありがとうございましたバウアーさん。とても参考になりました」


 エルジェは付き合いきれず、家令に礼を述べる。


「お役に立てて光栄です、エルジェ様。それでは、失礼いたします」


 ――きっと走り回ってくれたのね。


 額に汗を浮かべながら、慇懃に礼をして食堂を後にしたバウアーを見送りながら感謝しつつも、エルジェは家令の言外の意味を考える。


 つまり、昨夜の関係者で腕に傷があるかどうかを確認できていないのは、昨晩の守衛であるクレメント、そして――、


 ――バウアー、あなた自身ということね。


「つまりはこういうことだろうか、お嬢さん」


「おそらくそう言うことだろうと思います、王子」


 面倒なので、エルジェはすぐさまそう答える。

 ケイは無言のままだった。


 静まりかえった食堂に、二人の声だけが響く。


「僕が考えるに、怪しいのはクレメントだ」

「私が考えるに、怪しいのはバウアーです」


「え?」

「え?」


 ほぼ同時に発言したエルジェとオーギュスト王子の答えは、まったく異なるものだった。


 今までの経緯を考えれば当たり前なのに、こいつは何を言っているんだ。


 お互いの顔をそんな思いで見つめあう。


 それでもなんとなく確信が持てず、エルジェはケイに尋ねた。


「ケイ、あなたはどう思うの?」


「はい、お嬢様。私はデボラ様がそろそろお目覚めかと思います」


「っ……!」


 的外れに思える脳筋従者の意見に、エルジェは思わず息をのんだ。


 たしかに昨夜の関係者のうち、使用人の中で怪しいのは、両腕の傷を確認できていない守衛のクレメントと、家令のバウアーである。


 しかし、そんなものは確認しようと思えばすぐにでも確認できてしまうだろう。


 仮に犯人が使用人だとするならば、すぐばれてしまうような嘘をつくだろうか。


 あとでバウアーやクレメントに、腕を見せろと言えばたちどころにばれてしまうのだ。そこまでして偽る合理的な理由がない。


 しかし、内部犯と仮定する場合、もっとも怪しいのはデボラかもしれない。


 あの夜、守衛のクレメントはデボラが犬に腕をかまれたところを、()()()()()()()()()()


 つまり、デボラは犬に噛まれて腕を怪我したのではなく、ルクスヴィー男爵殺害時に、抵抗した男爵に腕を噛まれて怪我をしていたのではないだろうか。


 よほど不躾な状況でもない限り、怪我をしている男爵令嬢の包帯をほどかせて、傷跡を見せてくれなんて言えるわけがないのだ。


 ――そうだとすれば、すべてにつじつまが合うわね。


「つまりきみは、バウアーが怪しいと思っているのかい?」


「え? あ、すみません王子。いまはもうちがいます」


「ふむ。そうだろう。クレメントのほうが怪しいからね」


「いいえ。ちがいます」


「え?」


 エルジェは、ぽかんと口を開けたオーギュスト王子に説明する。


 考えたくはないが、デボラが犯人だとしたら、一番しっくりくるのだ。


 少し小声になりながら、エルジェはここに至る自分の考えを王子に話した。


「もちろん、僕もその可能性を真っ先に考えていたさ!」


「え? あ、はい……」


「ただ、きみがその答えに自力でたどり着けるかどうかを試――」


「王子、さっそくデボラの話しを聞きに行きましょう」


 面倒なので、エルジェは王子の言葉を容赦なく遮った。

 いったんすべてをリセットして仕切り直すように、王子が一呼吸置く。


「ふむ。それでは、さっそくデボラ嬢の話しを聞きに行こうではないか」


「え? あ、…………はい王子」


 まるで自分がその発案者であるかのように、きっちり同じ意見を被せて意気揚々と立ち上がったオーギュスト王子に続き、エルジェとケイも食堂を出た。


お読みいただきありがとうございます。

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