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03

 首のない死体は、ルクスヴィー男爵のものだった。


 現在はこのタウンハウスの一室に安置されている。


「きみ、昨晩の門番は誰が担当していたのかわかるかい」


「はい、殿下。クレメントという者です」


「案内したまえ」


 オーギュスト王子、そしてエルジェとケイは、家令の後に続きホールの扉から屋外に出た。


 太陽は分厚い雲に隠れ、ぼんやりとした日差しが屋敷の前に広がる芝生の庭を照らしている。

 木々はすっかり葉を落としており、そろそろ季節は冬。


 エルジェは外套を羽織ってこなかったことを後悔していた。


 目配せ一つで配下の者からブランケットを受け取ると、オーギュスト王子がそっとエルジェの両肩に毛布を掛ける。


 悔しいがさすが王室御用達。薄くて軽いくせにその一枚だけで本当に暖かい。


「ありがとうございます」


「礼には及ばない。ところでお嬢さん、気がついていたかい」


「な、なにがですか、王子」


 ――このブランケットになにか重要な情報が隠されているのかしら。


 エルジェは、手触りのよい毛布に感心しつつとりあえずにおいを嗅いでみたが、無臭で何の特徴もない。


 その行動は理解できないとでも言いたげな王子の表情を見ると、どうやら毛布は関係ないらしい。


 エルジェは赤面しつつ、オーギュスト王子の言葉を待つ。


「昨晩の夜会には、金にうるさそうな連中がやけに目に付いただろう」


「え? 昨夜のあれはデボラの顔見せというか、いらしていたのはお見合い相手たちではなかったのでしょうか?」


「ふむ。連中は取り立て屋といったほうがよく似合う。借金返済のあてがあるのかどうか、男爵家の懐具合を探りに来たのかもしれないね」


 王子の返答を聞きながら、エルジェは昨夜の顔ぶれを思い返していた。


◇◆◇


 オーギュスト王子からの意外な情報を咀嚼しているうちに、エルジェたちは詰め所へとたどり着いた。


 守衛詰め所には本日の午前番の守衛と、おそらく一睡もしていないのであろう、青ざめた顔で意気消沈している昨晩の担当者・クレメントが待機していた。


 エルジェたちが詰め所に入っていくと、すぐさま直立不動の体制をとる。


 顔色の悪いクレメントは、鼻風邪でも引いているらしく、何度も洟をすすっていた。


「やあ。おはよう諸君。ちょっとクレメントくんに話しがあってね。きみは外してくれるかい」


「はい、殿下」


 午前番の守衛が、家令とともに詰め所の外に出た。


「楽にしたまえクレメントくん」


 そう言うと、オーギュスト王子は、詰め所に一つしかない椅子に当然のように自分が腰掛ける。


 戸惑うクレメントには関せず、優雅に足を組んで質問を開始した。


「ではクレメントくん、昨晩のことを話してくれないか」


「は、はい、殿下。どのようなことをお話しすればよいでしょう」


「うん? そうだな……、どのようなことが知りたいんだい、お嬢さん」


 ――私かよ!


 少なくとも夜会が終わるまでは男爵は生きていたのだから、殺害されたのはその後と言うことになる。


 しかも玄関ホールは夜会から帰宅する客で出入りも多い。


 おそらくそれらが一段落した後、残った客の誰かが男爵を殺害したのだろう。


「そうですね……。昨晩、不審な人物を見なかったかしら」


「いえ。昨晩は屋敷を出入りされるお客様も多かったものですから、特に念入りに確認を、あ、失礼しました。しかしその……、」


「いいのよ。それがあなたの仕事ですもの。それで?」


「はい。念入りにお客様のお顔も確認させていただいておりましたが、ご招待された方のほかには、どなた様もいらっしゃいませんでした」


「つまり、男爵にご招待された身元の確かな人たちばかりだったということね」


「はい」


「ふむ。なるほど。身元の確かな者たちばかりだったということだな」


「え、あ、はい、殿下」


 王子がきっちり同じことを被せてくる。


「と言うことは……どうなんだろうね、お嬢さん」


 ――だったら口を挟まないでくださいよ王子。


「そうですね。仮にその中に、今回の犯人がいるとすれば――」


「恐れながら、エルジェ様、」

 クレメントが遮る。

「それはありえません」


「なぜかしら」


「はい。昨晩のお客様は、本日のお茶会にご出席される予定のエルジェ様とサー・ケイ卿、オーギュスト王子殿下とお供の皆様を除き、すべてお帰りになられております」


「え……?」


「お帰りになる皆様を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「まさか……」


「ふむ。僕もまさかとは思っていたが……どういうことかな、お嬢さん」


 ――まさか、そんな。


 それでは、夜会終了後も、エルジェたちを除く招待客が全員帰るまで、男爵は生きていたことになる。


「そ、その後のことを教えていただけますでしょうか」


「はい。旦那様とお嬢様は、招待客の皆様をお見送りされた後、お屋敷に戻られました。それから、かなりお時間が過ぎたころでしょうか、お嬢様がお屋敷から出てらっしゃいました」


「デボラが? 何時ごろ?」


「はい。すでにあたりは真っ暗でしたので、何時ごろだったのか正確にはわかりかねますが、教会の鐘の音からすると、午前零時か一時頃だったかもしれません」


「それで、デボラは何をしに外へ?」


「はい。それが、夜会でビスケットが余ったから持ってきたとのことで、私に与えてくださいました」


 思い出したようにクレメントが眦を下げる。


 ――使用人に対しても、誰にでも自然に気配りができるデボラらしいわね。


 だからあの子は皆から愛されるのだろう。


 エルジェは、そんな心優しきデボラの父であるルクスヴィー男爵を殺害した犯人のことを、改めて許せないと思った。


 オーギュスト王子がクレメントに視線で続きを促す。


「それからお嬢様は、マーチンにもあげてくると仰ってお庭の方へ――」


「ちょっと待って、マーチンってどなた?」


「あ、はい。お嬢様の愛犬の名前です」


「ふむ。いちおうマーチンくんにも裏をとろうじゃないか。連れてきたまえ」


 ――いやいや王子。相手は犬ですよ。訊いたって答えられるわけないじゃないですか。


「そ、それが、その、マーチンは――」


「そうね。人間の言葉は話せないわね。気にしなくていいわ。続けて」


「そうではなくてですね。その……」


「どうしたの?」


 どうにも歯切れが悪い。


 クレメントは何度か洟をすすりながら逡巡しつつ、ようやく話し出した。


「実は、マーチンはもういないのです」


「ふむ。逃亡したということかい? やはりマーチンが怪しいな」


「いいえ、殿下。マーチンは昨晩、私が処分いたしました」


◇◆◇


 クレメントの案内で、エルジェたちは庭の片隅にある犬小屋までやってきた。


「昨晩のお嬢様は、やや大きめのバスケットケースを片手に、もう片手には燭台にろうそくをお持ちになって、私にビスケットをくださった後、こちらに歩いていかれました」


 犬小屋は檻のようなタイプではなく、板を組み合わせて作られたいわゆるよくある犬小屋で、入り口の小ささからすると、マーチンは小型犬から中型犬程度の犬種であったのだろう。


「守衛詰め所の外に立ち、いただいたビスケットを食べながら遠くで揺れるろうそくの灯りを眺めておりましたところ、マーチンの吠え声と、お嬢様の悲鳴が聞こえてまいりました。私が詰め所の燭台を手に犬小屋まで走ってまいりましたところ、お嬢様が腕を押さえて蹲っていらっしゃいました」


 クレメントによれば、どうやらデボラは、()()()()()()()()()らしい。


 彼はとっさに腰の短剣で犬を刺し殺したということだ。


 エルジェが昨晩聞いた犬の声はこのときのものだったのだろう。


 そのまま気を失ってしまったらしいデボラは、クレメントの手によって屋敷の彼女の自室まで運び込まれ、と言っても室内への搬入はおそらく待機していたメイドが行ったのだろう、その後デボラは現在まで目を覚ましていないらしい。


「ふむ。だからこの犬小屋周辺の芝生には血痕が残っているのか」


「はい、殿下。なるべく苦しませずにとは思ったのですが、お嬢様の腕が心配で私も気が動転しており何度か刺しまして、その際に飛び散ってしまったものかと」


 よく見ると冬枯れの芝生のほかにクレメントが着ている服にも、ところどころに乾いた血痕が染みになって残っていた。


 周囲にはまだ玄関ホールと同じく血のにおいが漂っている。


 低く垂れ込めた雲に少しうんざりしながら、エルジェはぶるりと体を震わせた。


「戻りましょう。寒いわ」


「そうだな」


 オーギュスト王子が頷くと、エルジェたちは来た道を引き返し始めた。


 クレメントが二度ほどくしゃみをして、ハンカチで洟をかんだ。


「ふむ。風邪かね。女王陛下のご加護を」


「ありがとうございます、殿下。三日前より鼻風邪を」


「体調が優れないというのに、徹夜勤務明けを長々と付き合わせてしまいすまなかったね」


 ――クレメントの顔色が悪かったのは、陰惨な事件のせいというわけではなく、当直明けに加えて体調不良によるものだったのかしら。


 確かに今週に入ってから気温もぐっと下がっている。


 エルジェは肩に掛けている毛布の襟元をわずかに引き寄せた。


「ねえ、クレメントさん。招待客の中でその後、どなたか引き返してこられた方はいらっしゃいましたか?」


「いいえ、エルジェ様。旦那様とお嬢様がお見送りされた後は外門を閉めさせていただきましたので、どなたも敷地内に戻ることは適いません」


 守衛詰め所でクレメントと別れると、エルジェとケイ、オーギュスト王子は屋敷に戻っていった。


 屋内に入り、エルジェは玄関ホールをもう一度見渡す。


 ――深夜とはいえデボラが玄関ホールを通っているということは、犯行はそれ以降と考えてもいいかもしれないわね。


 でなければ彼女か、あるいは彼女を抱えて戻ってきたクレメントが、男爵の死体に気づいているはずだ。


 となると……、内部犯の可能性がかなり高まってきた。


 しかも部外者でこの屋敷にとどまっているのはエルジェとケイ、そしてオーギュスト王子とその配下の者たちだ。


 まさかクレメントは最初からそこに気づいていたのだろうか。

 そういえば、たしかにちらちらと畏怖するように、王子やケイのことを観察していた気がする。


 顔色が優れなかったのは、口封じに自分も殺されるかもしれないと恐れていたせいかもしれない。


 しかし外交問題になりかねない事件の引き金を自分から引くほど、オーギュスト王子殿下もバカではないだろう。


 エルジェは王子の顔色をそっと窺ったが、中途半端な美形はいつもどおり飄々としており、何を考えているのかわからなかった。


「ケイ、あなたはどう思う?」


「はい、お嬢様。私はバスケットケースの中身が気になります」


 ……そうよね。あんたは昔から色気より食い気だったわね。


 なによ。だからサンドイッチあげたじゃない。

 三十路のくせに、甘いビスケットのほうがよかったの?


 脳筋ナイトの相変わらずな返答に呆れながら、エルジェたちはデボラの部屋へと向かった。


お読みいただきありがとうございます。

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