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02

 ルクスヴィー男爵が、タウンハウスの正面玄関ホールで殺害された。


 しかもその首を切断されてのことらしい。


 前日の夜会の後、翌日つまり本日のお茶会にも参加するため、タウンハウスに宿泊していた公爵令嬢のエルジェは、同じ理由で滞在していた隣国のオーギュスト第四王子殿下から、その事実を告げられた。


 外国の要人が滞在する中で起きた惨事は、一足飛びに外交問題にまで発展しかねなかったが、「この場は僕が預かろう!」と鷹揚に宣言したオーギュスト王子の言葉に、現場に居合わせた誰もが胸をなで下ろしたらしい。


「くふっ。くふふふふ。久しぶりだね、お嬢さん」


「は?」


 昨晩の夜会でも会話をしたのに覚えていないのか、この王子は……。


 頭首が死んだこの場にはふさわしくない笑みを浮かべる王子殿下に、エルジェはとうとうこの中途半端な美形も中身が壊れたのだろうかと訝しんだ。


「いやいや失礼。不謹慎なのはわかっているさ。しかし、こうした直接的な悪意ある出来事に対面するのは、寄宿学校時代に誰だったかの失せ物を君と二人で探して以来のことなのだから、ふと懐かしくなってね。致し方ないだろう」


 なんの役にも立たないことをよく覚えているものだ。


 直接・間接を問わず悪意には慣れているのさ、とでも言いたげなオーギュスト王子の態度は、なるほど王族としては堂に入ったものである。


 たぶんメイドはそんな風に好意的に勘違いして、感心して瞳をきらきらさせているようだが、エルジェには、オーギュスト王子が単純にこの状況を楽しんでいるだけであろうことがわかる。


 なぜならそれは、前世で推理小説を読みふけっていた転生者であるエルジェも同じだったからだ。


 貴族の屋敷で、首を切断された死体!

 これほど、それっぽい物語の舞台はないだろう。


「詳しく状況を説明しよう。付いてきたまえ」


「はい」


 少しだけまじめな表情になった王子が歩きながら話し出す。


 本日の明け方、屋敷の正面玄関ホールで、首が切断された遺体を、メイドの一人が発見した。


 メイドの悲鳴を聞いて慌てて駆けつけた家令や執事たち男性使用人は、首を切断された遺体が、この屋敷の主であるルクスヴィー男爵のものだとは思ったが、確信は持てなかった。


 なぜなら周囲を見渡しても、その場にあるはずの遺体の首から上の頭部が、どこにも見あたらないからである。


 ルクスヴィー男爵のタウンハウスは、正面玄関を入ると、二十五メートルプールほどの広さのある玄関ホールがあり、ホール正面には二階に続く階段が途中まで奥へと伸びている。


 半分ほどの中途の踊り場から階段は九〇度左右に分かれ、両サイドの階段が二階両翼の廊下へとつながっていた。


 一階部分は、玄関ホール奥から左右両翼へと続く廊下になっている。


 二十五メートルプールほどの広さのある正面玄関ホールには、両サイドの壁に、門番のように二体の全身鎧が飾られている。


 凶器はどうやらその一体が手にしていた戦斧らしい。

 夥しい血液の海に横たわる首のない遺体のそばに、巨大な斧が転がっていた。


 そんな話を聞くうちに、エルジェたちは惨事の現場に到着した。


 どうやら周囲の立ち入りはオーギュスト王子の配下の者が固めており、現場の保存については申し分ないらしい。


 ――っていうか、この王子は他人の屋敷でなんでそんなことしてんのよ。


「なにか証拠になりそうなものをくすねられても困ると思ってね」


 エルジェの視線を感じたのか、王子が訊かれてもいないのに説明する。


 それにしても、初めて目の当たりにした殺人現場というものは、独特の雰囲気がある。


 昨日まで見ていた景色の中に、ぽつんと死体があるのだ。

 それは何とも場違いで、滑稽ですらあった。


 エルジェは、血溜まりにこそ驚いたが、そのほかは意外と冷静らしい自分にも不思議な感覚を覚えた。


 まるで物語の舞台の中のようで、現実感がないせいだろうか。

 むしろ、現場を観察する余裕もあった。


 犯人は男爵を鎧のそばまで移動させてから、斧で首を切断したように思える。


 うつぶせになっている首なしの遺体は、鎧の足下に転がっていた。


 男爵の両手の爪はこの時代では珍しく丁寧に切りそろえられており、爪の間から抵抗した際の犯人の皮膚や繊維片などは望めそうもない。


 心臓が動いていたのなら、もっと広範囲に血液が噴き出していたのだろう。

 血液の飛び散り具合から、頭部切断時点で、すでに男爵は死んでいたように思えた。


「首を切断した凶器はあの斧のようだね」


「ええ」


「犯人は男性だろう。あるいは女性かもしれない。おそらく十代から五十代くらいの、ルクスヴィー男爵に恨みを持った人間の犯行だ」


「…………そうかもしれませんね」


 ――ああ。そうだったわ。


 エルジェは寄宿学校時代のことを思い出す。


 この王子は当たり障りのないことを、さも重要そうな、持って回った表現で言うのが癖だった。


 それにそんなに対象範囲を広げたら、ここにいるすべての者が当てはまってしまうだろう。推理でもなんでもなく、つまりなにも言っていないに等しい。


 エルジェは王子の発言は無視して、つかつかと遺体に近寄る。


「ケイ」


「何でございましょう、お嬢様」


 後ろに控えたケイは、戦場で数多の死体を見てきたからか、目の前の凄惨な光景にも涼しい顔をしている。


「この遺体は、そこの斧で殺害されたのかしら」


「いいえ、お嬢様。切断面を見るに、頭部を落としたのはその戦斧による一撃で間違いありませんが、ルクスヴィー男爵はその前に亡くなられていたようです。首を切断されることで絶命した場合、もっと周囲に血液が飛び散ります故」


 エルジェの従者兼護衛となってから九年。三十路になった銀狼の眼光は、いささかの衰えもない。


 もと近衛騎士として数々の武勲をあげたケイの言葉を聞き、エルジェは自分の考えが正しいことを確信した。


 そして、鎧のそばに遺体があるということは、くやしいがオーギュスト王子の言うことも正しい。


 つまり、重い戦斧を持ち運ぶ必要はなく、なんとか鎧から取り外した直後に、重力に任せて首を切断すれば事足りるのだ。


 ――問題は、殺害した後になぜ犯人は首を持ち去ったのかと言うことね。


「お嬢さん。問題は、なぜ犯人は首を持ち去ったのかと言うことだ」


「え? あ、はい……」


 ――それは私も考えていましたよ王子。


 なんだかくやしい。


 自分と同じ疑問を、自分よりも先に言われて、エルジェはオーギュスト王子の横顔を窺う。


 色素の薄い青い瞳を半眼にして、王子はなにやら考えているようだ。


 常識的に考えれば、死体がルクスヴィー男爵のものであることを隠すためか。


 すぐにルクスヴィー男爵とわからなければ、その分だけ犯人は逃亡時間を稼ぐことができる。


 現に、今もってこの死体が男爵のものであるかどうかは判明していない。確認してもらおうにも、メイドたちは首のない遺体の惨状を目にしたとたん失神してしまう始末だ。


 家令や執事などの男性使用人たちも、服装や装飾品は主のものだが、体型は特徴のない中肉中背のため、遺体が本人かどうかの確信は持てないとのことだった。


 ――けど、時間稼ぎに首を切断したのだとしたら、そもそも死体を放置しておくことこそおかしいのよね。


 頭部を切断する前に、死体ごと隠してしまって発見されなければ、それこそ犯行自体を隠蔽できるのだから、逃亡の時間だって稼げるはずだ。


「まったく埒が開かないな。きみ、男爵夫人はまだか?」


「申し訳ありません殿下。茶会には間に合うかと思いますが、まだ早朝ですので、本邸を出るかでないかの状況かと」


 オーギュスト王子の問いに、執事の一人が答えた。


「ふむ。デボラ嬢はどうした」


「昨晩、お怪我をされたらしく、現在はまだ自室でお休み中です」


「ならば丁度いい。お嬢さん、もう現場は十分見たかい」


 ――え? 私?


 エルジェはいきなり振られて戸惑ったが、たしかに陰惨な現場であるにも拘わらず、見るべきものはもうあまりなさそうだ。


「一つだけお伺いしてもよいでしょうか」


「ふむ。言ってみたまえ」


 ――いや、あなたに訊きたいわけじゃないのよ王子殿下。


「なにかおかしなところはありませんか?」


 エルジェは家令に尋ねた。


「と仰いますと……?」


 首のない死体が転がっているというのに、これ以上おかしなこともあるまい。


 エルジェの質問の意図を計りかねたように、家令が慇懃に首を傾げる。


「たとえばこの玄関ホールには無いものが在るとか、逆に在るはずのものが無いとか、普段とはちがうおかしなところです」


「そうだ。僕もそれがずっと気になっていた。きみ、普段とはちがうおかしなところはないだろうか」


 オーギュスト王子が同じことを大声で被せてくる。


 ――いやいや。私が訊いてるんですし。


「そうですね、あれ以外では……」


 家令や執事たち男性使用人が、なるべく死体を見ないようにして、ホールの周囲を眺めている。


 すると一人の執事が声を上げた。


「あ!」


「どうした」


「絵が、旦那様の絵がありません!」


 玄関となる扉を入った正面奥の、二階へと続く階段の踊り場にある壁を指さしている。


「あそこにはルクスヴィー男爵の絵が掛かっていたのですね?」


「はい。昨夜までは確実に、旦那様の肖像画が掛けられていました」


「もちろん僕も気づいていたさ!」


 ――嘘つけ。


「王子、ややこしくなるので変なところで張り合わないでください」


「……わかったよ、お嬢さん」


 なぜか王子殿下が、やれやれ。お転婆な女性も困ったものだ、とでも言いたげに肩をすくめ、優雅な仕草でふんわりした茶色の前髪を掻き上げる。


 どうにも場違いな態度にはあえてツッコまず、エルジェは再び質問した。


「で、その肖像画は、どんな感じのものだったのでしょうか?」


「は、はい。およそこのくらいの大きさのキャンバスに、旦那様の上半身が油彩で描かれたもので、細めの木枠に額装されていました」


 家令やほかの執事たちも頷いている。


 身振り手振りで説明する執事の様子からすると、だいたい一三〇センチ四方の大きさのキャンバスに描かれた油絵らしい。


 そう言われてみれば、昨晩ここを訪れたとき、正面にそんなような装飾があったような気がしなくもないが、エルジェはいまいち自信がない。我ながら情けなくなるほどのポンコツな記憶力である。


 ふと隣を見ると、奥の壁を見やり首を捻りつつ、頭上にクエスチョンマークでも浮かべていそうな中途半端な美形の王子も、エルジェと同様におそらく曖昧な記憶しかないのだろう。


 振り返ると、脳筋ナイトはそもそも話を聞いていない。


 ――まあ、私を護衛することがケイの仕事なのだから、この凶行に及んだ犯人がどこに潜んでいるのかもわからない以上、片時も周囲の警戒を怠らずにいてくれることはありがたいんだけどね。


「それはそれとして、きみ、男爵と特に親しかったメイドはいるかい」


「と仰いますと……?」


 この場ではオーギュスト王子殿下こそが歩く外交問題であり、騒動の中心人物である。うかつな応答はできかねるのだろう。


 いきなりの王子の問いに、礼を失しないよう家令が慎重に首を傾げた。


「ふむ。心当たりがあるようだな。ではここに連れてきてくれたまえ」


「ほかの者と同じように気を失いかねません。なにかお尋ねになるのでしたら、託かってまいりますが」


「いやいや、それには及ばない。ここで首実検を行う。首はないけどね。くふっ。くふふふふ」


 ――いやいや、オーギュスト王子。それはさすがに不謹慎すぎる発言でしょう。


 家令もそう感じたのか、怒りを通り越して呆れたような顔をしている。


「……恐れながら殿下、それはいったいどのようにしてでありましょう」


「ふむ。実は……で、……を……――」


「なっ!?」


 オーギュスト王子がなにやら耳打ちすると、家令が目を見開いた。


「し、しかしそれは……」


「いずれ清めなければならんのだろう。そのついでだよ、ついで」


「…………かしこまりました」


「よし。僕たちは男爵をいったんどこかほかの部屋に運ぼうじゃないか。このままでは彼もかわいそうだ」


 家令が去った後、王子の指示でルクスヴィー男爵と思われる遺体は、王子の配下の者たちによって別室に運び込まれた。


 がらんとした玄関ホールから、歩き出すオーギュスト王子にエルジェもついて行こうとすると――、


「あー。お嬢さんは、もう少し現場に残っていてくれないか」


「なぜですか?」


「信頼できるのはきみたちしかいない。誰もいなくなってしまうのは、現場の保存という観点からもあまりよろしくないだろう」


「そう言われるのは光栄ですが……」


「そんな怖い顔しないでくれたまえ。あとできちんと説明するよ」


 王子はそう言って、エルジェとケイを残して一人去っていった。


◇◆◇


 数分後、一人のメイドが家令に連れられて、男爵が運び込まれた部屋に入っていき、遺体が男爵本人であることをあっさり確認したらしい。


 ――ちょっと! 首もないのにどうしてわかったの?


 エルジェは、満足そうに玄関ホールに戻ってきたオーギュスト王子に尋ねる。


「お、王子殿下! いったいどのようにして彼女に確認させたのですか?」


「知りたいかい、お嬢さん。なあに、簡単なことさ。くふっ。くふふふふ」


 王子によると、遺体を清めるために服を脱がせた際に、全裸の男爵を確認させたそうだ。

 頭部をシーツで覆っていたため、首から上は見ずにすんだメイドは、()()()()()()()()()()()()()、「間違いありません」と断言したらしい。


お読みいただきありがとうございます。

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