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01

Here comes a candle to light you to bed,

Here comes a chopper to chop off your head.


from Mother Goose

 開始から十五分ほど過ぎたころ、濃紺のドレスを纏ったエルジェ・レグランスが姿を現すと、ざわざわとしていた会場はしんと静まりかえった。


 エルジェがこうした場にシックな衣装で参加するのはいつものことだが、際だったその美しさに、会場のあちこちからため息が聞こえてくる。


 先日即位した若き女王の従姉妹でもあるエルジェは、この王国きっての美貌を誇ると言われていた。


 自分などが周囲からそう言われていることについて、この国の美の基準はそれほど高くないのだろう。とエルジェは考えている。


 だってどうにも納得がいかない。

 あるいはきっと貴族特有の含みを持たせた表現なのだろう。


 今宵は舞踏会のような晩餐会のような、どっちつかずの比較的自由度の高い夜会で、そこまで堅苦しい雰囲気のものではない。


 公爵令嬢のエルジェが、なぜ男爵の夜会にこうして参加しているかというと、寄宿学校時代の友人である男爵令嬢のデボラに招待されたからである。


 エルジェは、周囲の貴族たちが話しかけることに躊躇していることを自覚しつつも、宝石があしらわれたネックレスと黒いドレスが印象的なデボラに優雅に挨拶をした後は、壁の花になることにやぶさかではなかった。


 ずいぶん慣れたとはいえ、こうした貴族同士の社交の場は好きになれない。


 エルジェの登場に一瞬静まりかえった会場だったが、壁際で静かに存在感を消していくと、先刻までのようにまたざわざわした陽気な雰囲気が戻ってきた。


 本日の主役はデボラだ。寄宿学校時代から彼女の愛らしさは群を抜いていた。


 男女問わず誰からも愛され、親しまれる存在。エルジェは少なからずうらやましいと思いつつ、皆に囲まれて花のようにころころとよく笑うデボラの姿を見るたびに、ああ、これは敵わないとつい微笑ましくなって、にこにこしてしまうのだった。


 そんな愛すべき主役を差し置いて自分が目立ってしまうのはよろしくない。


 このままおとなしく、波風を立てず時が過ぎるのを待とうとエルジェは考えていた……のだが、そんなエルジェの努力をぶちこわすように、無自覚に高貴なオーラをまき散らしながら、中途半端な美形の男性が近づいてくる。


 ――あぁ。見つかってしまった。


 エルジェは心の中で嘆息する。


 送迎の馬車を降りたとき、男爵のタウンハウスの正面に堂々と停められた美しい白馬の二頭立て馬車に気づいたとき、来ているとはわかっていたが、こうも早く話しかけられるとは。


「こんばんは。ご機嫌よう、お嬢さん」


「こ、こんばんは王子殿下」


 爽やかな笑顔でエルジェに挨拶をしてきた男性は、隣国ゴロワーン王国の第四王子、オーギュスト・ポン・デ・リンリン王子だ。


 まさに本物の殿下である。


 エルジェの寄宿学校時代の一年先輩だったが、成績優秀にもかかわらずもっと勉学にいそしみたいと言って留年したためエルジェと同じ年に卒業し、その後も見聞を広めるという理由でまだこの国に滞在中である。


 留年に関しては、二年以上の留年が退学・学位なしとなるため、王子は泣く泣く卒業している。


 本日はおそらくエルジェと同様に、デボラに招待されたのだろう。


 第四王子という王位継承権がほぼない立場のせいか、どの国の貴族の子女からも付き合うメリットを感じてもらえなさそうなものだが、王子然とした外見はやはり人を惹きつけるらしく、意外とファンも多いそうだ。


 しかし政治的意味合いなどまったく考慮していないような、王子の軽い立ち居振る舞いや言動は、常になにかの含みを持たせようとする貴族との会話とは別の意味でまた、エルジェにとって疲れる相手だった。


 ちなみにエルジェは、同級となった王子にも遠慮せず寄宿学校を首席で卒業し、開校以来の才女とまで絶賛されたが、なんのことはない。エルジェはすでに知っていただけだ。


 なぜならエルジェは転生者なのだから。


 この文明レベル程度の授業など、前世では中学校時代に習っている。


 十歳の時に突然、自分が転生者であることを思い出したエルジェは、この国がフランス式の貴族制ではなくイギリス式の貴族制っぽい異世界であることに小躍りしたいほど喜んだ。


 フランス式とイギリス式の違いは、領土、つまり土地持ちでない貴族もいることである。


 いや。この異世界が厳密にそうとは限らないが、少なくともエルジェの父は航海王と呼ばれ、領地とは無縁だが公爵である。


 航海王。最初にそのあだ名を聞いたときは思わずゴムゴムの少年を思い出したが、レグランス公爵の腕は伸びないし、泳げないわけでもないらしい。


 なによりもエルジェは、デュパンよりホームズのほうが好きだった。モルグ街よりベーカー街である。


 そんなあまり好きではない世界初の名探偵と奇しくも同じ名前を持つ王子に、先ほどからぺらぺらと話しかけられているが、エルジェは適当な相づちを打ちながら、ここをどうやって切り抜けるか考えていた。


「いやー。だから僕は言ってやったんだよ。その釘は本当に刺さっているのかってね。くふっ。くふふふふ。どうだい、わかるかい?」


「え? あ、はあ……」


 まったく話を聞いていなかったエルジェは曖昧な言葉を返す。


「お嬢さんには少し難しかったかな。釘を刺す、つまり念を押すという意味と、窓枠に刺さっている釘とをかけてみたのさ。くふっ。くふふふふ」


 ドヤ顔でウィンクしてくる中途半端な美形にもその軽薄な笑い方にもイラッとしたが、ここでやらかしては外交問題になりかねない。


 エルジェは自制しつつ、さまよわせた視線の先にデボラを見つけると、王子に会釈してからこれ幸いに駆け寄っていった。


◇◆◇


 遠くで教会の鐘の音が聞こえてきて、この夜会もお開きの時間になった。


 エルジェが会場である大広間を出ると、どこからともなく帯剣した銀髪の男性が後ろに付き従う。


 エルジェの騎士兼従者の役割のケイ・シルバーウルフだった。


「ケイ」


「はい。お嬢様」


「あなた、お腹は空いていないかしら」


「問題ありません、お嬢様」


 ケイはそう応えるが、おそらく剣を佩いたままでは入場を許可されなかった大広間の外で、忠犬よろしくずっと待機していたのだろう。


 空腹でないはずがない。


「ほら。これ」


「なんでございましょう、お嬢様」


「サンドイッチよ。私はもうお腹がいっぱいだから、ケイにあげるわ」


 エルジェは戸惑うケイにサンドイッチの包みを無理矢理持たせると、ハウスメイドに案内されるまま、今宵の宿に割り当てられている部屋に入った。


 再び教会の鐘が鳴る。


 すでに暗くなってしまった中、招待客のほとんどは帰っていったが、エルジェは男爵のタウンハウスに宿泊することになっていた。


 翌日のお茶会はデボラとゆっくり話せるだろう。


「お休み。ケイ」


「お休みなさいませ、お嬢様」


 部屋で待ち構えていた男爵家のメイドたちに着替えを手伝ってもらう。


 転生者である以上、本当はこんなもの、自分一人で脱ぎ着できるのだが、公爵令嬢としての演技も忘れないよう、貴族然とした覚束なさで衣装を脱ぎ、湯浴みをする。


 そして丁寧に拭いてもらってから、部屋着を着せてもらった。


 仕事を終えた男爵家のメイドたちが退室していく。


 きっと扉の外では、朝までケイが寝ずの番をしてくれることだろう。


 十歳の時、前世での記憶を取り戻したエルジェが一番最初にしたのは、父であるレグランス公爵に、二十四時間を通じて守り通してくれるような、自分専用の護衛役を見繕ってもらうことだった。


 自覚しているおっちょこちょいでポンコツな性格から、おそらく前世での情報や知識を、自分がうっかり漏らしてしまうであろうことは容易に想像できる。


 特に学術的に専攻していたわけではないが、それでもエルジェが知っている現代文明の科学技術の知識は、中世より少し進んでいるようだとはいえ、近代前後のこの異世界では驚異となるだろう。


 さらに公爵令嬢という立場は、この異世界においてさえも人外魔境な貴族社会では諸刃の剣だ。


 そう考えて、レグランス公爵にお願いしたところ、親バカなのかありがたいことに王国最強の騎士を護衛につけてくれた。


 ケイはかつて王様直属の近衛騎士団で数々の勲章を得た騎士だった。


 たとえ自分の剣が折れても、敵のサーベルや長剣やバスターソードなどあらゆる刀を奪ってまで戦場で武勲をあげるケイはいつしか、どんな剣でも扱える「ソードマスター」と呼ばれるようになり、騎士としての爵位を受けるまでになった。


 銀髪と鋭い眼光は、ひとたび戦端が開かれれば敵軍には悪夢として、自軍には頼もしき味方として、サー・ケイ・シルバーウルフの存在を、戦場を駆ける「銀狼」の二つ名で存分に知らしめた。


 そんな英雄を、働き盛りの二十三歳で強引にエルジェだけの騎士として引き抜くことができたのは、僥倖であったというほかないだろう。


 あれから九年。

 エルジェは十九歳になった。


 敵に与えた傷は絶対に治らず、九日九晩眠ることなく戦場を駆け続けたという伝説の英雄も、噎せ返るような男の色香を身に纏う三十代前半。


 唯一エルジェがケイについて残念で仕方ないと感じているのは、頭脳派というより肉体派。

 つまり頭の中まで筋肉という脳筋バカなことくらいである。


 前世の知識を持っていても、いつまでもうっかりが治らないポンコツな自分には脳筋ナイトくらいがちょうどいいのかもしれない。


 どこかから聞こえてくる犬の吠え声に鼓膜を刺激されながら、エルジェは眠りに落ちていった。


 遠くで何度目かの教会の鐘が鳴っていた。


◇◆◇


 翌朝、まだ明けぬころ、メイドの悲鳴がルクスヴィー男爵のタウンハウスの眠りを切り裂いた。


 慣れない枕で浅い睡眠を繰り返していたエルジェは無意識にベッドサイドの呼び鈴を鳴らす。


「お呼びですか、お嬢様」


 すぐさま扉の外から忠犬の声が聞こえてきた。


「着替えたいの」


「承知いたしました」


 続いて入室してきたメイドに手伝ってもらって着替えを済ませた後、ケイとともに階下に移動する。


 騒ぎの中心と思われる方へと向かって歩いていると、顔面蒼白のメイドに止められた。


「エルジェ様はお部屋にお戻りください」


「何があったのでしょう?」


「それが、その……」


 本当のことを伝えてしまってよいのだろうかといった雰囲気でメイドが言いよどんでいる。


 すると、先方から茶髪碧眼の中途半端な美形が歩いてきた。


 ――そうだった。


 彼もまた本日のお茶会出席のために、タウンハウスに宿泊した人物の一人だ。


「やあやあ。おはよう、お嬢さん。呼びに行こうと思っていたのさ」


「おはようございます、オーギュスト王子」


「銀狼・サー・ケイも、おはよう」


「おはようございます、殿下」


 王族らしい軽やかな笑みで挨拶をした後、オーギュスト王子が続ける。


「君はもう聞いたかい?」


「いいえ。何があったのでしょう?」


 エルジェは再び、メイドにしたのと同じ問いを、今度は王子殿下に尋ねた。


 オーギュスト王子が視線を向けると、メイドが慌てたように、まだ何も伝えていないと首を振る。


「ふむ……。どうやらルクスヴィー男爵が亡くなったらしい」


「え?」


「しかも、この屋敷の正面玄関ホールで、()()()()()()()、だ」


「っ……!」


お読みいただきありがとうございます。

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