第十七話「大人の攻略法」
朝起きると、シオンがオレに抱きついた格好のまま眠っていた。
昨夜のことが走馬燈のように頭の中を駆け巡り一瞬動揺しかける。
しかし一晩経って冷静になったためか、シオンはまだ4歳なんだからあのほっぺキスに深い意味なんてあるわけない、という結論に改めて至った。
いやはや、キョドりまくっていた自分が恥ずかしい。
いつも通り起きてクランボアの手伝いをしようと思うが、勝手に起き出すとまたシオンがむくれてしまうだろう。
かと言ってすやすや眠るシオンを起こしたくないので、ちょっとクランボアの朝食の手伝いをしてすぐに部屋に戻ってくることにする。
そうして階下に降りると、床に置かれた籠の中で子狼が丸まって眠っていた。
オレの気配に気づいてパチッと目を開けると、オレと目が合う。
「や。おはよう」
「ガルル」
こいつは人間の言葉がわかってるみたいだが、まだ幼いからかあの親狼のように人語を話すことができない。
というわけで必然的に鳴き声でのコミュニケーションになるので、もはや犬とほとんど変わらない。
頭がいいからむやみに吠えたりしないし綺麗好きだから我が家の面々からは気に入られていて、すっかり家族というかペットというか、まあともかく馴染んでいるのだ。
「……でも、そろそろ名前つけないとな」
いい加減、この子とかおおかみさんとかじゃ呼びにくい。
子狼がいる生活も落ちついてきたし、シオンの願いを叶えてあげるついでに今日あたり提案してみるとしよう。
「おはようございます、レオ様!」
「あ、おはようクランボア」
起き出してきたクランボアと一緒に朝食の支度をしながら、ふとクランボアの意見を聞いてみる。
「ねえ、昨日シオンが言ってたの、どう思う?」
「そうですねぇ。わたくしめも簡単なお手伝いくらいなら構わないと思いますが、まだシオン様には危ないことをしてほしくはありませんね……」
「“まだ”ってことは、そのうちなら良いってこと?」
「そうですね、奥様と旦那様がお決めになられたように10歳くらいならよろしいのではないでしょうか」
「じゃあ、もし危なく無いことだったら?」
「それでしたら今からでも構わないと思います。おうちのお手伝いをすることは大変よろしいことですから」
「そっか」
まあ、そんなもんだよな。
「……あれ? ちなみに今さらだけど、魔王と勇者の子供なんだから余計なことはしなくていい、みたいな考えではないんだね?」
「確かに最初はそう思っておりましたし、そもそもこの島に来た当初は奥様が家事をするのも反対でした」
「へえ、やっぱりそうだったんだ」
「はい。しかし奥様が、魔族を捨てた自分はもはや魔王とは言いがたいし、そもそも魔王ではなく一人の女としてこの島に来たのだから、普通の女がするような仕事をしたい。夫婦が魔王と勇者であるという特別な家族ではなく、普通のどこにでもいるような幸せな家族になりたいのだ、と仰られまして」
「ああ、なるほど……」
母さんらしい願いだ。
「? その割には母さんってけっこう子供のオレたちのこと甘やかそうとするよね?」
「ふふ、厳しくしようと思っていても、ついつい甘くなってしまうのが親というものですよ」
「なるほど……なんか説得力あるね」
前世では結婚も子供もいなかったから、オレにはわからないけど。
「ん? そういえばクランボアも結婚とかしてないよね?」
「もちろんです。何せ、わたくしめは公の身分はすでに亡くしておりますから」
「あ……そっか」
魔王を選抜する試験かなんかで死にかけたのを母さんがこっそり助けて、死亡扱いにして魔王候補育成の辛い目から救ったんだったか。
……恋人とか、いなかったんだろうか。
「はい? なんですか?」
オレがじっと見つめていたのが不思議だったのだろう。朝食の支度を終えたクランボアは、手を洗いながら首を傾げる。
可愛いからモテそうなものだけど、よくよく考えたら幼いころからずっと魔王候補として厳しく育てられてきたのだから、そんな暇はなかったのかもしれない。
「クランボアって良い人いないの?」
「はっ、はいっ!?」
「ほら、魔族領に好きな人を残してきたとか」
「いっ、いいいいませんよっ、そんなっ!!」
珍しく顔が真っ赤になってブンブン首を振るクランボア。
「す、す、好きとかそういうのわかりませんしっ!!」
「そ、そっか」
すごくウブな反応だった。もしかしたら初恋もまだなのかもしれない。
「わ、わたくしめは奥様や旦那様やレオ様やシオン様のお世話をさせていただいているだけでも、このうえない幸せですから! これ以上望んだからきっとばちが当たりますから! こう、バチ!って――はう!?」
そう言って本当に自らの頬を張り手するクランボア。
テンパって加減を間違えたのか、張り手の衝撃でのけぞるクランボア。
「うわっ!? 大丈夫!?」
慌てて抱き留めて支えると、クランボアの頬には紅葉の形がくっきり残っていた。
「ああもう、どうしてそんな強くやっちゃうかな」
「す、すみません! 年甲斐もなく取り乱しました!」
「年甲斐って言うほど歳くってないでしょ……。ほら、動かないで」
タオルを水で冷やして絞り、クランボアの頬にそっと当てる。
「あ……」
「痛くない?」
「だ、大丈夫です!」
「そう。……でも、ダメだよ女の子なんだから、顔に張り手なんて」
「お、女の子っ、ですか!?」
「え……? クランボアって女の子だよね?」
違うのか? と思いながら、目が女子の象徴である胸の膨らみにいってしまう。
「れ、レオ様っ!? ど、どこをご覧になってるんですかっ!!」
「わっ、ごっ、ごめん……!! 女の子と思ってたのはもしかして勘違いだったのなって不安になって!」
「うぅ……勘違いではありませんから、あまり見ないでくださいませ……っ」
「ご、ごめん! あ、でもやっぱり女の子なんだ。良かった」
「うう……しかし女の子という歳でもありませんから……っ」
「え……? そう……?」
まじまじとクランボアの顔を見る。
どう見ても15歳前後にしか見えない。
「女の子だと思うケド……」
「れ、レオ様! お、お顔が! お顔が! 近しうございます!」
「え? あ、ごめ――」
そう言いかけた時、トタトタ近づいてくる足音がしてきて。
「おぉーにぃーいぃーちゃぁーーんっ!!」
シオンが背中に抱きついてきた。
「おわっ!?」
その勢いで前のめりになり、自然とクランボアとの距離が近づく。
「っ! お、お顔がっ、レオ様のお顔が間近にっ!」
「なんでシオンおこしてくれなかったのぉー!!」
「あ、やべ、もうそんな時間だったのか。わるいわるい」
「おにぃちゃんのうそつきぃ。うそはだめなんだよぉっ」
オレの背中に顔をぐりぐりするシオン。
「あたたたたっ、それ痛いってシオン」
「はわわわっ、レオ様のお顔がぁっ!?」
そうして三人でわたわたやってる所に両親が起き出してきて、なにやってんの?という顔で見られてしまう。
おかしい、キチッと両親を説得して今日から鮮やかにシオンの修練を始める予定だったのに。
で、朝食後。
「我らに話というのは何だ?」
「シオンのことなら、昨夜お前が説得してくれたんじゃねえのか?」
「うん、善処したよ」
今、テーブルには全員が集まっている。いわゆる家族会議というやつだ。
シオンはちょっとだけ緊張しているみたいだ。
子狼は自分にはあまり関係がないとわかっているのか、床で丸まっている。大丈夫だ後半はお前の話になるから。
「さ、シオン。自分の口で言ってごらん」
「うん……!!」
昨夜の作戦通り、シオンが堂々と胸を張る。
昨日シオンが両親に頼んだときは単に子供が背伸びするような感じだったからダメだった、というのも大きな要因のひとつだった。
本当ならメガネでも付けて知的イメージをアップしたいが、そんな工業製品ここでは作れないので諦めた。
「いまから、シオンがいろんなことをはじめる“こんきょ”を、おとおさんとおかあさんに、3つごていあんします」
「は?」
「な、なんだ?」
「まず1つ。シオンが“しゅうれん”とか、“かり”するのは、まだはやいって、ゆってたけど」
「し、シオン?」
「どうしたんだ急に?」
「奥様、旦那様、今はシオン様の仰ることを伺ったほうがよろしいかと」
「それは、シオンがそういうことするのは、あぶないから、だよね?」
「お、おう」
「うむ、その通りだ」
「でも、“たいりょくづくり”とか、“かりのじゅんび”とか、“てーきゅーまほう”とか、あぶなくないの、あるよね?」
「う……」
「それは……」
「これが、“こんきょ”の1つめ」
「2つめは、“りょうり”とか“せんたく”とか、おうちのことをコドモがおてつだいするの、へんじゃないよね?」
「……」
「……」
「これが、“こんきょ”2つめ」
「3つめは、このしまにはシオンたちだけしか、いないこと」
「ん?」
「それがどうして、根拠になるのだ?」
「え? えーっと、それはぁ」
シオンの目が泳いで、オレに助けを求めてくる。
まあ、これくらいは助けてあげるか。
「シオンは、ここにはオレたち家族しかいないんだから、家族なら協力して生活していかなくちゃいけない。って言いたいんだよ」
「そう! きょーりょくなの! シオンも、やくにたちたいの!」
そう言って、潤んだ瞳で両親に懇願するシオン。
「むぅん……」
「それは、確かにそうだが……」
シオンの言葉は正論なので、ちょっと悩む両親。
それを見たシオンは、たたみかけるように続ける。
「だれもみてないところで、あぶないことしません!」
「あたらしいことするときは、そうだんします!」
「いいつけは、ちゃんとまもります!」
「だから、おねがいしますっ!」
そう言って、シオンは椅子から降りて床に座り、地面に向かって勢いよく頭を下げた。
いわゆる土下座である。
シオンが勢いよく頭を下げすぎて額が床に当たり、ゴツン!と良い音が響く。子狼が音にびくりと反応して顔をあげた。
「だ、大丈夫か!? 今すげえ音したぞ!?」
「し、シオン!? そんな床に頭をつけてなにを!?」
慌てた両親が椅子から降りてシオンを立たせようとするが、シオンは頭を下げたままだ。
「おねがい……しますっ!」
顔を床にくっつけているから多少くぐもってはいるが、その力強い声はダイニングによく響いた。
両親は困って、お互いの顔を見る。
「わたくしめは……よろしいのではないかと、存じます」
「おいおい、クランボア……」
「そなた……。本当にそう思うか?」
「はい。シオン様の仰っていることは間違っておりませんし、頑張りたいお気持ちは、よく理解できますので」
そう言って、後押ししてくれるクランボア。オレと目が合うと、ウィンクしてくる。
朝食前に露骨にこの話題に触れたからな。オレが糸引いてるのはバレバレだろう。
さて、大事な妹が頑張ってるんだから、オレも加勢しないとな。
「父さん、母さん。オレからも、お願いします!」
オレもシオンと同じように椅子から降りて、勢いよく土下座をかます。
シオンと同じように、なので、シオンと同じようにゴツンと頭をぶつけた。勢いよくやりすぎて目から星がでてチカチカしてしまう。
「レオ……」
「そなたまで……」
頭上から両親の困った声が聞こえてくる。
まだ悩んでいる雰囲気が伝わってくると、オレとシオンは。
「「おねがいします!!」」
二人同時に、最後のお願いをした。
あとはどれだけ時間がかかろうとも、頭を下げ続けるのみだ。
しかし、オレたちのそんな意気込みが伝わったのか。
両親はそろってため息をつく。
そして……。
「「わかったよ……」」
認めてくれたのだった。
「わーい!! おとおさん、おかあさん、ありがとおー!!」
シオンは土下座から一転して、両親に抱きついて感謝する。
「まったく……仕方ねえな」
「ふふ、我らの負けだな」
「良かったですね、シオン様」
両親の後に、クランボアにも抱きつくシオン。
「えへへー」
満面の笑みだ。
うん、よかったよかった。昨夜の作戦会議は大成功だな。
「やったな、シオン」
「うん! おにいちゃん、だいすきー!!」
そう言って、シオンはオレにも抱きついてくる。しかも、飛びかかってきたもんだから、だっこするような姿勢になる。
さらにシオンは、昨夜のようにオレの頬に顔を寄せて。
「――――ちゅっ」
その唇を頬に当てた。
「ちょっ!? シオン!?」
慌てるオレだったが。
「はは、ほんと仲いいなお前ら」
「はい! 微笑ましゅうございます!」
「ふふ、よかったなシオン」
両親もクランボアも慌てていないので、オレは冷静に“そうだよな。幼い妹の可愛い親愛のキスなんだから、慌てるほうがおかしいよな”と自分に言い聞かせる。
やだやだ前世非モテなレオ君ったらもう。
「それにしても、まさかレオが入れ知恵するとはな」
「まったくだ。昨日の言葉はどうしたんだ?」
喜ぶシオンを見た両親が、そうボヤく。
「ん? だからちゃんと“善処した”よ? シオンの兄貴としてね!」
オレがそう言って満面の笑みになると両親は顔を見合わせて、どっちに似たんだと苦笑するのだった。
あ、それから子狼の名前は、雪のような白銀の体毛にちなんで“シルバ”になった。
特筆すべきこともないから、その描写は割愛する。
「ガウッ!?」
代わりに昨夜の作戦会議の様子を軽く流すことにする。
「ガウウ……」
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「はい、いいかなシオン。まず基本的に大人は子供に弱い!」
「よわい!」
「特に、上目遣いで潤んだ瞳! はいこれ鉄板!」
「うるんだひとみ! うわめづかい!」
「それにプレゼンの鉄則、具体的な数字!」
「すーじ! ぷれぜん!」
「そして仲間にできるやつは事前に引き込んでおく、根回し!」
「ねまわし! じぜん!」
「そして最後は大技で決める。その名も、土下座!」
「どげざ!」
「ふっふっふ、これだけやれば両親を攻略できるはずだ!」
「……ぐすん……」
「え……どうしたシオン?」
「おにいちゃんのゆってること、むずかしくってシオンよくわかんなぃぃぃ……ぐすん」
「おー、泣くな泣くな、ちゃんと教えるから。な? いいか、土下座ってのはな――」
そんなやりとりが、布団のなかで行われたとかなんとか。