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ギセイミライ  作者: _
# 3 屈折ノ味
9/21

-柘榴- 実(2)

 なな子と女はふたりでライブに来るようになり、シズクとも話す間柄になっていった。

 俺は自分の店をシズクに任せていた。シズクはその女を雇った。女になら俺が手を出さないと油断したのだろう。バカだな。俺は相手が誰であろうと君臨に値する準備はいつだって出来ている。

 だが、その女……あずがこんなにも俺を苦しめる事になるとはとんだ計算外だった。

 シズクの目を掻い潜ってあずを誘った。やけに寒い日だった。真っ暗な闇の空から雪が落ちていた。雪は、あずの伸ばした指先にも舞い落ちた。俺に気付いた時の、ふとした笑顔に心が逸った。ふわふわのコートファーに小さな結晶が花のように煌めいていた。払うとそれはテノヒラに絡みついた。溶かす体温もない手の中に、結晶のヒトヒラが残った。握り締めるとたやすく壊れた。確かな旋律が微かに響いて、俺は余韻に浸ることを望んだ。

 墨を欲するあずの皮膚は、俺にとってのイノセントなカンバスに違いなかった。針は思う通りにどこまでも深く刺せた。痛みに耐える表情や声は、なによりも俺がホシイモノで、おもちゃでしかない。──だったはずだ。

 有刺鉄線をあずの手首から腕、身体に巻き付けた。太腿を折り曲げ、両方の足にも巻き付ける。棘はあずの柔肌を突き破る。もがけばもがくほどにそれは侵入し、赤い実を産む。

 寝室から音がして、部屋を出た。窓の外にはノラネコ。ノラじゃないもん、と牙を剥く。開けると俺の手に摺り寄った。

「今はダメだ」

 そう告げると、俺の指先をガブリと噛んで、隣のマンションの階段に飛び移った。真白な体は、夜空にとても映えていた。わずかの間、静けさに身を浸す。ステージに立つ直前の緊張感にも似ていた。

 閉めた窓に映る箱に、ふと意識が向く。わざわざ海外から取り寄せたマスタードだ。ステージで使う小道具だが、俗物なパフォーマンスにいい加減飽きていた。新たな刺激(おもちゃ)はリビングにある。小道具の幕引きを開始する。

 あずはおとなしくしていた。そうするしかないだろう。棘が喰いこまないよう最小限の呼吸を繰り返す。すがるような瞳に黄色が映る。

 打ち込んだばかりのタトゥーに、マスタードを擦り込む。赤と黄色が滲んでいくのをダリの絵画のように楽しんだ。喚く声が俺の聴覚をざらつかせる。もっと聴きたいと思った。

 ソファー下から工具箱を引っ張り出し、カッターを選ぶと、あずは言葉を飲んだ。鉄線の隙間から服を剥いでいく。刃で傷を付けることのないよう、細心の注意を払う。あずを傷付けていいのは鉄線の棘と、俺だけだ。

 ……俺?

 黒い穴だらけの光景が広がる。わかっている。どうして発生したのか、どうして蓋を探しているのか。俺はカイラクを睨み、あずと重なる。俺が動くと、棘はあずの肌を貫いた。あずはそのたびに表情を苦め「痛い」という褒詞を吐いた。

 あず……あず……

 俺は何度もあずの名を愛しむ。白い肌は俺を罵り俺を嘲笑し俺の黒い穴にまで入り込み俺を赦していく。あずを壊しながら俺は、俺の黒い穴が一つずつ修復していく事に戸惑う。

 ……トマドウ、

 戸惑う。

 あずヲ徹底的二壊シタイ

 床に転がるマスタードを掴み、あずの口の中に流し込んだ。舌に絡む黄色が膜を引き喘ぐ。

 携帯電話の音がする。あずのだ。相手は、なな子だろうか。今度は俺のが喚いている。シズクに違いない。あいつは俺が女を知らないと思っている。こんな場面を見たら、泣いて俺を軽く殺すだろう。めんどくせえ。それにしても暑い。寒そうにしていたあずのためにつけた暖房の温度設定を高くしたままだった。シャツを脱ぐ。急ぐ必要がある。でないと粘着性のあるシズクの事だ、うちに来るだろう。勝手に合鍵を作ったことを俺は知っている。

 あずは痛みの中で、快楽を承服した。あずの目から涙が落ちる。欠片ガ堕チル。指先に手を添わせると、あずは俺の指にぎゅっとしがみついた。俺は明晰に認識する、あずを傷付けていいのは、俺だけだということを。

 鉄線を外して、あずを抱き締める。「あず」俺はまだ戸惑っている。黒い穴の深淵に問う。「俺は」誰かを愛してもいいのだろうか……。

 シズクの気配を感じ、あずに俺のシャツをかけた。

 部屋に入ってきたシズクは、様子を見て、愕然とした顔で俺を殴りつけた。なな子も一緒だった。シズクは泣きながら何度も俺を殴った。

 もう朝になっていた。あずの足音が消えていくのが聞こえた。雪が舞い散る音なのかもしれなかった。

「気が済んだか」こぶしを降ろしたシズクに告げる。

「なぜ、お前はいつも殴り返してこないんだ」シズクは力なく言い、ソファーにもたれている俺の胸にうなだれた。俺の手は、兄弟を殴る意思を持ってはいない。シズクを押しのけ、シャワールームへと向かった。

 流しながら気付く。体のあちこちに棘の刺し跡が残っている。俺はどんな時でも自分を冷静に分析できるはずだった。痛みを感じないほど気持ちが上擦っていたのか。鏡を見た。気持ちの乱れはわからない。大丈夫だ、コントロールできる。黒い穴が俺を引き留める。左の奥歯であずへの想いを噛みしめた。





 シズクとまた一緒に住み始めた。やつの機嫌は、ずっと悪い。俺の引越用荷物が未開封のままダレている。顔を合わせれば俺を責めた。俺の取り繕いの曖昧な言葉が浮遊している。

 本当は、安心していたのかもしれない。あずから逃げたかったのかもしれない。怖かった。あずの事を考えると、弱さと脆さが俺を襲い、どうしようもなくなる。これが恋愛の愛だというのなら、シズクへの愛は成立しないことになる。

 俺の店『 ×アンチPEACE』も、場所を変えた。移転への心構えは周到だった。今までの店舗には、タトゥースタジオがなく、知り合いのタトゥーショップのスタッフメンバーに登録し、依頼されたときだけ出向く形態をとっていた。それが煩わしく、以前から新しい店舗を探し、目を付けていた店舗の情報を得ていた。タイミングも良かった。

 ここに来てから半年が経つ。申し分のない成果に満足していた。今までの、人も商品もギュウギュウ詰めの店とは違う。バックヤードだってある。俺はそこにデスクを置き、窓を開け放して仕事をするのが好きだった。小さな窓だが、角取られた空を眺めると、『 ×アンチ』でなくてもいいような紛らわしい気分になってくる。今まで生きてきて一番充実しているのかもしれない。そして、一番最低なのかもしれない。

 平凡で面白味もねえ生活。

 俺は自分の絵とまともに向き合った。他の事を何も考えたくはなかった。特にあずの事を、思考の隙間にも入れたくなかった。白い皮膚に針を打ち付けたくなる衝動を押さえる事ができなくなることが怖かった。俺はどうにかなっちまったらしい。バカみてえにラブソングを作った。バカなりの答えだ。まともになっていく自分をどこかで望んでいるのかもしれない。






  痛みは俺だ

  俺の事を忘れない為に


  だけど痛みは俺の想いだけで

  単なる傷跡にしかならない


  塞がれた傷の内側に

  俺は入る事ができないんだ……






「ユガちゃん……ユガちゃん」

 蟻砂の声に起こされた。

 今日は蟻砂のバイトが休みで、一緒に酒を飲みに来ていたんだっけ。

「どうした? 最近」

 蟻砂が俺を覗き込む。

「らしくねぇって?」

「いや……ほんとのユガが垣間見える」

「ほんとの俺?」

「無理をするなよ」

 蟻砂は俺をわかっている?

「アリが父親だったらなあ」

「なんだよ、それ」

「そしたら俺は、親父のアリを大事にしたよ。弟と関係を持ったりしなかった」

 蟻砂がクソ笑う。

「シズクが泣くぞ」

 すべては間違いだった。俺が産まれてきたことの始まり。人間の欲情の果ては人間。止め処ない繰り返しの途中に俺がいるだけ。快楽は時にヒズミを生みだし、そこに俺はいる。

 シズクを突き放したら、シズクは納得してくれるだろうか? 俺の気持ちは完全に剥離してしまっている。

「シズクは気付いているよ」

 蟻砂はグラスをカラにし、次を頼んだ。相変わらずペースが早い。俺は蟻砂を見た。俺はずっと蟻砂を尊敬していた。こうありたいと思う、唯一の人間だ。蟻砂の過去が壮絶をたどり施設に送られたとしても、蟻砂は自分自身を見失わなかった。なぜか? 俺と何が違う? なぜ俺は蟻砂のようになれなかったんだ?

「俺はシズクに向き合うべきか?」

「ああ見えてタフだよ。ユガちゃんと違って」

「俺と違って? 俺が弱いって?」

 そう言いたいのか?

「脆い。だから優しい」

 俺は蟻砂を睨んだ。精一杯の虚勢だ。俺は蟻砂にはなれず蟻砂には敵わない。

「なぜアリはそんなに強さを保っていられる?」

「どうしたんだ? 酔っているのか?」

 蟻砂は鼻で笑った。

「酔ってるのかもな」

「俺には感情がない。人の持つ、愛とか痛みだとか初めからわからないだけだ」

「意味わかんねえ」

 本当はわかっていた。蟻砂は幼児期に施設に放り込まれた。蟻砂の父親は、幼児を対象にした連続殺人犯で、その妻、蟻砂の母親は、ノイローゼになった被害者の母親に車で轢かれ亡くなっている。蟻砂のクールさはそこからきているのかもしれない。

 ガキのころ、俺に打ち明けた蟻砂の淡々とした表情は、卑屈でもなければ悲壮さも感じ取れず、ただ漠然と配列された文字を朗読しているだけの薄さだった。

 蟻砂と別れてから、女を呼び出した。ここ最近、ライブに来ていた女だ。少しの間ふたりで飲み、女の家へ忍び込んだ。親に見つからないように声を押し殺してヨガル女を見ていたら、興奮して、目に付いた荷造り用の紐をそいつの体に巻きつけた。そうこうしているうちに、ふたりとも興奮度が更に増し、激しさも更に増し、女の親に見つかり、警察行き。

 次の朝、シズクが迎えに来ていた。女が同意の上だったとサツに言ったらしい。俺はどっちでもよかった。別にハコに入れられようが、どうでもよかったんだ。外に出ると、そこはクソな世界が広がっていて。どっちでも変わりのない嫌悪の場所。

 その嫌悪の出入り口に、なな子が立っていた。出入口の番人か? おまえは。

「バッカじゃねえの?」

 番人は一言、俺に向けて言った。俺は笑った。

「なんでわかった?」

「おまえを追いかけ回してる記者が教えてくれたんだよ。ユガは悪くないからって裏で動いてくれてたけど、どーすんだよ。また面白おかしく雑誌に載せられたら」

 いいよ別に。俺は答えた。

「ユガにい。強えやつなんていねえよ。弱さを認めたら墜落する。自分に負けたような気がして。だからひとりでもやってこれた。だけどなんでひとりにするの?」

 俺は内臓を抉られるようだった。ひとりでもやってこれた? おばさんと一緒に住んでいたんじゃないのか? 知りたいことを意のままに聞くこともできずに、俺は黙った。情けねえ。

「一緒に住めばいい」

 シズクが簡単に言う。

「無理だ。俺といる意味はねえ。俺自身にも意味がねえ」

 拒絶して、俺は歩き出した。なな子が追いかけて来る。

「家族だろ。意味なんてたいした役割を持たない。そうだろ?」

「そうだな。なな子の言うとおりだ。だけど、無理だ」

「なんでだよ」

 俺は立ち止まり、なな子に言った。

「あいつは……あずはどうするんだよ」

「あずも一緒に住めばいいんじゃねえの?」

 得意げにシズクが口を挟んだ。

 できねえっつってんだろ、俺はシズクを睨んだ。

「別に私は、一緒に住みたいとか、そんなんじゃなくて、私から逃げんなよって言いたいの。それに、あずはユガにいに会いたがっている。あれからずっと」

「俺は怖いんだよ。俺が俺じゃなくなることが。あずのことを考えると、どうしてかワケわかんねえ」

 あずが、俺に会いたがっている? 番人が下した判決に、俺は動揺していた。聞きたいようで聞きたくなかった。俺はまた歩き出した。些細な事に俺は揺るがされている。

「ユガにい、それってあずを好きってことなんじゃないのか?」

 その時だった。いきなり、シズクが俺の胸元を掴んだ。

「なんでだ? なんであずを壊した?」

 あれ以来、シズクの口からあずの名が出ることはなかった。俺はここぞとばかりに、隠すことなく女と遊び呆けた。シズクの文句がうるさくて、家にも帰らずにいたら、諦めたのか、なにも言わなくなった。どうしてあずを壊したかって? そんなのわからねえよ。初めて会ったときから壊してみてえって思ったんだから。

「俺はどうなる? おまえに痛みを植え付けられた俺は」

 黙っていると、なな子が絶対的な地位を付与してきた。ガキのころから、くだらないことで喧嘩をする兄貴たちは、なな子にとって格下でしかない。

「やめろ。シズク。あたしたちは家族なんだよ」

 シズクは、俺の腹に思いっきり蹴りを入れやがった。俺は警察署の前でみっともなく崩れオチタ。まったく。やってられねえ。

 舌打ちをしたシズクが歩いて行く。遠巻きに俺らを見ていた通行人たちが、シズクと目を合わさないような素振りで、足早に去って行った。

「やべくねえ? あいつ」

 なな子が無表情で言う。俺は立ち上がり、服に付いた埃を払う。

「認めるよ。俺はあずが必要だ。だだシズクが認めねえかもな」

「大事なのは、ユガにいの気持ちだろ?」

「ああ……そうだな」

 なな子がにこっと笑い、言った。

「じゃあ、間違いねえよ」

 昔と変わらない片えくぼの笑顔に、安心していいのか戸惑った。

「なあ、なな子」

 俺は、ずっと知りたかったことを言葉にした。

「おまえを引き離したことは、間違いなかったか?」

 なな子は、呆れたように笑った。少しため息をついて、少しの間のあと、言った。

「ユガにいはさ、私のことになると、真面目に考え過ぎなんだよ。ほんっと迷惑」

「迷惑、か……」

「すごく良くしてもらったよ。ママって呼んでたし。ママも本当の娘みたいに接してくれた。ママね、結婚したんだ。それまで、ずいぶん迷っていたみたいで。私がいるからね。私のために結婚やめるなんて言い出したら、それこそ迷惑でしょ。だからあの家を出た。何度も話し合って、私はもう、自立出来る年齢だから、ひとりでやってみたい、夢追いかけたい……とかなんとか言っちゃってさ。実際は、生活するって大変だね。全然違う事務の仕事してる」

「夢?」

「内緒だ。ユガにいに話すと、すぐ叶えてくれそうだからな。私はユガにいを魔法使いだと思っている」

 なな子はまじまじと俺を見つめ、小さく笑った。

「あのハーブな空間は幸せだったよ。間違いなく」

「そうか」

「ユガにい、私はユガにいの妹だよな」

「ああ」

「だったらもう逃げんな、バカ兄貴」

 なな子の笑顔に安心して、頷いた。 




 家の扉を開けると、大音量の音楽に圧迫された。自分の歌をこんなふうに聴くのは気が引ける。シズクの部屋に入ると、シズクが自分の腕に火を放ったところに出くわした。慌ててバケツに水を汲み、シズクに浴びせた。

「バカか?」わかってる。バカは俺だ。「俺はどこにもいかねえよ」

「愛してはいない」

 俺がシズクを駄目にした。何年もかけて。愛していると思っていた。それがカンチガイだった、……なんて今更だよな。

 ごめんな。シズク。俺が求めているのはあずだ。

 溶けた皮膚に突きつけるには、残酷過ぎるだろうか。俺はシズクを抱きしめた。




  空は遠く

  澱みの底に捕われ

  空は青く

  届くことのない光りを


  探し

  もがき

  うろたえる



  狂気でいい

  どうしようもない程の


  痛みでいい

  心まで抉り取られるような


  与えて欲しい

  どうかその手で

  傷付けて

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