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ギセイミライ  作者: _
# 3 屈折ノ味
6/21

-柘榴- 種(2)

「あれはなんなの? 日本ではあれが普通なの?」

 なな子と一緒の学校の帰り道、俺は疑問を投げつけた。

「ユガにいだって日本人でしょ」

 なな子が軽く笑う。

「俺もあんなことされるのか? ……なな子も?」

 俺が立ち止まると、なな子が足を止め振り向き、

「ねえよ」

 と強く否定した。また並んで歩き出す。

「たぶん、シズクは母親にそっくりだから」

「シズクの母親?」

「ああ。あのクソはシズクの母親に惚れてんだ」

 なな子が言い終わると同時に、なな子を呼ぶ声がして、振り向くと、女の子たちが立っていた。どの子も、赤やピンクだの、チェックだのドットだのといった服を着て、フリルだのレースだのといったスカートをひらひらさせ、髪にも派手な髪留めやシュシュを付けている。いつも学校のジャージ姿で、髪をひとつに束ねた姿のなな子はうつむいている。代表のふりふりが一歩前に出た。

「今日の私のお誕生会、きてくれるでしょう? みんなくるのよ」

「私は……」

 なな子が口ごもる。

「じゃ、待ってるから」

 ふりふり隊が、はしゃぎながら去っていく。

 行けばいい、俺は言った。

「行けるわけねえよ」

 なな子は否定した。

「どうして?」

「あいつら私をバカにしてんだよ。どうせこれるわけがないって。お呼ばれに着ていく服なんてねえし、プレゼントを買う金もねえ。表は優しそうに声かけて裏で私を笑ってる。私は誰も信じない。……シズクとユガにいだけ信じる」

 なな子がポロポロと涙を零した。なな子が泣くのを初めて見た。

「こい」

 俺は、なな子の手を引っ張った。

「どこに行くの?」

 近くのショッピングセンターに行き、服売り場に向かった。

「ユガにい。そんなお金」

 俺の腕を掴み、なな子は首を振る。

「俺を信じてくれるなら、なな子にだけ話す。いいか、あいつには言うなよ。シズクにも。誰にもだ」

 なな子はこくんと頷いた。

「ずっと小遣いを貯金してきた。いつか一人でも生きていけるようにって。だから金ならある。好きなものを買え。その代わりあいつにばれないように、服は外で着替えて帰りに捨てるんだ」

「でも」

「いいから」

 ワンピースを着て試着室から現れたなな子は、スカートの裾をもぞもぞとひっぱりながら、

「似合わねーよな……」

 と、うつむいた。水色のシンプルなものだけど、なな子の焼けた肌にとても似合っていた。

「俺が選んだの、似合わないわけないだろ?」

 俺は自信を押しつけて、なな子の髪にハート型のヘアピンを挿した。鏡を見たなな子の顔が、ふわっと明るんだ。

「このヘアピンは捨てなくてもいい? ペンケースにしまっておけば見つからないでしょう?」

「いいよ」

「ありがと。ユガにい」

 買った服とプレゼントを、ランドセルの隙間に押し込んだ。

「買い物に行ってくるよ」

 西脇にそう告げて、俺となな子はまた出かけた。友達が多いシズクは、毎日のように遊んでくるが、なな子のそういった行動は一度も見たことがない。急に友達の家に行くというのも不自然に思える。説明するのも面倒なので、西脇には黙っていることにした。

「俺が買い物をしてくるから、そのあいだ行ってこい」

 頷き、スカートをひらひらさせ歩いていくなな子の後ろ姿を見て、俺は満足した。うまくいったと思っていた。……うまくいっていたはずだった。

 なな子は、服を捨てられずに押し入れの中に隠していた。時々そっと取り出して、着ることのできない服を見つめていたらしい。それを西脇が目にし、取り上げたのだ。

「盗んだのか?」

 西脇は、なな子に詰め寄った。

「そんなことしねえよ」

 なな子は、唇をぎゅっと結んだ。

「盗んでないなら、どうやって手に入れたんだ?」

「友達にもらったんだよ」

「友達? お前そんな奴いないだろう」

 西脇は鼻で笑った。

「俺だよ」

 西脇の薄気味悪い目がこっちを向いた。俺は西脇の手から服を取り上げ、なな子に返した。

「なな子が友達の誕生会に呼ばれたから、俺が買ってやった。黙っておけって言ったのも俺」

「金は?」

「ここにくるとき母親にもらった。だけど、もうねえよ。全部使っちまったから」

 不機嫌そうに四畳半の部屋に戻った西脇は、酒を飲み始めた。このところ、酒の無くなるペースが異常に早くなっている。必要に迫られ、俺は自分の貯金から金を下ろして生活費に当てていた。

 夏休みが始まり、一日中西脇と顔を合わすのにもうんざりだから、外に出てシズクたちと遊ぶことが多くなった。ガキの遊びと思っていた虫取りも釣りも意外に楽しくて、俺は今までを取り戻すかのように本気で遊んだ。駄菓子屋で涼んでいると、誰かが口にした。

「焼けたな、ユガ」

 錆に侵されたレトロな鏡の中央に立つと、紫外線に侵されまくった俺がいた。

「俺もシズクと同じ、ただのクソガキだったってことだ」

 隣に並んだシズクが、

「兄弟だもん」

 と笑った。

 シズクの持つ、棒の塊に齧り付いた。ソーダアイスのカケラが喉の奥をもどかしく刺激して、心地良かった。

 なな子は図書館に行くのが日課になっていた。他校の子と仲良くなったらしい。「涼しいし水もうめえんだぜ」と無邪気に笑うなな子の顔を見ていると、俺も嬉しくなった。

 ふと弟のことを思った。俺には弟がいた。病気がちで入院ばかりしていた。家を出てくるときも入院していたので、会えずじまいで離れてしまったが、このまま別れたほうが弟の記憶に残らなくていいのかもしれない。というのは口実で、俺の方が弟の記憶を残したくないのかもしれなかった。あの家には、弟とあの女と……あの男と、三人で暮らすのが理想なのだろう。

 俺の家族は、シズクとなな子の三人だ。そうだな、穴が開いて使い物にならないってシズクが嘆いていたから、虫取り網を買うのもいい。なな子は花火がしたいって言っていたな。俺の家族とのことを考えると、楽しかった。

 シズクと花火を買って家に帰った。西脇に見つからないようにと選んだ小さいサイズの花火セットを、シズクは服の下に押し込んだ。

「ただいまぁ」

 シズクの大きな声が、玄関口から奥まで無駄に届いているのに返事はない。いつもなら、なな子がすぐに出迎えてくれるのだが。

 部屋に入ると、なな子が泣いていた。押入れの荷物が乱雑に荒らされている。

「なにがあった?」

「服が……」

「服?」

「ユガにいに……買って、もらった」

 なな子が泣きながら説明する。西脇がなな子の服をリサイクルショップで金に換えたという。テーブルの上には酒が二缶だけ。ひとつは飲み干して、残りのひとつを舐めるように飲んでいるクソがいた。

「わざわざ行ったのか? その足で。そんな微々たる酒なんかのために」

「酒が飲めるなら、俺はこの足を引き摺りながらでも、どこまででも行くさ」

 俺は、なな子の頭を撫で、押入れを片付ける。いつもは片付けなんてしないシズクも、なにも言わず整理し始めた。なな子も泣き止み手伝った。

 押入れに扉は無く、下段には布団、上段が俺たち三人分の収納スペースになっている。それぞれの持ち物を段ボール箱に入れて置いてある。シズクとなな子の箱には名前が書いてあり、シズクの箱は、どれも「しずく」の「く」の字が反転している。「しず>」のガラクタ箱が邪魔だが、俺は箱ひとつもあれば事足りた。

 どうも様子がおかしい。俺の荷物の隅まで荒らされていることに疑念を抱く。いくら探しても、金なんて出てこねえぞ。こんなところからはな。

 貯金があるといっても……このままではこの家は破綻する。だが、まだ小学生の俺にはどうすることもできないのが実状だった。とにかく勉強をしようと、空いた時間を勉強に当てていた。なな子も俺のそばで静かに勉強をしたり、借りた本を読んだりしていた。

 シズクは外で遊び呆けて、帰ってくるのが遅いが、少しでも父親と同じ空気を吸いたくないという理由があった。なぜ逆らわないのか? と聞いたことがある。

「怖い。前はあの棒でよく叩かれた。俺もなな子も」

 あの棒とは杖のことだ。

「小さいころは優しかった。父さんと母さんは十年以上も不倫してたんだって。父さんと一緒に住んだことはなかったけれど、うちにはよくきて遊んでくれた。父さんの仕事がうまくいかなくなって、生活費が払ってもらえなくなった上に、別な女と遊んでたって、母さんは怒って刺しちゃったの」

 シズクは、表情豊かによく喋る。

「でね、警察に捕まって、俺は施設に入ったの。少しして、引き取りにきたのは父さんだった。俺も独りぼっちになっちまったよ、一緒に暮らそうって言ってくれたんだ。父さんは少しずつ変わっちゃった。俺、いつか母さんに会ったら、母さんの足、刺してあげるんだ」

 シズクは笑い、整った歯並びを見せた。くりっとした目元や筋の通った鼻、肩まで伸びた茶色がかった髪、愛嬌の良さ、西脇には愛おしいものなのだろう。

 朝飯にラップをし、テーブルの上に置く。一応、西脇の分だが、食べるかどうかはわからない。奴はまだ寝ている。俺らは後片付けをしながら、今日一日の予定を報告し合う。俺は「今日は、俺が拭き担当だ」と、シズクが掴んだ布巾を取り、シズクを押し退けた。

 シズクは、

「あ、今日は収納担当か」

 と呟き、茶だんすの扉を開け「釣りにでも行く?」と、今日の予定を思案した。洗浄担当のなな子が、

「夕飯期待してるぞ」

 と献立を一案する。俺は洗い終えた茶碗をなな子から受け取るのと同時に、なな子の予定を聞いた。

「私は図書館に行く。今日まで返さないとならないの」

「じゃあ、夕飯はシズクに任せておけ」

 俺は無責任に言いながら、水滴を拭き取った茶碗を収納担当に渡す。 

「おう、任せておけ」

 シズクは意気揚々に、無責任が盛られた茶碗をたんすにしまった。

 西脇はまだ寝ている。起きられたら面倒だ。酒はないのか? が一言目で、しょう油持ってこいだの皿持ってこいだの温め直せだの、面倒が重なる。それでも好きなものだけしか食べず、ほとんどを残す。

 物音を立てず速やかに用意し、西脇の横をすり抜け脱出しなければ、俺らが組み立てた調和は狂う一方だ。

 なな子が出かけた。俺らは押入れに顔を突っ込み、ボロい釣り道具を用意していると、西脇が不調和に起きた。俺は、ため息をつきながら、

「シズク、先に行ってろ」

 と不調和を呪う。返事はない。見るとシズクの手には本があった。なな子の忘れ物か。

「ユガ、持って行ってやれよ。面倒片づけてから行くから。図書館、苦手だし」

 面倒が「酒ねえのか」と催促する。俺は頷き、家を出た。

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