表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギセイミライ  作者: _
# 3 屈折ノ味
5/21

-柘榴- 種(1)

 闇雲に狂気を求めていた。

 痛みの奥に忠実に潜む『カイラク』を剥ぎ、黒い穴を埋める為に。黒い穴は無数にある。闇は絶えず俺を罵り、ツイラクした俺を啄ばむ。

 偽のセカイで、完全なるニクタイを手にするまで。俺は。






「断る」

 芸能プロダクションの社長、横峯に向けて言った。俺の口の中のガムがクチャクチャと騒ぎ立てる。俺のバンド『マスタアド』を嗅ぎ回っていたのは知っていた。

「マスタアドは誰にも渡さねえ。特にあんたにはな」

 高級な皮張りの椅子に背を預けた女社長は、料理をしたことのなさそうなすらりとした指で、長い黒髪を掻きあげた。シーリングライトに照らされて、爪に施したラインストーンが反射する。指先を動かすたびにいちいち反応するそれは、俺の機嫌をいちいち損なわせた。

「うちを断ったら、よそでもデビュー出来ないわよ」

「俺にかかわるな」

 床にガムを吐き捨て部屋を出る。



 黒い穴が疼ク



 携帯を出し、番号だけの登録を探し電話をかけて、知り合ったばかりの女を呼んだ。ホテルに連れ込みすぐに ()る。初めは抵抗のフリをみせていたが次第に身をよじる。




 “チガウ” 




 コトを終えたあと、女は、ねえ、また会える? と囀った。

「ライブにくりゃ会えるだろ」

 余韻に浸る女を残しフロントに向かう。フロントのバイトは呆れ顔で、

「お前そのうち刺されるぞ」

 と戒めた。

「探しているんだ」

 俺の告解に、奴はカウンターの小さな窓から俺を覗いた。

「欲情の蓋」

 黒い穴を塞ぐ蓋を。

「ふう~ん蓋ね」

 小窓が呟いた。

「なあ。アリはメジャーになりたいか?」

「そりゃあな。だけどマスタアドでないと、ユガでないと意味は持たないな」

「すいぶんな過大評価だな」

 トレイに金を置き、そいつを掴む指先を見た。マスタアドのギタリスト・ 蟻砂(アリザ)の指は、しなやかに俺を評価する。蟻砂の指先の奏でる音律に、いつだって俺は自分の精神を高めることができた。それが身に余る旋律だとしても。

 ホテルを出て、歩きながら携帯の名無しメモリーを消去する。




 “チガウ”


 “黒イ穴ハ埋マラナイ”




 シズクに呼ばれていたから寄ったってのに。奴は寝ていた。ベッドの端に座る。シズクは俺の弟でありながら、俺を崇め俺を愛した。

 俺はどうだろう。俺は奴を愛したか?

 あいつに嫉妬していたわけじゃない。あいつのオモチャを横取りしたいだけだった。助けたかったわけでもない。あいつが憎かった。俺を創造したあいつが。

 だけど、手に入れたオモチャは、俺の与える刺激には、あの男に見せた苦悶の表情を見せないのだ。物足りねえ俺は、シズクの皮膚に墨を刺し、痛みに耐える顔を見てクロイアナという空腹を満たした。だが、それは一時的でしかなかった。

 今ではもう隙間がないほど墨に埋まった肌には、興味が疼かない。

 シズクが目を覚ます。怪訝な顔に向けて言う。

「マスタアドやめねえか」

「なにを言っているの?」

「歌いたくねえんだよ」

 あの女に盗られるくらいなら。

 シズクは起き上がり、タバコをくわえた。俺はライターを拾い、先端を焦がしてやり、息づいたそれを奪った。俺は普段タバコを吸わない。ボーカルとして喉のためにでもない。相変わらず、うまいとも感じないタバコの煙を吐いた。

「まったく、ガキのころから変わらねえな。その突拍子もない自己中」

 シズクの言葉はいつだって俺を苛つかせる。お前に言われたくはない。少なくとも今のお前にはな。

 昔のシズクはもっと自分を抑えつけていた。と言っても、俺がシズクを知ったのは小学五年になったときで、それ以前を知っているわけではない。






 梅雨の切れ間のジメジメした蒸し暑い日だった。

 見たこともない住宅街を抜けて狭い道を走るタクシーの中で、騙されたことにようやく気付いた俺は、不機嫌にガムを噛んでいた。

「病院へ見舞いに行く」という上澄みを飲まされ、このザマだ。朽ちかけた長屋の玄関で、朽ちかけの男と嘘つきババアが挨拶を済ませたところだ。

「なにか必要なものがあれば送るわよ」

 返事をしない俺を横目に、嘘つきババアは小さなバッグから分厚い封筒を取り出し、朽ちかけ男に手渡した。男は、笑みを隠しきれない表情で封筒を受け取った。

 玄関から出て行った母親を追いかける。

「俺を売ったのか?」

「西脇はあなたの父親。これからの生活費を渡しただけよ」

「俺の……父親?」

「そうよ」

 開け放しの門から出て行こうとする、母親の露出された背中が俺を制御した。

「あの男と一緒になるのか?」

 母親は足を止め、視線を伏せたまま、こちらに少しだけ顔を傾けた。表情ひとつ変えず、真っ赤な口紅から舌を覗かせ言葉を紡いだ。

「いいわね、これからは西脇悠我として生きなさい」

 そう言い切ると、振り向くことなく歩いていく。爪楊枝のようなヒールが、カツカツカツとアスファルトを削り、散れた石屑に一滴の雨粒が降りた。見上げると、灰色の雲が重そうな体をぐずつかせてひしめき合っていた。生まれる落雨は、母親の痕跡(残り香)を確実に消失させていった。

 雨液とともに、与えられた名前を噛む。無垢の舌触りは絶対者の味がする。

 家に入ると、俺の「父親」という男は酒を飲んでいた。男は封筒から三万円を出し、これで学校へ行くのに必要なもん買ってこい、と言った。俺は必要なものがわからないと答えた。学校に行ったことがないからだ。

「俺、学校に通えるのか?」

「ああ。そろそろシズクとなな子が帰ってくるから、一緒に買い物に行くといい」

 シズクとなな子?

「お前の兄弟だ」

 俺のキョウダイ?

 茶褐色のゴツゴツとした指から金を受け取り、ポケットにしまう。母親は、俺が外に出るのを嫌がった。家には専任の教師がきて、俺の知能指数はそのへんのガキどもより、はるかに高く仕上がっていたし、週の半分はトレーナーが迎えにきて、格闘技スクールに連れて行かれた。未知を知り、頭脳に整理する作業や、技を体得することは、なにより楽しかった。

 いまさら学校に行って勉強をしても退屈なだけかもしれないが、行ったことのない学校という場所は、そのときの俺には未知だったのだ。

「へえ。お兄ちゃんかあ。何年生?」

 シズクは愛想よく俺に話しかけてきた。頭は弱そうだ。妹の方は、学校に提出する俺の書類を見ていた。

「五年か。げ、担任最悪だぜ。西脇……悠我か。ユガにい、よろしくな。私とシズクは四年なんだ」

 荒い言葉遣いのなな子は、片方だけにできるえくぼの笑顔を向けた。二人とはすぐに打ち解けた。シズクもなな子も母親が違うらしい。

 西脇は無口な人だった。いつも酒を飲んでいた。昔は会社を経営していて、今より肉付きも良く、貫禄があったという。酒癖と女癖が悪いせいで、女といさかいになり、足を刺されたという。会社の経営は嫁が主導権を取り、「父さんは捨てられたんだ。バカだろう。この家に住む奴らはみんな捨てられて集まった者同士なんだ」シズクは笑いながら言い、「その刺した女ってのは俺の母親なんだよね」と続けた。西脇の左太股には確かに傷跡が残っていて、杖に頼り足を引き摺って歩いていた。出かけることもなく真昼間から酒を飲んでいた。

 買い物は俺たちが行き、食事も自分たちでこしらえていた。シズクとなな子は、生活費の中のわずかな金で飯を作っていた。俺は二人から飯の作り方を教わった。なな子は料理が苦手らしいが一生懸命だった。シズクは盛り付けもきれいで、色味にもこだわった。西脇がまともに飯を食っているのを見たことはない。酒があいつをかろうじて運営していた。

 四人で暮らすには狭い部屋だった。四畳半と六畳の部屋には仕切りがなく、もともとはふすまがあったようだが、シズクが言うには「父さんが暴れて壊した」という。

「暴れる?」

「前は、よく暴れていたんだ。今はそんなことないけれど……」

 シズクは、いつになく陰りを付着させて言った。

 ある夜のことだった。

「嫌」

 か細く、幾度となく繰り返されたシズクの声で目が覚めた。体を起こし、目を擦りながら見ると、隣にシズクの姿はなく、その向こうに、布団を頭からかぶり、四畳半の部屋をじっと見つめているなな子がいた。なな子の視線の先を追う。

 部屋の電気は消えていたが、テレビの明かりが西脇を照らしていた。西脇は、シズクに馬乗りになり、シズクの衣服を脱がしていた。ギュッと目をつむり、への字にしたシズクの口に、口を重ねた。



 ナンダアレハ?



 俺は目の前で繰り広げられている未知の映像に胸が高鳴った。やがて西脇は腰を動かし、シズクは苦痛に満ちた顔をした。

 俺は新たな未知を知る。苦痛に従うという未知だ。その顔は愛おしくも感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ