-ポケット-(キャンディ&ガム) 【min+gum】(ミントガム) (2)
日付が変わろうというときに、モモセは帰ってきた。兄貴に会えたからなのか、アルコールのせいなのか、上機嫌だ。すっかりモモセ仕様になっているソファーに座り、コンビニの袋からビールを出してテーブルに並べた。
「飲もうぜ。ハッカも明日、休みなんだろ?」
「つまみとかほしい?」
「うん」
冷蔵庫を覗き「チーズ食べる?」と聞くが返事がない。振り向くと、モモセは寝ていた。
俺はビールを一本貰い、部屋に戻り、高校の卒業アルバムを引っ張り出してモモセを探した。
「そうそう」
こんなだった。モモセといえばこんな暗いイメージ。クラスの誰もがモモセにつける形容詞だろう。けれどモモセは自分を偽っていた。自由ではなかったのだろうか。
文集を開く。席順のイラストとか、質問コーナーとか、クラスのやつらが盛り上がって作っていたのを思い出す。当時は面倒だと思っていたけれど、今になってみると貴重なものに思える。
百瀬なな子
【将来の夢】
デザイナー
【夢の理由・きっかけなど】
小さいころかわいい洋服とアクセサリーを買ってもらい、それを身に着けたら鏡に映る自分が自分じゃないような気がした
そのときの嬉しさから
【大切な物】
ハートのペンダント
ヘアピンだったけれど壊れたのでペンダントにした
妙にしんみりした気持ちになって、ビールを煽る。自分のところを見ると、将来の夢に「家業を継ぐ」と書いてあった。
別に夢だったわけではない。俺の家は花屋で、生まれたときから花に囲まれて育った。必然と手伝うようになり、ほかにやりたいことがなかっただけの話だ。
花が好きなわけでもなく、花は枯れていくときが一番美しいと思っていた。終える様を見るのが好きだった。綺麗に着飾った人たちが花を買っていく。花を買った客の後ろ姿に、その花が捨てられる瞬間を想像する。誰もが目もくれない朽ちる花を、俺は愛おしんだ。「捨てて」と言われるその花たちは、「朽ちる始まり」を開始する。そこからの終焉は短い。俺は、その目撃者になろうと、カメラで収めた。ブログを開設して、朽ちかけの、あるいは朽ち果ての花ばかりを載せた。
腐敗は伝染する。伝染し増殖する。花だけでは物足りなくなっていた俺は、いつも腐敗物を探して歩き回った。そうして俺の欲求は、あるものに導かれるようになる。
きっかけは、近所の建物が解体されると聞いて、カメラを持って向かったことから始まった。陽が落ちかけてはいたが、次の日から工事が行われることを知り、いてもたってもいられなくなったのだ。立ち入り阻止を促す看板がグラフィティに彩られ、意味なく立ちはだかる。
敷地内は思う以上に荒れていた。旅館だった面影はもう残っていない。破砕されたガラスが砂利と混ざり合い、歩くたびに靴底で鳴いた。雑草が生い茂り、鬱蒼とした雰囲気は、廃墟と呼ぶにふさわしい光景だ。肝試しにくる連中も多いと聞く。
俺はフラッシュが好きではないので、光源を必要とする室内は諦め、外観をカメラに収めていた。剥がれた壁。ガラスの割れた窓。節操のない落書き。暗さに輪郭が滲むまで撮り、そろそろ帰ろうと引き返したときだ。
影が 舞い降りてくる。
目の前を区切るように影は堕ちて、重々しい音を放ち、壊れた。そう、壊れる音だ。それは、腐敗開始の音。人間の。
俺は、ゆっくりと始まりを凝視した。
うつぶせで顔は見えない。長い髪が、パスタを鍋に放り込んだときのように散っている。スカートから伸び出た足先は、それぞれ別の方向にひん曲がっている。頭部から血が線状に流れていく。意識の無い肉体は、色味の無い風景の中に溶け込み、意思の無い影となり、そこに在る。
俺は探した。
どこだ?
めり込んだ顏からなのか、脳から飛び出した肉片からなのか、それとも内臓からなのか。朽ち始めるその瞬間を探す。
そうして影は、暗闇の中にさらに溶け込み、見えなくなった。闇に密閉されたかのように。
メールの着信音が鳴る。俺は文集を閉じ、携帯電話を掴む。
みっぺーからだ。
code8,貴方ノ最期ノ欲望ヲ叶エマス
code8とは、俺のハンドル名だ。みっぺー言語は、いつも漢字とカタカナの組み合わせの短文体で謎めいていた。場所が記されている。
闇ヲ 切リ撮ルガイイ
闇ガ ヒカリニ吸収サレル前ニ
みっぺーと会えるのかとメールを送ったが、返事はなかった。俺の『最期ノ欲望』を叶える? 俺は本当にみっぺーに密閉されてしまうのかもしれない。みっぺーの部屋は、前に一度ブログに掲載されている。大小さまざまな密閉の瓶が、規則正しく並べられていて、まるで博物館のようだった。瓶の中から眺める景色はどんなものだろう。俺はそのひとつになることを考えている自分に気づき、笑った。くだらない。
モモセを起こさないように、そっと家を出た。外は完全な朝になろうとしていた。自転車置き場に行くと、迩乃の姿が見えた。
「行こう」
声をかけると、迩乃は笑顔でうなずいた。少し肌寒いくらいだが、漕いでいるうちにちょうど良くなるだろう。
みっぺーとは、文章で付き合ってきただけの同士なのかもしれない。だけど、俺たちにしかわからない腐敗感覚を共有しているように思う。坂道に差し掛かり、立ち漕ぎをしながら思い出した。みっぺーに、飛び降り死体のことを話したことがあった。
もう一度死体に遭遇してみたい
今度はちゃんと写真が撮りたいな
ソノ時ハ eight氏ノ撮影ガ済ミ次第 僕ガ密閉ノ儀式ヲ施ス
なんて、冗談交じりのやりとりをしたことがあった。まさかな。
「ここか」
普通のマンションだ。いや、俺のマンションよりは、はるかに高級だ。鍵ハ開イテイルはずだ。ドアを開けると、暗闇が俺の視界を奪った。携帯電話のライトで、室内の電源を探し、スイッチを押したが、反応していない。
「みっぺー?」
闇の中に吸収されていく、弱々しい明かりとcode8の声。中に入り、指示された、突キ当タリノ扉を開ける。扉を開けてもそこは暗闇だった。どこまでも闇が広がっているような気がした。
「みっぺー」
もう一度、名前を呼ぶが返事はない。ライトを壁に向け確認する。一面に密閉物が並んでいる。間違いない。ブログで見たみっぺーの部屋だ。床、壁、天井、カーテン、ライトの先はどれもが黒で、すべてが黒で、闇だった。ここは部屋そのものが密閉なのかもしれない。みっぺーは、この場所で自分自身を閉ざし、黒を求め続けた。圧倒的な強さの黒を。みっぺーに足りない黒とは、強さなのだろうか。
テーブル脇に、黒いなにかの塊がある。黒い衣服……人だ。人が横たわっている。
みっぺーなのか?
近づいて、はっとした。……女。それも知った顔だ。アイドルの沢村ミナだ。俺の脳のフリルが混乱している。本当にこの子がみっぺーなのだろうか。
ライトの先が赤い光沢を捉えた。包丁だ。刃先が俺の心を抉る。
「連絡するの?」
迩乃が、救急番号を打っている俺の携帯電話を覗く。
「まだ間に合うかもしれない」
「逝きたがっているのよ。この子のためには、連れて逝ってあげたほうがいい」
「けれどまだ生きてる」
脈は、かろうじて動いていた。みっぺのメールに書かれていた住所を告げて手配する。
「腐敗の始まりを見ないの? この子も自由がなかった、機械のアイドルなのよ」
「だとしても」
俺は、こぶしに力を込めた。
「みっぺーの未来は、未来のみっぺーのもの。現在のみっぺーが奪ってはいけない。わかるか? 迩乃。俺たちは、みんな未来の自分の犠牲者なんだよ」
暗闇にノイズが走った気がした。
「迩乃?」
暗闇ではなく、迩乃にノイズが生じていた。
「そうね。私にも未来があったはずなのに。奪ったのは私なのよね」
迩乃は一度だって涙を見せたことはない。いつも強気で、いつも笑顔だ。
今も、笑顔で、それなのに泣いている。
「あなたに触れたい」
迩乃の皮膚が溶けて、瞳が音もなく割れた。そこから血や蟲が溢れてくる。迩乃がどんどんノイズに掻き乱れていく。最後に見た迩乃と同じ、暗闇に閉ざされていくようだった。迩乃は両手で顔を覆う。指の隙間から蟲がぽろぽろと零れている。
「 影…… 斗……」
朽ち果ての再生は、瞬く間に迩乃を溶かした。携帯電話の光が消え、俺の指先は闇を掴んだ。
怖い。
闇が怖い。これほど闇を怖いと思ったことはない。俺は闇に座り、みっぺーの手を包む。冷たい。冷たいけれど、触れられることに安心した。
大丈夫だ、始まらせない。
迩乃は、綺麗な花を買いにくる綺麗な客だった。良質の物を身に纏い、高価な花束を買っていく。だが、迩乃の後ろ姿に、花を捨てる空想は出来なかった。花を活けることはあっても、捨てるのは使いの者がしているほどのお嬢様なのだ。
「あのお嬢さんはやめろ。格が違い過ぎる」
広げた新聞のせいで、親父の顔は見えない。
「お得意様なだけだよ」
「店にくるのは構わないが……外で会っただろ」
「偶然だよ。偶然会って、食事に行った。つーか格ってなんだよ今どき」
「奥様が来たんだよ。娘は結婚します。これ以上、娘に近付くのをやめてただけますか、だそうだ」
「近付くって……なにもないよ」
「それだけの家柄ってことだ。もうここにはこさせないだってよ。あ、いらっしゃいませ。いつもどうも」
親父は笑顔で立ち上がる。本当に花が好きな人だと思う。花が好きで、人と接するのが好きで。親父には無駄な愛想笑いなどひとつもないような気がする。迩乃の母親に頭を下げさせたとすれば、それは俺がさせた“無駄”だ。
迩乃とは、本当になにもなかった。偶然会って、食事に行ったという“装い”以外は。迩乃にいいなずけがいることは知っていた。恋愛をしたことがないという迩乃は、
「一度でいいからデートというものをしてみたいの」
と、言った。
そうですか、俺はいつものように花をアレンジしていた。
誘っているんです、迩乃は言った。
「そうですか……えっ?」
そのときのアレンジは、めちゃくちゃだったと思う。なんの花を選び、何色のリボンで束ねたのかも覚えちゃいない。
たった一日、たった数時間だけれど、お互いを名前で呼び合って、本当の恋人のように過ごした。といっても、食事、映画、ショッピングと、ありきたりなデートをしただけだ。帰り際、今までで一番幸せだったと迩乃は言った。そのときは、大げさだよ、と笑ったけれど、今になって思えば、迩乃は、氷の張りついたような悲しげな笑顔をしていた。
数日後、迩乃の死を知った。廃墟を買い取ったのは、迩乃の父親だった。迩乃の新居を作る予定だったらしい。その場所で迩乃は飛び降りた。
工事は始まることはなかった。俺はその場所に花を手向けようとしたが、迩乃のことを知らなすぎた。花を注文するときは、いつもおまかせだった。好きな花の種類も、色も、俺は知らない。どんな花束を渡しても、迩乃は嬉しそうに笑うのだ。
結局、いつものようにおまかせの花束を作った。デートのときに履いていたヒールの色と同じ青のリボンを結ぶ。迩乃の笑顔が重なる。
昼の廃墟は、以前とは違った顔をして俺を迎えた。迩乃が亡くなった場所には、沢山の高価な花が添えられていた。迩乃にとてもよく似合う、気品のある花たちだ。
お嬢様だとか、格の違いだとか、俺には関係のないことだった。迩乃の笑顔が見られれば、それでよかったのに。
そのとき、風が俺を撫でるように通り過ぎていった。それは奥へと流れ、一瞬、青いヒールが見えた。
迩乃だ。
俺は迷わず追いかけた。迩乃の気配は外階段を上がって行く。花束から花びらが散っていくが構っている余裕はない。息を切らしながら屋上に着くと、迩乃が飛び降りようとしていた。
「迩乃!!」
と呼んだ。迩乃が振り返る。側に行くと、おだやかな表情をしていた。いつもの飄々とした迩乃だった。
「ずいぶん、悲しい顔をしているのね」
誰のせいだよ、と思いながら、額の汗と悲しい顔とやらを拭う。
「死ねないの」
美しい顔で、哀しい言葉を紡ぐ。
「何度も飛び降りたの」
「でも、死ねないの」
「何度飛び降りても、死ねないの」
俺は、迩乃に、
「もういいんだよ」
と告げる。迩乃は俺の手元のぼろぼろになった花束を見て、
「綺麗ね」
とつぶやいた。
「私に? 私、死んでるの? そう」
迩乃はあっけらかんと笑った。
「俺、いたんだ。迩乃が飛び降りた場所に。だけど迩乃だって気付いてあげられなかった。そして、逃げてしまった」
「それでよかったのよ。あの場にいたら、両親が勘違いしてあなたになにをするかわかったものじゃない。私は機械化された人間だった。自由は許されない。好きな人に好きという言葉も伝えられないの。人を好きになってはいけないの。私が好きにならなければならないのは、機械という人間。人間という名の機械なのかもね。私はもう人間でも機械でもなくなってしまった。だけど機械でいるよりはずっといいわ」
「それでも、生きていて欲しかった」
「機械でも?」
「機械になんか俺がさせなかったよ」
「無理とわかっていても、嬉しいわ」
迩乃は微笑んだ。
それから、毎日を迩乃と過ごした。誰にも迩乃の姿は見えなかった。すれ違った迩乃の母親にも、自由になった迩乃を見つけることは出来なかった。憔悴しているせいではない気がした。生きているときも、迩乃を見つけようとはしなかったのだと思う。迩乃は、立ち止まり、母親が通り過ぎるのを待った。
写真に迩乃の姿は映らなかった。ウミウシを踏むヒールは、ただの花の写真だったし、レンズを遮った手も映らず、なんてことのない、飛行機雲の風景写真が残っただけだ。
「強気で映らないようにしているのよ」
と迩乃は言う。
「じゃあ、強気で俺に触ってよ」
迩乃は俺に近付く。白い肌も長い睫も、一度だって触れたことがない。椿の花びらのような唇が近付いてくる。
迩乃は強気で、俺を通り過ぎた。
俺の定義でいうところの、“普通”な毎日が戻った。
モモセは、ライブで知り合った女の子と一緒に暮らし始めた。今日は、オムライスを作ってくれるという。
「なんで正装なの。今日はスィのライブじゃないんでしょ」
マニキュアはしていない。白いリボンが施された黒いエプロンを身に着けて、なにか儀式をはじめそうなモモセが、冷ややかな視線で言う。
「誕生日だろ、おまえ」
料理を作る魔術師の後ろ姿に、俺は、 現在を見つめる。
出来上がったオムライスの頂上には、ドクロの旗が君臨していた。フォークを突き刺す。ケチャップの下に、薄焼き卵と真っ白なライス。濁らない断層を頬張る。
モモセはフォークを見つめている。唇にケチャップが付いていた。俺は鉄格子から身を乗り出し、強気でその赤を唇で拭った。
「死刑だぞっ」
怒りながら照れている。香水をつけていないモモセは、いつもと違う匂いがした。
「ハーブの匂いがする」
「ああ、さっき、これのためにママのところに行って摘んだから」
モモセは人差し指をオムライスに向けて、ふりふりしている。
「え? 隠し味?」
「うん。初めて食べたママの料理がオムライスだった。それがすっごく美味しくて、教わった」
だから、モモセの作るオムライスはひと味違うのか。ほかのも教わればいいのに。
「それより、ハッカ。おまえ、死刑だぞ。終身刑」
「うん、そんな不自由もいい」
「バカか」
モモセは顔を真っ赤にしてうつむいた。胸元のハートのネックレスがかわいらしく揺れた。
相変わらずモモセはモモセらしく生意気だ。この先もしばらくは、オムライス以外は魔界食のままなのだろう。断層は濁らない。
俺はパソコンに向かい、写真の整理をした。
一直線の飛行機雲
花は咲き朽ちる
ウミウシが海へ帰る
ゴスロリの女の子が風船ガムを膨らませている
沢村 湊というアーティストが歌っている
解放された瓶に、羽が舞い堕ちる……「儚く」と題されたこの写真を最後に「密閉ブログ」は停止したままだ。
すべての写真を、不自由という名前の 檻に入れた。
俺のブログは、海面から“生”が羽ばたく瞬間の写真を載せて放置したままだ。コメント欄は、新しい物語りが始まっている。
これからも俺たちは、儚い檻の中をもがいていく。




