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ギセイミライ  作者: _
# 6 闇ト毒ノ味
20/21

-ポケット-(キャンディ&ガム) 【min+gum】(ミントガム) (1)

 この世のすべてを「不自由」という名前のフォルダに入れる。

 いつでもそのフォルダに縛られている。

 生きている限り。






 腐った臭いがする。

 見渡すと、生い茂った草と同調するかのように伸びる猫の足が見えた。草は風に洗われるたびに穂先をなびかせるが、猫の足は“生”を止められた時間に貼りついたままでいた。草むらの隅に添えられた棒切れの風景に過ぎなく。俺は、その風景に割り込むかたちで覗き込む。



 横たわる、黒い猫。

 湧く、蛆虫。

 静のクロと、蠢く動のシロ。



 シャッターを切った。



 きゃ! と跳ねた迩乃(ニノ)が、俺の背後に隠れて、「気持ち悪い」と言った。

「どっちが?」

「どっちがって、なによ?」

 と、口を尖らせる。

「猫の死体になのか、蛆虫になのか」

 俺の屁理屈に、迩乃は、

「両方よ。それを撮っているあなたもね」

 そう言い捨てて歩いていく。俺は迩乃の背中を追う。迩乃に向けてカメラを構える。迩乃はやめてよ、と振り向きもせずに言う。

 俺は独りごちた。

「腐ってんだよ」



  ニンゲンノ脳ガ…



 腐敗した悪臭は、そよぐ風に追い払われ、入れ替わりに、近くの中華屋の香ばしい匂いが立ち込めた。道路脇の椿の花がエビチリの風に散る。けたたましい音を奏でて、飛行機が頭上を飛んでいった。迩乃が空を見上げる。俺は、風に沿う迩乃の髪先を見る。青空を遮る黒い髪。どの飛行機雲よりもきっと、気が強い。

 足下を見ると、ウミウシみたいな色の花がたくさん落ちていた。迩乃のヒールが、ウミウシをギュッと踏みつけているように見えた。

「動かないで」

 群青色のヒールにレンズを向ける。

「エビチリ食べにいかない?」

 シャッターを切りながら言うと、迩乃は、お腹空かないもの、と返事する。スカートからすらりと伸びた足を、ファインダー越しに見上げた。迩乃の手がレンズを覆う。同時にシャッター音が鳴った。迩乃は写真を撮らせてはくれない。意味が無いことだわ、と迩乃は言う。もっとも、俺が撮りたい対象物は綺麗なものではないのだが。

「もっとかわいい子を撮ればいいのよ、たとえば」

 迩乃はあたりを見回す。信号待ちで停止した車から、大音量のミュージックが流れてくる。今売り出し中のアイドルだ。ピンクのふりふりの衣装を着けた『沢村ミナ』は、テレビをつけても、コンビニに整列する雑誌の表紙でも、駅の柱でも電車の中でもショーウインドウでもどこにでも現れて、おかげで俺の脳のヒダまでフリル化されたような気がする。ポップな音楽が流れてきて、

「そう、この子みたいな」

 と曲に合わせて、迩乃が歌う。

「かわいいけれど、興味はないよ」

 興味はないけれど、車が発車したあとも、俺の鼻歌は歌いこなせている。

 毎日欠かさず更新している写真ブログに、猫と蛆虫の写真を載せた。俺のブログは、腐った花とか排水溝の濁りだとか、一般的には綺麗とは言い難いものを好んで貼っている。ブログというより『グログ』だ。賛否両論の意見の戦いが飽きもせず、コメント欄でくり広げられている。俺のブログが常に上位に留まっていられるのは、否定派たちが俺の写真を冷静に評価するおかげなのだろう。

 俺のブログとなにかと比較されているのが、『密閉ブログ』と呼ばれているブログだ。なんでもかんでも密閉した写真で構成されている。道端で拾ったという動物の死骸のときもあれば、かわいらしいぬいぐるみのときもある。服、機械のパーツ、花、種。あらゆる対象物が、なにかの液体に浸され、瓶の中に閉じ込められている。プロフィール欄には、「みっぺー」とだけ書かれている。

 みっぺーは、俺のブログの第一号の読者でもある。俺の一番の理解者だと言ってもいいだろう。みっぺーはコメント欄を開示せず、誰とも交流をしていないらしいが、俺とは時々メッセージのやりとりをしている。






 高校を卒業して、俺は就職した。

 いたって「普通」な職業について、いたって「普通」に自立している。可もなく不可もなく生きている、つもりだ。グログ以外は。

 カメラを片手に川沿いを歩く。旬な澱みを探すのが日課になっていた。

「ハッカ」

 高校時代のあだ名を呼ばれて振り向いた先に、知っている顔はなかった。そこにいるのは、俺を見つめている明らかに俺とは別物の人種。



 ゴ ス ロ リ



 呟いた。

 心の中でだが。俺には異国物語のキャラクターぐらいに縁遠いものだ。傘、髪飾り、目を囲むアイシャドー、丸みあるスカートと靴、すべてが黒で統一されていて、白いリボンやアクセサリーが施されている。動のクロに、動のシロだ。傘がくるりとまわる。甘い香りが漂った。俺はなにかの魔術をかけられたかのように動けないでいた。艶のある唇が開く。

「同じクラスだった、モモセだよ」

「モ、モモセ?」

 どう見ても俺の知っているモモセではない。

「驚いているね」

 フフンとモモセは鼻を鳴らし、ガムをクチャクチャと音を立てて噛んでいる。

「俺の知っているモモセはもっとこう、普通で……どっちかっていうと真面目寄りで……」

「おまえの普通の定義ってなんだよ。私は昔からなんも変わってねえよ。あのころは本当の私ではいなかっただけ」

 モ、モモセ……

 モモセといえば、いつもひとりで行動し、いるのかいないのかわからないような目立たない存在だった。話すことはあっても、口数は少なく会話は続かない。あのモモセが、息継ぎもせず「おまえ」とか「ねえよ」とか、ガムをくちゃくちゃさせた唇の隙間から言っいる。

「そ、そうなんだ」

 魔術が解けた俺が返事をする。

「モモセは今、なにをしているの? 仕事は?」

 とりあえず、いたってありきたりな質問をあてがう。

「事務の仕事してるよ。ハッカは?」

「花屋で働いている」

「へえ。いいじゃん。やっぱり稼業継ぐの?」

「どうかな。わからない」

「ところでハッカ、あんた一人暮らし?」

「そうだよ」

「彼女いる?」

「なに……突然……」

「いるの?」

 早く答えろよと言わんばかりに、モモセはまくしたてる。

「一応……」

「じゃあ、悪いけど今日泊めて」

「は? 確認の意味なくない?」

「悪いけどって言った。頼む! 今日泊まるとこがないんだ」

 俺は再び、魔術をかけられた。






 こうして俺は、モモセであるようなモモセでないようなモモセに押されて、『今日』どころか、モモセが来て一週間が経つ。



 黒ヲ探シテイル

 圧倒的ナ強サノ黒ヲ



 みっぺーからのメールを読み、辺りを見回す。黒か。

「なにしてんだ? 食事中にメールなんて失礼だぞ」

 ごめん、俺は携帯を置き、山崩し途中のオムライスにパクついた。頂上の旗がぐらつく。

 モモセは俺を見ていた。モモセの瞳の色はマジックペンで塗り潰したように黒く、大きくて、死んでるみたいで、

「こぁい」

「ドールアイだよ。ド・オ・ル・ア・イ。んもうハッカにはこのかわいさがわからないかなぁ」

 ドールアイだかなんだか知らないけれど、モモセの素の薄い瞳は吸い込まれそうなほど魅力的なのに、どうしてわざわざコンタクトレンズで塞いでしまうのだろう?

「呼吸は出来るの?」

 俺のマヌケな質問に呆れたのか、ぐりぐりと黒縁取られた目で俺を脅し見た。瞬きをするとバサバサの睫毛が風速3を扇いだ。

 モモセは、ビジュアル系のバンドに入れ込んでいる。初めはモモセがなにを言っているのかわからなかった。「V系」とか「バンギャ」とか、「ギタボ」なんてメタボと連結して、内臓系の病気かと思った。∽PRAY(スプレー)、通称スィというビジュアル系のバンドが好きで、ギターボーカルのキルのファン、そしてファンはミラーと呼ばれるということまでは把握した。

「スィのためなら給料全部注ぎ込んだって構わない」と、風速0の顔で言う。

 モモセは何度かご飯を作ってくれた。見た目で「不味そう」という感想を持ったのは初めてだった。ミートスパゲティを作ると宣言したときも、出来上がった料理は「スープパスタ」に変更されていて、ハロウィンだったっけとカレンダーを確認するほどの色素をしていた。

 今日の食卓も、ハロウィンを迎えていた。

 俺は呼吸を整え、

「よし」

 と覚悟を決めて挑む。モモセが俺を見ている。俺は舌の上にある不調和な固形物の確認をする。

「これなに?」

「知りたいの?」

 俺の喉がごくりと返事した。

「毒蜘蛛か……コウモリの眼球かも」

 本当に入ってそうで怖い。

「どんな味?」

 モモセが返事を待っている。

「未来の味」

「いつも魔界食って言われるんだ」

 おっしゃる通りです。俺は水を滑らかに飲んで舌を清めた。

「未来の味かあ。ハッカいいこと言う。そうだよな、未来になったら、私の料理が美味しいのかもしれない」

 ないと思うよ。

 けれど、どういうわけか、オムライスだけは、まとも以上で極上のおいしさだった。

 今日の夕ご飯は、あやうく魔界食になるところだったが、オムライスを切望し、平和な食卓を囲んでいる。お手製のケチャップソースを毒々しくかける。そのためにご飯は白い。オムライスにはスプーンだと思っていたけれど、モモセは絶対にフォークだと言い張る。

「ねえ、モモセ」

 モモセは俺を見ている。モモセの癖なのだろうか。凝視するように俺を見つめている。

「モモセ」

「あ、ああ、なに?」

「親は、大丈夫なの? 帰ったり連絡取ったりしてるの?」

「私、親いないの。知ってる?」

「……知らない」

「だよね」

 え、終わり? モモセはフォークを見つめて言った。

「これって、鉄格子みたいだと思わない?」

 モモセはフォークを掲げて、

「ハッカから見て私はどっち側?」

 と聞いた。

「自由」

「じゃあハッカは檻の中だね」

 鉄格子の隙間から、モモセの黒い瞳が見えた。圧倒的に黒く、強い視線を持っている。

「私、叔母に引き取られて育ったの。でも、やっぱり他人で。いい子装うしかなかった。私にはバカな兄貴がふたりいたんだけれど、兄貴たちと暮らしていたころが一番私らしかった。兄貴は、私の幸せを考えて、叔母に預けたんだ。ま、幸せだったんだけれどね。叔母、結婚したから、なんつーか、家を出た。連絡はしてるよ。高校んときの私みたいな話し方で、さ」

 一瞬、高校生のモモセが俺の脳裏をよぎった。いまだ、目の前のモモセとはだぶらない。

「今、目の前にいるモモセも、モモセらしいんじゃないの?」

「ん? そうだな」

 モモセが笑う。モモセはあまり笑わない。たぶん、必要以上に笑わない。接客業のせいか、つい愛想笑いをしてしまう俺は、今までいくつもの無駄な笑いを提供してきたことか。笑いたいときに笑い、言いたいことを言うモモセのようにはなれないけれど、少し羨ましくも思う。モモセはもう食べ終わり、ソファーに横になって、V系の雑誌を読んでいる。ときどき、噛んでいるガムで作る風船がパチンと割れる音がする。

 オムライス島の最後の山にフォークを刺すと、頂上の旗がぐらりと落ちた。どこで見つけてくるのか、黒地の旗には蜘蛛の糸が書いてあり、虫が囚われている。気味の悪い旗も、鉄格子のようなフォークで食べるのも、思うほど悪くない。  

 俺は、旗を写真に撮り、みっぺーに送信した。みっぺーは、どんな黒を探しているのだろう。そして、それを閉じ込めるのだろうか。みっぺーに閉じ込められたら、瓶の中から見るみっぺーは、自由に見えるのだろうか。瓶の中は窮屈なのだろうか。それとも。



 俺が送信した旗の写真は、次の日、瓶の中に浸されていた。

 それきり、みっぺーからのメールが途絶えた。俺は仕事が忙しく、ブログを更新する時間を消失していた。モモセが来て以来、調子が狂ったというか、写真を撮ってすらいなかった。撮りたいものを消失しているのかもしれなかった。撮りたいもの……。部屋の中を見回すと、モモセが視界に入ってきた。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、不機嫌そうだけれど、モモセはこれが平常だ。愛想は良くなくとも伝わってくる。モモセという人間は優しくて強い。生に満ちあふれている。それを楽しんでいる俺がいる。方えくぼができる笑顔を撮りたいとさえ思う。

「ちょっと出かけてくる……なに見てんだよ」

「いつもより物足りない気がする」

「今日はスィのライブじゃないから正装ではないの。兄貴がバンドやってて、いつか見たいなって思ってたんだけど、気が引けるっていうか。たまたま友達にライブ誘われてさ、こっそり見てやろうかなって」

「声かけてみたら?」

 モモセの黒ずくめの後ろ姿が固まった。よけいなことだったか。

「……あのさ」

 なんだよ、俺は返事をした。

「ハッカって、本当に彼女いるの?」

 疑問に思うのも仕方がない。モモセが来てから一度だって、彼女らしき存在が姿を現したことはないのだから。黙っていると、「まあ、いいか。じゃ、行ってくる」とモモセは振り向き手を振った。

 モモセが出かけ、俺はパソコンの前に座る。すっかりブログを更新し損ねていた。一度サボり出すと、癖がつく。

 久しぶりに開いたブログは、コメント欄がたっぷりと埋め尽くされていた。いつもの戦いが繰り広げられていたが、途中から両派とも俺の病気を心配するような流れになっている。このまま下にスクロールすれば、俺はいずれ死に至るだろう。

 ……どうやら俺はみっぺーに密閉されているらしい。そして、そのみっぺーのブログも途絶えていることを知った。みっぺーは、密閉した俺の隠し場所を探しているためにブログの更新が出来ない。閉ざされた中で、俺は息を引き取った。

 物語はどんどん進んでいる。みっぺーは犯罪者となって賞金をかけられている。賞金はどんどん上がっている。だが、誰もみっぺーのことを知らない。俺もだけれど。

 死者の俺は、完全犯罪者みっぺーのブログ、「ニンゲンノ脳ガ…」というタイトルをクリックする。俺を密閉した瓶がUPされていないかとも思ったが、そんなものはあるはずがない。

 確かに、あの旗の写真を最後に、更新が途絶えていた。みっぺーも対象物が見当たらないのだろうか。

 俺はみっぺーにメールを送った。

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