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ギセイミライ  作者: _
# 5 反射ノ味
16/21

-I scream-(1)

 手触りはそう悪くはなかった。

 同情心のない鋭利なとげがぼくの指先を噛んだ。裂ける痛みのなかに、生の実証を得た。

 なんだ? 

 生きている?

 指先を確かめるが、闇に噛まれたあとなどなかった。

 それより。

 身動きができない。腕に絡み付いているチューブをたどると、透明な液体が入ったパックと繋がっていた。

 闇はぼくを吸収せずに消えていったのか。






 自分の肉体をもてあまし気味に、パックに貼られたシールの印字を読んだ。

「イイダ キル」

 ぼくの名だ。

 声に出したつもりだが、唇が動いているだけなのかもしれない。いや、心がつぶやいているだけなのかもしれなかった。パックの液体は三分の一ほど残っている。チューブを折り返す。細い線をくだると、小さな空間があり、液体がポタリポタリと落ちている。落ちた液体は、またチューブに飲み込まれ、ぼくの体内をめぐる。規則正しく落ちゆく滴に、いらだちを押し付ける。あるいは、意識が飲み込まれているのは、安らいでいるのか。

 呼吸のなかに、そっとため息を忍ばせた。

 また「一々雫祈流(イイダキル)」に戻らなくてはならない。そんな懸念の上に、「KiL」という名の、「もうひとりの自分」の骨格が押し寄せる。

 視線を天井に向けた。薄青色のカーテンを吊るレールの足が、触手のように天井に張り付いている。

 ゆっくりと目を閉じた。

 闇を照らすいくつものライト。光の先は重なり合い、濃い霧となって漂っている。ぼくを触ろうとする手が見える。黒い爪、目ん玉の指輪が付いた指、指、指……が、ぼくを闇の中に引きずり込もうとする。

 おまえらは誰だ。

 ぼくになりたいのか?

 黒髪と黒いアイメイク、口のピアス、舌のピアス。ぼくを真似るミラーたち。

 触手がぼくの手を蝕む。

 ふりほどくことができない。

 ぼくは誰だ。

 触手がぼくを噛む。

「……さん、……一々雫さん……」

 目を覚ますと、看護師がいた。

「大丈夫ですか。ずいぶんうなされて」

 看護師はタオルでぼくの額を拭った。ぼくは呼吸を整えカーテンレールの足を睨んだ。

「体も拭きますね」 

 連星が彫られた胸元が()く。

「なんにちだ」

「え」

「ぼくがここにきてなんにちが経った?」

「ふつかです」

「……ふつか? 新聞……新聞見せて」

 ぼくの呼びかけを無視して、看護師は体を拭いている。

「ねえ」

 返事はない。たまらず彼女の腕を掴んだ。同時にぼくの胸に涙が落ちた。

「マリア」

 マリアはなにも言わず、再び体を拭き始めた。ぼくは腕を離した。

 静かな時間が流れていた。

 胸が衣服におおわれる。固い生地の下で、心音が規則的に揺らいでいるのを感じた。

「今、新聞をお持ちしますね」

 マリアは口端に笑みを浮かべ、部屋を出て行った。



  人気ビジュアル系バンド∽PRAY(スプレー)

  ギターボーカルの『KiL』自殺未遂



 おおげさな見出しの隅に小さく「!?(ダブルダレ)」のマークが記されている。

 記事によるとぼくは薬物依存症であり、過剰摂取により意識を失い倒れていた。らしい。連絡が取れないことに不審を感じたマネージャーが部屋を訪れると、ベッドに横たわるぼくがいた。らしい。そばには多量のトランキライザーとアルコールが転がっていた。らしい。病院に搬送されたが命に別状はない──らしい。

 いつものように、蔑む視線をぼくに向けて、ソルが聞いた。

「どう?」

「なにが」ぼくは新聞を畳みながら返事をする。

「気分だよ」

「おまえは?」反対に、ぼくが質問をした。

「俺?」

「ぼくが死んでもおまえはなんとも思わないんだろうな」

 ぼくは、四分の一に畳んだ新聞を見た。いや、見られていた。KiLに。四分の一からのぞく、ぼくであってぼくではない、冷ややかなKiLの視線に。

 ソルはぼくになんか感心のないように、外の闇を見つめ、言った。

「やめたいの?」

 ぼくはまた、呼吸のなかにため息を忍ばせた。ソルのまえではいつもこんなふうにして、さりげないため息を混ぜた、ぎこちのない呼吸をしている。

 やめたいのかな……

「おまえの代わりなんかいくらでもいる」



 ソルに在るもの。

 無だ。



 ソルは人形みたいに無表情で、心が空洞なのだ。ぽっかりと開いた穴の向こうに現実が揺れる。ソルの心を素通りし、ぼくは立ち止まり振り向いて確認する、ソルには無が在していることを。

「ソル、おまえ、ぼくの指を噛んだか?」

「指?」

「いや、なんでもない」

 ソルはぼくの指先を見て言った。

「俺だったら酷薄に噛み千切るね。おまえのダダリオ臭い指」

 人形は、社会に作られ踊らされている造形物のぼくのほうなのかもしれない。

 初めはおもしろかった。黒装束のイメージのなかでバンドを作り上げた。ぼくはKiL像を演じているだけにすぎない。着飾ったぼくだけが取り残されている。

 ぼくはいったい、なにになりたかったのだろう? 

 KiLという仮面の下で、ピックを噛み砕く。その残骸を求めるミラーたちをぼくは蹴りたい。ミラーの髪を引き千切り、まぶたを切り取り、ピアスを削ぎ、爪を全て剥がしたい。それを奥歯で噛み砕き、おまえたちに吐き出してやる。

 だが、ぼくには爪を拾う指がなかった。

「やめない」

 ぼくの言葉に、ソルは赤い眼球をぼくに向けて、冷笑さえ浮かべず(いつだって浮かべないが)、蒼白な顔で、

「そう」

 とだけ言い、部屋から消えた。

 布団の上に、ソルが吐き出したぼくの指先が見えた。

 ぼくは所詮、死ぬ覚悟も、ソルから逃れる勇気もないのだ。



 ぼくに在るもの、ソルだ。



 退院しても、騒動は嫌気がさすほどぼくを付きまとった。

 今日は急きょのライブが入り込んだ。出演予定だった知り合いのバンド、『マスタアド』のメンバーが事件を起こしたらしく、そいつらの穴埋めのために、ぼくらのバンドが出演することになった。どーりでマンションのまえに報道陣も記者もいないわけだ。

 マンション下のコンビニでジュースを買い、飲みながらのんきに歩いていると、マネージャーからの電話が鳴り響いた。

「早くきなさいよ」

 なよなよ成分が多めに含まれた口調にさいそくされる。

 KiLに変身するには、結構な時間がかかる。メイクやヘア、衣装、それぞれの担当者が、入れ代わり立ち代わり群がってぼくをこねくり回し、KiLが完成する。

 電話を切り、ジュースを一気に飲むと、炭酸成分が喉の奥を過剰に刺激して、軽くむせた。

 暑い。

 メガネを外し、キャップを脱いだ。こんなの着けたところで意味はなかった。変身してないぼくは、ただの一々雫祈流(イイダキル)という人間にすぎないのだから。

 ライブハウスに着くと、ガラス張りの扉の前で、ちょうどソルとすれ違った。ぼくはソルの赤い眼球をつかまえようと、

「ソル」

 と名を呼ぶ。

 ソルは立ち止まり、抑揚のない眼球にぼくを宿らす。

「マリア、どこに行ったか知らない?」

「聞いてるの」

「ソル」

「なにか知らない?」

 ぼくは立て続けに質問をぶつける。

 ソルは、

「さあね」

 と、ドアにかけた手を押した。が、なにかに気付いたのか、振り返った。

「今日、命日だろ」

「めいにち?」

 ぼくは首をかしげ、 

「誰の?」

 と聞いた。

「知らないの?」

「知らない」

「実家にでも帰っているんだろ」

「実家ってどこ?」

「知らないの?」

「……知らない。どうしてマリアはなにも言ってくれないんだろ」 

「知るかよ」 

 どうして、ソルは知っているの?

 そう言いかけたときにはもう、ソルとぼくとの間に薄ぺらい扉がへだたれていた。控え室に入ると、バンドのメンバーは全員そろっていた。

「マスタアド、今度はなにしたの?」

 マネージャーがぼくから荷物を剥いで、ぼくを椅子に押し込んだ。メイク担当者のえじきになりながら、マネージャーのひげ面から発せられる、なよなよした返事を拾う。

「蟻砂君が高校生に暴行したみたいよ」

「本当?」

 信じられなかった。ケンカなんかするやつじゃない。もし、それが事実なら、そこに向かわせるなにかがあったとしか思えない。マスタアドのほかのメンバーは、よく問題を起こしてはワイドショーや雑誌をにぎわせていた。あるコメンテーターは、そういったことを「話題作り」と評していたくらいだ。マスタアドのやつらはそういう小細工などしやしないのはわかっている。

 ぼくらはソツなくステージをこなしていく。だが、もうすぐソツではなくなることを感じていた。

 この疼きはなんだろう。

 ぼくに向けられた爪には、ご丁寧にマスタアドのマークが施されていた。

 ミラーのなかに粒が紛れ込んでいる。

 こんな小細工しやがって。

 ぼくはそいつの爪先を噛んだ。

 苦味はぼくの行く手を拒み、ぼくを許さない気がした。

 この痛みはなんだろう。

 記憶がぼくを呼んでいる。





 家に帰ると、テーブルの上にアルバムがあった。マリアがきていたのだろうか。なつかしい気持ちに誘われ開くと、子どものころのぼくとソルが映っていた。

 同じ顔、同じ服。あれ、これはぼくだっけ? ソルだっけ? 同じおもちゃ。同じ泣き顔に同じ笑い顔。

 このころソルはまだ笑っていた。

 マリアも楽しそうに笑ってる。

「ママみたいな看護師さんになるの」

 たしかマリアはそんなことを言っていた。

「ねえ、ソル。たまに実家に帰ってみようか」

 アルバムをめくりながら聞いたが、ソルの返事はなかった。

「ねえ」

 振り向くとソルがいた。赤い右眼がぼくを刺した。

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