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ギセイミライ  作者: _
# 3 屈折ノ味
10/21

-柘榴- 花

 もう少しだ。

 会社を設立して、『マスタアド』はプロとして活動する。それが目標だった。誰にも邪魔されず、俺たちだけの音楽を確立する。やるべきことはあり過ぎた。バンドの曲作りや、ライブ活動の手配、商品のデザイン、店の経営、どれひとつ手を抜くわけにはいかない。

「取引が出来ない?」

 受話器に耳を押し付け直す。

「この前の事件で、もううちとはって社長が……」 

 カラメルの声が小さくなる。パタンナーとなったメルは、マスタのステージ衣装や商品作りに携わり、俺らを支え続けていてくれる仲間のひとりだ。

「事件? そんなの今始まったことじゃねえだろ」

「俺もなにがなんだかわからないんだ。社長はユガのことを気に入っていたし、急に、なんだよな」

 電話を切ると、

「どういうこと?」

 と、シズクがモップを動かす手を止めて、俺に聞いた。

「俺が聞きてえよ」

 商品が形にならないんじゃ話にならない。あちこちに掛け合うが、どこにも断られた。世間にマスタアドのイメージが悪いのは認めるが……。

 脳裏に浮かんだのは、横峯音色の顔。

 あいつの権力を甘く見ていた。あの女、本気でどこでもデビューさせない気か?

「ちょっと出てくる」

 店内清掃中の後ろ姿の店長は、タトゥーに汚染された腕を掲げ「あいよ」と威勢よく答えた。以前と同じく喜怒哀楽を表示する弟に喜を覚え、爛れた皮膚が俺を哀にさせた。

 タクシーに乗り目的地を告げる。

「今日も暑いですね」

 運転手が鏡越しに聞いてくる。

 視線を車窓に移し、素気無く受け答えすると、運転手は無駄口を控えた。運転は上手く、車と車の間を機敏にすり抜ける。俺は背もたれに体を預けた。悪くない。ラジオがポップノイズをダダ漏れに流している以外は。

 落ち着いてはいるが、心にざらつきがあるのを感じていた。目的地が近づいているせいか? 見覚えのある公園を見たせいか?

 昔のことなんて、もう忘れていたと思っていた。西脇になる前のことは、ほとんど覚えちゃいない。だが、公園を通り過ぎてから目的地までの道のりを、俺の口はラジオのパーソナリティが曲紹介でもするかのように、すらすらと言ってのけていた。「そこの角を左に」曲がると商店街があり、「信号を右に」曲がると街路樹が立っていて、緩い登り坂になっている。「登り切ったところで」下車すると、透き通った風が俺を迎えた。辺りを見回しながら歩き出す。真新しくなっている家ばかりで、記憶が途絶えながらも歩いていた。目的地はすぐそこだ。そこの洋館前の細い道を入っていったところだ。洋館……。廃墟のような洋館の前で立ち止まる。

 子供のころ、バカでかく不気味に感じた建物は、こうして見るとそう大きくもないし、幽霊屋敷でもなさそうだった。誰も住んでいないのか、庭はひどく鬱蒼としていた。朽ち果てそうな木には、実がひとつだけ産まれていた。俺はまた歩き出す。自分自身の中にあるざらつきが、なぜだか愛おしい。

 古ぼけた一軒家の前にたどり着いた。訪れることは二度とないと思っていた。英字で表記された表札の、下にある呼び鈴を押すと、横峯音色が顔を出した。

「早かったのね。なに他人みたいなことしているのよ。入ってくればいいじゃない」

「他人だろうが」

「電話をくれるなんて、嬉しかったわ」

 殺風景な庭を通り玄関に入る。木目のカウンターには花が飾ってある……そうだ、必ず赤い色の花だった。連鎖して「赤を踏みにじりたくなる衝動」を思い出す。何度「衝動」を決行させても、音色は、錬金術師でもあるかの如く、何度でも蘇らせてみせた。

「上がってよ」

 用意されたスリッパを履かずに上がる。上がってすぐの場所にある白いドアの前で、俺の足が止まっていた。この向こうが、俺がガキのころ、まだ名字が横峯だったころ、過ごした檻だ。

「入っていいわよ」

 音色がドアを開ける。

 当時のままの光景が俺をひどく掻いていく。吸い込まれるように部屋の中に入った。




 白い色を基調とした部屋。床、壁、天井、柱、机……なにもかもが白で、塵ひとつ無く何もかもが清潔な空間。それは、『始まりの、白』だった。

 子供の俺がいる。床にはいくつもの黒いペンが転がっている。俺はペンを持ち、床に絵を描いている。壁や窓、家具、手当りしだいに取り留めのない絵や言葉を記していく。シーツや布団にいたるまで黒い呪文を施している。またたくまに部屋が穢れていった。




 俺は笑った。この部屋は、まるでシズクの皮膚そのままだったから。

「戻ってこない?」

「なにを言っているんだ?」

「親子なのよ」

「俺を捨てたのはあんただろ?」

「仕方がなかったのよ」

「戻る気も、契約する気もない。これ以上妨害するなら俺は歌をやめる」

「誰のおかげであなたの店がここまでになったと思っているの?」

 ダレノ、オカゲ?

「なんだよそれ」

 音色は、香水の匂いを厚かましく漂わせて、厚かましく微笑んだ。

「あなたの絵を見出したデザイナーは、うちで雇っていた者よ。あなたの絵はすぐにわかったわ。ただ計算違いだったのは、あの人がゲイだったってこと。でも、まさかそんな関係になるなんて思わなかった。あなたが受け入れたことに、正直びっくりしたわ」

 厚かましい顔を思い切りぶん殴っていた。音色はベッドの上に吹っ飛び、呪文だらけのシーツに鼻血が滲んだ。人を支配して楽しんでいた幼稚な俺を、こいつはさらに愉しんでいたのか。俺はこの女に支配されていたというのか。

 それは、こいつが交尾をして、俺という物体が創造されたときから始まっている。

 音色の首を絞めた。





  どうして俺を産んだんだ


  俺は産まれてきたいと願ったか?





 結末はいつもクソだ。

 俺は、カイラクの末のクズだ。

「粉々にしろ……俺が欲しいのなら、俺を粉々にしろ」

 抵抗する隙も与えないほどに力を込めた。

 指の先に音色の鼓動を感じる。音色の首は細くて、本気で力を込めたら折れてしまいそうだ。俺はやたらにおかしくなりそうな自分を押さえつけた。

「俺を捨てた。それが事実だろ」

 手を離すと音色が咳き込んだ。苦しそうな顔を見ていると、俺の内側に棲む狂気が、柘榴を割ったように剥けてくるのがわかる。


  悪くねえ。呪文に血が滲むタトゥーも。


 音色を押さえつけ、その腰に付けている細いベルトを外し、音色の両手首にきつく巻き、ベッドフレームに括り付けた。

「なにをする気? やめてよ」

「そうだな、なにをして遊ぼうか」

 俺はキッチンへと向かった。綺麗に整頓されている。磨かれたシンク、食器棚に収まる食器たち。昔は家政婦に家事を任せていた。俺にとってのおふくろの味は、家政婦の作る茶色いおかずだ。引き出しを開けると、プラスチック製の小さいスプーンやフォークが二つずつあった。妙な気分になり引き出しを閉めた。音色が騒いでいるのが聞こえる。

 寝室に戻り、ベッドの上に立ち、音色を見下ろした。

「うるせえ女だな」

 俺が握るアイスピックを見て、音色の体が硬直した。

「そうやって脅える顔が、俺にはたまらねえんだよ」

 音色の胸元に跨り、顎を押さえる。大きく開けさせた口の中に指を突っ込むと、音色は激しく抵抗したが、無理矢理に舌をつかみ、思い切り引っ張り出し、アイスピックをズプリと刺した。串の根本にたどり着くまで、ゆっくりと刺していく。喚き声、滴る汗、舌の裏側に見える錐の先、どれもが俺を興奮させる。

「クソ女、俺が欲しいんだろ」

 俺は音色の下着を剥ぎ、俺が出てきたであろう穴の中に入った。音色が喚く。何かを言っているようだが、閉じることの出来ない舌が邪魔をする。糸を引いて落ちるヨダレは、さらに俺を気高い興奮に導いた。

「性別なんて関係ねえ。親子だろうが兄弟だろうが。こんなことは」

 こんな事は、単なるカイラクの一派だ。俺がこいつから産まれてきた事実があっても、こいつとスル事になんの咎めもない。





 シーツは俺の屈折した心を敷き直した。





 真っ白いものが怖かった。

 時々、家に来る男がいた。痩せ型で背が高く、ネクタイを締めたスーツ姿で、夏でも長袖のシャツを着ていた。切れ長の目は鋭く、俺を捉えた瞳孔は薄くて、そこに映る俺は明らかに萎縮している。

 男が来ると、檻の中に閉じ込められた。奥の部屋から聞こえてくる微かな音色の声。白い空間を埋めることで心を紛らわしていた。

 一度だけ、部屋を抜け出したことがある。そうっと音色の部屋を覗くと、男は裸だった。背中に彫られた黒いトカゲが、上下に揺れて俺を威嚇した。鍛えられた体の、張り出した筋肉に沿って、汗が伝い落ちていった。

 その向こうに音色の尻が見えた。鱗の模様に覆われた腕が伸び、尻を鷲掴みにした。

 音色の恍惚に溢れた吐息が漏れた。





 観念したのか? 音色。

「もっと喚けよ」

 俺は異質で耳障りなサウンドを好むんだ。激しさを増すと、サウンドはもっと異質なもので耳障りなものになった。音色の完璧に施した(メイク)が、血や涙や鼻水やら排出物に汚れて少しはマシになった。

「抜いてほしい?」

 頷くのを確認して、音色の舌からアイスピックを勢いよく引き抜いた。同時に叫声を上げ、音色は失神した。

 だらしなく開いた口の中に精液を流し込むと、首元の鎖に目がいった。引き抜くと、それは見覚えのあるロケット状のペンダントだった。オーバル型で、表面に繊細な流線の紋様が刻まれている。開くと赤ん坊の写真が映っていた。確か以前はオルゴールが鳴ったはずだ。壊れたのだろうか。音色の首から外して、自分の首にかけた。

 音色が意識を戻す。俺は音色の口元を手で塞いだ。

「飲み込め」

 喉元が蠕動して、俺の分身が通り過ぎるのを見届ける。

「その味に不可知を確かめろ」

 ドンナ味ガスル?

「クソッタレの味よ」

 俺は笑い、音色の腕を拘束したベルトを解いた。

「結局俺は、白に行きつくのかな。だけど、そんなセカイで生きたくはない」

 音色は黙っている。ベランダのすぐ向こうの電線にカラスが止まった。

「それとも黒のセカイか」

 ベルトをベッドの上に放り投げた。

「解けていくんだ、過去が。同時に、俺から西脇悠我という人間が剥落していく」

 まだ音色は黙っている。黙ったまま花柄レースの施された薄ピンクの下着を穿いて、黙ったまま同柄のブラジャーを身に着けて、垂れかけた脂肪を押し込んだ。横峯音色という人間が包まれていく。

「きっと記憶を見たせいだ」

 カラスが鳴いた。カラスの記憶に、未包装の俺が映る。

「残してくれるか? マスタアドの俺を。三人一緒でないと意味がねえ」

 音色が答えた。「わかってるわよ」




 部屋を出る際、独り言のような声を拾う。

「本気で愛した人の、子供を産みたかった」

 玄関に立つと、濃紅色の花が、俺の嗅覚を幻滅させた。







 花片が一枚、落ちていく。














 それを踏むことは出来なかった。














 俺は探し続けていたのだろうか。













 アイジョウという名の蓋を。












 だけど、そんなもん欲しくはない。














 そんなもん、くだらなさすぎて、低俗すぎて、





 果敢無くて、抱き締めたら壊れそうで、





 消えてしまいそうで、














 怖いんだ。









 あたりはだいぶ暗くなっていた。洋館は、やはり幽霊屋敷のように佇んでいた。

 柘榴の木が俺を引き留める。

 向こうから人が歩いてくる。ぼんやりと照らされた歩道の上を、音色と男が並んで歩き、その後ろを俺と弟が歩いている。

 俺は立ち止まり、奴らを見た。緊張した顔で歩く俺を見た。そうだろう。ここを通るとき、怖くて、弟と繋いでいる手の内側は、汗でべとべとになっていた。

 男が流暢に話している。

「この木の下には、惨殺死体が埋まっている。そこから流れ出す液体を吸って、実が赤く染まるんだよ。そして怨念の数だけ種子ができるんだ」

「やめてよ、あなた。この子たちが怖がるでしょう?」

 俺は男の話を興味深々に聞いていた。いつだって。

「柘榴の木にはな、神の魂が宿っている」

「たましい?」

「うん。俺は、自分が悪いことをしたとき、この木に聞いてみるんだ。赦してくれるかいって聞いてみるんだ」

「赦してくれるの?」

「うーん、ほとんど、だめですって言われるな」

 男は笑った。

「あなたが悪いことをしすぎなのよ。だめよ、あなたたち、こんな大人になっては」

 ため息をついた音色とすれ違っていく。困ったような顔をして、だけど、幸せそうな笑みを持っていた。

 朽ちた洋館が、俺を見つめていた。俺は今、どんな表情で、なにを持っているのだろう。

 風が吹き、老いた柘榴の木の葉を揺らした。空は月を持っていた。




 マスタアドのデビューが決まった。

 俺は店のバックヤードにいた。安い椅子に仰け反り、ガムを膨らませ、ロケットを開いて掲げた。やはりなんの音もしない。爪で弾くと、狂った旋律をわずかに奏でた。窓の外には青空が広がっていた。綿飴みたいな入道雲がやけにうまそうに見える。

 俺は、音色の下で自分のレーベルを立ち上げた。シズクも蟻砂も反対はしなかった。

「だが、油断するなよ。本当の敵は俺なのかも」

 蟻砂の言葉を思い出して、ふん、と鼻で笑った。本当の敵は、ロケットの中で無邪気に笑う俺なのかもしれなかった。

 ノックがし、シズクがにやけた顔を覗かせた。

「なに?」

「スタジオに客」

「客?」

「タトゥーを入れたいって」

「俺はもう客をとらないって言っただろ」

 最近、マスタアドの若いファンが増えたためだ。どう見ても中学生らしいのがやってくるようになったため、新規はすべて断り、表向き閉店という事にしている。

「あずだよ」

 ロケットを閉じる微かな音が、明確に俺の耳を触った。雲は一層膨れを増していた。一瞬、失った味覚が舌を這っていくような気がして、かったるい唾を飲み下しながらスタジオに向かった。

 心に変な痛みを覚える。腐敗した俺のカラダにも流れる痛み。あずも同じ痛みを感じているのか? 俺が埋め込んだ墨の中にも?

 ドアを開けると、あずがいた。肩まで伸びたミルクティー色の髪が、あずの笑顔を甘く包んでいる。俺はあずからすぐに視線を逸らして、腐敗した心に、腐敗した手を、そっと添わせた。グズつく痛みを、腐敗したカラダの奥に押し込んだ。

「なにを入れたいの?」

「ここに、名前を彫ってほしいの」

 あずは首筋を押さえた。

「座れ」

 ニードルをセットしながら、なんて入れるんだ? と聞く。

「ユガの名前」

 そう言うと、髪の毛を束ね、首筋を俺に託した。

 白い皮膚に俺の名を植えつける。どこまでも深く針を突き刺して、ずっとずっと奥に、俺は侵食していく。

 最後の黒い穴に、蓋が閉まる音が聞こえた。ロケットを閉めたときの乾いた音と似ている気がした。

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