第三話
「お前。彼女ができてから付き合いが悪くなったなあ」
放課後の教室で、帰り支度をしている俺を呼び止めて広江が言った。顔は不機嫌丸出しだが、こいつはいつもこんな顔をして、嫌味でも言うように話しかけるのだ。それがクールに見えるとでも思っているのだろう。だが、彼の演出が何かの効果をあげたという話は聞いたことがなかった。
それにしても付き合いが悪くなったとは心外だ。こいつは高校入学と同時に、今は別のクラスになってしまったクラスメイトの女子をチャッカリと彼女にしていたのだ。
「俺はお前と違って勉学に生きてるんだ。彼女なんて余計なものはいないさ」
話題に心当たりがないわけではないが、説明が面倒なので恍けてみせた。
「リカが、図書館で仲良く勉強してるお前と坂下九里絵を見たってさ」
「一緒に勉強してただけさ。彼女なんかじゃない」
「付き合ってもいないのに一緒に勉強だとぉ? なんて不純な関係なんだ!」
「お前の脳髄の方が、よほど不純だ」
自分でボケたくせに、心底意外そうな表情で広江は帰って行った。
九里絵から能力のシェアリングの話を聞いて既に一ヶ月。形だけの勉強会は今でも続いている。広江の極端な価値観はこの際どうでもいいが、彼氏彼女でもないのに一緒にいる関係というのは、傍目には不自然に映るものなのだろうか。
入学当初からウマが合い、仲が良かった広江が、あっと言う間に彼女ができたと聞かされたとき、うらやましいと思った。でも、今はそれほどでもない。それは九里絵がいるからなのだろうか。彼女と一緒にいると妙に落ち着くのは確かだ。趣味や嗜好が似ているわけでもなければ価値観もかけ離れていたのだが、お互いが何を見て、どう感じているのか、どんな気持ちでいるのかをリアルタイムで共感する事ができた。
これはどういう事なのだろうか。まるでとても仲が良いカップルのような俺たちだったが、九里絵は恋人ではなかった。俺は九里絵に対して恋愛感情を持っていなかったのだ。それは九里絵も同じだと断言できる。
俺と九里絵との関係…二人の繋がりを第三者に言葉で説明するのは難しい。それは友情とか家族愛のようなものなのだろうか。お互いに兄弟がいないので比較する事は難しいが、クラスメイトに聞いた一般的な兄弟よりもさらに緊密な関係…一卵性双生児が最も近いのかもしれない。
街の装いがクリスマスカラーに統一されてきたある日、九里絵は珍しく学校を休んだ。毎日必ず見ていた彼女の姿が無いのは妙な気分だ。
その日の放課後、広江が俺を呼び止めて信じられない事を言った。
「リカと坂下が誘拐された」
俺は広江が何を言っているのか理解できなかった。広江の彼女であるリカは、坂下九里絵と同じ予備校に通っている。
二人は昨夜、予備校から一緒に帰路についたまま、未だに帰宅していないらしい。本当に誘拐されたのかどうかはまだ解らないが、無断外泊などした事のなかったリカが深夜になっても帰らないのを心配して、母親から広江に連絡が来たようだ。広江が今日集めた情報では、同じ予備校の生徒が、繁華街で乗用車の窓を覗き込んで話しているリカと九里絵を見たという。
リカの母親は昨夜のうちに、近隣の警察に娘の捜索を頼みに出かけたが、十代の少女にはよくあることだと、所轄署ではまともに取り合ってもらえなかったようだ。
本当に二人は拉致されたのか。あの慎重な九里絵が、そう簡単に見知らぬ車に近づくだろうか。どちらにしろ、俺は九里絵の携帯番号さえ知らない。俺たちの間には、連絡手段など不要だったのだ。
リカを心配するあまりイライラしている広江を見ながら、俺は落ち着いていた。九里絵の身には何も起こってはいない。もし酷い目に遭っていたら、それは自分にも知覚できるはずだ。俺はそう信じていた。