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第二話

 脳の検査にしばらく時間がかかったものの、大した問題もなく俺は学校に復帰できた。入院当初はもう三ヶ月くらい入院して、受験勉強までの短い余生をのんびり過ごしたいと思ったこともあったが、どうでも良さそうな精密検査と味気ない食事、押し付けられる規則正しい生活に退屈しきっていた。

 事故に遭ったのはうちのクラスのバスだけで、すぐ後ろを走っていた隣のクラスのバスは辛うじて事故を回避らしい。シーズンオフで交通量も少なかったことが幸いして、単独事故で済んだようだ。バスに同乗していた三十余名のクラスメイト、それと担任教師と副担任、運転手と添乗員は近隣の3つの病院に振り分けて運び込まれ、精密検査を受けてたということだ。

 俺たちの乗ったバスは何かを踏んでバランスを崩したか、タイヤがバーストしたのか、おそらく事故原因はそのあたりだろう。尻の打撲で済んだ担任教師が、保険のことや責任の所在についての話をしていたが、そんなものに興味がない俺は上の空で聞いていた。

 事故の記憶も薄れ、受験勉強に向けてイヤイヤながら心の準備をしている俺のところへ、彼女がやってきた。


「今日から一緒に勉強してくれない?」


 彼女の名は坂下さかした 九里絵くりえ。整った顔をしているものの、無表情で愛想がなく、何を考えているのかまるでわからない。痩せて背が高いので、学校の制服がまったく似合わなかった。ストレートの黒髪を背中の中程まで延ばしているが、アクセサリーの類いは一切身につけていない。必要なこと以外全くしゃべらない、いや、必要なこともしゃべらないかもしれない。よくある女の子のグループにも属さない、どちらかというと目立たない子だ。成績は良い方ではあるけれど大した特徴はない。

 出席番号も離れているし、部活にも所属していないので、俺と彼女の接点はまったくと言って良いほど無かった。そんな女子生徒が突然、俺のところにきて勉強しようと提案する。一体なんだ?罰ゲームかなにかか?

 理由がわからないモノほど気持ちの悪いモノは無い。


「なんか俺にメリットあんの?」


 俺はわざと冷たく聞こえるように意識して返事をした。

 実際に声に出してみると、狙ったほど効果があるとは思えなかった。そう反省して次の言葉を考えているときに彼女は笑ってこう答えた。


「あなたの望む未来を見せてあげる」


 ヤバイ。電波か。腐女子か。セカイ系か!


「突飛過ぎたかな。じゃぁ、まずは行きたい大学に入れてあげる」


「もし入れなかったら?」


 俺は上目遣いに聞く。


「何でもあなたの言う事を聞いてあげるわ」


 九里絵は人に勉強を教えるのが得意で、教えながら勉強できる相手を捜していたというのだ。同性の友達さえいないような女が、人に勉強を教えるのが得意だというのは、にわかに信じられない。

 おまけに、この自信は一体どこからくるのだろう。自慢じゃないが俺は勉強が苦手だ。英語が苦手でも数学が苦手でもない。学習そのものが苦手なのだ。単語や数式、年号に記号。それらを記憶するのも不得手なら、問題を解くために、頭を回転させることさえ苦痛だ。そんな俺に、この女は無償で勉強を教えると言う。しかも、不合格だったら何でも言う事を聞くというのだ。

 怪しい。いや、怪しいというよりも危険な臭いさえする。

 それでも、と俺は考える。受験勉強に本気で集中するつもりなど毛頭なかった。将来にこれといって明確なビジョンがあるわけでもなく、大学に入れなければ、どこか適当な専門学校にでももぐり込んで、バイトで食いつなぎながら将来やることを探そうと漠然と思っていた。

 それに、地味な外見に目をつぶれば、彼女は長身でスラッとした美人だった。高校生活最後の退屈な一年を、ちょっと風変わりな美人と差し向かいで勉強しながら過ごすのも悪くない。深層意識の奥にある非常ベルはけたたましく鳴り響いていたが、理屈の上では俺にデメリットは見当たらなかった。

 重ねて分析するなら、彼女のこの怪しい動機から鑑みて、ひょっとして俺に気があるのではなかろうか、と考えたことも事実だった。


 驚いた事に九里絵の実力は、一緒に勉強を初めてわずか一週間後の中間テストにおいて証明された。いままでは、どの教科もおしなべて赤点ギリギリだったこの俺が、数学で一気にクラスのトップに躍り出たのだ。いや、それどころじゃない。担任教師に聞いた話では学年でもトップだったようだ。このあり得べからざる事態に、各教科の教師には疑いの眼差しで見られ、一部のクラスメイトには、俺が新たに考案したという天才的なカンニング技術の開示を執拗に求められた。

 さすがに鈍感で楽天的な俺でも、この点数を不思議に感じないわけはない。

 しかし、九里絵との勉強ではなんら特別なことはしていない。授業が終わった放課後、町営の図書館で待ち合わせ、彼女の手製の問題集を解くだけである。テストまでの一週間、毎日一時間ほど。それ以外に勉強らしい勉強は一切しない。しかも、その問題集は恐ろしいほど簡単な内容だった。いかに勉強が出来ない俺…いや、より正確に自己を評価するならば…いかにバカな俺…でも、その程度の勉強で学年トップになれるとは到底思えなかった。

 九里絵ははたしてどんな魔法を使ったのだろうか。


 その日の放課後、俺は九里絵に引っ張られていつもの図書館に連れて行かれた。

 期末テストのシーズンが過ぎたからか、私語が増えた閲覧室のテーブルに、俺と向かい合って座った九里絵は、こう言い放った。


「もう少し慎重にやってくれないと困るなぁ」


 慎重って何だ。何の事を言っているんだこいつは。


「テストの点数のことだよ。一気に学年トップなんて不自然すぎ。あなたの能力を低く見積もりすぎたかも。いや、その逆かなぁ」


 そうつぶやくと、九里絵は椅子に座ったままロダンの彫刻になってしまった。


「なに言ってるんだ。そりゃあ、テストの点数には驚いたけどさ。成績が上がるってのは良い事じゃないのか?」


 反論する俺に彼女は笑って言い放つ。


「何のために問題集を一緒にやっていたと思ってるの?」


 テーブルに頬杖をついて俺をにらむ九里絵の瞳が、一瞬大きくなったのがはっきりと見えた。


「まさか、本当にわからなかったの?」


 そう言って、彼女は頬をわずかに紅潮させた。


 九里絵がそれに気づいたのは、あのバス事故の翌日だったそうだ。理系に適した頭脳を持ちながら、小さい頃から絵を描くのが好きだった九里絵は、将来の自分の目標の一つとして画家を夢見ていた。彼女は毎日デッサンの練習を続けていた。

 ところが、あの事故以来、自分の作品の出来に満足できなくなり、様々な絵画や彫刻の見え方もまるで変わってしまった。さらに、デッサンの手法までガラリと変化してしまったのだと言う。

 デッサンのような基礎的な技術は、毎日練習を続けることで、ある日突然開眼したように巧くなることがある。しかし、自分の能力の向上があまりに唐突すぎることに驚き、不審に感じた彼女は、考えられる限りの様々な仮説を組み立て、状況を詳細に調査し、幾日も時間をかけて謎の検証を行った。そして彼女は一つの結論に達する。それは他者との能力のシェアリングだった。


「つまりそれってどういうことなんだ?」


「わたしが絵を描くときに使う能力の大半は、あなたの脳が持っているものなのよ」


 おそらく俺はこのとき、知性の欠片もない顔をしていたのだろう。九里絵は、自分がその結論に至った思考経路を丁寧に説明してくれた。

 手前味噌になるが、芸術的感受性と創作センスに優れた俺の右脳と、論理的な思考と脅威の計算速度、そして抜群の記憶力を誇る九里絵の左脳との、驚異の霊的コラボレーション。

 俺が中間テストで驚くべき点数を取り得たのは、九里絵の能力によるものなのか。科学的に証明することはできないが、二人の脳の間に何かを媒介としたネットワークが構築されて、脳機能のシェアリングが起こっていると仮定すれば、この現象を論理的に説明できるそうだ。

 彼女は、それを検証するために行った、様々な実験と結果を解説してくれた。

 九里絵は、絵に対する新しい才能が、自分の趣味嗜好や体調の変化に左右されないことや、それを発揮できる時間帯が限られていたことから、自分以外の何かからリアルタイムに得ているのだと確信した。そこから、俺にたどり着くまで一週間もかからなかったらしい。

 なるほど、話の内容を認識するだけで相当の思考力を要するこんな話題を、聞くだけで水が流れるように理解していける俺の脳が、彼女の仮説の信憑性を保証していると言えよう。


「おどろきだね。じゃあ、これから一生、俺は勉強しなくて済むんだ」


「わたしが死んだり、昏睡状態になったりしないかぎりね」


 九里絵は既に、この能力の限界を様々な面から試して把握していたらしい。

 不思議な気分だった。学年トップの成績を取ったときには、妙に現実感に乏しかったが、オカルトや超常現象のごとき非科学的な、この能力には何故か疑問を感じなかった。


「俺の学力が、その不思議な能力でアップしたのはわかったけど、なんで九里絵を抜いてトップになったんだ?」


 俺は別の疑問を口にした。

 九里絵の能力を借りることで俺の学力がアップしたのなら、元の持ち主よりも成績が良くなるというのはおかしな話だ。


「自分の元々の学力に相手の能力が上乗せされるんだから、そういう事もあるんじゃない?」


 九里絵は微笑んで答える。

 九里絵の思考力を利用している俺には、彼女の皮肉が理解できた。

 この勉強会も、二人の関係と成績向上が不自然に見えないようにと考えられたものだったということか。それを残念に感じている自分を見つけて、俺は少しだけ驚いた。

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