第一話
制服のプリーツスカートを翻してJ-POPを熱唱しているクラスメイト。窓の外は綺麗な夕焼けだ。
修学旅行先の北海道で買い込んだ巨大な夕張メロンポッキーを、近くの席の連中に適当にばらまいて、通路側の肘掛けに腰をおろし、さぁ自分の分を食べようとした瞬間、尻の下から突き上げるような凄まじい衝撃を受けて、二年一組のほぼ全員が観光バスの天井付近の空間に投げ出された。
バランスを崩して浮き上がった体が近くのシートの背もたれにぶつかり、宙に浮いたまま一瞬静止した。びっくりして見開いたままの目には、俺と同じように空中で静止している各種スナック菓子と、炭酸飲料のペットボトルが映る。そして、これもまた同じように空中で静止しているクラスメイト達。キャップが開いたままのペットボトルが、床に落ちたらどうなるだろうとぼんやり考える。落下のショックで舌を噛むかもしれないが、自分が今、口を開けているのかどうかわからなかった。自分の状態を把握するのは、目で見たものをそのまま認識するよりも時間がかかるのかもしれない。
次の瞬間、バスの床が猛烈なスピードで突進してきて、俺の体は前シートとの隙間に叩きつけられた。窓ガラスを通過し、床に落ちて震えていた光が、生き物のように素早く壁面を這い、天井に達する。視界が極端に狭くなり、顔を押しつけられたバスの床しか見えない。
頭が痛い。少しづつ周囲に音が蘇ってくると、誰かのうめき声や女子生徒のものらしい嗚咽が遠いところで聞こえる。周りは薄暗かった。雨の降り始めのような埃っぽい臭いがする。
一体何が起こったのか把握できなかった。頸椎のダメージを確かめながら、ゆっくりと首を回して上を見る。俺の上に一人の男子生徒が覆い被さっていた。
重いじゃねぇか!
この緊急事態において、俺はとても冷静に状況を見ていたと思う。俺の上に乗っているのが男子生徒だったことを、本当に残念に感じている自分がおかしい。このおいしいシチュエーションに、男同士で抱き合うハメになった間抜け野郎は一体誰だ?
顔の上に垂れ下がった長めの髪。修学旅行で集合したとき担任に文句を言われた。根元の部分が脱色できてなくて、妙なマダラ模様になった失敗ブリーチ。鏡で見た時はもう少しまともに出来ているように見えたのに。
この間抜け野郎の名前は真瀬 果陸。
いや、そんなはずはない。真瀬果陸は下敷きになっているこの俺だ。じゃぁ、こいつは一体誰だ?
急に不気味になって、そいつをどかそうと腕を延ばしたとき、目の端にちらっと見えた紺色のセーラー服の袖の二本のライン。俺の制服じゃない。手をかざして指先を見る。つやつやの爪と丸く切りそろえてヤスリがけした爪の先。細くて白い指と小さな手。誰の手だ?
それにしても、乗ってる奴が重い。我慢できなくなってもがいていたら、そいつは気がついたようだ。俺の頭のすぐ横に腕を突っ張って体を支え、驚いたように目を見開いて俺を見ていた。その顔はやっぱり俺だった。
俺が俺を見ている。他人の、しかも女生徒の視点で。コレはつまりアレか。
ぶつかったショックで高校生の男女の心が入れ替わっちゃうとかいう、大昔の青春SFジュブナイルみたいなアレなのか。
とりあえず俺は、同じような状況に陥った男なら誰でもするだろう行動をとった。すると目の前の俺が自分の学ランの胸元をまさぐりだした。まるで鏡を見ているように。自分をビデオカメラに写したように。あるいは、リモコンのおもちゃで遊んでいるように…。これはなんだ。どうなっているんだ。
現実を把握すべき俺の脳が、そのキャパシティを超えたあたりで、世界は停電したように真っ暗になった。
真っ白の部屋で目がさめた。近くで話し声が聞こえる。まだ頭が少し痛い。俺はベットに寝かされていた。慎重に首を動かして横を向くと、隣のベットに級友の広江が横たわっているのが見えた。シャツの袖をまくり上げて、両手首に包帯が巻かれている。ベッドの横のパイプ椅子に座った母親と話をしていた。
事故は昨日だったらしい。広江の話では、同じバスに乗っていた一組の生徒がたくさん病院に運び込まれたが、軽傷な生徒のほとんどはすでに帰ったようだ。
それにしても、本当に事故は起きていた。しかし、あの異様な状況が夢だったのかどうか判断できない。俺の上に乗っていた俺は何だったんだ?
はっと気がついて自分の胸元をわしづかみにしてみる。そこに期待したものは無かった。
顔を上げると広江親子が変な目で俺を見ている。苦笑いを浮かべた俺はさらにおかしな質問をしてしまった。
「運び込まれたときから俺だった?」
親友は答えず、慈しむような視線を俺に向けながらナースコールに手を伸ばした。
pixiv掲載時のページをそのまま話数に割り当てているので、1話が短くなっています。小説は書き上がっているので、順次掲載していきます。