第94話 卑怯者の末路
次の日、僕は恐る恐る学校へ行った。何が待ち構えているか、何をされるか不安に思いながら教室についた。教室は今までとは別の教室のようだった。クラスの男子が分裂することなくみんなで話していた。ただ、そこに僕の居場所はなかった。みんなが僕を見てヒソヒソと話している。僕と目を合わせようとしない。僕と会話をしようともしない。
ああ。こうなったんだ。でも僕のせいだし…。
僕は独りになった。次の日も、その次の日も。空気のように、誰とも話さずに学校の時間を過ごした。夏休みが始まって終わり、二学期が始まって終わり、冬休みが始まって終わり…。そして一年が過ぎた。不思議と寂しさに慣れていた。独りで過ごすことにも慣れていた。
この程度なら…。この程度で済んだのなら…。
僕はそんなふうに思っていた。ただ何事もなく終わりさえすればいいと思っていた。
ただ、それは相手側に何もなければということだった。相手側のバランスが何かのきっかけで崩れたとき、始まることだったということを僕は6年生になって知った。
「おい。ウメは俺たちと遊ぶんだよ。」
「何言ってんだよ。ウメは俺と遊ぶ約束をしてたんだよ。」
新学期早々にクラスがまた分裂を始めた。梅川君の取り合いみたいなものを度々見かけた。柳田君と金森君の二つのグループが勢力争いをしているように見えた。ただ、僕にはそれは他人事だった。僕はどちらにも属さないから。
梅川君…。大丈夫かな…。
僕は梅川君に二年生のときの自分を重ねていた。でも、それが僕に降りかかることの引き金だとは思っていなかった。
「おい。卑怯者。」
6月になって学校に来て最初に言われた言葉だった。しかも柳田君でも金森君でも梅川君でもない人に。そして僕は教室に入って現実を知った。黒板に大きな文字で書かれた文字は、
「名園求←読み仮名は卑怯者」
というものだった。僕は血の気が引いて自分の席に崩れるように座った。
「おーい。周りの席のやつ。離れないと卑怯がうつるぞー。卑怯菌が感染するぞー。」
柳田君が叫ぶと僕の周りの人が一斉に席をずらした。僕は恐怖と悔しさで体が震えている。
「卑怯者。早く黒板消せよ。日直が困るだろ。」
柳田君の声が響くと他のクラスメイトが次々と「早く消せよ。卑怯者。」と口々に言った。僕はふらふらしながらも黒板を消した。
「あー、こっちにも書いてあるぞ。」
消し終えて振り向くと後ろの黒板に同じ言葉が書かれていた。僕は後ろの黒板に向かって歩いていき文字を消した。
「あれー?前の文字消えてないなー。卑怯者は消し方を知らないからかな?」
振り向くとまた書いてある。みんなが笑っている。
「早く消せよ。」
僕は歩いていき、消しながら後ろを振り向いた。文字を書いているのは梅川君だ。
「おい!卑怯だぞ!卑怯者!」
柳田君の声が響き、クラスから卑怯者コールがあがる。僕は後ろの黒板を消さずに席についた。
「おい!卑怯者!さっさと消せよ!」
柳田君が僕の机を蹴りながら言う。
「ごめんなさい。許してください…。」
「はぁ?卑怯者が何言ってんだ?俺たちは黒板に正しいことを書いただけだ!それに謝ってもらうことなんてねぇよ!」
柳田君はそう叫んで机を蹴った。そして手を叩いて卑怯者コールを叫ぶ。みんなの声が響く。僕は震えながら授業が始まるのを待った。
早く帰りたい…。早く家に帰りたい…。
授業中、そんなことを呪文のように唱えながら次の休み時間にされることへの準備をした。その日の僕への攻撃は止むことなく続いた。
明日になれば…。一週間たてば変わるかもしれない…。
でも僕のそんな期待通りにいくはずもなく、僕に対する攻撃は時間が流れに比例して、日に日にひどくなっていった。
教室を僕のカバンが引きずりまわされたことがあった。僕がそれを取り返そうと席を立つと今度は体操袋がひきずりまわされた。
「卑怯者の物に触れると卑怯がうつるぞ!」
柳田君がそう言って僕の物を引きずりまわす。僕はただそれを取り返すことに必死になった。その理由は『僕の物を触れた誰かが嫌がるのを見たくないから』と『ボロボロになったら親にばれてしまうから』だった。何で親にばれてしまうことを恐れたのかはわからない。ただ、共働きの親に心配をかけたくなかった。ただそれだけだった。
7月に入った頃、僕への攻撃は最終段階に入った。
下駄箱から上履きが消えてゴミ箱から見つかる。上履きには誰かの文字で『卑怯者』と書かれていた。
体育の時間から戻ると筆箱の筆記用具が全部ぐちゃぐちゃにされていた。教科書には黒マジックで『卑怯者』と書かれ読めなくなったページもあった。
そしてプールの授業のあと、パンツが無くなった。探しても見つからない。着替えが教室だったのもあり、先生にそう言った。先生がみんなに聞き、結果柳田君の机から出てきた。
「何でこんなことしたんだ?」
怒る先生に対して柳田君が言った。
「僕じゃありません。名園君が僕に嫌がらせをするためにわざとやったんです。」
すると柳田君グループが口々に『そうだ!』と囃し立てた。
「名園!何でこんなことをしたんだ!」
先生は多数決を信じたのか僕に怒鳴った。
「僕じゃありません。」
泣きながらそう言った僕にクラスから『卑怯者コール』が浴びせられた。
「さっさと謝れよ。授業にならないだろ?」
柳田君が叫ぶ。すると今度は『謝れコール』になった。もう、誰も僕を信じてくれない。
「ごめんなさい。」
謝るべきではないのに謝ってしまったことで先生からも怒られた。学校から僕の居場所は完全に消えた…。
次の日、僕は学校を休んだ。親に心配をかけないために一度家を出て親が出発したのを見てから家に帰った。次の日も、その次の日も。
「モトム!何で学校に行かないの!」
お母さんに学校から電話が入ったらしく家で怒られた。お父さんは単身赴任だから連絡はお母さんに入る。
「僕が悪いんだ。ごめんなさい。」
「何があったの?お母さんに話なさい。」
「ごめんなさい。」
「あなたが悪いなら明日は学校に行きなさい。明後日からは夏休みなんだから。」
「ごめんなさい…。ごめんなさい…。」
次の日、僕は部屋から出なかった。お母さんが何度も呼んだけど、僕は『ごめんなさい』を繰り返した。何で話さなかったのかはわからない。でも話して先生に言っても、先生が僕を疑っているから意味がない気がした。お母さんは朝ご飯だけ用意して会社に出掛けた。僕は家でご飯を食べて、4月にお父さんに買ってもらった手品の本を読んだ。
手品ならみんなが喜ぶかと思ったのに…。誰かが友達になってくれると思ったのに…。どうして…。どうして…。どうして…。
部屋で泣いていると電話が鳴った。受話器を取ると聞きなれた声が響いた。
「モトム君いますか?あっ、モトムだろ!てめぇ何学校さぼってんの?さぼっていいと思ってんの?卑怯者!卑怯者!卑怯者!…………!」
僕は力なく電話を切った。けれどすぐに鳴った。出るとまた声がするから切った。それを3回くらい繰り返して、疲れた僕は受話器を外したまま部屋に戻った。すると今度はインターホンが鳴った。ドアから覗くと柳田君たちが見える。僕は部屋に戻って耳を塞ぐ。インターホンがひっきりなしに鳴り続け、頭がおかしくなりそうだった。
夕方、お母さんが帰ってきた。僕は部屋に閉じ籠っていた。
「モトム。柳田君が遊びに来てくれたのに、どうして出ないの?」
「ごめんなさい。」
「遊びたくないならちゃんと断りなさい。」
「ごめんなさい。」
「あと『卑怯者』って書かれた紙が郵便受けに入ってたけど、どういうことなの?誰が卑怯者なの?あなたなの?何をしたの?答えなさい。」
僕の中に残る最後の糸が切れた気がした。僕は泣きながら口を動かし続けた。ただ口を動かし続けた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。………。」




