第61話 将棋と勝負。
体育の事件以来、ケンはますます孤立した気がする。ただ今までの孤立は『変なやつ』という意味だったけど、今は『怖いやつ』という意味。何をするかわからない感じだ。ただあたしには『怖い』というイメージは全くなかった。むしろあたしに似ている気さえする。
「ケン。あんたは友達いなくていいのか?」
「友達か。いなくていいとは言わない。ただ誰でも友達になりたいとは思わない。こんな僕を理解してくれる人、せめて理解しようとしてくれる人なら考えるよ。」
ケンは今までとあまり変化はない。でもあたしの質問にはちゃんと答えてくれるようになった。
「ところで最近教科書以外を読むようになったな。今日は…、『将棋』か。あたしには絶対わからない分野だけど、面白いか?」
「面白いよ。駒の動きは決まっているから戦略がすべて。相手の戦略を読んでその裏をかいたりして相手の駒が取れたときは本当にうれしい。」
そのときあたしは初めてケンの笑顔を見た。あたしにではないことはわかっていたけどそれでも少しうれしかった。
「その感覚ってあたしにわかるか?例えられるか?」
「夏木なら…、野球の感覚に似てるんじゃないか?ピッチャーとバッターってお互い読み合うだろ?そして読まれたらバッターの勝ちで読まれなければピッチャーの勝ちだから。」
夏木?あたしの名字知ってたのか?こいつ。でも『夏木』は違う。あたしもコウと一緒に『ケン』って呼んでるから。
「セイでいいぞ。セイと呼んでくれ。」
ケンはあたしの突然の提案にさすがに驚いてこっちを見た。もしかしたら目が合うのも初めてかもしれない。
「まあ、呼べと言われれば呼ぶけど…。」
「じゃあ、頼む!ケン。」
「わかったよ。セイ。」
呼ばれたことであたしとケンには奇妙な連帯感が生まれた気がした。
「よう。セイ。ケンと何を話してたんだ?」
振り返るとコウがいた。
「え?えーっと…。何の話してたっけ?」
ケンはあたしを見て息をふぅーっと吐いた。
「君の記憶力はすごいな。セイ。どうして今話してた内容を忘れられるんだよ。」
そう言ってケンは本を指差した。
「あっ。そうだった。ケンが将棋の本を読んでたから、楽しいのか聞いてたんだ。」
「そうか。ケンは将棋ができるのか。」
コウは自分の席に戻ってノートを持ってきた。そこにマスを書く。
「よし。やろうぜ!ケン。」
コウはそう言ってケンの前の席に座った。
「できるの?」
ケンがコウを見る。コウはうなずく。
「じいちゃんに習ったんだ。そこまで強くないからハンデはくれ。」
「飛車角落ちくらい?」
「あー、まあそれでやってみよう。」
こうしてコウとケンの将棋が始まった。さっぱりわからないあたしのためにケンはルールとそれぞれの駒の動きをノートに書いて説明してくれた。将棋はかなり時間がかかるものらしく、この休み時間では決着がつかず次の休み時間に持ち越しになった。あたしはなぜか審判という役目を与えられ将棋の書いたノートを預かった。そして次の休み時間にケンの机に集まり勝負の続きが行われた。そしてその休み時間が終わる頃、勝負も終わった。
「あー。ダメか。負けた。さすがに強いな。」
コウは笑ってケンを見た。
「うん。でもいい勝負だったよ。ここが唯一の判断ミスだったかな。金を取りたかったのはわかるけど、ここは攻めるべきじゃなかった。」
「マジかー。もしかして囮だったか?」
「まあ、取ってくれたら隙ができるとは思ったけど。」
ケンはクスッと笑った。
「ケンの勝ちか。まあ予想通りだったけど。」
あたしは笑いながらコウとケンの肩をたたいた。
「ああ。ただ飛車角落ちで負けたのはな。次はもう少しハンデもらうかな。でもそれで負けたらまいるしな…。」
コウはぶつぶつと考え込んでいた。するとケンがコウを見た。
「また相手してくれるの…?」
ケンの目が輝いて見えた。今までのケンは冷たい鋭い感じだったけど、今は明らかに違う。
「何だよ。当たり前だろ。次は勝たせてもらうからな。」
コウは笑ってケンに手を差し出した。ケンはそれに答えて握手を交わす。
「おっと。そろそろ次の授業だ。セイ。席に戻るぞ。」
「あいよー。」
あたしはそう答えてからケンをちらっと見た。ケンは嬉しそうに笑っていた。幸せそうだ。
「ケン。よかったな。」
あたしがケンの頭をポンっとたたく。ケンはあたしの顔をちらっと見て小さくうなずいていた。
この将棋の勝負以来、ケンはコウと少しずつ話すようになった。相変わらず自分の席で本を読んでいるが、コウとあたしが来ると本を閉じて話す。あたしはコウのおかげだと思う。
しかし、また事件が起きた。当然体育の時間、当事者はケンとあの四年生の先輩だった。今日は別々のチームで先輩は前回のこともありケンの場所から攻めた。そこであたしは不思議な光景を見た。先輩がケンを抜こうとした瞬間、ケンが先輩のボールを簡単に奪った。そして前にいる仲間にパス。そのまま仲間はゴールを決めた。先輩はまたケンのいる場所に攻めドリブルで抜こうとした。ケンはまた簡単にボールを奪って仲間にパスを出した。こんな場面が試合が終わるまでに四回もあった。
「おい!てめえふざけんなよ!」
先輩がケンに詰め寄った。
「やっぱり前は真面目にやってなかっただろ!」
「前回も今回も僕は真面目にやっていました。」
「じゃあ何で俺のドリブルが止められなくちゃならないんだよ!」
先輩はケンを睨み付ける。それを止めに入ったのはコウだった。
「先輩落ち着いて。」
「邪魔すんなよ!」
先輩はコウを突き飛ばした。コウはすぐに起き上がり先輩の前に立ちはだかった。
「てめえはちょっと上手いからって調子に乗るな!」
先輩はコウをまた突き飛ばそうとした。そのときコウの前にケンが立ちはだかった。
「あなたの突き飛ばしたい相手は僕でしょ。それにあなたのドリブルには欠点がある。」
「なんだと?もう一度言ってみろ!」
先輩は怒りに震えている。ケンは前回と同じような鋭い眼差しで先輩を見た。
「あなたのドリブルは致命的な欠点がある。だから僕なんかに止められたんだ。」
「てめえー!調子にのってんじゃねえよ!」
先輩がケンに殴りかかった。コウが慌てて止めに入る。そして次の瞬間、ゴッと鈍い音が響きコウが倒れた。あたしは急いでかけよる。コウはあたしにつかまりゆっくりと起き上がった。
「先輩。じゃあ勝負しましょう。試合形式で。俺たちが勝ったらケンに謝ってもらいます。」
「上等だ!俺が勝ったらその眼鏡は土下座だ!そしてお前はチームから出ていけ!」
コウは表情を変えずにうなずいた。
「わかりました。じゃあ来週。」
コウはそう言って保健室に歩いていった。コウをあたしとケンは追いかけた。あたしはそのとき学校全体の時間が止まった気がした。




