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蠢く者たち



 人間の住む土地から山を越え、天を突くほどの高さがある北の絶壁からさらに北へ進んだ険しい極地に、およそ人の手では造ることができないような城がある。

 途方もなく巨大な威容、人の感性とは到底相容れないようなディテール。周囲を取り囲むように蠢く何かと、濃密なおどみに包まれた建造物。



 そこが現在の魔王、ナクシャトラが本拠とする城だった。

 魔王城の一室、そこに据えられた方形の卓に、それぞれ異質な部分を持った人型の生物が集っている。

 部屋の最奥は卓に就く全ての者を見渡せる場所には、華美な衣装をまとった黒髪褐色の少女の姿。その隣に控えるように立つのは、金の前髪を顔に掛けた男。そこから順に、長い白髪と赤目を持った線の細い男。背に蝙蝠のような漆黒の翼を生やした妙齢の女。椅子に座ることができないのか、肉の塊に手足が生えたような物体が卓の幅を占有し、対面には大きな闇がローブをまとい、人型の姿を保っている。



 やがて、席の一番上座にいる黒髪の少女が、不遜そうに口を開く。



「――マウハリオが倒されたそうだな、ヴィシュッダ」



 ヴィシュッダ。そう呼ばれたのは肉の塊の対面に就いたローブをまとった闇だった。

 彼女の訊ねに、実に実体らしからぬそれは、貌のある部分らしい闇を向けて答える。



「は。ナクシャトラ様の仰る通り、マウハリオ殿は連合の勇者との先の戦でお討ち死に。連合に残ったのは私の軍団と、ムーラ殿の軍団のみにございます」



 ローブの内から飛び出してきたのは、若い男の声。その声は少女――ナクシャトラに敗北を報告したが、次いで出された言葉は、仲間が倒されたとはまるで思えないような不敵な声音で彩られていた。



「ですが陛下におかれましてはご安心召されますよう。連合の勇者を倒す算段は既に着いております。近々、私めの策によって、必ずや勇者の首を届けることができることかと」



「そうか。考えがあるならそれでよい。そちらのことはそなたとムーラに一任する」


「はは」



 ナクシャトラに向かってこうべを垂れたのか。ローブの頭頂が前に傾く。ヴィシュッダの声からは自信が聞こえたが、一方その自信を過信と疑う声が響く。



「しかしそう簡単にいくでしょうかね」


「……リシャバーム殿。それはどう言う意味でしょうか?」



 ヴィシュッダがナクシャトラの横に控える男、リシャバームに訊ねる。



「いいえ、ラジャス閣下のこともありますゆえ、少々不安を覚えただけにございます。勇者が四人もいる現状、どこで足もとを掬われるかわかりませんからね」


「私の計画は万全を期しています。ムーラ殿の大軍団を陽動にして、他の戦力を引きつけたのち、勇者たちを誘き出し、殲滅するのです」


「だが、勇者はそう簡単に策に乗るか?」



 聞こえたのは肉の塊からだ。やたらと騒がしい声で、信憑性を問うと、ヴィシュッダはやはり自信に満ち溢れた声で言い放つ。



「おそらく勇者や連合の兵はいま、我らの軍団の一つを壊滅させたことで、浮かれて地に足が付いていないはず。術中に嵌まるのは十割確定かと」


「なるほど。敵を勢いづかせ、その勢いを利用する、ということですか」


「その通りでございます。リシャバーム殿」



 ヴィシュッダの肯定に続いて白髪赤目の男――イルザールが胡乱そうな声を上げる。



「死んだマウハリオを使う……か。いや、ヴィシュッダ貴様、マウハリオをダシにしたのか」



 非難にも取れるような声音を浴びせられたヴィシュッダは、まるで策を褒められたかのように、ひひひと喜悦の忍び笑いを漏らす。



「滅相もない。ただ私は勇者と一騎打ちをしたいと申し出たマウハリオ殿の願いを、ムーラ殿にお伝えしただけのこと」


「なるほどな。マウハリオのヤツはていの良い捨石となったわけだ」


「閣下は望みがかなったのですから、本望ではないかと」


「だろうな」



 イルザールが発したのは、平坦な声音の同意だった。

 一方そのやり取りを聞いていたナクシャトラが、冷たい視線をイルザールに向ける。



「ふむ? まさかイルザール、そちはマウハリオの末路に文句があると申すのか?」


「俺が? それこそまさかだな、ナクシャトラよ。マウハリオは弱かったから負けたのだ。それ以外に何もない。いまのはどういう流れだったのかという確認だ」


「ふ、ならよい。我も貴様ともあろう者がまさか情に走ったのではないかといささか焦ったぞ?」


「あり得ん話だ」



 面白くない話でもしたかのように、イルザールは鼻を鳴らす。そんな主従も何もない会話ののち、背中に蝙蝠の翼を生やした女が、不審そうな目をヴィシュッダに向けた。



「それはわかったんだけどさ、結局ヴィシュッダは連合の勇者倒せるの?」


「私の力を見縊っているのですか? ラトゥーラ」


「連合の勇者って女なんでしょ? あたしなら上手いことできるよ? ノーシアスだっけ? あそこの可愛い子みたいにさ。んっふふー」



 ラトゥーラはそう言って、にわかに淫らな笑みを見せる。一方、彼女の言った言葉の内容に反応したのか、ヴィシュッダの前を占拠する肉塊が、耳障りな騒がしさで吐き捨てた。



「精霊の神子のことか。一思いに殺せばよかったものを」


「それじゃ面白くないでしょ? あーあ、ラジャスはそういうとこ寛容だったのになぁー。敵はまず心を叩き折ってから殺せって信念」



 ラトゥーラは聞こえよがしに残念さを口に出すが、肉塊は応えずに黙り込んだ。

 二人の会話が途切れると、ヴィシュッダが、ラトゥーラに答える。



「問題ありませんよ。私には勇者の攻撃など通じない。ひひひ、リシャバーム殿の技を盗んだ私にはね」



 笑い声が気に障ったか、それとも物言いにか。それに苦言を呈する肉塊。



「借り物の技でよく吼える」


「借り物と言われればそれまでですが、私はあの技を昇華させ、強力なものにすることに成功しました。そうなれば、もうあれは私の技ですよ」


「ふん」



 厚かましくも言って退けるヴィシュッダに、そう肉塊は鼻を鳴らすような音を出したあと、金属の破片を身体から飛ばした。

 だが、ヴィシュッダは飛来する破片をかわそうともしない。破片はヴィシュッダに当たるかと思われたが、それは彼の後方へすり抜けて行った。



「ひひひ……」



 気味の悪い笑いを漏らす余所に、肉塊はリシャバームに問う。



「リシャバーム、貴殿はいいのか?」


「私は別に。閣下のお力になれたのなら本望です」



 と、ヴィシュッダにこうべを垂れるリシャバーム。表情は前髪に隠れ判然としなかったが、それに気を良くしたのか、ヴィシュッダは気味の悪い笑いを強くする。

 やがて会話の区切りを見計らったらしいヴィシュッダが、リシャバームの方を向いた。



「策は以上の通りです。リシャバーム殿。納得していただけましたでしょうか?」


「承知致しました閣下。私めの杞憂の解消に付き合って頂いたご慈悲に深く感謝いたします。では陛下」


「話はまとまったな。ではヴィシュッダよ。行け」



 ナクシャトラの命令に、ヴィシュッダは深くこうべを下げ、辺りの闇に消えていった。

 そして、いままで話を流れのままに任せていたナクシャトラが切り出す。



「では貴様らに今後の指令を与える。ラトゥーラ、グララジラス、貴様らはストリガと合流し、ネルフェリアと言ったか? そこまでの道を開けよ。連合はヴィシュッダの軍とムーラの軍があるゆえ、そこまでの攻略は容易くなっていよう」


「やったー。途中の国で呼ばれた勇者は女の子だよね? 楽しみだなぁ。どんな風にイジメてあげよっかなー?」


「承知しました。良い報告をご期待下さい」



 八重歯を剥いた歓喜の声と、騒がしくも静かな了承の声。ラトゥーラとグララジラスの二人はそれぞれの返事を返したあと、席を立ち、闇の中に消えていく。

 他方、命を与えられなかった者が一人、疑念の声を上げた。



「おいナクシャトラ、俺は入っていないのか?」



 イルザールが不審そうに訊ねるが、それに答えたのはリシャバームだった。



「申し訳ありません。イルザール閣下には別にして頂きたいことがありまして」


「貴様の企みでオレだけ別行動か」


「はい。イルザール閣下はこのあと自治州に赴かれ、勇者が残したという武具を奪取して頂きたく存じます」


「武具だと? 別にそんな物など放っておけば良かろう? 女神の加護を受けた者ならまだしも、その持ち物など大した脅威ではない」


「イルザールよ。これはリシャバームたっての願いだ。私も許可をした」



 ナクシャトラの言葉に、イルザールの眉がピクリと動く。そして、イルザールはゆっくりとリシャバームの方を向き、


「……願いとは珍しいな。それほど脅威なのか?」


現事象兵装(サクラメント)と呼ばれるものにございます。実質の用途は全く別のものではあるのですが、おそらく我らが神ゼカライアに人間が直接対抗し得る術の一つになるかと」


「ほう? それなら面白そうだな。いいだろう。貴様の企みに付き合ってやる」


「ありがたき幸せ」



 神妙にこうべを垂れるリシャバーム。しかしイルザールは彼の言葉が気に染まないのか、世辞と見抜いているのか。返事もなく、鼻を鳴らして立ち上がった。

 そして、部屋から出て行こうと歩き出すも、ふとピタリと立ち止る。



「閣下?」


「――リシャバーム。お前に一つ訊きたいことがあったのを思い出した」


「なんでございましょう?」


「ラジャスを倒したのは何者だ?」



 その問いを耳にしたリシャバームは、口もとに獰猛な薄ら笑いを浮かべる。



「人間共の間では、アステルの勇者が倒したということになっていますが?」


「違うな」


「どうしてそうお思いに?」


「勘だ」


「御冗談を」



 と、答えにもなっていないとリシャバームが笑みを浮かべながら一言に伏すと、今度は剣呑な鬼気をその身から滲ませて問い質しにかかるイルザール。



「……ラジャスほどゼカライアの加護を受けていたヤツが、呼ばれたてでまだ女神の力が馴染んでいない勇者などに負けるものか」


「もともと相応に力を有しているものであれば、あり得なくはないと思われますが?」


「ない」


「何故断言できるのです?」


「経験談だ。これまでのゼカライアの意志と戦った勇者は、貴様らと戦えるようになるまである程度時間を有したからな」


「だから、ラジャス閣下が勇者に倒されるのはおかしいと?」


「そうだ。いくらなんでも早すぎる」


「だからとて、私に訊ねられましても……いやはや困りものですね」



 とは言うが、リシャバームは至って弱った様子もない。強力な魔族の将を倒し得る存在がいるのに、危機感の一切もなく笑む姿はむしろ道化の仮面でもかぶっているかのよう。



「余裕だな。やはりお前、ラジャスを倒したヤツが何者なのか知っているのではないか?」


「まさか。目下調査中でございます」


「その薄ら笑いでか? お前のほうこそ冗談も大概にしておけよ」



 追従の態度を崩さないリシャバームに、冷ややかな視線を呉れるイルザール。彼の凍えるような眼光が離れないことがわかると、リシャバームは観念したようなため息を吐いて一転、おべっかの皮を取った。

 するとにわかに、室内の温度が変化を来す。何もかもが凍えるほどに室内が冷え込むと、響き始めるパキパキというひび割れのような音。それらが舞い降りた異変を如実に伝えたのもつかの間、魔族でさえも不快を感じるような空気が辺りに立ち込めた。



 ――いま魔王の城の一室をにわかに満たした冷たい空気はそう、魔術師が放つ型の心霊寒気(サイキックコールド)に他ならなかった。



「お言葉ですが閣下、やはりラジャス閣下を倒した者は勇者であるのが道理でありましょう? いまし方の閣下の口振りでは、たとえもともと相応に力を有している者であろうと、ラジャス閣下を倒すことは不可能で、女神の加護を受けた勇者でしかラジャス閣下を倒すことはできなくなります」


「ゆえにそれが……ふむ、確かにそれで勇者が倒せぬとあっては」


「――そうです閣下。それではいささか矛盾していましょう」


「……では、先ほどの言葉は撤回しよう。女神の力がなくとも、倒す術はあると」



 その言葉が欲しかったのかリシャバームは。口もとにいままで見たことのないような不気味な笑みを作り出す。

 そして、



「――ラジャス閣下を倒した者の名は、八鍵水明。魔術王ネステハイムの興した魔術結社に所属する現代魔術師(スペリオル・ウィザード)であり、その位階は偉業者(ハイグランド)級。魔術師の中でも扱う魔術の系統は多岐に渡り、中でも我らが神ゼカライアと同格の神性を世界の狭間へと送り返した[聖なる稲妻(アブラク・アド・ハブラ)]、終末を呼ぶ化物を一刀のもとに斬り伏せた[蒼に清められた刀身(ブレス・ブレイド)]、赤竜の咆哮を凌いだ金色の[盾(マグナリア)]と、それを跡形もなく消し飛ばした[星空の魔術(エンス・アストラーレ)]の四つの大魔術の驚異的な力を以てして、幾多の魔術師を倒してきました。ラジャス閣下を倒した魔術は、聖守護天使の力を用いた聖なる稲妻に間違いないでしょう。あれが我らには最も効く」


「……貴様」


「道中、あの男に出会ったときはお気を付けを。イルザール閣下ならば相性がよろしいでしょうが、あの男は夢を砕かぬ限り何度でも立ち上がる、そんな男だ。決して変えることのできない無慈悲な現実を示さなければ、私の二の舞になりましょう」



 リシャバームの発したその言葉の内には、並々ならぬ因縁を思わせる感情が含まれていた。恨みだけではなく、怒りだけでもない。憧れともつかない、喜悦もあった。

 そんな万感含まれる声は、他の魔族の将たちが消えていった闇に溶けたのだった。



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