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長い夜の終わり



「――隠秘学的エントロピー限界によるマジック・メルト現象について?」



 首を傾げるフェルメニアの問いに、水明は再び説明を始めていく。



「そう、場のエントロピーを増加させると、科学的な結果が不安定になりやすくなるということはさっき話した通りだが、一定の空間内で、一定の時間内にエントロピーを増やし過ぎてしまうと、魔術が使えなくなることがあるのさ」


「そんなことがあるのですか?」


「ある。こっちの世界の魔法は、魔術を現界させる一連の神秘的な行為を、エレメントが肩代わりしてくれているからな。『神秘的な法則を確立させようとする要素』の発生が抑えられていて、エントロピーが大きく増えることはない。そのせいでそんなことは起こらないから、わからないんだろうが」



 と言って、水明はまた説明に戻る。



「一空間内のエントロピーが急激に増えると、小人たちのケンカが激しくなり、『科学的な法則を確立させようとする要素』だけでなく、その量が増えたせいで『神秘的な法則を確立させようとする要素』にも負荷がかかるんだ」


「ですが、魔術を使うための神秘的な行為を行えば、その『神秘的な法則を確立させようとする要素』が増えるわけですから、エントロピーを増やす魔術が使いやすくなると解釈できますが、違うのですか?」


「要素が周囲の空間に散らばる前に、一気に大量に生み出し過ぎると、その場でひしめき合って、同じ種類の小人同士でも互いに干渉し合ってしまうんだ。つまり、小人が動きにくくなって、魔術を起こせなくなってしまうんだ」



 水明は、いま言った通りと付け足して、紙に絵をかいて説明する。



「魔術は、その目に見えない要素の小人の力で発動していると考えられている。そこで、だいぶ微視的(ミクロ)な考え方になるが、小人が『魔術を発動させるまでの仕事時間』ってのが発生していることになる。その仕事の時間は、場のエントロピーが増えて小人が動きにくくなるほど(かさ)んでいき、やがてそれは魔術の行使にも影響を与えてしまうまでになるのさ」


「つまり魔法を発動してもらうまでの待ち時間ができる、ということですか?」


「そうだ」


「ですがどうしてそれで魔術が使えなくなってしまうですか? 待ち時間というのなら、魔術を組み立ててしまえば、時間はかかっても魔術は発動するはずです」


「疑問に思うなら、そこで魔術を起こすための基本を思い出してみるといい」



 反芻を促す水明の言葉に、フェルメニアは先ほど自分で言ったことを踏まえながら、口に出しつつ思考する。



「基本、ですか……? そもそもこの話は成立した魔術であることが前提で考えられていますから、別に使えなくなるわけでは――あ!」


「わかったか?」


「時間……ですね?」


「そう、その通りだ。魔術とは、神秘的な行為を、決められた組み合わせ、決められた手順、決められた時間内で行うことにより発動する。普段はそれらの行為を行うとすぐに魔術が発動するため気にも留めないが、実際はこの『発動までの時間』も加味される。組み立てから発動まで大きく時間がかかれば、当然そこで決められた時間の規則を破ってしまうことになるため、組み立てたはずの術式が溶け出してなくなってしまうんだ」



 説き明かしのあと、水明は至極真面目な顔で言う。



「つまりそれが、魔術融解(マジック・メルト)現象というものだな」



 ……そう、発動の条件を満たせなければ、当然編んだ魔術は無駄になる。もちろん事前に行使した魔術の効果の継続にはなんら問題はないが、発動前の魔術はどうしても制限を受けてしまうのだ。そのエントロピーの圧迫具合を予測して、魔術を発動まで待機させ、決められた時間の調整をすれば簡単に解決することだが、そこまで気が回らない者は多くいる。



「先ほども言った通り、現代魔術理論は特筆して一空間内のエントロピーの増加量が大きい。大本の理論である大統一理論に従い、多種多様な系統の魔術を混ぜて通常よりも速く、効果の大きい魔術を作るため、要素の増加を加速させる。現代魔術理論を用いた魔術を考えなしに使うと、この現象が発生してみんな魔術が使えなくなるのさ」


「つまり、結果の大きな魔術はその効果も大きい分、制限があるということですね」


「そうだ」



 首肯した水明は、ここがミソとでも言うように、もったいぶった言い方をする。



「それで、重要なのが、あの危ない女が使う魔法も、エントロピーを大きく増やしてしまう結果の大きな魔法だってことだ」


「確か……スイメイ殿の世界で言う転移魔術でしたね」


「そうだ。ちゃんと見ていたよな?」


「はい。あれも手順が少なく、発動が早いものでした。現代魔術理論は用いられていませんが、やはりあれも?」


「そう。発動の手間は少ないが、実際は事前にコートの裏地に魔法陣を描き込んでるってだけだからな。転移魔術が物理的に起こすことが難しい魔術に変わりない。だから」


「例の『神秘的な法則を確立させようとする要素』の急激な増加により、エントロピーを大きく増やしてしまうのですね」



 フェルメニアが正解を口にすると、水明はイタズラ小僧の作るような笑みを見せた。




「そうだ。これで、今回の授業の目的もわかるよな――」



 ……そう、いままでフェルメニアが使っていたのは、水明から教わった現代魔術理論を用いた魔術だ。付け焼き刃なせいもあり、威力はそれほど期待できたものではないが、隠秘学的エントロピーを大きく増やす術にしてあるため、マジック・メルト現象が発生しやすくなっている。



 そして、エントロピーを増やしてもらう対象はグラツィエラでだけではない。そこまで増大量はないが、黎二や瑞樹、ティータニア、騎士たち、そしてクリスタやグラツィエラ陣営の魔法使いたちもそうであり、この世界の魔法を用いないエリオットにはグラツィエラに次いで大きくその役目を担ってもらっている。

 彼の魔法はエレメントの肩代わりがないため、エントロピーを増やしてしまう傾向にあるのだ。

 それゆえ、マジック・メルト現象は発動させられる域にある。そのため、水明はこの策を採用したのだ。そして、エリオットへの対策も、これで賄ったというわけだ。



 ――前にも見ただろうが、エリオットは魔術と剣技を連動させて使っているのは覚えているな? どちらか一方が突然使えなくなれば、隙が生まれる。狙い目はそこだ。



 エリオットは魔術を多重行使するため、そして身体強化魔術と付与魔術とを交互に使うため、魔術の掛け直しが何度も発生する。黎二にそのときを見計らって声を掛けてもらうことにより、エリオットには隙が生まれたのだ。

 グラツィエラは勘付いたか、フェルメニアの方を向いて忌々しげに口にする。



「そうか。貴様のおかしな魔法も、魔法が使えなくなったのも、ヤツの入れ知恵か……」


「――失礼ながら、その質問にはお答えしかねます」



 言いかけたグラツィエラの言葉を、フェルメニアはばっさりと斬って捨てた。ここには黎二たちもいる、不用意な答え合わせは、彼にとって迷惑だ。

 黎二が剣を突き付けたまま、グラツィエラに敗者の責を求める。



「これで決まりです。兵を退かせ、あなたも下がってください」



 だが、グラツィエラは不服そうに鼻を鳴らし、



「断る」


「え――?」


「まさかこれで勝ったつもりでいるのか? お前は私に剣を突き付けているだけだろう? よもやその剣、私の心臓に突き立てることができるとでも言うのか?」



 グラツィエラの指摘に、黎二は湧き上がってくる焦りを内に隠して言う。


「これ以上あなたが戦うというのなら」


「よせ。一国の皇女を手に掛けることなどできはすまい」



 確かにハッタリだ。それを見抜いたように、グラツィエラは鼻白んでいる。こういった場面に慣れていない黎二の脅しには、彼女から敗北を引き出すほどの外連味はないか。

 やがて通りの先から、集団の駆け足が聞こえてくる。地面が揺れるほどではないが、それでもかなりの数がいると推測できるが――



「どうやら、援軍も来たようだな」



 挑発的な笑みを浮かべるグラツィエラに、ティータニアが叫ぶ。



「まさか後詰を用意していたのですか!?」


「当然だ。戦う相手の力量如何で、それくらいは考慮するものだろう? どうやら、そちらは詰めが甘かったようだがな」



 額に汗を浮かべながらも、不敵に笑うグラツィエラ。そんな彼女に黎二は再度言う。



「ですが、僕が剣を突き付けているのですよ?」


「帝国の兵は命を下せば躊躇はしない。それに、白炎殿もこれ以上の策はないようだしな」


「く……」



 フェルメニアが歯噛みする。そんな手落ちをグラツィエラが嘲笑ったのもつかの間、彼女は全ての部下に号令をかける。



「みな、遠慮はするな! この者たちを拘束せよ!」



 援軍が応え、先ほどまで戦っていた兵士たちが動き出す。瑞樹やお付きの騎士たちがフェルメニアのいる場所まで追い込まれ、囲まれたその時だった。



「――グラツィエラ・フィラス・ライゼルド、貴公も相変わらずだ。立場の弱いものばかり叩くその癖、以前に窘めたこと、もはや忘れてしまったのか?」



 赤い風と共に、そんな清涼な声音が通りを駆け抜けたのは。

 直後、駆けつけようとしていた援軍の先陣が、爆発に巻き込まれたかのように吹き飛んだ。



「な!?」


「何だと……」



 黎二とグラツィエラが驚きに絶句する。

 横合いの路地から、援軍に対して殴りつけるように吹き払ったのは、赤い輝きを孕んだ風だった。魔法使いと兵士とで混成された部隊の先陣を舞い上げて吹き飛ばし、その影響で駆けつけようとしていた後続は踏鞴を踏まざるを得なかった。

 赤い風に吹き飛ばされた兵士は動かない。四方に散らばって、気を失ったまま。一方彼らを気絶に追いやった赤い風は、路地の入口はもちろんのことその周囲や建物の上にまで見て取れるように、大きく蟠っていた。



 舞い立った粉塵が赤い風によって吹き散らされる。

 しかしてそこにいたのは、もとの姿を取り戻したレフィールであった。

 身の丈を超える大剣を肩に担ぎ直して、目の前の兵士たちに鋭い視線を向けるレフィール。まだ二十歳にもなっていない少女の威圧が、兵士たち張り詰めた糸で縛り上げた。



 一方グラツィエラは、その様を目の当たりにして、いや、レフィールの姿を目の当たりにして驚きに目を瞠る。



「まさか……ノーシアスの神子殿か! 生きていたのか……」



 その言葉に振り向いたレフィールは、黎二たちの姿を目に留め、安堵の声を出す。



「どうやら、間に合ったようだな」



 不意にレフィールの視線による束縛から解放された兵士たちが、身体の自由を取り戻し、我に返ったように動き出す。よく訓練されているのか、すぐに散開。兵士は前方で剣を構え、後方にいた魔法使いたちが、レフィール目掛けて一斉に魔法を放った。



「危ない!」



 黎二は彼らの方を向いたままのレフィールに叫び伝えるが、しかしレフィールは鷹揚な動きで、目の前の兵士に向き直る。直後に、撃ち出された魔法の数々がレフィールに殺到するが、彼女はまるでそよ風でも受けたかのように平然としてそこにあった。



「馬鹿な……魔法が通じない、だと……」



 兵士の誰かが、その場にいる全員の心中を代弁するように、戦慄に呻いた。

 それを見ていたグラツィエラも、驚きに心とらわれたまま、口にする。



「神子の……精霊の力か。まさか魔法まで無効化するのか……」



 魔法使いたちが、グラツィエラの方を向く。彼らにもその言葉は聞こえたか。そんな彼らに無情な真実を突き付けるように、レフィールが叫ぶ。



「精霊を我が身とするこの私に、女神の恩恵を受ける魔法が効くと思ったか!」



 口から発せられたのは、咆哮だった。戦場を駆けまわる将の一人であった彼女の、大喝である。その声は、大気を帯電させたように、肌を突き刺すようなしびれを与え、そして再び剣を振り上げるレフィール。その行為に呼応するように、剣を中心にして赤い風が渦を成す。やがてそれが振り下ろされると、展開していた兵士のみにかかわらず、残っていた彼らの約半数が、剣が起こした爆轟めいた太刀風によって、建物の壁に、通りの石畳に、打ち付けられた。



 ――強烈な一振りだった。その場にいた誰もが、言葉を失って、我が目を疑った。それだけ、赤い風を従えた少女は圧倒的だった。

 風が、またどこからともなく吹いてくる。まるでそこに集まらなければならないのだと言うように帝都内に四方から吹き込み、レフィールの元まで来ると、赤い輝きを帯び始めた。



 困惑が広がると同時に、兵士の誰かが気付いたように声を上げる。



「まさか、これはイシャクトニーの……」



 そう言って、確信したのか。次に出てきた声は、戦慄に震えていた。



「あ、アルシャリア聖神話に出てくる赤き風、赤迅だ……。その赤い嵐に呑まれたものは、例外なく無に帰すっていう……」


「そ、そんなバカな!」


「だってあの娘、さっき自分で精霊がどうって……」


「お、おい! さっき確かグラツィエラ様も、あの女のことを神子って言ったぞ!」



 レフィールが、大剣の切っ先を地面に叩きつけると、恐慌の伝播した兵士たちはその音に一様にすくみ上がる。



「ひぇ……」



 何人かが、その場で尻もちを突いた。レフィールはそれを見て、再び口を開く。



「我が精霊が作りし剣の錆になりたくなくば、道をあけよ!!」



 再びのレフィールの大喝に、兵士たちは夢中で、通りの端へ退いた。命からがらだ。端など知ったことかと言うように、這う這うの体。中には頭を地面にこすり付け、女神の祈る者さえいた。逃げ遅れた者は、レフィールの起こした突風によって、無慈悲に吹き飛ばされる。



 その様を、レフィールが睥睨する。彼女が左を向くと、左側にいた兵士たちはすくみ上がり、彼女が右を向くと、右側にいた兵士は震えあがった。



「女神さま……女神さま……」


「お、お助けを! どうか、どうかお許しを……」


「これは命令で……仕方なく……」



 もはや兵士たちは総崩れであった。地面に頭をこすり付け、女神やレフィールに許しを請うものさえいる有様である。


 その様を見て、グラツィエラが、



「馬鹿な……ノーシアスの神子殿まで協力しているとは……見誤ったか」


「当然だ。まさかスイメイくんが詰めを誤るなどあるはずあるまい?」



 思いも寄らない結果を前に、歯噛みするグラツィエラ。そんな彼女に、レフィールはまるで身内を自慢するかのように言い放つ。グラツィエラに対する物言いは不遜だが、無論神子である彼女はそれを許される立場にある。



「久しいな、グラツィエラ皇女。前にお会いしたときから二年は経っているが、どうやら相変わらずのようだ」


「今更挨拶などぬけぬけと……ノーシアスとネルフェリアの旧交を温めにきたわけでもあるまい」


「わかっているなら、気取った前置きもいらないな。今日私がここに来たのは――貴公をこの手で殴り飛ばすためだ」


「なにっ……!?」


「我が赤迅よ……」



 請うような言葉と共に、レフィールの右腕に赤い風が集っていく。そして、彼女は声に確かな怒りを湛え――



「これは怪我をして大変だったスイメイくんの分だ。甘んじて受け取るがいい!!」



 豪風が如き強烈な拳打が、グラツィエラの腹部に見舞われた。



「ごはっ!?」



 まるでゴム毬を投じたかのように、豪快に吹っ飛ぶグラツィエラ。やっと身を起こすが、それでも満足に動けないようであった。

 そんな彼女を一瞥したレフィールは、今度は黎二たちの方を振り向く。そして、彼らの顔を見回して、わずかに相好を崩した。



「みな、無事のようだな」



 レフィールは知り合いの(てい)でいるが、当然黎二たちには彼女が誰だかわからない。



 全員の困惑を代表して、黎二が訊ねる。



「すいません、どこかでお会いしたことがあるような口ぶりですが、あなたは?」



「……心外だな。ずっと一緒に過ごしていたではないか」



 その言葉と、見た目の特徴と、彼女の口調で、黎二はやっとわかったか。驚愕の様相を顔に写して、



「も、もしかしてレフィールちゃん!?」


「む……この姿でちゃん付けされるのはいささか面映ゆいな、レイジくん」



 黎二に次いで、瑞樹も驚きの声を上げる。



「だ、だ、だ、だってレフィールちゃんはあのちっちゃくて可愛い女の子だよ⁉」


「先ほどまではね。だが、いまは違う。理由があってあんな姿になってしまっていただけで、こちらが私の本来の姿なんだよ」


「理由って……一体何がどうなったら、人間がちっちゃくなるの……?」


「説明はできるが、長くなる。スイメイくん風に言うなら、ふぁんたじだからだ」

 それを聞いていたティータニアも、呆れたように息を吐く。


「スイメイのことといい、いろいろと驚くことばかりですね……」



 レフィールのことには無論、フェルメニアも驚いた。



「ほ、本当にレフィールなのですか……?」


「フェルメニア殿には前に話したじゃないか。あの小さな姿は、私の本当の姿ではないと。それはスイメイくんも言っていたはずだぞ?」


「そそそそんなもの信じられるわけがないでしょう!! 人の身体が小さくなるなんて! 私はあなたがスイメイ殿と一緒に冗談を言っているのかと!」


「ではフェルメニア殿は私やスイメイくんが嘘をついていたと思っていたのだな? ひどい話だ」



 レフィールは呆れたように肩を竦める。そんな彼女に、黎二は、



「だけど、どうして急に元の姿に?」


「数日前からもとに戻るための魔法陣を用意していてね。先ほどこの姿に戻ったのさ」


「そうなんだ……」



 黎二が訊ねる一方で、グラツィエラが動き出す。



「……全員、何をしている! 貴様らはそれでも帝国の兵士か! 剣を取れ!」



 彼女は敵意を失っていなかったらしい、未だ震え上がる兵士たちに、号令をかけた。それに、ティータニアが澄まし顔で言う。



「往生際が悪いですよ、グラツィエラ皇女。一時の怒りにとらわれて戦うなど、将にあるまじき行為ではないのですか?」


「黙れ。いくら神子殿や勇者がいるとしても、帝国の力を使えば貴様らなど」



 グラツィエラは潔しを知らぬとばかりに、敗北を認めない。そんなとき、一人いつの間にか天を見上げていたレフィールが、忍び笑いを漏らしながらに、問いかけた。



「――ほう、では貴公はあれを見ても、そんなことが言えるのか?」


「あれだと……」



 その言葉に釣られて、その場にいた全員が天を仰ぐ。見上げた帝国の夜空には、星空よりも深い群青の魔力光で描かれた巨大な魔法陣があった。



 それを見た瑞樹が、動揺もあらわに叫ぶ。



「あ、あああアレ! アレなに!? 空におっきな魔法陣が浮かんでる!」


「大きい…どうしてあんな規模の魔法陣が、しかも空になんて……」


 黎二も驚きに目を瞠って、呆然と口にする。グラツィエラの方は驚きで声も出ないか。

 一方で、黎二に殴り飛ばされたエリオットが、クリスタに寄り添われ起き上ってくる。



「つ……ぼくが気を失っている間に、とんでもないことが起こっていたようだね」


「エリオット殿か」



 レフィールが言うと、



「やれやれすごく見覚えのある女の子が大きくなってるね」


「話はあとだ。来るぞ」



 その言葉と同時に、魔法陣の中心点から魔力波が押し寄せてくる。それが一気に通り抜けていった端から、蛍が綾なす仄めきのように、大地から金色の粒子が立ち昇り、星空の魔法陣へと吸い込まれていった。

 そんな幻想的な光景の中、巨大な魔法陣の中に幾多の小さな魔法陣が

現れる。小さいと言っても、巨大な魔法陣に比較してだが。やがて小規模な揺れのあと、帝都が天から降り注ぐ光に包まれる。星の光はあらゆる場所に溢れ、黎二たちもまた、落ちてきたその光に包まれた。



 この光景が何なのかを、ただ一人フェルメニアだけが知っていた。王城キャメリアにおいて、水明と戦ったときに彼が使った魔術、流星落(エンス・アストラーレ)である。

 ……やがて光が収まる。その場にいた者には当然、何事もない。



 黎二が、訳知りらしい振る舞いをしていたレフィールに訊ねる。



「レフィール……さん。これは?」


「これか? これはフェルメニア殿が手を打った結果だ」


「え!? そうなんですか、先生!?」


「え? あ……ええ、まあ。魔法を事前に仕掛けていて……その……もにょもにょ」



 黎二に訊ねられ、フェルメニアは何とか取り繕う、そして少しわざとらしい咳払いをして、グラツィエラの方に向き直る。



「グラツィエラ殿下。殿下もいまの魔法の威力を見たでしょう? あの巨大な力を見ても、まだ戦うなどとそんなことを仰るのですか? 殿下の兵士たちも、あの様子ですよ?」



 兵士たちの方を指し示す。レフィールに戦意を喪失させられていた彼らは、星気光の輝きが神の怒りにも感じられたらしく、平伏して女神に祈るばかりであった。無理もない。あんなものが、たった一人の人間の力によって引き起こされているなど、考え付くはずもない。



「くそっ……だが」



 グラツィエラは、まだ諦められないか。悪態をついて、反抗の意思を見せる。だが彼女を諦めさせるその決定打は、思いもよらぬ場所から下されることになった。

 すくみ上がる兵士たちの向こうから、騎馬兵たちが現れる。やがて彼らは整然とした隊列を保ったまま止まり、そして彼らの間から出て来たのは、



「――ライラ、そこまでだ」


「あ、兄上……」



 その人物の登場に、絶句するグラツィエラ。騎馬兵の中からその姿を現したのは、同じく馬に跨った、ネルフェリア帝国第一皇子、レナート・フィラス・ライゼルドだった。

 グラツィエラと同じブロンドの長髪、片眼鏡をかけ、豪奢なまといに身を包むレナート。彼はまず、グラツィエラではなく黎二たちの方に向き直る。



「騎乗のまま失礼する。エリオット殿、ノーシアスの神子殿、ティータニア王女殿下、そして貴公がアステルで呼ばれた勇者である、レイジ殿か」


「はい」



 黎二が短く答える。レナートが何者なのかを知らぬ彼が警戒を強めていると、ティータニアが後ろから、帝国の第一皇子とだいうことを耳打ちする。

 そんな中、グラツィエラがレナートに向かって叫んだ。



「兄上! そこまでとはどういうことで!?」


「……そのままの意味だ。これ以上はもう控えろ」


「ですが!」


「ライラ。お前は騒ぎを大きくし過ぎたのだ。それに、勇者と勇者を争わせるなど、聖庁の耳に入れば大事だぞ?」


「……それは、確かにそうですが」



 さすがのグラツィエラも、この帝国で皇帝の次に権力のある兄に諭されれば、これ以上は強気に出られないか。悔しそうに、その場で拳を握り締める。



「ご無沙汰しております。レナート皇子殿下」


「久しぶりだ。ティータニア姫。相変わらず凛然としていらっしゃる。やはり貴公は戦場(せんじょう)に咲く花だな」


戦場(いくさば)にお世辞はいりませんよ殿下。それはともかく、先ほどのお言葉は」


「ああ、我々は引き上げる。だが、犯人については……」



 と、レナートが言いかけた折だった。



「おーおー、こっちはこっちでなんかすごいことになってるな」



 通りの路地の一つから、水明がローミオンのなれの果てを引きずりながら、リリアナを連れて現れる。それを見た黎二と瑞樹が、嬉しそうに叫んだ。



「水明!」


「水明くん! リリアナちゃん!」


「ふう……どうやら、そっちは終わったようですね?」



 確認に訊ねてきたティータニアに、水明は一仕事終えてきたような態度で返す。



「ああ、なんとかな」



 ローグと別れたあと、リリアナを連れ、すぐに引き返してきたばかり。すぐに水明のもとに黎二たちが駆け寄ってくる。そこで、少しばかり元気のないリリアナに気付いた瑞樹が、しゃがみこんで声を掛ける。



「リリアナちゃん?」


「……はい」


「瑞樹、すまんがリリアナを少し頼む」



 そう言い残し、リリアナを瑞樹たちに預けて、水明はレナートやグラツィエラがいるところへと足を運ぶ。そしてレナートの身なりを見て、彼の立場を予想し、



「アンタいいモン着てるが、そこの危ない女の関係者か何か?」



 不遜に顎をしゃくる水明に、騎馬兵が色めき立つ。すぐに彼らは前に出ようとするが、レナートはそれを手で制した。



「レナート・フィラス・ライゼルドだ。お前は?」


「スイメイ・ヤカギ。あそこの勇者のオマケで呼ばれた人間だよ」


「む……異世界からの客人か」



 さすが勇者と一緒に呼ばれた人間と聞けば、強くも出れないか。そんなレナートに対し水明は、引きずってきたローミオンを引き渡す。



「ほれ、こいつが今回の事件の真犯人だ。持ってけよ……といっても、もう話を聞ける状態じゃないがな」

 真っ黒に変色し、エルフとしても見分けもつかなくなったローミオンを見て、レナートが怪訝に眉をひそめる。



「これが犯人だと?」


「ああ、闇魔法を利用するつもりで、逆に取り込まれたその末路ってやつだ。この事件は全部こいつが仕組んだことだ」


「ふむ……それを信じろというのか?」


「ま、他に証言できるヤツはいないからな。だが、信じておいた方が丸く収まるんじゃないか? こいつが真犯人だってアンタらが晒しとけば、少なくともこれ以上大事にはならないはずだぜ?」



 水明の言葉に、レナートはしばし黙考する。これ以上、ことを構えるのと、大人しくローミオンを持って行くことのどちらが良いのか、考えているのだろう。



「それと、リリアナはこっちで預からせてもらう」


「貴様、そんな言い分がまかり通るとでも?」



 水明の言葉を聞いてグラツィエラは怒りを表し反抗するが、しかしレナートは首を縦に振った。



「……いいだろう。その真犯人とやらを預からせてもらうゆえ、そちらは好きにするがいい」


「兄上!?」


「ライラ、ここには神子殿や勇者殿がいる。それに、先ほど帝都を包んだ光の魔法は」


「――ま、そう言うこった」



 黎二たちに聞こえているとも限らない。水明はそうそうに認めるような発言をして、この話を切り上げた。



「貴様……」



 納得の行かない話の連続に、グラツィエラは水明を忌々しげに見据える。そんな彼女に、水明は肩を竦め、



「ふん? どうやらその様子だと、あんたは悪魔を生み出すことはできなかったようだな」


「……なんだと?」


「なに。悪魔がこの世に存在することを証明できれば、エントロピーを減少させられるからな。魔法が使えなくなることもない」



 その断片的な解き明かしでは結局わからなかったようだが、彼女には今回の一件が誰の仕組んだものなのか、伝わったようであった。



「……この借りは必ず返す」



「当たり前だ。今度はちゃんと俺がボコボコにしてやるから、そのつもりでいやがれ」



 そう言って、水明はグラツィエラたちのもとをあとにする。


 そして最初に彼を出迎えたのは、フェルメニアだった。



(スイメイ殿、おつかれさまです)



(その様子だと上手くいったようだな)


(かなり肝が冷えましたがね)



 フェルメニアはそう言って、苦笑を見せる。

 一方、黎二たちはリリアナを連れ、レフィールの周りでがやがやと騒いでいた。もとの姿に戻ったので、いろいろと質問でもしているのだろう。レフィールの姿を見たリリアナが、「どういうことですか!」とか「詐欺です!」などと騒いでいる。



 一通り彼らと話したレフィールが、やってくる。同じくらいの背丈に戻ったレフィールに、水明が快い笑みをかけた。



「無事、もとに戻ったようだな」


「ああ、おかげさまでね」



 礼を返したレフィールに、突然水明は抱き締められた。そして



「スイメイくん。ありがとう」


「へ、え? えぇっ!?」


「もとの身体に戻れたのは君のおかげだ。アステルでの件も含め、感謝してもし足りない」



 驚き動揺する水明をそのままに、レフィールは感謝の言葉を述べていく。確かに彼女の言う通りだが、抱き締められるというのは水明も混乱をきたす。

 するとフェルメニアが、胡乱げな視線を向け、



「……レフィール、そういうことをするなら人のいないところの方がいいのでは?」


「あ、いや、その……つい感激してしまってな、その……」



 レフィールは赤くなってもじもじ。いつもの凛々しさはどこへ行ったのかというほど、恥ずかしさに炙られていた。



 やがて水明たちのところに、エリオットとクリスタがやってくる。



「まさか、君も召喚された側の人間だったとはね……」


「おっと、さっきの話聞いてたのか。ま、オマケだよオマケ」


「どの口が言う。しかもレフィールちゃんは小さいから戦えないから連れて行くなって前に言っただろ? 彼女のどこが戦えないんだ」



 そう腹立ち混じりに言うエリオットに、水明はとぼけた調子で返す。



「でもなぁ、あのときは戦えなかったのは確かだしなぁ~」


「ぐ……」


「俺は別に嘘はついてないぜ?」



 水明が人を喰った笑みを見せると、エリオットは悔しそうな表情で言い放つ。



「やっぱりぼくは君が嫌いだ」


「嫌いで構わねぇよ。だが――」


「ああ、わかってる。ぼくはこの件から潔く退こう。……それにしても、なんか今回は負けてばかりだな」


「ん? なんだ、今回は負けてくれたんじゃねえのか? 右腕のそれ、使ってないんだろ?」



 水明が指摘すると、エリオットはひどく苦い表情を浮かべ、



「……見抜いていたのか」


「それくらいはな。で? 負けてくれたんだろ?」


「君にそれを言ってしまうと敗北感がかさむ気がする」


「そうかい。だが、今回は礼を言っとくよ。ありがとうな」



 水明が素直に謝意を口にすると、エリオットは不満そうに口を尖らせるが、面映ゆいのか赤くなっていた。そんな彼に、レフィールが、



「エリオット殿。貴公は今回の件、納得がいかないものかもしれない。だが、私とスイメイくんを引き合わせてくれたのも、女神のお告げによるものだ」


「そうなのかい? やれやれ、どういうことなんだか」



 と、言葉をこぼすエリオット。さすがにその先の「女神に対する愚痴」は言えないか。首を横に振るだけに留めていた。



「エリオットさま」


「ああ、そうだね。じゃあ、ぼくたちも戻ることにするよ」



 クリスタの促す声を聞いて、エリオットは背を向ける。そのまま彼らは、救世教会の宿舎があるところへ戻って行った。グラツィエラやレナートたちも、連れてきた兵を揃え、戻る様子だった。

 瑞樹たちと一緒に近づいてくる黎二。彼に、水明は言う。



「今回は世話になったな」


「いいよ。気にしないで」



 拳と拳をぶつけ合う水明と黎二。こうして帝都を騒がせた昏睡事件と夜更けの戦いは、終結したのだった。





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