土煙にまみれて
今日は二話分の更新なのでご注意を
舞い上がった砂埃が風によって流れていく。辺りを席巻していた砂塵が晴れると、地に膝を突いて険しい表情のまま喘いでいるエリオットと、先ほどよりも熱意も興味も随分削がれたといった具合の表情で彼を見下した、グラツィエラがいた。
結局、戦いの行く末はグラツィエラ勝利という、予想された通りの結果となった。
髪を払い、腕を組み直すグラツィエラ。
「……まあまあと言ったところだな。戦いの技術は高いが、気当たりはアステルの勇者の方が上手のようだ」
アステルで黎二と一緒に戦ったときのことを、いまの戦いと重ね合わせたか、したり顔で評するグラツィエラ。腕を組む彼女の歯牙にもかけないような立ち姿を見て、エリオットは屈辱を感じたのだろう。鎧をまとったままだが、固く握った拳を震わせているのがわかる。
グラツィエラは従者が用意した飲み物を呷って、エリオットに向き直った。
「約束だ。事件が解決するまでは私の言うことに従ってもらおう」
「く……」
「それとも、この期に及んで勇者ともあろうものが嫌とでも言うか?」
「……わかった」
挑発的な物言いだったが、エリオットはグラツィエラの言葉を受け入れる。しかしその顔は、快さとはまるで無縁の、苦々しいものだった。
エリオットは鎧と盾を消し去って立ち上がる。駆け寄ったクリスタが彼の横に寄り添って意見しているが、エリオットは一度決めたことを覆す気はないらしい。なおもすがり付くクリスタに対し頭を振って言い聞かせている。
そして、グラツィエラの意識が水明の方に向いた。切れ長の目を鋭く細め、見据えてくる。
「では次は貴様だ」
この剣呑な状況の中、水明も膝を突き直すことはしない。視線を真っ向から受け止める。
「俺は荒事なんて拒否したいのですが?」
「貴様に拒否権などない。我が軍門に降るか、抗うかだ」
水明の求めを権高な物言いで撥ね付けたグラツィエラに、フェルメニアが叫んだ。
「グラツィエラ皇女殿下、お待ちください。それはいささか横暴に過ぎるのではないですか? 私は陛下の命を受け、ここにいるのです」
「ということは、この男はアルマディヤウス陛下の客人というわけか」
「その通りです。ですから」
・・・
「だから、過ぎればどこぞに訴えると? そんな脅しに効果があると思うのか?」
「そ、それは……」
「なに、そう心配することはない。少しばかり激しい手合せをするだけだ」
グラツィエラは力で従わせる状態にもってさえいけば、どうとでもなるという考えなのだろう。フェルメニアがアルマディヤウスに訴え出ようとする可能性があろうとも、彼女には微塵も堪えない様子。
二人が視線を合わせる間、水明が前に歩み出る。
「悪いけど、下がっててくれ」
「しかしいまスイメイ殿は……」
「何を言っても聞きそうにないぞありゃあ。目に渇望が浮かんでやがる」
水明は見てみろと言うように顎をしゃくる。その言葉に従い、グラツィエラの方に視線を向けたフェルメニアは、
「グラツィエラ皇女殿下の目に、渇望……?」
怪訝そうに言葉をこぼすフェルメニア。彼女にはわからぬようだが、あの青い瞳に映っているのはそう、渇望だ。闘争を追い求める者の、と言うよりは、スリルといったものを求める人間が持つ、戦いに魅入られた瞳。
水明はそれと知りつつも進み出ると、グラツィエラが待ちくたびれたというように不遜な笑みを浮かべる。
「やる気になったようだな」
「まったく不本意ですが」
興が乗った声を呆れ声で払いのけると、クリスタと共に下がっていたエリオットが怪訝そうな表情を向けてくる。
「おい君は確か……」
怪我が治っているのかと、そんな問い。それに水明は真実苦そうな口振りで吐き捨てた。
「お前のことといい、今回のことといい、まったくここに来てからついてねぇことばっかりだぜ」
そう言って手をなおざりに振りながら、前に出る。
一方グラツィエラは、準備はもうできているといった風に獰猛な気配を振りまいている。そんな中、彼女は急に品定めでもするような視線を向け、
「冴えんな」
「なにがでしょうか?」
「決まっている。顔だ」
見え透いた挑発か。そう思い水明がむっつりと表情を堅くしていると、グラツィエラはその態度をどう受け取ったのか、痛快そうな含み笑いを漏らした。
「くくく、気を悪くするなよ。確かに華はないが、得てして貴様のような者が、油断ならぬ者だと相場が決まっている。――それに、ことの次第によっては貴様、十二優傑に匹敵するかもしれないからな」
「…………」
笑いから一転、鋭い声音へと変わった発言に、水明も見詰める瞳に刃を込める。別に侮られてはいないらしい。リリアナがその十二優傑だったゆえ、確かにあの時点で水明がリリアナと戦っていると彼女が踏んでいるならば、態度を警戒に変じたことも当然か。
「訊くのが遅くなったが、お前は事件の犯人を追いつめたらしいな?」
「さあ、誰がそのようなことを申したかは知りませんが、身に覚えがありませんね」
「犯人はリリアナ・ザンダイクだったという話だ」
「確かにその娘はあの場にいましたが、犯人かどうかは確証がありません」
「確証はない、とは異なことを言うのだな? 貴様、あの時現場にいて、戦ったのだろう?」
のらりくらりとした水明の語調を、圧し潰すような迫力をもって質すグラツィエラ。周囲の空間がさながら重量を得たかのように圧し掛かるが、水明はたいして気にした風もなく、涼しい顔で応える。
「さて、あの夜のことは記憶が曖昧なもので」
「あくまでしらばっくれるつもりか?」
「……ふん」
「む……?」
「――いい加減うっせーんだよこのタコが」
探りを入れてくるグラツィエラに、渾身の地獄に落ちろを繰り出す水明。口調への配慮を吹き飛ばして応えると、周囲がにわかにざわめいた。フェルメニアは絶句し、方々から怒りの声が聞こえてくるが、知ったことではない。リリアナという隠し事を持ついま、詮索は邪魔なものでしかないのだ。
そして、こちらの情報を聞き出そうとしているということはつまり、向こうもリリアナの足取りや重要な情報も掴めていないのだろう。なりふり構わぬ強引さで従えようというのには、焦燥がその根にあるからだと見て取れる。
水明の暴言を聞いたグラツィエラは、高圧的に笑って、
「……ふん、そちらが貴様の本性か。不遜な物言いは不敬罪に当たるぞ?」
「知るかよ! 逮捕できるモンならしてみろっての!」
「はっ! 言うではないか!」
グラツィエラは言い放った言葉の勢いのままに、猛然と迫りくる。エリオットのときとは打って変わり、初手は格闘術で攻めるつもりらしい。
水明は突き出された拳をかわし、上段蹴りを腕で凌ぐと、その場で翻って、グラツィエラの頭部に向かって回し蹴りを放つ。防御にガントレットが回され、受け止められると、追撃を入れずに後退する。
その間もグラツィエラは手を休めず、拳を繰り出して追って来る。
「くっ!」
「どうした? 動きがぬるいぞ?」
言ってくれる。だがその言葉通り、確かにいまの自身の動きは滑らかさを欠いている。アストラル・ボディの損耗により、身体に怪我がなくとも、思うように動かないのである。
接近戦は、かわすので手一杯。
「上手くかわすものだ。だが――」
グラツィエラが後方に下がる。その動きの正体は無論のこと。
「――土よ! 汝、その身に魔の輝きを宿す、礫弾! 我が敵を瞬きの間に打ち据えよ! ストーンイリデッセンス」
言葉の終わりに合わせ、オパールのような非晶質の鉱物が中空に出現する。陽光と魔力光を受けた鉱物塊は内部の遊色効果によって虹のような煌めきを放ちながら飛び、光に神秘を宿らせてこちらの目を襲う。瞬間瞬間で変わる波長の違う光は強く、刺激に弱い者なら痙攣の発作を引き起こしてしまうだろう。
目晦ましの効果を存分に帯びた岩塊は、容易に相手を惑わせるが、しかしこちらは腐っても魔術師である。眩さを凌ぐため、目を細めたまま、防御の魔術を展開する。
(――Secandum excipio!)
(――第二城壁、局所展開!)
飛来する岩塊は、金色の魔法陣で防ぎ切った。グラツィエラはやはり珍しいものを見るように目を瞠っている。だが、すぐに表情を元に戻し、
「……ほう、効かんか」
効果がないとわかっても、グラツィエラの表情にはまだ余裕の色が浮かんでいる。魔力、術式の構築など神秘的な部分においても、まだまだ底には届いていないといった風。おそらくその見立てに間違いないだろう。汗も出さず綽々と佇むその様子では、二重詠唱、多重行使をやってのけるキャパはある。帝国最強の魔法使いの名は伊達ではないか。
しかし――
(よりによって地属性かよ……)
いまにわかに口の中に広がった苦さに、水明は顔を歪める。前情報とエリオットとの戦闘でわかってはいたが、そんな呻きは止められなかった。
地に属する魔術で生み出したものは他の四大、五大の属性にかかわる魔術で生み出したものと比べ、当然だが最大の質量と硬度を持つ。それは砂、土、岩、鉱物などが主たるものであるがため、防御の方にダイレクトに響いてくるのだ。
無論、魔力や術式で編んだものなら第二城壁の術式防御、地面を隆起させたりしたものなら第一城壁の物理防御で防げるが、地属性の魔術は単純な術でも衝撃は大きなものになる。周囲の被害は馬鹿にならないし、何より動き回ることが辛いこの状態では、よりによってと言うほかない。
できることと言えば、余裕の表情を取り繕うことくらいか。
「いいのかよ? そんな派手な魔法ばっか使ってたら、街に被害甚大だぜ?」
「構うものか。この辺りは金持ちばかりが住む区画よ。多少壊れたところで奴らの懐になど響かぬさ。だから貴様も遠慮することはないぞ?」
「……壊してくれって物言いじゃねぇか」
「そちらの方が、私の帝都が広くなってせいせいする」
貴族の住む場所を壊してくれとは、高貴な者の側の物言いではない。表情を窺ってもその顔色からは何も読み取れず、声言葉に何が含まれているのか定かではない。だが、その手の揺さぶりは通じないことだけはよくわかった。
また、グラツィエラが迫る。しかし、今度は先ほどと打って変わり、軽いフットワーク、いや――
「は、速い!」
叫んだのはフェルメニアだ。グラツィエラの動きを見て、驚いたのだろう。目の前の女魔法使いは、動きに右左とフェイントを交ぜて、こちらを幻惑しようとしている。だが、その移動距離と速度が尋常ではないのだ。
「土魔法か」
「そうだ! 見破ったことを褒めてやれるほどのものではないがな――」
こちらに距離感を錯誤させながら、おそらくは一足で飛び込めるような位置にいる。だが、魔術師の目を見くびられては困る。大まかにグラツィエラの位置を測りそして、
――パチン。
水明は指を鳴らす。
「くっ――⁉」
フットワークの最中、目の前で弾けた空気に、グラツィエラは堪らず踏鞴を踏む。そして指弾の魔術の効果は足止めばかりには止まらず、頭や身体に衝撃が伝わったか、グラツィエラはよろめいた。
その隙を見て、水明は一気に攻勢をかける。グラツィエラに対し間断なくフィンガースナップを講じ、指弾の魔術を連続で発現させる。四方からの爆裂の嵐に、防御の魔法は無論間に合わず、腕を使っての防御を余儀なくされるグラツィエラ。堪らず距離を取った。
「ぐっ、貴様、無詠唱で魔法だと……!」
だが、指弾の魔術だけでは削り切ることはできなかった。次の魔術を用意しようとするが、後遺症の回復に魔力を割り振っているせいで、魔術の構築が滞る。
(くそ――)
心中で悪態をつく中、遠間のグラツィエラが何かを呟き始める。呪文詠唱。やはり地属性の魔術と断定し、周囲の変化に気を配る。大地の震動を地面の隆起の前兆と読み取って、即座に回避。
次いで彼女は突き上がった地面を砕き、それによって無数の礫弾が射出される。多方向からの岩塊の射出。だが、水明はそれも凌ぐ。
「――ならば、これはどうだ⁉」
グラツィエラはそう叫んで、軍装のコートを翻した。
「――我求む。彼方より飛来し、此方に相見えんものを。我が呼び声は世に纏綿と離れぬ理を乖離させ、如何なる条理も飛び越える力とならん――開け! デヴィーギコネクティ!」
「そう何度も同じような魔術が通じるとでも――なん⁉」
悪態の最後が、思いもよらぬ驚きの声へと変わる。グラツィエラの講じる魔法に先ほどまでとの違和を察し、感覚を総動員して見極める。
――魔法にエレメントの介在が感じられない。
その違いに気付いた瞬間、空の一部領域が曖昧な状態になった。そこから突然巨大な岩の塊が出現し、水明はそれを第二城壁で受け止める。
しかし、何故か防御魔術が干渉しない。巨大な質量に、金色要塞の城壁が悲鳴を上げる。ご丁寧に、魔法で上から力を掛けているらしいが、このままでは――
「ちぃっ――」
「スイメイ殿‼」
逸らし切れず、身をかわしたが、一部が身体をかすめた。衝撃で身体が弾き飛ばされる。
巨石は轟音と共に広場の一角を圧し潰して塵煙を巻き上げ、一方水明は巨大な質量に弾かれ、意に沿わない低空飛行を余儀なくされる。
そして、すぐさま体勢を立て直すため、事象を操作。ある程度力を持った魔術師ならば、間に詠唱などの行為を挟まなくともイメージしただけで事象を操作することができる。単調単純なものに限られてしまうが、一刻を争う状況では有用な技術だと言えるものだ。
イメージするのは大きな手に引っ張られる自分の姿。途端に水明の身体は目に見えない力に引かれたように、不自然に横に飛んでいき、安全圏で着地。重力をまるで無視した動きの直後、思い出したように全身に痛みが走った。
「つっ……」
「かわしたか。まあそのくらいしてもらわねばな」
水明のおかしな動きに眉をひそめたものの、グラツィエラは特に気にしていない様子。市井の魔術師とは違い、不可思議を許容する度量はあるらしい。
一方、クリスタとエリオットが、グラツィエラの使った魔法を見て呻いた。
「そんな、なんて大きさ……」
「あんな魔法をこんななところで使うとは、何を考えているんだ」
言うことはそれぞれ違うが、共通するのは二人とも魔法の甚だしさに驚いたということ。目を瞠るほど巨大な岩塊を出現させ、相手を叩き潰す。
だが――と、水明は金色要塞を待機させながら、頭を急速に回転させる。それは当然、グラツィエラの使った魔法に対して。いまの魔法は、「この世界の魔術体系は全てエレメントの介在なくしては成り立たない」という理に反していた。ならばいまの魔法は何なのか。エレメントの介在もなく、大地に由来した物理攻撃でもないはずなのに、術式防御が全く意味をなさなかった。
わずか数分前の出来事を正確に思い起こす。違和感と、曖昧になった宙の境界。あまりに巨大な質量の具現は、常軌を逸して早すぎた。そして先ほど不意に目に付いた――
「――そうか。その魔法、コートの裏地にある刺繍を利用しているんだな?」
「――ほう?」
グラツィエラの魔法を水明の慧眼が撃ち抜くと、彼女の瞳が鋭く変わった。
「おもしろそうだな、聞かせてみよ」
言葉に反して、表情はまるで面白くなさそうな真面目顔のグラツィエラ。その一言一句聞き逃さないという怜悧な顔に、水明は悪態混じりに口にする。
「その言いぐさは気に食わねぇが――その魔法は一般的な魔法と違って、エレメントを使ったものじゃない。召喚術を元にした魔法だな?」
その言葉に、反応したのはエリオット。
「召喚術? 何を言ってるんだ君は。この世界に召喚術はないはずだぞ?」
「いいや、あるだろ。お前をこの世界に呼んだ英傑召喚の魔法が」
「あ……」
「いまの魔法は、おそらくそれの一部の術式を使って、特定のあちら側とこちら側を結ぶ術式を利用した転移魔術だ」
「テンイ、マジュツ……」
フェルメニア、グラツィエラ、クリスタの三人は、その言葉に要領を得ない面持ちを浮かべていたが、得心がいったと表情に感心を浮かべている者が一人いた。
「――なるほど、転移系の術か。いま出てきた巨石は別の場所に保管してあるもので、さっきの魔法行使で出し入れしたというんだな?」
「そうだ。そうじゃないと、いまのは説明がつかないからな……」
「術式で生み出したものを偽装したという可能性は?」
「ない。地属性に類する魔術の中で、大地自体を動かす術以外は、魔術で具現化するものに地属性という役割を与えて現界させる。大半は神秘で構成されているため、術式の防御で防ぐことができるが、いまのは完全に重量だけの物理的な攻撃だった」
地属性に分類される魔術で発生させた物質は、基本的に曖昧なものになりがちだ。魔術を使って寄せ集めた物質なのか、術式を用いてその場で構築したものなのか、そのいずれかによって、物理攻撃に偏ったものと神秘的な力に偏ったものに別れてしまう。神秘的な力によって構築されたものならば、その術式を防御、分解してしまえば事足りるのだが、寄せ集めたものや動かしたものを分解するには攻撃的な魔術を使わなくてはならなくなり、防御するにも逸らしたり、減速させたりと、また違う方向からアプローチをかけなければならないのだ。
グラツィエラが先ほど使った魔術は後者に相当する。あらかじめ魔法陣の上に設置した巨石を、連動する式、魔法陣によってこちらとあちらを繋げて移動させることで、相手にぶつけ対象を攻撃するのだ。
……攻撃の仕方は、至極単純だ。だが、この魔法を「ひねりがない」「たかが移動させただけ」と思うことなかれ。何十、何百トンの質量を、その大きさのままで出し入れできるのだ。その威力のほどは、わかりやすいものだろう。
確かに水明とて、それよりも威力の大きい戦車砲を受け止めることはできる。だがそれは、弾の大きさが受け止めきれる程度だから可能なのであり、大きすぎればたとえ威力は劣っていても受け止めきれるものではない。
無論、先述した他のアプローチができる状態であれば、危機感を抱くほどのものでもないのだが――
エリオットが疑問を投げる。
「いや、待て。あれが転移魔術というのなら行使に要する手順が少なすぎるぞ?」
「だから裏地の刺繍なんだ。あれに魔法陣とほとんどの術式を写しているから、編む術式も詠唱も少なくて済むし、おそらく持ってくる側の魔法陣にも工夫がある」
「にしても、割に合わないように思えるが?」
「そこは英傑召喚の魔法陣の妙ってヤツだろ。――ただ、転移時に裏地を露呈させることだけは避けられないようだが」
「そうか、それで勘付いたのか……」
そう言って、エリオットはグラツィエラを苦々しそうな表情で見詰める。そして出された呻きには、予想以上に悔しさが滲んでいた。
「ぼくのときはまだ本気じゃなかったということか……」
一方のグラツィエラは澄ました表情を見せたまま、
「……なにやら、そちらでは話がかみ合うようだな」
「それは、俺も意外だがな」
水明の言葉に、そう言えばとエリオットも怪訝な表情を向けてくるが、問い質しには至らなかった。水明の推察が導き出した真実に、グラツィエラが呆れた声を出したがゆえに。
「よくわからぬ言葉も交じったが、看破されたことは確かだな」
グラツィエラは鼻を鳴らしたあと、視線を切っ先のように鋭くして、睨み付けてくる。
「だが、帝国の技術の粋を集めて作った魔法を、まさか初見で見破る者がいるとは驚きだ。貴様、何者だ?」
「それはアンタの知ったことじゃあねぇよ」
「ふ、まあいいだろう。白炎殿が共にいるのが不思議だったが、ということは、貴様はラジャスとかいう魔将とその軍勢を倒した人物と関係がある人間といったところか」
「なんだ? 魔族の将軍を倒したのはアステルの勇者じゃないのかよ?」
「ぬかせ。真相は白炎殿に聞いているのだろうが。それに、あの男ではまだ青い――」
言い終える前に膨張し始めたグラツィエラの魔力が、その言葉尻を掻き消した。
ここから、全開ということだろう。通常のエレメントを使う魔法が主体だが、神行法にも似た大地を操っての加速と、空鉢術を思わせる転移魔術を使う。
「……道士みたいな戦い方しやがって」
「物言いはわからんが、どうやらそこの勇者よりは骨があるようだ。遅まきながら、名を聞いておこう」
「スイメイ・ヤカギだ」
「……ほう、変わった名だ」
「悪かったな」
と、焦りを内面にひた隠しにし、悪ガキのように舌を出す水明。厳しい戦いだ。体調さえ悪くなければ、対処法などいくらでも存在するものを。
防御の手段は、金色要塞の防御と並行して移動の魔術を巨石に掛ける手立てと、自身を気体化する魔術を講じる手立てのいずれかが存在する。だが、アストラル・ボディが完全でないいま、二重詠唱は身体に大きな負担をかけるし、かといって比較的に頼りやすい気体化の魔術も、自己を曖昧にしてしまうためかなり危険な行為にあたる。
――だが、あの巨石を移動させる転移魔術を三つ以上短い間隔で発動させることは出来まい。術者の力量以前に、魔術法則がそれを許さないからだ。
しかし、それを知っていたとしても、現状の水明では――
再び、虚空の一部が曖昧になる。落ちてくる、巨大な岩塊。横に逃げてもかわしきれない。
「ぐっ――」
「す、スイメイ殿!」
衝撃に脳が揺れたまま、立ち直る暇もなく、次の魔法が行使される。
「まだいくぞ――」
岩塊を拳で砕き、ばら撒いた礫を撃ち出してくるグラツィエラ。まさに釣瓶打ちと言った様相。そしてその勢いを止めることなく、地面を隆起させ、ぶち当ててくる。
みるみるうちに、水明の身体は傷だらけになった。
それを目の当たりにしたフェルメニアは顔を苦々しいものに変えていくが、グラツィエラの攻撃が激しすぎて割って入ることもできない。
「く……」
レフィールに任せろと言った手前、この体たらく。代わりに彼女は、グラツィエラに向かって叫ぶ。
「グラツィエラ殿下! もうおやめください!」
だが、グラツィエラがそれを聞き入れることはなかった。とどめとばかりに呪文を地面に叩きつけると、隆起した地面が塔のように変わり、水明へと突き上がった。
衝撃で粉塵がもうもうと上がる。グラツィエラはそれを一瞥すると、一言。
「……終わりか」
だが、グラツィエラが視線を背けるには、まだ早かった。
舞い上がった粉塵の目隠しが取り払われると、そこには肩で息をする水明が立っていた。
フェルメニアの驚く顔が、水明の目に映る。
「……っ、勝手に……終わりにするんじゃねぇよっ」
「まだ倒れずにいるか。だが、その様子ではこれ以上戦えまい。諦めて協力するのだな」
往生際の悪さに対する呆れか、そんな言葉が聞こえてくる。だが、挑発でも、罵りでもない残念さの滲んだそれを聞いて、さも可笑しそうに笑ったのは水明だった。
「諦める? 俺が? ふ、ふふ……ふふふふふ……」
広場に響く、息切れの混じった不気味なせせら笑い。さながら無知や愚知を嗤う水明の挑発的な態度に、グラツィエラの目元が鋭く変わった。
「……何が可笑しい?」
「お前は戦えないって言ったな? どこの、誰が、戦えないって言うんだよ?」
「何故そんな強気でいられるのは知らんが、そんなもの瞭然ではないか――」
グラツィエラが言いかけた途端だった。言葉の先が彼女の口から発せられるよりもなお早く、空間が揺れ動いた。
「地震だと……? 土属性の魔法か? いや……」
グラツィエラは咄嗟の推測を口に出すが、しかしそれは適当ではなかった。当然それは、魔術、魔法によって引き起こされた事象、現象の範疇にあるものではないからだ。
そんな、何の揺れなのか定かではない事象は、徐々にその及ぼす力を強めていく。その異常な振動は巨大な魔力の現界による神秘力場揺動にほかならない。
そして収まらぬ揺れの中、それに比例するようにして膨れ上がる水明の魔力。炉心の回転率の増大によるオーバーフローの影響は瞬く間に現れ、すでに五百メートル四方がその渦の中にある。発生した力に引かれ、レンガ敷きがまくれ上がって砕け、周囲には迷走電流が如く発生した微細な青い稲妻が幾多、その放電音を響かせた。
水明は、腹を決めた。これ以上自分の身体を顧みたまま戦っていては、袋小路に行きあたるゆえに。そう、ここは広場のちょうど真ん中、逃げ道なし。全力を惜しんで打破する手立てがないのなら、全霊をもってぶつかるよりほかないのだと。
――Archiatius overload。
――アルキアティウス・オーバーロード。
だが、水明がのど元まで用意したその言葉が、彼の口から発せられることはなかった。
鍵言を発する準備を終え、魔力炉を完全に解放するかどうかのその境。瞳に火を灯した水明に、フェルメニアが思い切り後ろから飛び付いてきたから。
「スイメイ殿!」
胴を抱えるようにしがみついたフェルメニアに、水明が首だけ見返る。
「フェルメニア⁉ あんた何をっ」
「ダメですスイメイ殿! ここは抑えてください! こんな街中で力を解放してはっ!」
「だがっ……」
「スイメイ殿! 落ち着いて下さい! 魔力の解放ならまだしも、スイメイ殿が魔術行使に及べば周囲、いえ、一帯の人間が……」
「く……」
確かに、広い範囲がただでは済むまい。
魔力の起こす風圧に揉まれても必死にしがみつくフェルメニア、彼女の訴えに水明は炉心解放を思い止まる。彼女の言う通りだ。手加減のできる余裕のないこの状態でグラツィエラを倒すとなると、必然全力の魔術行使をしなければならない。
そうなれば当然、被害はこの広場だけには留まらなくなる。
身体の痛みと、口惜しさに歯噛みしながら、水明は魔力炉の回転を低減させる。途端、水明の身体に大きな虚脱感が襲って来た。その脱力には抗い切れず、水明はそのまま、フェルメニアに身を預ける形となる。
「ぐ……」
「退きます! お辛いでしょうが、私にしっかり掴っていて下さい!」
水明の状態が芳しくないと判断して、フェルメニアは水明を背負っての撤退を試みる。
身体強化は水明に飛び付く前にあらかじめかけてあった。彼女はすぐに、水明に習った疾走魔術を瞬時に自分に施す。すると、挑発的な声が浴びせられた。
「思い通りにさせると思うか?」
「いいえ! ここは無理でも押し通らせていただきます!」
グラツィエラにそう言葉を叩きつけると、フェルメニアは呪文を紡ぐ。
「――あまねく風をその伝えとし! 揺らぎに映えるその炎を御もとへと! 我が声よ届け! 汝白く染まりしアイシム! 我が声よ届け! 汝あらゆる厄災を振り払えしアイシム!」
中空に光が走る。その光は円図形と文字記号を描いていき、魔法陣を構築する。出来上がった魔法陣は、以前の彼女の魔法からは想像もつかないほどの、強い熱を湛えていた。
「ぬ――⁉」
目にしたグラツィエラは慌てて下がる。後ろ飛びからの着地と同時に、フェルメニアが鍵言を発した。
「Truth flare‼」
(白炎薙‼)
花弁が花開くように、噴き上がった白い炎が太い帯状に伸び上がると、対象であるグラツィエラを断続的に薙ぎ払うように襲い掛かる。
それに対し、地面を隆起させて防御態勢を取るグラツィエラ。やがて白い炎は髪を炙る程度にまで減衰したが、しかし計八本の白い炎がその役割を終えたときには、水明とフェルメニアは広場の外、グラツィエラの魔法の効果圏外まで脱していた。
……後ろから、グラツィエラの舌打ちが聞こえてきそうな中で、水明はフェルメニアに謝意を口にする。
「……すまん」
「お気になさらず。スイメイ殿は怪我で追い詰められているのです」
「ボロボロになるのは、慣れてたつもりなんだけどな……かっこ悪ぃぜ」
不用意な力の解放、敗北の撤退を本意ないとこぼして、フェルメニアに礼を言う。
「……悪い、助かった」
そして、水明は意識を手放したのだった。




