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ハドリアスの招待

お久しぶりです! というか、お久しぶり過ぎてすいません!

 時と場所は移り変わって、黎二たちの方に移る。



 クラント市。北にある山脈から地下水に恵まれ、気候的にもここはアステル王国の中でも、難点を上げれば国境に近く脅威にさらされやすい場所であり、数百年前にあった戦争でも、激戦区の一つとなったという。それでも、ここが発展しているのは帝国や連合を貫く大街道と直結しているためであり、流通が盛んだからである。



 首都であるメテールが古風な趣を重んじていることを除いても、メテールよりも発展しているのかと見まがうかのように美しく整備されており、民の生活も充実している。

 守りも堅固そうであり、最近では、発見されたばかりの抗魔力のある物質で城壁の改修を進めているらしく、軍備を増強しつつある帝国を牽制せんと、有事には国境砦に次ぐアステル王国の第二の守りとなりつつある。

 そんな商業都市と要塞都市の側面を持った地に、黎二たちはいた。

 ラジャスを倒したあと、ハドリアスの招待を受けた彼らは、到着してすぐに行われた凱旋パレードに出席。多くの市民が魔族の軍勢を殲滅した黎二の功績を讃え、偽りの栄誉をもたらした。



 目まぐるしい数日間を終え、現在はクラント市内にある宿に泊まっていた。

 王女や勇者という殊の外の客人ということであれば、公爵邸に居留するのが常だが、それでも市井の宿を選んだのはティータニアたっての希望があったからだ。

 ハドリアスは味方だからと言ってのんきに構えてはいられない相手らしい。そしてティータニア自身、常にその危機感を彼に感じているという。



 宿で落ち着いた黎二、瑞樹、ティータニアの三人は、円を作るようにソファに座って膝を突き合わせていた。

 部屋に用意されたローズウォーターをカップに注ぎ、一息で呷った瑞樹は、やっと一息ついたと言うようにふうと薔薇の吐息を放つ。



「パレード。すごかったね」



「そうだね。たぶんメテールでやった時よりも、お金をかけてたんじゃないかな」



 黎二は瑞樹の言葉に同意する。黎二を讃える凱旋パレードは、三日も掛けて行われていた。一日がかりで行われたメテールでの出立式でも大したものであったのに、その三倍がかったのだから大規模以外の何物でもない。

 瑞樹が何気なく、



「今回のパレードで思ったんだけど、クラント市ってかなりお金持ちなんだね。……クラント市っていうかここを収めるあの人だけど」



「ハドリアス公爵は、このクラント市を含む広大な領地を持った大貴族です。権力、財力そして武力ともに、アステル国内で彼の右に出る貴族はいないでしょう」



 複雑そうな眼差しを窓の外に向ける瑞樹に、答えたのはティータニアだった。

 王都に次ぐ大きさを誇る都市を治めるハドリアス。この数日間での彼の行ったことを思い返せば、まさに三拍子そろったと言えるものであった。

 魔族の将と渡り合える力、大掛かりなパレードを開催できる財力、それを押し通してしまう権力、そんな力を三つも手中に収めているのだ。あのようなきつい風格も出るのだろう。



「それにしても、手際が良いと言うかなんというか。別に全部僕がやったわけでもないのに……」



 ラジャスの討伐は、皆の力があってのこと。全て自分一人がこの手柄をもらうのは、過分なことと言えるだろう。



「それについては……申し訳ありません。ですがレイジ様の手柄となることは我が国にとっても、利のあることなのです」



「うん。わかってる」



 この結果にハドリアスが見出したのは、もちろん魔族の隆盛で萎えた民心の鼓舞だ。ティータニアもその有益性が分かっているからこそこの大規模なパレードを了承したのだし、それは黎二も弁えている。だが、実際自分のやったことは微々たるもの。ハイエナが如き利の掠め取りというのは、やはりしっくり来るものではない。

 すると瑞樹がむくれたように、



「ありがちな話だよね。誰か他の人の手柄を利用するとか、自分に都合よくなんでも使っちゃうとか、いかにも貴族って気がする。それに、やっぱりそれと、対外国家へのアピールって意味もあるんでしょ?」



「その通りです。だからこそ、ハドリアス卿は油断できないお方。スイメイを陥れてなお、友人であるレイジ様に悪びれることなく政治に利用し、帝国を――グラツィエラ殿下を牽制する策を進めることができる狡猾さを持っています」



 そう言って付け足すように、ティータニアは「再三になりますが、決して油断することなきよう」との戒めが、響いてくる。警戒心が強い。いままで接した時の印象と、勘だといっていた。嫌いだからと思っていたが、そちらの方が強いのだろう。

 そんなことを考えつつ、黎二はティータニアに訊ねる。



「ねぇティア? ティアは水明たちを囮にしたこと、どう思ってるの? 水明や僕たちが友達だってことを抜きにして。やっぱりアステル王国の人だから……」



「確かに、心境としては複雑です。魔族の軍勢の被害を民草のことを思えば、しかたなかったことと言えば、しかたなかったとしか言いようがありません」



 そう前置きのように口にしたティータニアは、不意に深々と頭を下げた。

 唐突な辞儀に、黎二、瑞樹共に声を上げる。「え」「う」などのぶつ切りの単語と戸惑いの感情がたどたどしく漏れる中、ティータニアが口にしたのは謝罪だった。



「申し訳ありませんレイジ様、ミズキ。聞いてから、私はそれも一つの善手なのだと思っていました」



「いや、いいんだ。ティータニアの立場だったら、そう考えても無理はないよ。ね? 瑞樹」



「……うん」



 同意を求めたが、悲しそうに目を伏せる瑞樹は納得とはいかないか。

 水明は彼女にとって初めての友人ともいえるべきものだ。恋人というわけではないが、多少なり思うところがあるのだろう。また窓の外を眺に目をやって、零すように口にする。



「水明くん。結局見つからなかったね」



「大丈夫だよ。水明ならきっと無事だって」



「抜け目ないから?」



「うん。それにほら、先生も言っていたじゃないか」



 そう言って、黎二はフェルメニアの言葉を思い出す。

 ――スイメイ殿のことです。きっと大丈夫でしょう。

 別れ際、彼女はそんなことを言っていた。あれは自分たちの心配を慮って掛けてくれた言葉だろうが、



「白炎殿の言葉、気休めには聞こえませんでした。もしかすれば、白炎殿は白炎殿で、なにかしら状況を把握しているのかもしれません。水明の足取りを掴んでいる可能性もなきにしもあらずかと」



「足取りを掴んでるって、どうやって?」



「それは、やはり魔法で……白炎殿は我が国でも斬新で類を見ない魔法を作ることができる天才魔法使いですから」



「あ……」



 ティータニアの言葉に、瑞樹はフェルメニアの評を思い出したか。続いて黎二も、手を叩く。

 そんな折、控えめなノックの音が聞こえた。次いでドア越しに響いたのは、ロフリーの声。



「失礼します。レイジ様、よろしいでしょうか?」



「ロフリー? ああ、いいよ」



「失礼しま……これはティータニア殿下! も、申し訳ございません!」



 ドアを開け、部屋の中を見たロフリーはどうしたのか。来てはいけないところに来てしまったとでもいうような泡を食った表情をして、慌てて頭を下げる。おそらくは、ティータニアと二人っきりだったと思い、おかしなことでも考えたのだろう。



 そんな彼の勘違いを察したティータニアが、小さなため息と共に言う。



「いえ、よいのです。それにミズキもいますし」



「え? あ、ほんとだ……」



 と言って呈したのはポカンとした表情。ちょっと、抜けているというか、隙があるというか。意外と癒し系だ。そんな彼に対して、瑞樹がニヤニヤとした笑顔を向け、



「ねぇ~、ロフリーさんはいったいどんなこと考えてたのかな?」



「は⁉ い、いえ! 別に私はおかしなことなど一つも!」



「私おかしいなんて一言も言ってないんですけどー」



「あ、あわわわわ……」



 墓穴を掘ったことに気が付いても埋めることができずに右往左往しているロフリー。

 そんな彼を不憫に思った黎二は救いの手と、瑞樹と一言彼女の名前を呼んだ。

 すると瑞樹は弄んだことを白状するように、冗談だよ~と言って笑顔を作る。そこに悪戯っぽい笑みと快い笑みが、混在していたのは言うまでもないことか。

 突然赴いたロフリー。彼に用件がありそうなことを察し、黎二が訊ねる。

「ロフリー、どうしたの?」

「はい。それがハドリアス公爵閣下より、使いの者が」



     ★



 ハドリアスから突然の招待を受けた黎二は、宿の前で待っていた使いの者に付いて行き、公爵邸内に通された。そしていまは固い面持ちのまま、ハドリアスの私室の前にいた。

 ふと聞こえる楽器の音色。どこかの部屋で楽師に音楽を奏でさせているのだろう。壁や空間を通して響く、やわらかでくぐもった音響は、心落ち着けさせる穏やかなもの。それを耳に入れながら、黎二はここで今一度、この部屋の主にまみえるための心構えといいうものを作る。



 宿をでしなに、ティータニアからは気を付けろと忠告が。瑞樹からは心配の言葉が掛けられた。相手はあのハドリアス。無理をして会いに行かなくてもいいとの言葉もあったが、それについては考えがあり、首を横に振った黎二。



 そう、この部屋で何らかの思惑の下、自分を待つ貴族は、ティータニアの言う通り油断できぬ男だ。根拠のない予測、当て推量、しかし確固たる予感であるが、おそらく今後ハドリアスとは何度もまみえることになるだろう。ゆえに会いたくないとは言っていられない。むしろ早い段階からルーカス・ド・ハドリアスと言う男の人となりというものを見極めておくべきなのだ。



 だから――と、黎二は今一度決意を胸にドアをノックする。

 次いで返されたハドリアスの誰何の声に、到着を告げると、短く「入れ」との言葉。

 黎二は「失礼します」とそう言ってドアを開けると、贅を凝らした応接室のような空間が目の前に広がった。そのまま一歩進み、出会いの挨拶を一言と、事務的なやり取りを交わす。そして、ドアの前で佇み長椅子に優雅に腰かけるハドリアスを見据えていると、



「勇者殿、掛けないのか?」



「僕の国では、客人は部屋の主に勧められてから初めて席に就くという習慣がありますので、自ら勧められていない席に就くのが憚られているだけです」



 少し険のにじみ出た言葉を返すと、ハドリアスは意に介することでもないと思ったのかそうでないのか、小さく感嘆の声を上げる。



「ほう……勇者殿のいた国というのは随分と礼儀を重んじる国なのだな。では、それも私から勧めなければならないのか?」



 目配せしたその視線を追うと、テーブルの上に揺らめいた自分が赤みがかって映ったグラスがあった。



「これは、お酒ですか?」



「そうだ。甘めの葡萄酒だ。味の方は悪くない」



 悪くないか。だが、



「お心遣い申し訳ありませんが……」



「勇者殿は酒が飲めないのか?」



「僕のいた国では成年していない者はアルコール……酒精の入ったものは飲めない法律がありますので、控えさせて頂きます」



 そうむっつり断ると、ハドリアスはグラスを呷って、訊ねてくる。



「ふむ、では何故そんな法があるのだ?」



「人間はおおよそ二十歳を過ぎるまで、酒精を身体の中で分解する能力が低いとされています。分解しきれない酒精の中には人体に悪影響を及ぼす物もありますので、国で禁止されているのです」



 説明すると、ハドリアスはグラスの中身に目を向けて、



「女神の血液とまで呼ばれる飲み物に、そんなものが含まれているとはな。しかもそれを国で禁止しているとは、随分と厳正な取り決めが……いや、人材の育成に努めているのか」



 と誰に言うでもなく呟いては一人感嘆としながら、黎二がいることも忘れたかのように見入っている。考え事をしているのか。一向に動きのないハドリアスに、黎二は率直に訊ねる。



「今日はどうして僕をお呼びになったので?」



「なに、勇者殿と少しばかり話がしたくてな」



「楽しい会話という雰囲気ではないようですが」



「ふ、失礼」



 何が失礼か白々しい。先ほどから、部屋に入った時から、室内がピリピリとした空気で満たされていた。それを冷たく指摘すると、ハドリアスはこちらを試してでもいたのか、ふっと合格を告げるような侮りの交じった笑みを浮かべて、一言、謝意が含まれているとは到底思えないような謝罪を口にする。


 振る舞いの端々に余裕が感じられる。強者の余裕。勇者だからどうしたのだとでも言うような内意が如実に伝わってくる。


 変哲もない視線に睨み目を隠して、一挙手一投足を眇めていると、ハドリアスがグラスの中身を憐れむように目を細めて、訊ねてくる。



「勇者殿は何故、魔王討伐を引き受けられたのだ?」



「この世界の人たちを助けるためですが」



 黎二が出した答えは、謁見の間でアルマディヤウスに言ったこと。それはいまも変わらぬ理由だ。しかし、ハドリアスは



「貴公が助けようとしているのは、貴公には縁もゆかりもない者たちだぞ? 助けたところで何の得にもならない者たちだ。それでも、助けたいと貴公はそう言うのか?」



「公爵閣下は一体何をおっしゃられたいので?」



「いやなに、勇者殿のその崇高なるお考えの出どころというのは、果たしてどこなのかと思ってな」



「……?」



 その問いから、自分に何を見出したいたいのかこの男は。質問は不可解であり、差し向けられる憐れみにも似た視線からはその内意を推し量ることはできない。それがもし、野心に満ちた隼の如き眼差しならば、こちらの弱みでも見つけようとしていることは明白なのに。何故この男は他に何か別の要因があるとでもいうように、匂わせながら問いかけるのか。


 そんな風に困惑の視線を向けていると、ハドリアスは面白くもない質問だったと自嘲でもするように、ふっと乾いた笑いを漏らす。



「まあいい。ではまた訊ねるが、勇者殿のいた世界とはどういったところなのだ?」



「どういった、とは?」



「そうだな。この世界と比べてどうだ、という話だ」



 こちらとあちらの世界を比べればいいのか。似たような話を王城でアルマディヤウスたちとした覚えがあるが――



「向こうの世界はこちらの世界に比べ、技術的に大きく発展しています。確かにこちらの世界には魔法というものがありますが、それでも向こうの世界の技術の利便性は比べ物にならないほど発達していると言っていいでしょう」



「発展、発達……か。先ほどの酒の話も、それによるものか?」



 黎二は「はい」と素直に答える。すると、何故かハドリアスは突然立ち上がり窓の方へと向かう。そして、窓の外の景色を眺めながらにして、



「勇者殿は、この世界をどう思う?」



「向こうの世界と比べるとキリはありませんが、良い世界だと思います」



「良い世界、か……」



 そう、ハドリアスが発したのは、どこか憮然とした呟き。先ほどから何のために、何を思って質問しているのかが不明だが、彼はまた質問を重ねる。



「勇者殿。窓の外には何がある?」



 その訊ねは、見て見ろと促すものか。少しばかり近寄って見る三階の景色は、街やそこにある人々の営み。黄昏に呑まれ始めたクラント市にはちらほらとランプの瞬きとそれに照らされた家や人々、遠間には歓楽街特有の青や緑のランプの輝きも見えた。



「あれが、何か?」



「この世界はな、数百年前から何も変わっていないのだ。みなが決まった時間に寝起きをし、仕事をし、人を愛し、子をなし、死ぬ。展望の望めない技術に固執し、争いや外交で変わる国の盛衰も、人々に根付いた意識も変わらず、ずっと進みが止まっている」



 そう前置きをして「ここはずっと、女神の箱庭なのだ」と、冷たく言い放った。この男はそれを憂いているのか、嘆いているのか。確かに文化文明の発展は人間に密接に関係しているものだ。誰もが欲するものなのかもしれないが、無理に発達を求めるのも違うのではないか。



「発展した世界から来た勇者殿は、それでも良いものと思うのか?」



「人々に安寧があるなら、それは一つの在り方なのではないでしょうか? 無理な変化は争いを引き起こしますし、あちらの世界でも人同士の争いは絶えなかった」



「…………」



 ハドリアスは押し黙った。黎二が考えたその折、



「――唐突だが、勇者殿にはこれから帝国へ行ってもらいたい」



「え……?」



「帝国が――主にグラツィエラ皇女の動きが活発になっている。勇者殿にはその歯止めとして、しばしの間帝国に居留してもらう」



 ハドリアスはそう、きっぱりと言い切った。有無を言わせぬその言葉は、こちらの予定を無視した言いぐさだ。



「その要望はお聞きしなければならないことなのでしょうか?」



「当然だ」



「ですが僕にその義務はない。僕が第一とするべきは魔王ナクシャトラの討伐だ」



「確かにな。――だが勇者殿。ときに訊くが、駆けつけたのはグレゴリーが喋ったからだな?」



 その言葉が放たれ終わったのと同時に、ぴりりと、部屋の中に満ちた空気の質が変わった。無論それはハドリアス、そして主に自分の感情のせいにほかならない。



「それは――僕に対する脅しですか」



「ふ――、そう思いたいのならば、そう受け取ってもらっても構わん。ただ、別にグレゴリーは軍規に違反したわけでもないのだからな。当然裁かれるわけがないはずだ。ゆえに勇者殿の考えは、邪推でしかない」



「――ツッ! 僕の友達を囮にしたうえでそれを言うのかっ!!」



「あれは大を救うのに小を切り捨てたまでのこと。なに、友人の話については待っているがいい。捜索は進めているからな。命があろうとなかろうと、いずれ足跡くらいはつかめる。ただ、いまのところ報告はないがな」



 そう言って、ハドリアスはつまらないことだとでも言うように鼻を鳴らす。



「おそらくは命はないだろうがな」



「よくもぬけぬけと言える……」



 怒りが沸点を超え、そんな怒りのにじみ出た言葉にもハドリアスは「なに、私は可能性を口にしたまでだ」と素っ気ない。



「水明に、悪かったというくらいの気持ちはないのか?」



「あると言えば、勇者殿の溜飲が下がるのか?」



「――ッツ!」



 その問いは許せなかった。歯が軋むほど噛みしめて、睨み付け、怒気をぶつける。礼を失したことは忘れていない。それよりも怒りの方が勝っただけだ。だが、それでもハドリアスは、意に介するようなことでもないという風に、



「スイメイ・ヤカギと言ったか。その者はただ運が悪かっただけのこと。私に怒りをぶつけられても困るというものだ」



「お前ッ――‼」



 視線や怒気だけでは止まらなかった。拳が飛んでいく。自分を押しとどめるタガはとうに外れた。殴ってどうなるかと、今後への懸念が僅かな間にも思い起こされたが、そんなものには一考の余地もないかった。

 黎二の一撃は、しかしハドリアスの片手に止められた。



「なっ……?」



「ふん……」



 つまらなさそうに、視線をこちらに向けている。



(この男……)



 全力ではなかった。だがそれでも英傑召喚の加護で力が爆発的に向上したいまの状態での拳打の速さを、威力を、眉を少しも動かすことなく抑えきるとは。

 掴まれた手を乱暴に振り払って、飛び退くと、ハドリアスは訳知ったような表情で、また窓に向き直る。



「精進が必要だな。これではまだまだ魔王には遠く及ぶまい。多くの経験を積んで、強くなる必要があるだろう。ところで、帝国の件だが――」



 選択の余地はないか。行かなければ、暗にグレゴリーに何かすると言っているのだから。



「……帝国には行く。だけどグレゴリーさんやその家族には手を出すな。それと、水明のこと」



「捜索には尽力することを約束しよう。この様子では勇者殿の友人にはまだ利用価値がありそうだからな」



「お前は……」



 まだ言うのか。しかし、弱みに付け込まれてはどうにもならない。悔しいが、踵を返して無言でこの部屋から出ることだけが、黎二にできる精一杯の抵抗だった。

 ドアの取っ手に手を掛けようとした、その時。



「――勇者殿。一つ、貴公に言っておかなければならないことがある」



「……なにか?」



「今後、貴公は多くの敵にまみえることになるだろう。それは人間然り、他の種族も然りだ」



 何故そのことを言うのか。まさか、



「あの時僕がラジャスに訊ねたことが愚かとでも言いたいのか?」



「いや、あれには私も安心させてもらった」



「え――?」



 ハドリアスが発した言葉は、黎二にとって予想外の者であった。てっきり、魔族に戦う理由を訊ねたことに、苦言を呈されると思っていたのに。



「勇者殿。ここは貴公のいた世界とは別の場所だ。ここにあるものについて自ら考え、行動に移すことは良いだろう。だが、魔族相手に戦いの是非を考えるのだけは意味がない」



「どういうことだ?」



「奴らはそう言うものだということだ。何か理由があるから人間や他種族を襲う者ではなく、奴らの存在自体が、人間を含む種族の滅亡させようとする巨大な存在の思惑なのだ」



「巨大な存在の思惑? それは一体……」



「それはいま貴公には知る必要のないことだ。ゆえに、貴公のあの問いに意味はないのだ」



 ハドリアスはそう、言葉を締めくくった。これが忠告だったのか、戒めだったのかは結局、わからない。



「……もう、よろしいでしょうか?」



「そうだな、ならあと一つだけ」



 そう訊ねを重ねるのは、なんの意図があってなのか。窓の外を眺めながら、その表情(かお)の見えない問いは発せられた。



「勇者殿。貴公はこの戦いの果てに、何もかもを終わらせたあとに何を望む?」



「別に。僕は何もいらない」



「地位、名誉、財、女。地上にある全ての欲望を満たすことができるものを、好きなだけ得ることができるのだぞ?」



「くどい。なんのつもりかは知らないが、僕はそんなもののために戦っているわけじゃない」



「そうか。なら、私の質問は終わりだ。帝国に向かうまで、しばしの間だが、ゆっくりと身体を休めるがいい」



 背を向けたハドリアスに礼を口にすることなく、黎二は部屋を出て宿に向かった。







「召喚の勇者か……」


 ……宿に戻る黎二の背中を二階の窓から、どこか憂いのまじった眼差しを送って、ハドリアスは、視線を空に向ける。黄昏に、黒ずんでいく空を憂鬱そうに眺めながら、ハドリアスは一人、いまはいない黎二に向かって問いかけた。



「勇者レイジよ。お前はこの世界のことをどう思う? 先ほどお前は本心で、この世界を良い世界だと言ったのか? こんな、女神のせいで進むことをやめてしまった未来のない腐りかけの世界が――」



感想欄は作品の展開が一区切りしたころにまとめて読まさせていただいております。ご指摘・ご感想を下さる方、いつもありがとうございます。

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