雷の前に決する激戦
「みんな……」
――黎二たちがラジャスと戦うそんな中、一人場の流れに取り残され、歯噛みしていたのは瑞樹だった。
大地を叩き割るほど強大な魔族を前に、黎二もティータニアも、水明を陥れた貴族も突然現れた帝国の皇女までもが戦っているのに、自分だけお供についてきた騎士に庇われて、ただ成り行きを見ていることしかしていない、そんな事実。騎士の背にひしとしがみついて、小さくなっているだけ。それが、彼女にはどうしても辛すぎた。
友達が危険にさらされているのに、魔族の恐ろしさに怯えて動けないことが、呵責となって心の内を攻めてくる。
以前に自分が危険に晒された時、黎二も水明も、自分を助けに来てくれたことがあった。向こうの世界にいた時の話だが、だからこそ、一層自身の心の内の良心が、いまの自分を責めてくるのだ。
――それなのに、自分は何もしないのか、と。
水明が危険と聞いた時には震えて動けず、いま黎二たちが苦戦しているのにルカの背中で怯えている。ただ時間が過ぎるまで待っている。
ならば、ずっと自分はこのままなのか。友達の、大事な人の力になると付いてきたのに、何もできないままずっと守られたままなのか、と。いまその人は、目の前にいる大きな魔族と苦戦を強いられているのに、なにもしないままなのかと。そんな思いばかりが募っていく。
(ううん……だめ……そんなこと……)
そう、そんなのは駄目だった。それは自分の言葉を否定して、責任を放棄することだ。そして、黎二の隣にいることを自ら放棄することに他ならないのだ。
自分と一緒に彼についてきた少女、アステルの王女ティータニアは毅然とあの戦い場にいて、彼のためだけではなく、自分やひいては見も知らぬ大勢のために戦っているというのに。
(何か……。何か私にできることはないの……?)
だから、だから自分も何かしなければと、そう思う。いまこのまま何もしないのならば、これから先ずっとこうだ。ただ守られるだけのものに、また誰からも必要とされない存在へとなり下がってしまう。
自分が力になれるのかという、その是非や可否はいまはどうでもよかった。全力で自分にできることを考える。
そう、自分にできることは何か、と。
自分には――そう、自分には魔法しかない。この世界に来て自力で覚えたものと言えばそれのみだ。だから戦場で役に立つものと言えばそれしかない。
だがただの魔法では駄目だ。グラツィエラの魔法を超える、もっと強力な魔法を使わなければ、あの巨大な魔族を倒すことはできないだろう。
(私が使える魔法は……)
――全ての火の息吹を終わらせる終焉たる氷の地獄よ……。
「あ……」
ふっと舞い降りてくる。明確なイメージと言葉。いままで聞いたことのない声が頭の中に響いて、直観が確信を告げる。この魔法なら倒せると。
だが、どうしていまなのかと思い、そしていまだからこそなのかとも思い出す。
以前に、ティータニアもフェルメニアも魔法は往々にして頭の中に降りてくるものだと言っていたことがある。初めて黎二が魔法を使った時も、そんなことがあったと聞いていた。ならば、きっとこれはそれなのだろう、と。
なら、いまはそれを有効に活用しない手はない。あとは自分をあの場に立たせることができる、勇気だけ。その勇気を振り絞れるかどうかだけだった。
そう思って気が付けば、自分は馬から飛び降りていた。
「み、ミズキ殿!? だ、ダメです!」
「瑞樹!?」
危険な場に飛び出したことに気が付いたルカや黎二が、自分に向かって制止の声を放つ。それでも止まるわけにはいかない。自分のために、自分が彼の隣にいるために、そして彼を含む友達のために。
そして、たどり着いた。戦場の真っただ中に。ラジャスの背中が見える。兵士たちと対峙して、気付いていない。このまま、無防備な背中に魔法を撃ち込めば――
「なんだ……小娘」
「う、あ……」
撃つよりも先に、ラジャスが振り返った。視線が絡みついただけで、冷たい何かが身体をジンと凍てつかせる。指先一つ動かせなくなる。みな、こんなものに立ち向かっているのか。どうしてこんなものに平然と戦っていられるのか。こんなものの前では、どんな暴力だろうと可愛らしく見えてしまうほどなのに。
「何をしているのです! ミズキ、下がって!」
「ふん、ただの小娘が、のこのこ俺の前に出てきたか――」
ティータニアとラジャスの声が、頭の中でバラバラになって暴れ回る。言葉が上手く認識できない。見えるのは巨大な腕だ。あれを軽く振り回されただけで自分の身体などバラバラになってしまうだろう。丸太のような腕と自分がバラバラになる妄想が、脳内を埋め尽くすほどに肥大化していく。動けない。
……ダメだった。気持ちだけ――勇気さえ振り絞ればなんとかなるなど、甘い考えだった。
「邪魔だ」
浴びせられたのは冷たく、思いやりのない言葉だ。嫌な言葉。自分など虫けらにしか思っていないそんな傲慢さと、冷酷さがある。
「こない、で……」
かろうじて出せたのは、虫の息遣いのように小さな声。聞こえないし、聞こえたとしても聞き入れいてなどくれないだろうし、このままでは――
「――が、ぐああああああああああ!」
瑞樹が武威に縛られる中、一歩踏み出したラジャスが唐突に苦しみ出す。苦悶に満ちた咆哮が天を突き刺すかの如く張り上げられ、胸を押さえもがくのはその部分が――いやその深奥に苦しみの元があるからか。まるで何かが身体の中で暴れ回っているよう。
やがて、ラジャスの傷口や関節部分から、青ざめた雷が蛇のようにうねりながら噴き出した。
「う、あ、がぁああ! 貴様はまだ俺を、まだ俺を苦しめるというのかっ!」
吐き出された悪態は雷にか、それとも他のものに向けられていたのか。誰、何の定かではない怒りが放たれる合間にも、青ざめた雷は毒蛇となってラジャスの身体を内側から喰らい続けてる。響く雷の音。むき出しの電線がのたうっている時の耳に残る火花の鋭い音。それらが入り混じる中に微かに聞こえる無機質な甲走りの声。ラジャスは何もできないまま。
そこで、動いたのは黎二だった。
この機を逃してはならない。動けるようになる前に、倒さなければならないと言うように。身体の方はもういいのか。ティータニアの腕の中からすり抜けて、彼は一瞬でラジャスの懐に入る。身体にはいつの間にか炎の帯がまとわれており、すかさず強化の魔法を行使したことが窺えた。
それに対し、振り払おうと出されたラジャスの腕は雷に囚われ遅々としていた。地面に向かって下げられていたオリハルコンの剣の切っ先が、逆風を伴って斬り上げられる。剣閃の前に、腕はあっさりと中空に舞い飛んだ。
「はぁあああああああああ!」
黎二の気合いの咆哮が大気を震わせる。そしてラジャスの胸に、オリハルコンの剣が突き立てられた。
「ぐ……あ……馬鹿な、こんな、こんなことで……」
その驚きは、黎二のとどめが歯牙にもかけないような要因だったからなのかも知れない。取るに足らないと思っていた小さな針が、自分の心臓を貫いてしまったような、そんな。
一方剣を突き立てた黎二は無言。
力を緩めず、押し込む力をまだ強めているのか。切っ先が少しずつ、ラジャスの身体にめり込んでいくとやがて、電撃に弾かれたのか黎二は剣を放し、そのまま後ずさった。
「ぐ、ううっ……、あの男さえ、あの男さえいなければ、貴様らなどに遅れなど取らなかったものを」
「それはこの惨状を作り出した人間か?」
「そうだ! 見知らぬ魔法を使い、俺の軍勢を一人で壊滅させた、あの黒衣の男が――ヤツさえ、ヤツさえいなければ! この俺が貴様らなどに!」
最後の力を振り絞り、ラジャスは喚き散らす。黎二の剣と雷のせいで暴れられない代わりに、呪いだけでも残さんと。すると、フェルメニアが突然、ラジャスに向かって歩み寄っていく。
「なんだ……女……」
白いローブをまとった麗しき魔法使いの、場違いなほどゆっくりとした歩み寄りに、ラジャスの口から喘鳴と怪訝そうな問いが吐き出される。それに応えるように、フェルメニアは静かに訊ね掛けた。
「魔族、貴様に一つ訊きたいことがある」
「訊きたいこと、だと?」
「貴様が先ほど口にした、黒衣の男のことについてだ」
「なに……?」
脂汗が流れ落ちるラジャスの顔が怪訝なものへと変わる。
そして逡巡に思案したと思われる一瞬の瞑目のあとに、フェルメニアが問いかけた。
「魔族。その黒衣をまとった男。もしや、魔術師と名乗らなかったか?」
「――女ぁっ!! 貴様奴を知っているのかっ!? 貴様ぁあああああ!!」
聞いたラジャスの取り乱し方は、急、一転、異常、とも言えるものだった。
憎き仇を知っている者は、どういった理由にかかわらず累のある者というような怨嗟を込めて放たれる獣声。やがて、呪いをまき散らすのも苦しくなったか、呼吸しか漏らさなくなった。
一方フェルメニアは、何故にそんな感情を持ったのか。琥珀の瞳は見るように冷めた色の憐憫を宿しており、巡り合わせを憐れむように呟いた。
「……そうか、貴様も気の毒な目に遭った者の一人、ということか」
「答えろ……奴は……奴は一体……」
「魔術師と、そう名乗ったのだろう? ならば、私にそれ以上答えられることはない」
「あ、あの男さえいなければ……俺が、俺がこのような雑魚どもに負けることなど……」
なかったのか。確かにそうだろう。それだけラジャスという魔族は、手に余る強敵だった。激戦の消耗と、その身を内側から蝕んだ青ざめた雷がなければ、自分たちの勝利はなかったはずだ。頑強な肉体と圧倒的な暴力の前に、叩き潰されていたかもしれない。
やがて、青ざめた稲妻が身体の内部から溢れるように、ラジャスが青白く輝いていく。誰ぞの名前を喚いていたが、電撃の迸りの凄まじさに言の葉は飲まれ、転瞬、ラジャスの身体は高いエネルギーに耐えられる限界を超えたか、一際大きな雷鳴と共にその身体が消し飛んだ。
ラジャスに突き刺さっていたオリハルコンの剣が落ちる。戦いの終わりを告げるかのように、黎二の剣は雷で焼け焦げた地面に打ち当たって鳴り響いた。
★
「ミズキ!」
ラジャスが雷に焼き尽くされ、消滅したすぐあと、ティータニアが瑞樹の名を叫びつつ彼女に駆け寄った。
まだ呆然のただ中にある瑞樹は力なくへたり込んだまま、動かない。動けない。それだけラジャスの殺意や武威は毒に過ぎたのだろう。だらりと下がった手の震えが、彼女の心に未だ恐怖の余韻があるのを示している。
黎二も同じく彼女に近付き、不意の行動について不可解そうに訊ねる。
「瑞樹! なんて無茶をしたんだ……」
「ごめんなさい。私、ずっと見ているだけで。私だけで、だからどうしても何かしなきゃって、それで……」
瑞樹は蒼白な顔を黎二へと向け、自らが奮い立たせた蛮勇の理由を話す。次いで震える自分の両手を見たのは、考えられうるもしもを思い浮かべているからか。
瑞樹に視線を合わせるように、しゃがみこむティータニア。
「それでも。一歩間違えば、あのラジャスという魔族に殺されていたのですよ」
「頭の中に呪文が浮かんで……それで、それならあの大きな魔族も何とかなるんじゃないかって。だから……」
そんな行動に出たといい。そして二人にもう一度、ごめんなさいと謝る瑞樹。そんな彼女を、黎二は安堵に満ちた言葉を漏らして、抱き締めた。
「無事でよかった……」
「……うん」
……やがてハドリアスが麾下の兵士の隊列を組み直し終え、周囲の哨戒に兵を送り出したあと、集い直した場でティータニアがフェルメニアに訊ねる。
「白炎殿。貴公に訊ねたいことがあるのですが、よろしいですか?」
ティータニアの丁寧な問いに、フェルメニアは「は」と了承の意を示す。これには誰しもが「あのこと」であると予想を付け、これから放たれるであろうティータニアの問いを固唾を飲んで見守る。
「白炎殿。貴公は先ほどラジャスに問いかけましたが、あなたはあの魔族を追い詰め、この状況を作り出した人物をご存じなので?」
フェルメニアは静かに首肯し、この場にいた全員の推測を認める。
「して、その男とは、いかなる男だ? 名は?」
そこでふと歩み出たのはグラツィエラだった。興味があるのか。いやないわけがないか。気持ちが逸った彼女は会話に割入り高圧的に訊ねるが、フェルメニアは決して言わぬというようにむっつりとした態度を顔に表した。
「申し訳ありませんが、それにお答えすることはできません」
「……なんだと?」
「これは我が国の機密にございます。他国の重鎮たるグラツィエラ皇女殿下にお答えすることはできません」
「あのラジャスとかいう魔族は、貴様の知る人物がこれだけの軍勢を一人で壊滅させたと言ったのだぞ? 馬鹿でも分かるほどの重大事よ。それを、貴様は答えられないと申すのか?」
フェルメニアの言に、グラツィエラは引き下がらない。どころか、腹の内の苛立ちを匂わせつつ武威と魔力を伴って圧力までかけてくる。辺りを席巻する不穏当な雰囲気。一瞬でも気を抜けば呑まれてしまいそうなほどに、遠慮容赦の一切ない詰問だった。
しかしそれでも、フェルメニアは頑なだった。
「は。どれほど重大事でも、機密は機密。たとえ同盟関係にある国で、魔族に関連する情報の共有は密でなければならなくとも、この件はお答えしかねる事由にございます」
「…………」
顔を歪めたせいで、グラツィエラの眉が痙攣している。手を出してきそうな空気ではあるが、彼女は忌々しそうに舌打ちをして気を納めた。フェルメニアは国家の機密とまで言い切ったのだ。武力にものを言わせてまで問い質すことは、国の重鎮たるティータニアやハドリアスが許さないだろう。言うことを聞かないからとここで手を出せばそれこそ一大事なのだ。
変わってティータニアが、
「それについては、私にも、なのですか?」
「恐れながら」
フェルメニアは恭しく頭を下げる。次いで今度はハドリアスが前に出た。
「スティングレイ卿。ティータニア殿下にも答えられないということは、国王陛下からの勅命、というわけだな?」
「それについては、私からはお答えしかねますとだけ」
「なるほど……」
否定しないということは、暗に認めたということだ。だが、知っているとはどういうことなのか。
黎二は怪訝に眉をひそめる。そのような強い人間など、アステル王国にはいなかったはず、と。たんに自分たちが知らないだけかもしれないが、ティータニアやハドリアスも知らないということは、やはり合点がいかない。
黎二がそんなことを考えている中、ハドリアスは黒目を右に動かして、ひとしきり思案したあと、驚くべきことを口にした。
「では、この魔族と、その軍勢の件。勇者殿が全ておさめたということにして問題ないな」
「な――!?」
当然真っ先に驚愕の表情を呈したのは、勇者本人たる黎二だった。一方のハドリアスは彼の驚きを些かばかり不思議そうに、問いを投げる。
「何を驚いた顔をしているのだ?」
「お、驚くに決まっている。僕がやったことじゃない」
「確かにそうだ。だが、これを勇者殿の手柄とすればそれがどんな利益をもたらすのか、分からぬことか?」
「それは……」
ハドリアスの言に対し、反論を言い淀む黎二。そしてそれには、物言いをつける者がもう一人いた。そう、グラツィエラであった。
「ハドリアス公爵、それを私が許すと思うのか? ここには我らもいて、魔族と戦ったのだぞ?」
グラツィエラは、そうでないことを知っている。彼女が声高に叫べば、黎二の手柄として通らなくなるだろう。
するとハドリアスは、あらかじめ答えを用意していたかのように、淀みなく慇懃に告げる。
「グラツィエラ皇女殿下。この件についてお見過ごしいただければ、殿下の進攻に対するこちらからの抗議はないものとお約束いたしましょう」
「進攻、だと?」
「でございましょう? 殿下は麾下の軍を引き連れて来ているのですからな」
「貴様……」
「殿下も、いまは良くない噂が立つのは困るはず。ここは見て見ぬふりをしていただくのが、善手ではないかと」
「……勝手にするがいい」
ハドリアスのダメ押しの慇懃無礼に、グラツィエラは不機嫌そうに明後日を向いてしまった。ティータニアも手柄の件には思うところがあるか、驚きと不審の混じった視線を彼に向けるが、ハドリアスはどこ吹く風というように、部下に指示を出し始めたのだった。




