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夢を嗤う男



 水明たちが脅威にさらされる一方で、黎二たちは思わぬ事態に苦戦していた。



「どうして……」



 ムーラの姿がないことを知ったあと、突如背後に降り立った強大な力。

 黎二たちは再びの異形の魔族との戦闘を余儀なくされ、その対応に当たっていた。

 この戦の中、もう何度目になるかという異形の魔族との戦闘。



 だが、今回は以前までとは違った点がある。

 黎二たちが前以上の苦境に立たされているということだ。

 グラツィエラとティータニアはその戦闘経験を頼みに対応できるし、瑞樹は身を隠しながらの援護に専念しているため、何とか形になっている。

 無論黎二も、サクラメントから力を引き出すことに成功したおかげで、かなりの優位に立てる。体力の消耗は激しいものの、短期間ならば圧倒することも可能。



 ()()()()()()()



「黎二くん!」



 瑞樹の焦ったような声が黎二の耳に聞こえる。それは彼の戦いの不甲斐なさに危惧を抱いたからのものか。それとも、純粋に彼に対する警告を呼びかけたものなのか。



 ――今度こそ、優勢なまま戦いが運べると思っていたのに。


 ――今度こそ、この異形に勝ちを得られるはずだったのに。



 なのに蓋を開けてみれば、待っていたのは劣勢だった。



「どうしてなんだ……?」



 口をついて出てくるのは、そんな疑問の言葉ばかりだ。何故。どうして。どういう理由で。上手く立ち回ることができないのか。



「レイジ、どうした!?」


「レイジ様!」



 危惧する声が、心配の声が何度も聞こえてくるが、少しも頭に入ってこない。

 イシャールクラスタを振るう。その一撃が大地を砕き、轟音が鼓膜を震わせる。

 しかしそれは、いま彼が予想して振るった結果を、()()()()()()()()。壊すつもりのないものまで、攻撃で壊れてしまう。影響の及ばないものにまで、影響させてしまう。



 突然、加減の仕方がわからなくなってしまったかのようだった。



「サクラメントの力を引き出し過ぎた……? いや、そんなはずは」



 黎二は困惑を呟く。

 踏み出せば地面が砕け、走れば目的地を行き過ぎる。自分の力が強すぎるせいで、思ったように戦えない。それが邪魔をして、戦いにすらならい有様だった。



「なんで……どうして……」



 制御しようにも、制御できない。まるで壊れたコントローラーで自分のことを操っているかのよう。

 自分の身体は、一体どうしてしまったのか。そんな疑問ばかりが、頭の中を占拠する。



「いや、ダメだこんなのじゃ……!」



 動きに加減が利かず目標を見失い、その隙を突かれて攻撃を受ける。



 ――何をしているんだ自分は。



 そんな己へ対する疑念や叱咤が、頭の中に渦巻いて行く。

 黎二は仕切り直しとばかりに、異形の魔族の懐に飛び込もうと駆ける。だが、やはり自分の動きが速すぎるせいで、目標とした位置をオーバー。すぐさま制動をかけて止まるものの、停止するために力を注ぎ過ぎて、振り返ることもままならない。



 それは、この戦いにあって大きな隙だ。

 やっとのことで振り向いた直後、黎二の目の前に魔族の大脚が迫る。



「レイジ!」


「黎二くん!」



 気付いたときには、大きく蹴り飛ばされていた。



「がっ、は――」



 だが、思った以上にダメージは少ない。以前ならば即死するほどの攻撃だったはずなのに、いまは、痛みを訴える程度。内臓にも痛手を負った様子はない。



「レイジ様!」



 ティータニアやグラツィエラが援護に駆け寄って来ようとする。

 だが、黎二はそれをさせてはいけないと、大きく叫んだ。



「こっちに来ちゃだめだ! みんな僕から離れて!」


「ですが!」


「いいから! 僕のことは気にしなくていい!」



 そんなやり取りの中、黎二の目の端におどみのほの暗い輝きが映る。

 異形の魔族がその口腔を大きく開き、そこから邪神の力を溢れさせたのだ。

 黎二はすぐさまイシャールクラスタを盾にするように前に出し、周辺に結晶を展開。盾を一枚作るのではなく、複数の結晶柱でカバーするよう突き立てる。



 結晶柱は黎二の想像と寸分たがわぬ状態で展開された。



「他はダメで、これはうまくいくのか……?」



 直後、異形の魔族の口から、邪神の力がさながら光線のように発射される。

 すべてを薙ぎ払うような一撃は、しかし黎二の目論見が図に当たったおかげで防御された。

 光線の如き攻撃は複数の結晶柱に乱反射し、いくつもの筋に分散。直撃は辛くも逃れるが、その筋でさえも周囲の物を引き裂き、消し飛ばし、蹂躙していく。


 それは、想像を遥かに超える破壊だった。

 分散した筋でさえ、その射線上にあったものは跡形もなく消し飛ばされてしまった。



「なんという威力だ」


「あれが直撃すればただでは……」



 ティータニアとグラツィエラがその威力を目の当たりにして息を吞む。

 しかして異形の魔族はそんな彼女たちの声に反応したのか、そちらに向かって無造作に腕を振るった。爪先さえ届かない位置。しかし、その余波は十分過ぎるほど彼女たちに影響を与える。

 砕けた地面の飛礫と、アトランダムに吹き飛ぶ瓦礫。



 ティータニアは辛くも逃れたものの、グラツィエラがその被害を受けた。

 直撃はしなかったものの、衝撃で吹き飛んだ瓦礫が彼女を襲う。



「がっ――」



 グラツィエラは散弾のように吹き飛ばされた瓦礫に巻き込まれ、そのまま地面に墜落。



「グラツィエラさん!」


「グラツィエラ殿下!」



 グラツィエラにティータニアと瑞樹が駆け寄る。

 そこへ、異形の魔族が追撃とばかりに駆け出した。

 一直線上の疾駆。大型車の暴走めいたそれに対し、黎二ができたのは、なりふり構わない体当たりだけだった。



「やめろぉおおおおおおおおおおおおおお!!」



 黎二は余りある力を逆手に取って、異形の魔族もろとも吹き飛んだ。

 異形の魔族と共に、地面を転がる。

 やがて黎二は立ち上がり、周囲を見る。グラツィエラは異形の魔族の攻撃に巻き込まれて怪我をしており、ティータニアは彼女に治癒の魔法を使用中。瑞樹は以前よりも力を付けたものの、まだ異形の魔族と戦えるほどではない。



 ぬかった。

 戦力が足りない。

 それ以上に、自分が一番不甲斐ない。



 水明に一緒に来てもらえばよかったのか。

 そんな後悔が黎二を襲う。

 だがいつまでもそんなことでは、自分は不甲斐ないままだ。



(いや違う、そうじゃない、そうじゃないんだ……)



 黎二の頭に、いまある危機とは違う思考が侵蝕し始める。

 それは彼の矜持だ。矜持が施行の隙間に入り込んで、集中の邪魔をする。

 どうする。どうすればいい。何をすればよかった。何をすれば自分は、誰にも認められるようになるのか。



 黎二の頭が、冷静に物事を判断できなくなり始めた、そんなときだった。

 異形の魔族の口腔が、再びぐばりと開く。

 口の端からあふれ出すほの暗い輝き。強烈な力の顕現。まるで天に向かって咆哮するかのように上を向いたあと、しかしてそれは、黎二に向かって一直線に発射される。



「しまっ――」



 先ほどのような防御はもう間に合わない。

 黎二は咄嗟に目を瞑ってしまった。



 だが、予期した衝撃はない。

 黎二が目を開けると、目の前に影が降り立つ。

 まるで、天の助けのように。

 やはり、それは友人なのか。

 しかしその予想はまったくのはずれだった。



「――ここは随分良い匂いがしてるねぇ。絶望と抵抗の匂いだ。僕の大好きな匂いがぷんぷんしてる」



 そこにいたのは、一人の男だった。

 くすんだ色の金髪を持ち、白を基調とした服を着た何者かだ。

 特異なのは、その大きな目隠しだろう。目を決して開かないように、黒革のベルトが巻かれている。

 気になるのは、服装も装飾もすべて黎二の世界のものだということだ。

 目隠しの男は片手にワイグラスを持って、グラス下部の持ち手であるステムとそこに繋がるプレートをぶらぶらと揺らしながら、黎二の方に振り向いた。



 黎二は困惑に囚われたまま、訊ねる。



「あ、あなたは……?」


「ん? 僕ぅ? 僕が何かって訊ねられたら、魔術師って答えるかな? まそんなところだよ、そんなところ。分類分けなんてあまり意味のないことだ」


「魔術師? じゃあ水明と同じ……?」


「あれあれぇ? 君も水明くんのこと知ってるのかい? そうかそうか、それはいい」



 この妙な男も水明のことを知っているらしい。名前を聞いて、やたらと機嫌良さそうに頷いている。

 ではこの目隠しの男、水明の知り合いなのか。いや、そもそも水明の知り合いがどうして異世界(こんなところ)にいるのか。彼が連れてきたわけでもないのに。



「えっと、あなたは一体……?」


「僕? 僕はアレだよ。アレ。水明くんのファン」


「ふぁ、ふぁん……?」


「そうそうそれそれ。アイドルとかを追っかけてるようなそんな不毛な生き物さ。それがちょっと行き過ぎてこんなおかしなところまで来ちゃったわけだけど。いやぁでもやっぱり水明くんは面白いね。彼は本当に僕を飽きさせないよ」


「は、はぁ……」



 一言訊ねれば、二言も三言も、沢山の言葉が返ってくる。

 ひどく陽気だ。どうにも場違いすぎるほどに。

 しかも、目隠しの男はその場でくるくる回ったり、踊ったりと、いちいち挙動が仰々しい。

 疑問は深まるが、いまはそんなことを考えている場合ではない。



「い、いえ、それよりも――」



 黎二が目隠しの男に警戒を促そうとした折、



「うん? それよりも? 何かな? 僕の話を遮らなきゃならないようなことが、この世にあるのかな?」


「っ――!?」



 目隠しをした男は、顔を一気に近付けてくる。まるで自分だけ見ていればいいのだとでも言うように、黎二の視界が男の顔で埋め尽くされた。

 強烈な威圧感に、身体が縛り上げられる。

 まるで自分よりも巨大で強大なものに睨まれたかのような、そんな錯覚に陥るほどだ。

 なんだ。なんなのだ。黎二がそんな疑問を持ったそのとき、目隠しの男の背後その先に、異形の魔族が立ち上がったのが見えた。



「――!?」


「おっと、もう動けるのか」



 目隠しの男が、そちらに振り返った。身体を縛っていた緊張がほどけ、胸が早鐘を打つ。

 息も荒いまま前を向くと、異形の魔族が強烈な突進と共に、右腕を振るう。



 逃げる暇もなかった。

 目隠しの男もろともその攻撃に巻き込まれんとしていたそのみぎり。

 目隠しの男が、それを片手で止めた。



 そう、()()()だ。



「な――!?」



 異形の魔族は凄まじい膂力を持つ。それはこれまでの戦いで経験済みだ。だが目隠しの男はまるで羽でも受け止めるように簡単に、その一撃を止めてしまった。余波も周囲にまき散らされることはなく、地面に衝撃が逃がされた様子もない。



 すると、目隠しの男はその状態で黎二を見返った。

 首を捻じるような動きだった。



「そんな驚くことじゃあない。力を持っていればこんなことは簡単だ。体重が必要? 背丈が必要? 腕力が必要? 僕ら魔術師にはそんなもの些細なことだ。全部魔力で事足りる。そう、こんな風にねぇえええええ!」



 異形の魔族は目隠しの男の手の戒めから逃れようともがく中、大きく吹き飛んだ。

 地面を削るように転がる異形の魔族。まったく相手になっていなかった。



 黎二は再度、目隠しの男に訊ねる。



「あなたは一体どうして僕たちを助けてくれるんですか……?」


「どうして? 人が人を助けるのに理由なんているのかい?」


「え?」


「なーんて、彼ならそう言うだろうね。でも僕は違う。気分だ。ここで君を助けておいたらもっと面白くなりそうな予感がしたからだよ」


「面白くなりそうって……」



 目隠しの男は、困惑する黎二の顔をまじまじと見る。

 一体何を見透かそうというのか。黎二がそんなことを考えた折、それはすでに終わったらしい。

 目隠しの男が不気味に微笑んだ。



「君、いいね。夢がある。いま君は、必死で足掻いているんだろう? 何もできない自分に満足できなくて、周りにあるたくさんの高い壁を乗り越えようとしているんだ。いいよ。それはいい。いくらみっともなくても、足掻くことをやめてしまったら、つまらなくなる。見ていて面白くない」


「――――」


「そんなに驚くなよ。それくらいすぐわかる。騙したいと思ったら、もっと歳を取ることだ。そうすれば多少はマシになる。まあ君も、水明くんと同じであんまり歳を取れずに死にそうなタイプの人間っぽいけど」



 ぐしゃり。そんな潰れたような音が聞こえる。見れば、異形の魔族を中心にした周囲一帯が、何か重い物にでも潰されたかのように、大きくへこんでいた。

 これも、この目隠しの男の力だろう。黎二にはそれが、なんとなくわかった。



 目隠しの男が異形の魔族を一瞥する。



「醜いね。ああいうのは僕の趣味に合わない存在だ。ああいうのを一秒でも視界に入れると、ワインも血もマズくなる」



 彼はそう言うと、「だから――」と一言前置きするようにそう言って、呪文らしき言葉を並べ立てる。



「――Tell the living.Blood purgatory.Blood festival.Requiem for all the dead.Delight for all the dead.Sound of screams,color of scream,dye everything red.Iron taste.Iron fragrance.The cup is always filled with blood」

(――生きとし生ける者に告げる。血の煉獄を。血の祭典を。あまねく死者を慰めよ。あまねく亡者を喜ばせよ。悲鳴を奏で、絶叫で彩り、世界を赤で埋め尽くせ。味は鉄だ。香りも鉄だ。今日もカップは血で満たされる)



 目隠しの男が歩く、無造作に、無防備に、片手にワイングラスを持ったまま。

 やがて、彼の行く先に、一つの椅子が出来上がる。肉と人骨と臓物でできたような醜悪な椅子だ。彼はそこに鷹揚に腰掛け、足を組み、ワイングラスを掲げた。



 異形の魔族が目隠しの男に迫る。もう何をしても間に合わない。

 そんな絶望が滲む水泡(みなわ)のごとき一瞬に、目隠しをした男は一言こう、口にするのだ。



「――(good)(unhealht)



 目隠しをした男は、手に持っていたワイングラスを異形の魔族に軽く当てる。

 軽く。そう、こつん、と。



 ――溶血ブラッディクライシス



 そんな鍵言が聞こえた瞬間、彼が座った椅子を起点に、血の魔法陣が励起する。

 血色の陣が赤い閃光を発し、そこから湧き出た血液のような液状の何かが、異形の魔族へ殺到。それが縛り上げるように絡みつくと、その体内へと侵入していく。


 ぼこりぼこりと泡のように沸き立つ肌。まるで操り人形の糸をめちゃくちゃに動かしたかのように、関節があらぬ方向へと曲がり始める。

 異形の魔族は耳障りな苦悶の絶叫を上げたあと、全身の穴と言う穴から真っ黒な血を盛大に噴き出して、その場に倒れ伏した。



 零れ落ちた魔族の黒の血液は、まるで毒蛇の出血毒を一滴そこに零したかのように、煮凝りのように固まっていた。



 目隠しの男が笑い声を上げる。



「ははははははははははははははは! やだねぇやだねぇ、いやぁまったく美しくない悲鳴だよ。やっぱり悲鳴を聞くなら人間が一番いい。君も、そうは思わないかい?」


「そんなことは……」


「ない? ないかぁ? ははは! そうだよねぇ! わかってるわかってる! 君もそういう風に思う人間だ!」


「あ、当たり前です!」



 困惑しながらも、きっと睨むように視線を向けると、目隠しの男は面白いとでも言うように顔に喜色を浮かべる。



「そうだ。そうそう。それが真っ当な人間の神経だよ。人間でいたいなら、そうじゃなかったらいけない。悲鳴に酔いしれてはいけない。闘争に歓喜してはならない。それを忘れれば獣だ。そうじゃないかい?」


「…………!?」



 目隠しの男の言葉に、息が止まる。

 どうしてその言葉が、自分の心に強く響くのか。

 まるで自分でも知らなかった真実をえぐり出されたような心境に陥ったかのよう。



 そんな中、ティータニアがこちらに向かって歩いてくる。



「まずは助けていただいたことへのお礼を――」



 彼女が目隠しの男に、そんなことを言いかけた瞬間だった。

 目隠しの男が、ぐばりとそちらを向いた。



「いま僕は、彼と話をしているんだ。邪魔をしないでくれるかな?」


「え――? あ……」



 ティータニアの動きが、突然縛られたように停止する。

 硬直して、言葉も出せない様子。指一本、動かせない。

 それを見た目隠しの男は、再び機嫌の良さそうな笑みを見せる。



「そうそう、人の言うことは素直に聞くことだ。」


「あなたは……いや、ティア!」


「おっと、君ぃ。僕と話をしてるんだよ? 他の人間に浮気するなんて失礼じゃないかい? 大丈夫動けないようにしただけだから、心配する必要はこれっぽっちもない」



 目隠しの男が、その話を聞き入れることはない。にやりと笑みを作ったまま、武装化が解かれたイシャールクラスタに視線を落とす。



「そして君、面白いもの持ってるね」


「え? あ――」



 黎二がなんのことかと同じように視線を落とすと、しっかりと握られていたイシャールクラスタが、手の中にないことに気付く。

 反射的に視線を上げると、目隠しの男がべろりと舌を出して、見せびらかすようにイシャールクラスタを振っている。



 いつの間に、取り上げられたのか。



「――!? ど、どうやって!?」


「どうやって? 訊ねるまでもないじゃないか。これくらい魔術師にすれば簡単なことだ。力を持っている相手から、かすめ取るのが僕らの生業だからね。ああ、心配しなくていいよ。ちゃんと返すとも、ほら」


「え、あ……」



 目隠しの男は、ぽいと、要らない物でも放り出すように、イシャールクラスタを投げて渡す。

 黎二はあくまでこちらを玩弄する目隠しの男に、困惑を隠せない。


 ふいに、ぷんと、黎二の鼻腔を臭気が襲う。鉄臭さを何倍も強くしたようなツンくる匂い。それは、凄まじい血の匂いだ。凝り固まった血液。そして、腐った血液の匂いを一緒くたにして煮込んだようなそんな耐えがたいもの。


 黎二は降って湧いた吐き気をどうにか堪えていると、目隠しの男は気付いているのか、ニヤニヤと口もとに不気味な笑みを張り付ける。



 これと比べれば先ほどの異形の魔族などまるで赤子だ。

 邪悪だ。そう、これは邪悪の塊なのだ。あれに意志などない。だが目の前のこれは、自らの意志で人を殺す。

 吐き気を催す邪悪という言葉を耳にしたり目にしたりすることがあるが、目の前の男はまったくそれだった。



「君はこれを取られたくらいで困りはしないだろう? 奪い取るならそっちだ。そっちの子たちだ」


「な、にを――」


「君にはね、必死さが足りないんだよ。きっとどうにかなる。誰かがどうにかしてくれる。自分がどうにかしないといけないと思ってる心の奥の片隅で、そんなことを考えてるんだ。君は失ったものがないからね。いままでも『誰か』や『何か』が君のことを助けてくれたんだろう? だから焦らない。怖がらない。どんなに差し迫っていても、怖くなれないんだ」


「そんなことは……」


「ないって言うのかい? 違うね。それはわかってないだけだ。君みたいなのは、自分のことにはひどく鈍感だ。それを踏まえたうえで自分を見つめ直さないと、すぐに勘違いしてしまう。感情を乗っ取られても、それが自分のものだと錯覚してしまう。そうじゃないかい? そういったところはもっと直情的な人間の方がマシだと思うよ?」



 目隠しの男はそう言うと、何か名案でも思い付いたとでもいうように、にんまりと笑った。



「いいよ。僕が君に恐怖をプレゼントしてあげよう」


「え――?」



 黎二がそんな不穏な言葉を聞いた直後だった。

 目隠しの男の手が、ティータニアの腹を貫いた。



「かっ、は――」


「ティ、ア……?」


 ティータニアが目を見開く。状況の理解が追いつかないのか、それとも腹を貫かれた衝撃か。鮮血が飛び散り、大量の血液がぼたぼたと零れ落ちる。



 シミが広がるように、ティータニアの服に赤い血液が広がっていった。



「こうした方が君は必死になる。そうだろう? 不可逆性は誰にとっても心を締め上げる絶望だ」



 ティータニアの腹部から手を引き抜き、彼女を黎二に投げ渡す。

 黎二はそれを抱きかかえるように受け止めた。



「レイジ、様……」



 声と共に、口の端から血液が溢れる。

 ぬくもりが、剥がれ落ちるようになくなっていく。

 顔から血色が、失われていく。

 それでやっと、ことの重大さが重くのしかかってきた。



「あ、あ、あ……あ、あ、あああああああああああああっ!!」


「ティア!」


「ティータニア、殿下……!」



 瑞樹が叫び、グラツィエラも呻きながらも声を張る。

 そんな中も、目隠しの男は耳障りな哄笑を上げ続けて。



「さあ足掻け。もっと足掻くんだ。自分の無力を憎んで、憎んで憎んで憎んで、憎み切れ。自分を憎めない人間は強くなれないんだからね」


「お前っ! お前ぇえええええええええええ!!」


「おっと、君は僕に叫んでいる暇はないだろ? いま、すぐに、やらなきゃならないことがあるんじゃないか? そうだろう? そうじゃなきゃ、その子は死んでしまうよ?」


「それは……」



 黎二はティータニアに目を落とす。

 だが、だからと言って自分はどうすればいいのか。こうなったらもう手遅れではないのか。

 黎二がそんなことを思う中、目の中に輝きが映る。

 それは、砕けた紺碧(ラピス・ユーダイクス)の蒼い輝きだった。



「そうだ。使え。願え。求めろ。耳を澄ませば、聞こえるはずだ」



 いつの間にか背後に立っていた目隠しの男が、黎二の耳元でささやく。

 まるで、善良な人間をそそのかす悪魔のようだ。

 だが、それが、いま黎二が絶対にやらなければならない事柄であるのには変わりはなかった。



「っ――寄越せっ! 寄越せっ! 僕に全部よこせぇええええええええええええ!!」



 夜の街に、黎二のひっ迫した絶叫が響く。

 やがて黎二とティータニアは、蒼い輝きに包まれた。







 …………黎二が扉を開け放ってしばらく。

 ティータニアの傷はふさがった。血色ももとに戻り、もう血液の流れは一切ない。

 ただ、穏やかな寝息を立てているのみだ。

 黎二は手を地面についた。もう身体の中に、力は一切残っていない。すべて、出し尽くした。



「はぁ、はぁ、はぁ……」


「おめでとう。これで君は恐怖を思い知った。必死が何かを知ることができた。あと君に必要なのは、大切なものを失うことだけだ」


「あなた……おまえ、は……」



 目がかすむ中、目隠しの男が何かしらの言葉を吐き続ける。



「でも、そっちの助けはできないね。その手のものはもっとドラマがないといけないものだ。いまみたいな作業で失うものなら、十字架を背負うことはできないんだよ」



 なんの話をしているのか。いまの黎二には、よく理解できなかった。

 ただ途轍もない疲労だけが、全身にのしかかっている。



「誰も彼も、十字架を背負っているものだ。水明君だってそうだよ。風光くんという十字架を背負っているから、だからああして、夢へ夢へと向かって進んでいけるんだ。だから君も、いつかそうなるといい。そうすれば、君も限り(そこの)ない(よくぼう)へと向かって、走り続けられる」



 目隠しの男はそう言うと、再び耳障りな哄笑を高らかに上げる。

 まるで人の無力を、夢を、あざ笑うかのように。

 そして、何かを想い出したかのように黎二の方を向いた。



「君の名前を、聞いていなかったね。名前、なんていうんだい?」


「しゃな、れいじ……」


「黎二くんか。これからよろしくね黎二くん。僕のことはそうだね。夢を嗤う男とでも覚えておけばいい」


「夢を、嗤う……」


「そう。そうだ。じゃあ今日の出会いを祝して、血と臓物に乾杯」



 目隠しの男は夜空にそんなことを染みわたらせると、そのまま、夜の闇に消えてしまった。




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