いま誰しもの死を想え
――魔族の将軍とは、自分が決着を付けなければならない。
中央通りに向かった黎二は、そんな責任感に突き動かされていた。
黎二がムーラとは相まみえたのは、都合二回。一度目はあしらわれて終わり、二度目は戦わずに背を向けられた。
一度ならず二度までも、ああして肩透かしを受けるとは思わなかった。
やはり、自分のことなど眼中にないのか。自分のことなど路傍の石と同等とでも思っているのか。いや、そうでなければ、こんな風に『勇者たち』を待ち受けるということなどせず、なりふり構わず攻めてくるはず。相手に焦りを抱かせることができないということは、やはりあの魔族の将軍は、黎二として見ず、勇者としてしか見ていないのだろう。
「…………」
自分は強くなった。これまでの戦いを経て、力を手に入れたはずである。
なのになぜ自分は、相手にされないのか。脅威として見做されないないのか。
ムーラだけではない。他のみんなだって、何かと自分のことを心配する。
――彼は、そんなことはないのに。
――彼はいつも誰かに頼りにされているのに。
――どうして自分は、彼とは違う見られ方をするのだろうか。
――自分だって努力している。戦えている。なのにどうして、信じてはもらえないのか。
「……さま」
どうして。
「レイジ様!」
「え? あ……ティア、何かあった?」
ティータニアの呼びかけに遅まきに気付き、返事をする。
「いえ、何もありませんが……ですが、どうしたのですか? 何度呼びかけても返事がなく」
「なんでもないよ。少し考えごとをしていただけだから」
不安そうな視線を向けてくるティータニアに、黎二は軽く手を振って答える。
自分は思った以上に、自分の中に没入していたらしい。最近はよくこんなことがある。以前まではなかったはずだが、それだけサクラメントの影響が強いのか。
――耳を傾けすぎると、己を蝕まれる。
ふと、水明が風呂場で言ったことが思い出される。
いまの自分は、蝕まれているのか。いや、そんなことはない。自分は自分だ。確かに自分を保っている。そうでなければ、こんなことなど考えられないはずだ。こうして自分を顧みることなどできないはず。
黎二はそう自分に言い聞かせながら、ティータニアたちと共に魔族の将のもとへ急ぐ。
第二の城壁を超えたあと、中央通りをさらに進むと、すぐに魔族の集団を発見した。
通りの真ん中に重しのように鎮座し、動かない。まるで、いまいるここが、彼女らの本陣とでもいうような態度だ。
黎二は睨み合いをしていた兵士たちを下がらせて、イシャールクラスタを武装化。
そこにいるであろう魔族の将軍に向かって声を張った。
「ムーラ! いるんだろう!? 出て来い!」
しかし、その呼びかけには反応しない。
あくまで姿を見せないつもりなのか。黎二がそう思って攻撃を仕掛けるも。
「いない……?」
結晶の飛礫で吹き飛んだ場所には、魔族の将軍の姿はない。
報告では、ここで誰かを待ち受けているかのように動かないということだったのに。
しかし、現にここにはいない。
ということは、だ。
「また僕は……」
あの魔族の将軍に、軽視されたということだ。
黎二の手に、怒りがこもる。
強く握られた柄が軋むような音を発して、彼のその怒りの度合いを表していた。
ならばこの憤懣そのまま、他の魔族たちにぶつけたいとそう思い始めたそのときだった。
ずんと、地面が揺れる。直後、吐き気を催す嫌な気配が、黎二の背中に襲い掛かってきた。
●
黎二たちが中央通りへ向かい、初美はハイデマリーと一緒に北門前に急行。エリオットたちはリリアナを連れ北東にある武器庫の方へと急いだ。
城を出た水明は、フェルメニア、レフィールを伴い西のはずれにある食料庫の方へ向かっていた。
いまは夜の街を屋根伝いに移動中。水明とフェルメニアは魔術を使っての飛行であり、レフィールは赤迅を追い風にしての跳躍である。
水明は夜のこんな飛行も久しぶりだなと思いつつ、周囲を探索。
すると移動している邪神の力の気配があった。
「スイメイ君。どうだ?」
「見当は付いた。レフィは?」
「この先に、嫌な気配が漂っている」
「私も感知しました。かなり濃密だと思われます」
この場にいる全員の感覚が一致した。十中八九、目標だろう。
「……首の後ろがやけにチリチリしやがる」
水明は降って湧いた予感に嫌な感覚を覚え、ふっと呟く。
そして、三角屋根から三人、滑り降りるようにして地上に降り立った。
レフィールが隠れ蓑の如きヴェールを剥がすまでもなく、魔族たちが姿を表す。
魔族たちは移動中にアステルの兵士たちを振り切ったのか、特に消耗もない様子。
少数での行動であり、いるのは翼付きの魔族ばかり。精鋭を連れてきたとはまったく思えない陣容だが、一体だけ、それらと比べるべくもない巨躯と強烈な力の気配をまとった、不気味な異形の姿があった。
……水明もカラスの目で見ていたため、姿形に関しては了解している。
黎二たちが言っていた異形の魔族だ。
だが、ここにいるものは、今日エリオットたちの前に現れたものとは段違いの威圧感を放っている。
レフィールもそれを悟ったのか、険しい表情で呟いた。
「……なるほど。やはり今日のあれは弱っていたということか」
「凄まじいですね……精神防御の魔術がないと集中力がかなり乱されそうです」
「は――厄介なモン作りやがってあの野郎」
水明は目の前の存在を生み出した者に対して、悪態をつく。
ただ相手に嫌悪感を与えるためだけに想像された造形であり、悪趣味なことこの上ない。
だが、水明のうなじを脅かした嫌な気配の出どころは、これではない。
彼らが異形の魔族に視線を送っていると、魔族が一体、前に出てくる。
女だ。頭に角を生やした、褐色肌の女剣士である。
あからさまに周囲の魔族たちとは違っており、今回現れたという魔族の将軍のものと特徴が一致する。
「――やはりな。私が向こうにいると見せかければ、勇者は向こうに行く。食料を狙う素振りを見せれば、大きな戦力がこちらに割かれる」
おもむろに口を開いた魔族の将軍は、そんなことを口にする。
まるで図に当たったというようなその言いよう。つまりは――
「その口ぶりじゃ、わざと勇者と戦わないようにしたってことか?」
「そういうことだ。黒髪黒衣の男」
「あ?」
「貴様のことはリシャバームから聞いている」
リシャバーム。それはクドラックのことだ。
「へえ。野郎に何を吹き込まれたかは知らないが、あんたのご指名は俺ってことか。またなんで勇者でもない俺なんかを?」
「奴は貴様のことを随分警戒していたからな」
「そうかい。で、だから俺の顔でも拝んでみたかったって?」
「いいや、貴様を倒せば奴のあのいけ好かない顔も多少は鳴りを潜めるだろうと思ってな」
「いけ好かないってのはまったくもって同意するわ。むしろ奴のやり込められた顔なら、俺も是非見てみたいぜ」
水明はそう言うものの、それに協力するわけにはいかないのが本音である。
だが、それはともかく、だ。
「お前ら魔族には、邪神の意向っていうのが第一って思ってたんだが? 俺なんか狙うなんて、随分余計な手間を挟むじゃねえか」
「無論、我らが神の意志は我らにとって絶対だとも。これはそのついでだ」
「ついで……ね。ついでで倒されるような安い相手と思われちゃ心外だ」
この魔族の将軍、やたらと人間臭いことを考えているなと思いながら、水明は軽口を続ける。だが、落ち着きようが不気味だ。以前に戦ったヴィシュッダ、ストレガなどはもっと調子に乗っていたし、反面ラジャスのような強烈な威圧感は皆無。だが、それが不気味さを際立たせる。
こうして話には乗ったが油断はできない相手だなと思いつつ、動き出した。
「つーわけで、ご指名は俺みたいだ。メニア、レフィ、二人はあっちを頼む」
「お任せを!」
「ああ。今回のものも、斬って見せる」
異形の魔族のことを頼むと、二人はやる気を灯す。
直後、フェルメニアが鳩尾部に手を当て、その部分を軽く捻じるような挙動を見せた。
まるで金庫のダイヤルを回すような、エンジンキーを回すような行動だ。
その後、すぐに鍵言を口にする。
「――魔力炉心。白火、即発臨界!」
フェルメニアの身体から、魔力が溢れ出る。
魔力炉心を起動させたことによる影響と、貯蔵していた魔力を活性化させた影響で。
やがて炉心が臨界に達すると同時に、世界が震えを発する。
神秘力場揺動だ。
炉心稼働によって、フェルメニアが口から魔力の蒸気を吐き出す。
星を散りばめたような輝きを含む、乳色の靄が吐き出されると、彼女の周りを荒れ狂っていた魔力は安定。フェルメニアの身体に膨大な魔力が充溢する。
「我が力、イシャクトニーの赤迅よ……」
フェルメニアが戦闘態勢を整える一方で、レフィールは精霊の力を解放し、赤迅を唸らせる。
先ほど屋根の上を跳躍していたときとは比べ物にならないほどの力が顕現し、すぐに轟轟とした風が地上に舞い降りて、彼女を取り巻いた。
強大な力の発露に、魔族たちの動きが縫い留められる。そんな力の波動の渦のただ中で、平然としているのは魔族の将軍ムーラと、リシャバームが作ったと思われる異形の魔族のみ。
――雨叢雲に燃ゆる白。
詠唱のあと、鍵言が口にされる。
やがて、空から降り落ちる白い火の雨。フェルメニアの魔術だ。敷き詰められた枯草に火を放つかの如く、周囲に白い炎が広がっていく。
すぐに翼付きの魔族が巻き込まれて炎と化し、それは他の魔族にも伝播。雨粒の隙間を潜り抜けるのは至難というように、かわす術はない。無論それには異形の魔族も巻き込まれるも、抵抗力があるのかあまり効果はない様子。
そんな頑健な相手に、レフィールが躍りかかった。
跳躍し、異形の魔族に上から大剣を叩き付けるような一撃を放つ。
しかし、それは辛くもかわされ、その代わりに地を砕いた。
地響きのような轟音と共に地面が陥没、亀裂が走る。
一方でその返礼とでも言うように、異形の魔族がその剛腕を振り払う。
無造作だが、動きが速い。レフィールはかわし切れないと判断したのか、大剣を盾にして受けに入った。
「――くうっ!!」
大剣に重い衝撃が加わり、レフィールは大きく吹き飛ばされる。
しかし、地面や建造物に叩きつけられることなく、危なげない着地を見せた。
「レフィール!」
「こっちは無事だ。フェルメニア嬢はそのまま援護を! 目を離すな!」
「承知しました!」
フェルメニアとレフィールが異形の魔族を前に連携する。
昼間に同じ魔族を真っ二つにした技も、時間を要するため使えず、しかし有効な攻撃は限られる。波山。四封剣。それらを使わなければ、打撃を与えることは難しい。
ゆえに、ここでの撃破は、ひとえにフェルメニアの援護に懸かっているといっても過言ではない。
一方で水明はと言えば、そのままムーラと対峙。やがて、どちらからともなく動き出す。
ムーラが見せるのは剣士の動きだ。水明はひとところに止まらないよう走り出し、懐から試験管を取り出してこぼれ落ちた水銀から一振りの刀を形成する。
「――Permutatio Coagulatio vis lamina」
(――変質、凝固、成すは力)
水明は構えのために立ち止まることもせず、そのまま剣撃に移る。
そこから繰り広げられるのは、ムーラとの太刀打ちだ。
ムーラは技を頼みにする相手なのか、剣に込められる力も強いが、技から技へと移る間の動きが滑らかで、確かな腕前を思わせる。
剣と刀がぶつかる音が響き、しばしの鍔迫り合いに移行する。
「ほう? あの勇者よりも真っ当に剣を使えるようだ」
「剣術の経歴は俺の方が長いんでな」
「だが、まだまだだ」
「そっちのお株は他の仲間に譲ってるんでな。だが、そう簡単にあしらえると思うなよ?」
水明は水銀刀を振る手をわざと緩めて、ムーラの剣撃を誘う。ムーラの剣の切っ先が水明の頭頂に吸い込まれるとほぼ同時に、水明は煙となって回避。縦真っ二つになった煙霧が、ムーラの後ろに集うと再び水明の姿が現れた。
(いま――)
無防備な背中への横薙ぎの一閃。しかしムーラはそれを見返ることもなく、剣を背中に向かって振り出して、その一閃を止めた。
「ち、器用なことするじゃねえか!」
「それはお互い様だ!」
ムーラは振り返りざま、水明に剣撃を繰り出す。水明はそれを、剣を横倒しにして防御。
そして、すわ再度の鍔迫り合いになるかと、そう思われたそのとき。
剣を通して、魔族の力であるおどみが伝わってくる。
ムーラの不敵な笑みを目の当たりにしたあと、水明はおどみを嫌ってすぐに離れようとする。だが、ムーラは執拗に剣を合わせようとして、間合いから離れようとしない。
ムーラはかなりの力を使えるのか、侵蝕してくるおどみの量が尋常ではない。
そのため、防御しようという気にはならなかった。下手な防御をすれば突破され、身体はたちまちおどみに侵されるからだ。
ムーラのおどみは、他の魔族のものと違ってやたらとまとわりつくようで、気分が悪い。
「っ、そういうしつこいアプローチは嫌われるぜ?」
「そうか。そんなに離れたければ離してやろう」
「なに――ぐっ!」
どんと、水銀刀に強烈な力が加わり、そのまま打ち払われて吹き飛ばされる。
まるで自分自身が砲弾にでもなったよう。
そんな気分を味わうのもわずか、水明は後ろにあった家の壁に身が叩きつけられる。
そちらの衝撃は魔術で防御し無傷。家が崩れたせいで、瓦礫が頭の上から振ってくる。
それを防御しながら、考える。相手は次にどんな手を打ってくるのか、と。
おどみを飛ばしてくるか、そのまま一足跳びに突き刺しにくるか。
もうもうと立ち上がる粉塵の奥に、影が揺れ動くのが見えた。
となれば、やはり後者だろう。
「――Fiamma est lego.Vis wizard.Hex agon aestua sursum.Impedimentum mors」
(――炎よ集え。魔術師の叫ぶ怨嗟の如く。その断末魔は形となりて斯く燃え上がり、そして我が前を阻む者に恐るべき死の運命を)
詠唱は、アッシュールバニパルの炎の呪文だ。
すぐさま水明の周囲に魔法陣が生まれ、右手の中に宝石が現出する。
赤とオレンジのグラデーションと輝きは、まるで小さな太陽のよう。
引き延ばされた時間の中、粉塵の向こうに揺れる影が、徐々に徐々に大きくなる。
水明はそれを慎重に待ち構え、やがて間合いに入った折、弾かれたように飛び出し、宝石を持った手で叩きつけるようにカウンターを繰り出した。
「――Fiamma o Ashurbanipal」
(――ならば打ち貫け。アッシュールバニパルの眩き石よ)
胸元に拳打が打ち込まれ、それと同時に行われる宝石圧壊。
その直後、炎が悲鳴の声を上げながら、対象である魔族の将軍に殺到する。
だが――
(やっぱり威力は下がってるな……)
その威力は、先日現代世界で使ったものとは比べ物にならないほど弱い。無論本来の力が発揮させられないため、構築の段階で呪詛感染はオミットだ。本来ならば対象の無力化を期待できるそれも、いまはまったく使えない。
炎の中に、影が動く。ムーラが炎を剣で斬り裂いたか。それともおどみによって防御しているのか。魔術師の炎はまもなく吹き飛ばされた。
いずれにせよ、小手調べやけん制程度の魔術では、痛手にもならないということか。
「この程度の技で私を倒そうなどとは浅はかな」
「って言う割にはかわせもしなかったじゃねえか」
「かわす必要がなかっただけだ」
「そういうの、強がりって言うんだぜ?」
ムーラは水明の挑発が気に障ったのか、余裕ぶっていた彼女の顔に、わずかな翳りが現れる。すぐに充溢する邪神の力。それは、先ほど剣を通してこちらを侵そうとしたときよりも、数段強い。
(――こいつ、やたらと)
先ほどから力の引き出し方が雑なうえ、そのくせ底が見えない。
ということは、こちらが予想した以上に力を持っているらしい。まるで充電器が思ったよりも長持ちしているのを見たときのようだ。そんな辻褄の合わなさに、水明はわずかながらの疑念を抱きながらも、ひたすら魔術を行使する。
近付けてはならない。
下手に接近戦をしてはこちらがやられる。
ならば、魔術の連射で圧倒するのみ。
「――Light gathers at fingertips.Murderous penetration.Not a blade.Not a bullet.Not repelled.not used.Fly.penetrate.destruction.A straight line that shoots through my enemies」
(――我が指先に求めるは光。閃光は殺意を持ってあらゆるものを貫き通す。刃でなく。銃弾ではなく。弾かれることも、振るわれることもないのが道理。飛べ、貫け、破却せよ。我が眼前を阻むものを射殺すひとすじよここにあれ)
――執行光線
水明が右手で刀印を模ると、人差し指と中指の先端に光が蟠る。すぐにそれはムーラに差し向けられ、
「――Dissenters hear me.Cooperate work.A storm crashed.Landslide blows up.Look at feet.Stare overhead.Fools illusion defy God)」
(――相反する者どもよ声を聞け。いま手を取り合って紡ぐがいい。荒れ狂うものが大地に堕ちて、地を這う波濤が吹き上がる。その足もとを拝め。頭上を睥睨せよ。其は天に唾する愚者の幻想)
――大地旋風衝
地面が吹き上がり、土色の竜巻が発生する。質量を持った竜巻だ。砂嵐など顧みもしないような重撃を与える暴風がムーラをその内側に取り込み、天へと吹き飛ばそうと回り出す。
連続技の最後に繰り出すのは、高威力の爆炎魔術だ。
「――連鎖 爆撃!」
小魔法陣が列を作り、土砂の竜巻から離脱しようとしたムーラを追いかける。直後、根元から小規模な爆発が連鎖し、小魔法陣を道しるべにしてムーラへとまっしぐらへ向かっていった。
爆発音がひっきりなしに響き、ムーラの身体に最後の爆発に巻き込まれる。
彼女の身体は爆発の衝撃で大きく吹き飛んでいった。
「ダメージはっ!?」
通ったか、それとも健在か。
倒れ伏したムーラの身体が突如おどみに包まれ、やがてむくりと起き上がる。
しかしてその面貌に張り付いていたのは、とてつもない怒りだった。
「舐めるなよ……」
断続的な攻撃が気に障ったのか、ムーラが怒りに呻き、そして吼える。
直後、彼女の力が爆発的に膨れ上がった。
どん、と地揺るぎを伴う爆発音のように発破の音が響いたあと。
ムーラの身体からおどみが放射状に広がり、辺りを埋め尽くしていく。
まるで汚染だ。周囲は瞬く間におどみに包まれ、その色味をおどみと同じ色に変えて行く。
いやます吐き気と、瞬く間に広がる怖気。
それよりもなによりも、危惧が水明に襲いかかった。
「ちょ、マジかこれ!」
「スイメイ君! 気を付けろ!」
「スイメイ殿!」
水明も魔力を周囲に広げて防御に使うも、おどみの力の広がりは留まることを知らず。巨大なダムの水門をすべて開け放ったが如く、際限なく広がっていく。押しとどめられない。だが防御のための結界も間に合わない。
「おいおいどうなってんだ! どこにこんな力があった!」
「どこにだと? いまこの場において私の力は無尽だ。人間ども! 己の無力さを知るがいい!」
水明が困惑を叫ぶ中も、さらに力が発揮される。
一体どうなっているのか。先ほどからムーラの力が無尽蔵に発揮されている。いま彼女が口にした通り、本当に無限を思わせるほどの力の引き出し方だ。器以上の力が発揮されているとしか考えられないような状況にある。
外的要因は邪神からの力の流入。霊脈からの直接の魔力補充。いくつかあるが、そのどれでもない。そもそも大した準備もなくこんなことができるなど、道理に合わない。
だが、いまの水明にそれらのことを考えている余裕はなかった。
大きく広がるおどみの圧力。まるで大津波の濁流に巻き込まれてしまったかのよう。
「レフィ、メニア! ここから離れろ! ――チィ!」
水明は彼女たちを無理やり離脱させる。
その引き換えたる代償は、『水明自身の離脱』だった。
なぜ、このような力が出せるのか。
なぜ、このように力に際限がないのか。
水明の頭は力に巻き込まれる中も、そんな疑問に侵されていた。
……やがてムーラの放ったおどみの力が、周辺を覆う。
圧力がそこにあったすべてを吹き飛ばすと、あとに残ったのは何もない更地とそして、じうじうと地面を侵蝕する紫とも黒ともつかないおどみだけだ。
それ以外に何もない。どこにも。誰も。
「す、スイメイ殿……?」
「スイメイ君!」
フェルメニアとレフィールは辺りを見回すも、彼女たちが求めた水明の姿はどこにもない。離れた場所に飛ばされた可能性も考慮し広範囲を探るものの、彼の力の気配は感じられず、かといって離脱した痕跡もまったくない。
そう、八鍵水明は先ほどの攻撃により、跡形もなく消し飛んでいた。